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御茶ノ水、50’sの思い出 [シトラス]

81歳の実父が認知症の診断を受け、御茶ノ水の医科歯科大の受診に付き添う。
むごい病気であることには間違いが無い。
もともと独善的な人で私とは何度も衝突したが、認知症になってからはその傾向が強調された。
歳をとってまるで消しゴムのように自分の存在を弱め、消えて無くなろうとするかのような母とは正反対に、良かれと思って何をしてもストレートに厚意を汲んでもらえることは無い。
医科歯科大からの帰り道はいつもこの先を思うと心がふさぎがちになる。

何回目かの受診の帰り、父がどうしても帝国ホテルに寄りたいと言う。
また、そんなことを・・・と心が波立つ。

父は地方の海の傍の町に、アメリカから来た宣教師たちと共にプロテスタントのミッション・スクールを創設した。
ゴルフ場につづくなだらかな丘陵全体を学校の用地とし、幼い私は母が高校の教師として働いてこともあり、父に連れられてよくそのスクールへ行った。
歩幅の狭い幼児にはその丘陵を覆う芝生はとてつもなく広く、一番海側に建っている宣教師住宅へ父が仕事をしている間預けられるために歩くのは本当に大変だった。
宣教師住宅は今思えばまさに50’sそのもので、私の脳裏には網戸と二重になった白い開き戸や、靴のまま上がれる床が鮮明に焼きついている。

父はその学校の開設や拡張に事務長として関わり、当時の文部省に出入りし、御茶ノ水にある私学会館を東京の根城とした。
助成金が思うように下りなかった時、帝国ホテルのラウンジで日比谷公園を見下ろしながら飲むマティーニが唯一の慰めだった、と聞いたことがある。

そのラウンジの真横にある鉄板焼きの店に入り、ステーキを焼いてもらう。
何だかいらいらしてさっぱり食欲の出ない私の横で、父は黙々とたいらげる。
そしてぽつりとつぶやいた。
「これが父と娘の最後の晩餐だな・・・・」

あまりの身勝手さに病気ゆえとわかっていても酷い言葉を投げつけたくなる。
人生の終焉を周囲に厄介をかけて過ごさなければならないという意味で、認知症は冒頭のようにむごい病気だと思う。
しかし、迫り来る死の影におびえ続けて大量の薬をかかえこまなければいられないような本人にとっては、その恐怖を溶かし去る神からの最後の贈り物であることには間違いが無かろう。

父があんなに通ったはずの私学会館は、医科歯科大のすぐ裏手にある。
その私学会館ですら今の父にはわからない。

いろんな思いが交錯して寝付かれない夜を送った翌朝には、シャワーを浴びても、大好きな紅茶を飲んでも、身体と心が動き出さない。
できればこのまま丸まって眠ってしまいたいという衝動に駆られる。
そんな時、スイートオレンジ(Orange douce:Citrus sinensis)をデフューザーに入れ、スリーインワンのドレッシングルームいっぱいに香りを満たす。甘く、ジューシィーな香りが心を高揚させる。
そしてシャワー後の身体の五ヶ所にヴィアロームのフリクションVITをすりこむ。ローズマリーとスパイスのブレンドが「今日もがんばれ!」と背中を後押ししてくれる。
今日は妊娠25週のクライアントさんがやってくる。
先ず自分の目盛りを0にリセットして向き合わなければセラピーなんてできない。
いつもよりすこし濃い目に眉を仕上げて出発だ。


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