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自宅、<インテリア>で読むイギリス小説、回想のブライズヘッド [マイハーベスト]

ネットサーフィンという言葉は死語だそうだが、似たような感覚は本の世界にも存在すると思う。

『赤毛のアン』が授業中に隠れ読んで先生に叱られた『ベン・ハー』、『あしながおじさん』への手紙に書かれた『ジェーン・エア』へと、芋づる式に読み連ねていった少女時代を思い出す。

ワンセンテンスを読んだ途端に次に読む本が決定する、活字の海の中の運命の糸は決して離さない。

しかし、手に取った本がこんな本なら、次に読みたい本が有り過ぎて困ってしまう。

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『<インテリア>で読むイギリス小説−室内空間の変容−』(久守和子・中川僚子編著/ミネルヴァ書房)

さまざまなイギリス小説を提示して、文章という二次元からインテリアという三次元の情景を組み立て、文化として分析する試みが何にも増して面白い。

インテリア装飾は、がらんとした空間への恐怖という人間の深層心理から発達したという視点は、目からウロコである。
(雑然とした部屋が何となく心地よいという不思議を、一発で解明してくれる)

上流階級を背景にした(非常にイギリス人好みの)小説には「パブリック・スクール小説」と「カントリー・ハウス小説」という二つの特殊な流れがあるというくだりでは、はたと膝を打つ。
われわれがイギリスと聞いてまず思い浮かべるのが、紺のブレザーを実にセンスよく着こなした男子生徒達だったり、甲冑のお化けが出るやも知れぬ広大なお屋敷だったりするのは、そういう訳なんだなあ。

そんな分析の一例として挙げられた『回想のブライズヘッド』(イーヴリン・ウォー作/小野寺健訳/岩波文庫)へと、読書のさいころは進む。
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原題『Brideshead Revisited』だから前書中訳のとおり『ブライズヘッド再訪』の方が素敵なのに、岩波文庫、何故にこのつまんない邦題?

舞台となるブライズヘッド・カースルは、ため息が出るほど壮麗な館である。

オクスフォードで、当主侯爵の次男と放蕩三昧の日々過ごすチャールズは、その一族の盛衰を叙情豊かに回想し、自分の心のみならず、イギリスそのものに彼の地を記憶させるために絵筆を取る。

カントリー・ハウスは、イングランド文明の一つの理想を表象するものであり、多くの作家が持ち主一族の盛衰と共にそれを描いてきたのである。

イギリス小説を読む時、いつもそこに栄華の後の老いや滅びのもの悲しさを感じると同時に、この民族の偉大なる時代への誇りが大きく、揺るぎなく、それは間違いなく現代も脈々と受け継がれているのだと思い知る。

この感覚は、我々日本人にはちょっと異質なものである。

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次は『ドリアン・グレイの肖像』?『ハワーズ・エンド』?







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