混迷のインド、インドな商法 [セルフィッシュ・ジャーニー]
帰国後1週間、まだインドに振り回されている。
なぜって・・・
そう、コイツが来ちゃったからである。
インドでガイドについてくれたランジャンは、一日帰国が遅れた私と同日に来日、北から南まで日本中のグッドクライアントに連日接待されっ放しの、ゴージャスで移動距離がハンパ無い2週間のバカンスをお楽しみ中である。
埼玉の知人に会いにきたついでに、セラピストたちとの女子会になだれ込んで来たかと思うと、「マナさん、明日軽井沢に泊まりたいデス〜」
と、前日の夜11時(!)にメッセージを送ってきたりするので、オイ、日本の緻密な秩序を舐めんなよと言いたい。
インドでのエマージェンシーは、突然やって来た。
ランジャンと行動を共にした最初1週間が何事も無く、一番心配していたお腹の具合もすこぶるいい調子でクリアーできたので、現在の熱波の予兆のような連日40℃超えの暑さの中で動きながらも、心の隅で「インド、楽勝?」と小さく思い始めていたんである。
1週間の香料視察を南インドのチェンナイで終えてミスター稲葉と別れた私は、最後にインドを自由に(=ゴージャスに)楽しんでやると意気込みに燃えて、西インドの砂漠地帯ラジャスタン地方のド田舎にあるアマンリゾート、Amanbaghに向かうために、デリー近郊の自宅へ戻るランジャンと、この旅4度目の(ラクナウ往復も空港経由だったので)ニューデリー空港を目指す。
イヤな予兆はこの時からあって、デリー直行便だったはずのエアインディア国内線がキャンセルになり、バンガロール経由に振り替えられる旨の連絡が前日に入っており、うんざり。
直行便なら1時間ちょっとのデリーへ、なんと4時間以上かけて着くことになる。
混迷のインド、この辺りから本領発揮なんである。
本来ならニューデリーでトランジットしてジャイプル空港まで行き、そこから車で2時間かかるAmanbagh。
しかしホテルからはターバン姿のドライバーがニューデリー空港まで迎えにきており、一気に4時間半の陸路をホテルまで突っ走ることとなる。
最初はヤだなと思ったこのトランジットを回避した選択は、結果的には成功だったんである。
後、日本で(しかも2回)、さらには再びインド国内で彼に会うことになろうとはこの時露ほども考えもせず、私たちはいつかきっと会おうねと固い握手を交わして、ここでランジャンとはお別れ。
さああ、これできれいさっぱり一人旅よ。
ドライバーのガーラン、よろしくね。
人いきれにまみれたデリー市街がぐんぐん後ずさっていき、車の中まで埃っぽくなるような砂漠地帯を駆け抜ける時、砂塵に煙る地平線に真っ赤な太陽が沈むのを見る。
インドだなあ、と感動する。
最後の1時間は身体が天井まで跳ね上がるような悪路を闇の中をひた走って着く、Amanbagh。
それまでのインドと、同じ国内と思えと言う方がムリである。
酷暑のためこれからクローズドになるというホテルの最後の一人となった私を、スタッフは精一杯歓待してくれたと思う。
ここにいる限りは安全、と私も心にかけていたカギをついにはずしてしまう。
ニューデリー空港から4時間半の悪路を上手にひた走ってくれたガーランは、数人雇われている現地人ドライバーの中で一番ドライブも英語も達者らしく、私がどこかへ出掛けるのには必ずお供につき、埃が舞い上がる田舎道を「運転してみる?」と言って走らせてくれたりもする。
車で片道2時間のジャイプル観光に出掛けた時、ジャイプル市街で待っているというガイドに出会う前にショッピングを済ませてしまおうと言う彼を、その時点で私はこれっぽっちも疑わない。
ホテルが用意したと彼が言うショップリストを見せられ、その筆頭に載っている店(・・・だと彼が言ったのだが、本当にその店だったのかは今思えば疑問)に連れて行かれ、虹のように光り輝く ヴィンテージだという1枚のサリーを15万円と言われた時にも、いくらなんでもインド価格にしちゃベラボウだなと思ったけど、ガーランが適正な値段だと断言したので、心の判断の針は「信用」の方に振れたのである。
今、そんなお金は持ち合わせていないし、カードも無いから(ホントは持ってたけど)と店主に言ってみると、
「ウチはAmanbaghとお友達だからホテルでチェックアウトする時に一緒に払うか、明日ジャイプル空港から出発するついでにここへ寄って払ってくれてもいい。布は今、渡します。チャイどうぞ。これ飲んだらアナタとワタシ、友達ね。アナタ、布手に入れてハッピー、ワタシ、アナタと友達でハッピーね」
オーイ、これどこかで読んだことないか。
典型的なインド悪徳商法のセリフじゃなかったっけ?
心に少しずつ疑問の雲が湧き上り始めた私の前で、ガーランはホテルと支払いの交渉をするような電話のやり取りの小芝居をして(後でホテルに聞くと電話なんてやっぱり無かった)信用させようとするが、とにかくお金は今払えないと押し通し、でも無理矢理布は持たされる。
この後、笑っちゃうほど筋書きどおりに、「見るだけでいいから兄弟がやっているジュエリーショップへ行こう」と連れ込まれそうになったが、宝石には一切興味が無いと言って車から降りず。
何だかこの一件でジャイプル観光の時間も減り、つまんなくなる。
その後ミートしたジャイプルの日本語ガイドに相談すると、その値段も、自分は朝から待っているのになかなか(私と)会わせてくれなかったのもおかしいから、先ずは別のサリーの店でその布を見せて評価してもらった方がいい、値段が適正でなかったらジャイプルにいるうちに布を返した方がいい、と言ってくれる。
基本、ランジャンもそうだと思うが、日本語ガイドは今後日本人の観光客とつながりを持ちたいので、日本人の悪いようにはしないはずだ。
実際、地球の歩き方にも載っている別の店でその布を見せたところ、ヴィンテージだとしてもせいぜい3〜4万でしょう、とのこと。
日本語ガイドと別れた後、私がガーランに布を返却したい旨を告げ、アンタにはつくづくガッカリしたと言うと、彼はわけのわからぬ早口の英語でずっと日本語ガイドの悪口を言っていたが、もし返却させないようだったらホテルのマネージャーとアマンリゾートの本部に一部始終をクレームする(アンタのクビ切ってやる・・までは言わなかったが、匂わせて)と言うと、ようやく返却に応じる。
Amanbaghの運転手という彼を信じたし、アマンの評判だって、あの超アヤシい雰囲気の中でさえ、何とかこれが本当なんだと自分に言い聞かせる根拠にもなったはずだ。
このトラブルですっかり日は暮れ、人っ子一人いない真っ暗な夜道を、押し黙ったガーランの運転でホテルに戻る2時間は、本当にホテルに行き着いて約束してあったアーユルヴェーダのトリートメント受けられるのか(そんなノンキな気分でもないが)、どこかに連れ去られるのではないかというイチカバチかの緊張で眠ることも出来ない。
とんだジャイプル観光になってしまった。
翌朝ホテルのマネージャーを朝食の席へ呼び出し、ガーランの一部始終を訴えたが、すでにガーラン側からのインチキ報告を受けた後らしく、またやはりスタッフを庇いたい気持ちもありありで、あまり親身になって聞くことは無かった。
(彼のことをムチで叩いてやりました、みたいなことを言っていたが、そんなこと望んでないし、第一絶対ウソだろ)
日本でさんざん語り継がれるインドのぼったくり商法。
ランジャンはそういうインドの恥部を日本人が語ることを「フェアじゃない」って言うけど、現にこうして、しかもアマンという名高いホテルの管理下でも、堂々白日の下で起こるのだ。
衛生状態は前に記事で書いたとおり、想像していたよりかなりマシな状態だと思うが、あれこれ余計な気を遣わずにお買い物が出来るインドにならないと、ダメですよね、軽井沢ソサエティ満喫中のランジャンさん?
以前イギリスを一緒に旅した画廊経営者が、「アンティークやヴィンテージを買う時は、きちんとしたレシートや証明がもらえないことが多いから、必ずメモ書きでもいいからどんな時代に誰の所有だったかを店主に書いてもらうこと」とアドバイスをくれたのを思い出して要求したら、返って来たのがこのメモ。
(ショップカードを、住所が入ってない個人名のカードにすり替えているところも心憎い・・)
50 years agoなら、自分でも書けるわいっ!
なぜって・・・
そう、コイツが来ちゃったからである。
インドでガイドについてくれたランジャンは、一日帰国が遅れた私と同日に来日、北から南まで日本中のグッドクライアントに連日接待されっ放しの、ゴージャスで移動距離がハンパ無い2週間のバカンスをお楽しみ中である。
埼玉の知人に会いにきたついでに、セラピストたちとの女子会になだれ込んで来たかと思うと、「マナさん、明日軽井沢に泊まりたいデス〜」
と、前日の夜11時(!)にメッセージを送ってきたりするので、オイ、日本の緻密な秩序を舐めんなよと言いたい。
インドでのエマージェンシーは、突然やって来た。
ランジャンと行動を共にした最初1週間が何事も無く、一番心配していたお腹の具合もすこぶるいい調子でクリアーできたので、現在の熱波の予兆のような連日40℃超えの暑さの中で動きながらも、心の隅で「インド、楽勝?」と小さく思い始めていたんである。
1週間の香料視察を南インドのチェンナイで終えてミスター稲葉と別れた私は、最後にインドを自由に(=ゴージャスに)楽しんでやると意気込みに燃えて、西インドの砂漠地帯ラジャスタン地方のド田舎にあるアマンリゾート、Amanbaghに向かうために、デリー近郊の自宅へ戻るランジャンと、この旅4度目の(ラクナウ往復も空港経由だったので)ニューデリー空港を目指す。
イヤな予兆はこの時からあって、デリー直行便だったはずのエアインディア国内線がキャンセルになり、バンガロール経由に振り替えられる旨の連絡が前日に入っており、うんざり。
直行便なら1時間ちょっとのデリーへ、なんと4時間以上かけて着くことになる。
混迷のインド、この辺りから本領発揮なんである。
本来ならニューデリーでトランジットしてジャイプル空港まで行き、そこから車で2時間かかるAmanbagh。
しかしホテルからはターバン姿のドライバーがニューデリー空港まで迎えにきており、一気に4時間半の陸路をホテルまで突っ走ることとなる。
最初はヤだなと思ったこのトランジットを回避した選択は、結果的には成功だったんである。
後、日本で(しかも2回)、さらには再びインド国内で彼に会うことになろうとはこの時露ほども考えもせず、私たちはいつかきっと会おうねと固い握手を交わして、ここでランジャンとはお別れ。
さああ、これできれいさっぱり一人旅よ。
ドライバーのガーラン、よろしくね。
人いきれにまみれたデリー市街がぐんぐん後ずさっていき、車の中まで埃っぽくなるような砂漠地帯を駆け抜ける時、砂塵に煙る地平線に真っ赤な太陽が沈むのを見る。
インドだなあ、と感動する。
最後の1時間は身体が天井まで跳ね上がるような悪路を闇の中をひた走って着く、Amanbagh。
それまでのインドと、同じ国内と思えと言う方がムリである。
酷暑のためこれからクローズドになるというホテルの最後の一人となった私を、スタッフは精一杯歓待してくれたと思う。
ここにいる限りは安全、と私も心にかけていたカギをついにはずしてしまう。
ニューデリー空港から4時間半の悪路を上手にひた走ってくれたガーランは、数人雇われている現地人ドライバーの中で一番ドライブも英語も達者らしく、私がどこかへ出掛けるのには必ずお供につき、埃が舞い上がる田舎道を「運転してみる?」と言って走らせてくれたりもする。
車で片道2時間のジャイプル観光に出掛けた時、ジャイプル市街で待っているというガイドに出会う前にショッピングを済ませてしまおうと言う彼を、その時点で私はこれっぽっちも疑わない。
ホテルが用意したと彼が言うショップリストを見せられ、その筆頭に載っている店(・・・だと彼が言ったのだが、本当にその店だったのかは今思えば疑問)に連れて行かれ、虹のように光り輝く ヴィンテージだという1枚のサリーを15万円と言われた時にも、いくらなんでもインド価格にしちゃベラボウだなと思ったけど、ガーランが適正な値段だと断言したので、心の判断の針は「信用」の方に振れたのである。
今、そんなお金は持ち合わせていないし、カードも無いから(ホントは持ってたけど)と店主に言ってみると、
「ウチはAmanbaghとお友達だからホテルでチェックアウトする時に一緒に払うか、明日ジャイプル空港から出発するついでにここへ寄って払ってくれてもいい。布は今、渡します。チャイどうぞ。これ飲んだらアナタとワタシ、友達ね。アナタ、布手に入れてハッピー、ワタシ、アナタと友達でハッピーね」
オーイ、これどこかで読んだことないか。
典型的なインド悪徳商法のセリフじゃなかったっけ?
心に少しずつ疑問の雲が湧き上り始めた私の前で、ガーランはホテルと支払いの交渉をするような電話のやり取りの小芝居をして(後でホテルに聞くと電話なんてやっぱり無かった)信用させようとするが、とにかくお金は今払えないと押し通し、でも無理矢理布は持たされる。
この後、笑っちゃうほど筋書きどおりに、「見るだけでいいから兄弟がやっているジュエリーショップへ行こう」と連れ込まれそうになったが、宝石には一切興味が無いと言って車から降りず。
何だかこの一件でジャイプル観光の時間も減り、つまんなくなる。
その後ミートしたジャイプルの日本語ガイドに相談すると、その値段も、自分は朝から待っているのになかなか(私と)会わせてくれなかったのもおかしいから、先ずは別のサリーの店でその布を見せて評価してもらった方がいい、値段が適正でなかったらジャイプルにいるうちに布を返した方がいい、と言ってくれる。
基本、ランジャンもそうだと思うが、日本語ガイドは今後日本人の観光客とつながりを持ちたいので、日本人の悪いようにはしないはずだ。
実際、地球の歩き方にも載っている別の店でその布を見せたところ、ヴィンテージだとしてもせいぜい3〜4万でしょう、とのこと。
日本語ガイドと別れた後、私がガーランに布を返却したい旨を告げ、アンタにはつくづくガッカリしたと言うと、彼はわけのわからぬ早口の英語でずっと日本語ガイドの悪口を言っていたが、もし返却させないようだったらホテルのマネージャーとアマンリゾートの本部に一部始終をクレームする(アンタのクビ切ってやる・・までは言わなかったが、匂わせて)と言うと、ようやく返却に応じる。
Amanbaghの運転手という彼を信じたし、アマンの評判だって、あの超アヤシい雰囲気の中でさえ、何とかこれが本当なんだと自分に言い聞かせる根拠にもなったはずだ。
このトラブルですっかり日は暮れ、人っ子一人いない真っ暗な夜道を、押し黙ったガーランの運転でホテルに戻る2時間は、本当にホテルに行き着いて約束してあったアーユルヴェーダのトリートメント受けられるのか(そんなノンキな気分でもないが)、どこかに連れ去られるのではないかというイチカバチかの緊張で眠ることも出来ない。
とんだジャイプル観光になってしまった。
翌朝ホテルのマネージャーを朝食の席へ呼び出し、ガーランの一部始終を訴えたが、すでにガーラン側からのインチキ報告を受けた後らしく、またやはりスタッフを庇いたい気持ちもありありで、あまり親身になって聞くことは無かった。
(彼のことをムチで叩いてやりました、みたいなことを言っていたが、そんなこと望んでないし、第一絶対ウソだろ)
日本でさんざん語り継がれるインドのぼったくり商法。
ランジャンはそういうインドの恥部を日本人が語ることを「フェアじゃない」って言うけど、現にこうして、しかもアマンという名高いホテルの管理下でも、堂々白日の下で起こるのだ。
衛生状態は前に記事で書いたとおり、想像していたよりかなりマシな状態だと思うが、あれこれ余計な気を遣わずにお買い物が出来るインドにならないと、ダメですよね、軽井沢ソサエティ満喫中のランジャンさん?
以前イギリスを一緒に旅した画廊経営者が、「アンティークやヴィンテージを買う時は、きちんとしたレシートや証明がもらえないことが多いから、必ずメモ書きでもいいからどんな時代に誰の所有だったかを店主に書いてもらうこと」とアドバイスをくれたのを思い出して要求したら、返って来たのがこのメモ。
(ショップカードを、住所が入ってない個人名のカードにすり替えているところも心憎い・・)
50 years agoなら、自分でも書けるわいっ!
2015-05-31 10:32
nice!(2)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0