自宅、息子たち [フレグランス・ストーリー]
凶器のような酷暑に耐えているうち、父が入院し、長男が「出兵」した。
腸閉塞と診断された父はイレウスチューブを引き抜こうとし、ミトンをはめられ、でも隠れてチョコレートを食べ、早く施設へ戻せと騒いでいる。
この人は、どうしてカワイイ老人になれないんだろう。
ここに至っても摩耗しない彼の神経は、いつも尖って自分を絶望の淵へ追いやっている。
その父が一番気にかけている次男は、震災の年に日本を離れてベトナムで建築をやっている。
医者の家系から飛び出し、理系のアートにのめりこんでいった彼は、ちょっと異色で面白い。
父の病室のプリペイド式のTVに、「8月8日21:00~、TBS”世界ふしぎ発見”」と大きなメモを貼ってくる。
次男のベトナムのオフィスが取材されて放映されるらしい。
父は気にかけつつも何年も会えないでいる自慢の孫に、公共の電波を通して、その日、会うのだ。
次男がそうやって自由に人生を選べたのは、いつも「あいつはすごいから」と弟を称賛してやまない長男が、堅実に夫の仕事を継ぎ、我々夫婦の傍に生活し、折々孫たちを連れて来ては、平凡に幸せなジジババの味も味合わせてくれるからだ。
次男もそれはわかっていると思うし、まあ、二人とも私が育てたんだからそんなにお行儀がいいはずはないのだけれど、長男は当たり前に家庭のストラクチャーの中に存在しているはずだった。
白ワインラヴァーだった私が、歯のステインを気にしつつも、糖質過剰摂取をようやく気にし出して晩酌を赤ワインに変えた日、長男はナイジェリアに向け飛び立っていった。
人の役に立ちたいという潜在的な人間の欲求が無かったら、複雑なこの社会は成り立たないと私は思うし、いろんな職業が世の中にあれども、人の役に立たない仕事なんてありはしない。
しかし、このことを考えた時に、医者が医療の行き届かない地域に赴き、命を救う最前線で働くことほど、単純で分かりやすい例も他に無い。
夫と共に産婦人科医として乳児死亡率0.1%と世界一低い日本で働くうち、長男はいつか乳児死亡率5%のアフリカを思ったんだろう。
1年で英語のスキルを磨き直し、国境なき医師団に加入した彼に、すぐに任地が決まった。
世界中を飛び回る弟の後方支援に徹していた長男は、初めて自分の持っている翼に気付き、羽ばたいていく。
彼の人生の設計という意味では、妻子がもうすでにいる今、このアクションを起こすには遅きに失したと思う。
3人の子どもを預かるお嫁さんにかかる心労と経済の負担を思えば、諸手を挙げて賛成と言うわけにはいかない。
しかし、一度きりの人生でどうしてもやらなければならないとことがあると息子が感じた瞬間を、親が大切に思ってやらなくてどうする、とも思う。
行くからには自分の腕で一人でも多くの小さな命を救って来い、と、彼の背中にはそう声をかけたい。
アタシも後方支援。
息子達が自分の信念に従って飛び立っていく時はいつも、子犬のように私の後をついてきたちっちゃな彼らを思い出の中に抱きしめる。
腸閉塞と診断された父はイレウスチューブを引き抜こうとし、ミトンをはめられ、でも隠れてチョコレートを食べ、早く施設へ戻せと騒いでいる。
この人は、どうしてカワイイ老人になれないんだろう。
ここに至っても摩耗しない彼の神経は、いつも尖って自分を絶望の淵へ追いやっている。
その父が一番気にかけている次男は、震災の年に日本を離れてベトナムで建築をやっている。
医者の家系から飛び出し、理系のアートにのめりこんでいった彼は、ちょっと異色で面白い。
父の病室のプリペイド式のTVに、「8月8日21:00~、TBS”世界ふしぎ発見”」と大きなメモを貼ってくる。
次男のベトナムのオフィスが取材されて放映されるらしい。
父は気にかけつつも何年も会えないでいる自慢の孫に、公共の電波を通して、その日、会うのだ。
次男がそうやって自由に人生を選べたのは、いつも「あいつはすごいから」と弟を称賛してやまない長男が、堅実に夫の仕事を継ぎ、我々夫婦の傍に生活し、折々孫たちを連れて来ては、平凡に幸せなジジババの味も味合わせてくれるからだ。
次男もそれはわかっていると思うし、まあ、二人とも私が育てたんだからそんなにお行儀がいいはずはないのだけれど、長男は当たり前に家庭のストラクチャーの中に存在しているはずだった。
白ワインラヴァーだった私が、歯のステインを気にしつつも、糖質過剰摂取をようやく気にし出して晩酌を赤ワインに変えた日、長男はナイジェリアに向け飛び立っていった。
人の役に立ちたいという潜在的な人間の欲求が無かったら、複雑なこの社会は成り立たないと私は思うし、いろんな職業が世の中にあれども、人の役に立たない仕事なんてありはしない。
しかし、このことを考えた時に、医者が医療の行き届かない地域に赴き、命を救う最前線で働くことほど、単純で分かりやすい例も他に無い。
夫と共に産婦人科医として乳児死亡率0.1%と世界一低い日本で働くうち、長男はいつか乳児死亡率5%のアフリカを思ったんだろう。
1年で英語のスキルを磨き直し、国境なき医師団に加入した彼に、すぐに任地が決まった。
世界中を飛び回る弟の後方支援に徹していた長男は、初めて自分の持っている翼に気付き、羽ばたいていく。
彼の人生の設計という意味では、妻子がもうすでにいる今、このアクションを起こすには遅きに失したと思う。
3人の子どもを預かるお嫁さんにかかる心労と経済の負担を思えば、諸手を挙げて賛成と言うわけにはいかない。
しかし、一度きりの人生でどうしてもやらなければならないとことがあると息子が感じた瞬間を、親が大切に思ってやらなくてどうする、とも思う。
行くからには自分の腕で一人でも多くの小さな命を救って来い、と、彼の背中にはそう声をかけたい。
アタシも後方支援。
息子達が自分の信念に従って飛び立っていく時はいつも、子犬のように私の後をついてきたちっちゃな彼らを思い出の中に抱きしめる。
2015-08-05 17:00
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初コメです。
クリニックのHPでmanaさんのブログを見つけ、いつも楽しく拝読させていただいております。
ブログを読んでいるうちに、manaさんの息子さんが一年ちょい前にとてもお世話になったS先生のお母様だと知りました。
一年ちょい前、29wにも満たない状態で出産しなきゃいけなくなった時、私と主人は何とか30wまでは粘りたいといい続けました。7年かかってやっと授かった子なので、絶対に元気な赤ちゃんを産みたいという想いでした。しかしながら私の体は限界に達し、胃痛が我慢できなくなりました。
朝の早い時間に主治医でもないのに、S先生は分かりやすく今の状態を説明してくださり、私達はS先生の一言で手術の決断ができたのです。出産後も何度もフォローしてくださり、私は元どおりの元気な体に戻りました。娘も小さいですが何事もなく元気で成長しています。私達家族の命の恩人です。
このブログを読んで驚きました。ご家族のS先生に対する心配は想像できないほどかと思います。でもS先生なら沢山の赤ちゃんとお母さんを救って、元気にまた日本に帰ってきてくれると信じています!
長々と失礼しましたm(_ _)m
by Uno (2015-08-07 15:05)
Uno さま。
コメントありがとうございました。
2日前にパリを発ってナイジェリアに向かった長男は、未だ到着の連絡が無く、実は一番ナイジェリアの首都に降り立ってから6時間の陸路を心配している私には、涙がこぼれて仕方のないコメントでした。
こうやって日本にいても人様のお役に少しはたてているはずの長男は、なぜアフリカへ向かうのだろうと母親としては声を振り絞りたい思いです。
それでもUno様のお声が届くような気がいたします。
彼は頑張れるような気がいたします。
本当にありがとうございました。
お嬢様のお健やかなご成長を心よりお祈り申し上げます。
by mana (2015-08-07 21:56)
はじめまして。
つい最近まで先生にお世話になっていた者です。継続して先生に診ていただきたくてどうにかならないか調べていたところ、クリニックのHPを発見し、巡り巡ってこちらのブログにたどり着きました。
細かいことを挙げると切りがないですけど、とにかく先生にはとても感謝しています!
信頼していただけに診察を受けられなくなるのは非常に残念ですが、無事に任期を終えて戻られるよう、影ながら応援しています。先生ならナイジェリアで沢山の命を救えると思います!(もちろん日本でも!)
突然のコメント失礼しました。
by 元患者 (2015-08-10 10:28)
元患者さま
市立病院での患者様でしょうか。
うれしいコメント、本当にありがとうございます。
息子には必ずお声を届けさせていただきます。
このブログを書いてよかったです。
親から見ればいつまでもやんちゃ坊主なんですが、ちゃんと医者やってくれてたんですね。
長男もいろいろな方に応援していただいて勇気百倍でしょう。
心から感謝申し上げます。
by mana (2015-08-10 17:10)