自宅、スクープ [マイハーベスト]
別荘地は夏が終わったばかりなのに、もうひっそりと冬の気配すら感じる。
下界もまた小春日和。
我が家のメグ・ライアンの金髪が一番きれいな季節だ。
スカイライトから煌煌と洩れる月の光も、また佳し。
月光って人を狂わせるっていうけど、だからってわけじゃないけど、最近、コンガを習い始めた。
舐めてた、パーカッション。
ハイハットで刻まない「間」があるって難しい。
身体の揺らぎだけが頼りだもんなあ。
飲み友達でもある先生には「だから力を入れるなって」と注意されるけど、まだ叩き方がきちんとできなくて、練習したいのに手のひらが真っ赤になり、手根が紫色になり、痛くて叩き続けられないんだもんなあ。
ドラムをスティックで叩こうと思いついた人はエラいと思う・・・
久々の、イーヴリン・ウォー。
「回想のブライズヘッド」(原題:Brideshead Revisited)で、英国貴族のデカダンを描き切ってみせたウォーの”抱腹絶倒の現代の古典”とは。
興味津々で扉を開いたのだが・・
舐めてた、翻訳本。
逆だ。
買いかぶり過ぎていたんか。
当然、”抱腹絶倒”感は原文で読む英語圏の人々が味わうものであって、非常に素晴らしい翻訳ではあり、なんとなーく可笑しさは伝わってくるんだけど、抱腹絶倒とまでは・・・
一語一語「ここは引っ掛けてあるんだろうなあ」と思う(だって日本語で読むとなーんにも可笑しくないんだもの)キーワードが見つかる度、それが原文で何という語なのか気になって前へ進めない。
自身、『タイムズ』紙や『デイリーメール』紙からエチオピアとして独立する前のアビシニアに取材派遣された経験を持つウォーが、「ジャーナリズムに対する軽い諷刺」と述べている本書(1938年初出版)は、彼の全作品中唯一の陽性の作品であるという。
のんびりと埃が降り積もるような田園生活を送っていた主人公は、手違いから突如アフリカの架空の黒人独裁国家へ、特派員として派遣される。
(このあたりのやりとりと展開は、翻訳で読んでもくすりと笑える。)
派遣元の新聞社持ちの資金で、何でも携帯品を買っていいと言われた主人公は途方もない大荷物を買い込み(カヌー含む)、アフリカへ乗り込むが、そこでありがちな内乱に群がる他のジャーナリストたちとはちょっとズレた生活をし、恋も経験する。
当時スクープや報告を本社へ送っていた手段は電報だったので、今のメールのような瞬時性が無く、その時間のギャップが、また可笑しいズレを生んでいく。
タナボタ式にスクープをモノにした主人公はイギリスに英雄として呼び戻されるも、またそこで第二の手違いが生まれる・・・
英語圏の現代有名紙で何度も必読の書としてあげられている実績本。
「スクープ」(イーヴリン・ウォー著/高儀進訳/白水社)
ここ両日、日本はノーベル生理医学賞と物理学賞、連続の受賞朗報で湧いている。
その中で日本の文学賞受賞が難しいと言われているのは、第一に言語の壁があるからである。
こういうニュアンスで読み切るべき作品に出会うと、う〜ん、やっぱりそこが悔しいなあと思う。
2015-10-06 23:34
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