SSブログ

上田、夜想曲集 [マイハーベスト]

無意識のうちに、私はつめたい鉄筋コンクリートの壁に架かったキャンバスの婦人像の中に、3年前に他界した母を探している。

もしかしたらいるのかも知れない。
いや、きっといる・・・

恋人を描いた何枚かの絵の中に、若い頃の母が。




晩秋。

長野県上田市の丘の中腹に、その石造りの小さな美術館はある。
IMG_7852.jpg

無言館は、第二次世界大戦で夭折した画学生の遺作を集めた私設の美術館である。
http://www.mugonkan.jp

十字架状の、ともすれば石棺にも思える館内には、数十人の青年達の生きた証が戦没した日付と場所を添えて陳列されている。

中には出征が決まってから描いた妻の絵もあり、絵筆から滴る悲しみが画布に滲んでいるようだ。

画作へのあくなき意欲を湛えながら召集され、二度と絵筆を持つことの無かった青年たちは、懐かしい風景や愛おしい人をどんな思いでキャンバスに写し取ったのか。
そして死亡通知と共に遺作をかき抱いて過ごした、残された人たちの人生とは。



生前軽井沢の山荘に何回か滞在するうち、母は上田のこの無言館を訪ねたいと強く願うようになった。

私はついに同行する機会に恵まれず、特にそれが何か意味があるようには思わなかったが、請われて共にここを訪れた父は、いずれかの画布上の女性に、若い母の面影を見つけたのかも知れない。
そして御茶の水の女子大生だった母と出征していったある藝大生(だと父は言うのだけれど)との恋は、それは父の妄想だったとは思うが、以来ずっと父の心にわだかまり、彼を苦しめたのかも知れない。

母は何も言わずに人生に幕を下ろし、父はベッド上の生活となって記憶にも濃い霧がかかり始めた今、今度は娘の私がここに来て、母の恋を捜している。

私が生を受ける前の母の、女性としてのドラマを手探りで。

IMG_7855.JPG
重い道行きである。



さて、話しは一転するが、なかなか楽しい本に出会ったことを書こうかと思う。

珍しく軽妙洒脱なカズオ・イシグロの短編集。
音楽好きなら文章を読む目で、この本のグルーヴを摑まえられるだろう。

51Qh6Q8GaQL._SX333_BO1,204,203,200_.jpg
「夜想曲集〜音楽と夕暮れをめぐる五つの物語〜」(カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳/ハヤカワepi文庫)

ゴンドラから女優の妻に『恋はフェニックス』を捧げる老歌手、不仲の友人夫婦の仲裁で居心地の悪い思いをしながら『パリの四月』を聞いている50近いジャズ好き男、熟練音楽家夫婦に『ダンシング・クイーン』を振ってしまう駆け出しのシンガー・ソングライター等々。

どこか成功の道を外れた生き様の中に散りばめられた、その人だけが捕まえることが出来る音楽。
そこに弱い光を当てながら展開する5つの短編集である。

架空の登場人物たちに実在の曲を絡める手法が、無音の読書の時間に音楽を感じさせてくれる。
スタンダード曲が選ばれているので、読み手は無意識にその曲想に乗ることが出来る。
若い頃はシンガー・ソングライターを志したこともあるというイシグロの面目躍如といったところか。

「日の名残り」「わたしを離さないで」「忘れられた巨人」と、長編は重厚なテーマが多いイシグロが、笑いの名手であるという一面が発見できる。

元の彼女の男に費用を出してもらって整形手術を受けた売れないサックス奏者が、偶然隣の部屋にいた有名女優(彼女が一話の『恋はフェニックス』を捧げられた妻と同一人物であるという小技も)と、奇想天外なドタバタを演じる四話の「夜想曲」など、抱腹絶倒のコメディ映画を観るような楽しさだ。

IMG_2039.JPG

秋の夜長、視覚で味わう軽妙なジャズもいい。


IMG_7878.jpg
クリニックにはクリスマスツリーの明かりが灯る。

私にとって、今の灯は青春を戦争に散らした青年達を想う光でもある。

毎日ここで誕生する新しい命が、将来決してこのような目にあうことのない日本であることを願う。



nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

自宅、美の猟犬ふじみ野、後の祭り ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。