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軽井沢、谷間の百合 [マイハーベスト]

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季節到来なのに、軽井沢の我が山荘はアンダーコンストラクションである。

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父のよき知人でもあった老建築家が心血注いで15年目の改装に当ってくれており、私も2週間に一度、車をかっ飛ばして現場の定例に顔を出す。

山荘滞在なら必ずカウンターに引っかかって白ワインの一杯も飲む近隣のブーランジェリでも、大人しくラテでバゲットを頬張るのみで、ちょっとストレスフルである。
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軽井沢ライフ、再開を待ち望む。





アナベルは夜が美しい。
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家屋の北側に開ける我が家の日当りの悪い庭に、唯一根付いてくれたゴージャス清楚。
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毎年6月、我が家はCan you celebrate。
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質素な夕餉にもふんだんに飾って。
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さて、しゃもじは自立すべきだろうと思う。
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ご飯をよそった後に、ご飯粒がついたままのおしゃもじをどこに置くかは長いこと解決されなかったように思うけど、青山のフランフランで見つけた明解な回答。

ただ使用中の図を見れば、色は白を買えばよかったと思う。
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読書会で、初めてのフランス文学に挑む。

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「谷間の百合」(オノレ・ド・バルザック著/石井睛一訳/新潮文庫)


翻訳物は原文の文体そのものに触れられないので、ストーリーはともかく、醸し出す叙情をどこまで捕らえられるかは訳者の力量頼みというところで、読み手は完璧受動の立場に置かれてしまう。

しかも文庫本500頁超というボリュームの中にこってりと盛られた見たことも無いような形容詞、擬態語、丁寧語の群れ。
読書会の武闘派に至っては、今にも溶け出さんとする砂糖菓子のような美辞麗句の洪水に、最初の十行で刀折れ矢尽きたようである。



おフランス、と昔は揶揄を込めて言ったものだ。

極東の島国に住む一般人が何の知識も無くフランスっぽさを思うとすれば、それはとりもなおさず私のことなのだが、恋の花咲くパリ、ベルサイユのばら、芳醇なフランス料理、饒舌なワイン、鼻持ちならないお国自慢。
(あまりにも単純祖末で恥ずかしい)

本著舞台はナポレオン帝政、その後の王政復古を通してフランスの富裕市民階級(ブルジョワジー)が政権を掌握していく波乱の時代。
まさに私の貧困なイメージ通りのフランスがそこにある。

最初、読書会相方が心萎えたように、矢継ぎ早に並べ立てられるオーバーでロマンティシズムに満ち満ちた表現にげんなりし、しかもこれが翻訳だということをもってすれば原文はどれだけなのだろうと思いもし、おフランスってこういうことよねと断罪して、読むスピードを奪われる。



しかしその言葉の洪水の中を、本筋を見失わないようにしてアクセルを踏みこんでいくと、次第に大げさな形容詞の数々が心地良い車窓の景色となって後ろにどんどん流れていく感覚に囚われる。

ナポレオンの百日天下に振り回されて没落した、今なら言葉のDVともなろう態度で妻に当たり散らす夫にひたすら耐える美しい伯爵夫人に心を寄せる、ブルジョワ階級の若者フェリックス。
後にこれもまた彼と関係を結んだであろうある別の夫人へのフェリックスからの書簡という形で、ストーリーは綴られる。

純潔の象徴のような「谷間の百合」という題名から受ける読み手の”覚悟”を裏切り、結婚生活に幸せを見いだせなかった伯爵夫人の、フェリックスからの熱烈な求愛に応えた思いは実に官能的で、精神的人生的にはすでに肉体を彼に与えて生涯を支配されているように思える。
しかし死の間際に、夫たる伯爵に堂々と貞操を守り通したことを宣言し、その価値と引き換えに恋人の後見を依頼する、まさに「女の中の女」と拍手を送りたくなるような天晴さを伯爵夫人は見せる。


バルザック自身もそうであったように、当時のブルジョアジーの世界では、敬虔な宗教と隣り合わせにありながら、比較的このような道ならぬ恋は自由であったように思える。

婚姻関係とは別に存在するそのような関係を通して、男は教養のある富裕階級の女性から、愛欲の世界はもちろん、ステイタスや資金力や時に教育まで施されて社会を登りつめる。
そしてそこに文化や世相の花も咲く。

誰かが言った「不倫は文化」。

薄っぺらな言葉とこの歴史の厚みを一緒にしてはいけない。
ともするとそういう言葉で語られてしまう情愛と欲望の交錯を描いたこの文学をひと際高みに押し上げるのは、フランスお得意の哲学の裏打ちである。

バルザックは全編に渡り、恋愛を含めた生命の情景を物質的作用と考える自己哲学を浸透させている。

伯爵夫人を心からプラトニックに愛しながらも数人の女性の肉体に翻弄されるフェリックスの独白を読むと、人間とは物質と精神の両者からなる存在で、ゆえに肉体の愛と聖なる愛の相克を永遠に彷徨い、バランスをとりながら続けるのだと、彼の人生は、そしてバルザック自身のそれは、哲学的論理的に自己完結されているように思う。



終盤、聖なる愛の対象をひっそりとトゥールの谷間に息づく伯爵夫人に、肉体の愛の支配者にイギリスの高邁な女性を設定し、フランスVSイギリスの構図を存分に描いてみせたのはご愛嬌、あ、やっぱりフランス、イギリス嫌いなのねー、と。


さらに歴史をきちんと検証して読むと、非常に興味深い読後感が得られるだろうと思う。

濃いフランスっぽさ、存分に、Bon appétit !







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