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千鳥ヶ淵、青梅雨 [マイハーベスト]

年なのだ、と言ってしまえばそれまで。

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読みたくて買った本は沢山積んであるのに、遂にkindleを買ってしまう。

電車の中で文庫本の文字は辛く、単行本の重さも苦になってきたところだ。
本は紙をめくってこそ、というこだわりを還暦を前に葬る形になった。
一つ一つそうした鎧を脱いで世間に迎合していくことも、軽やかに年を取っていくには必要なんだろうと思う。


週末は千鳥ヶ淵で、一人犬達と過ごすことが多くなった。
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長男のクリニック参入で、夫の週末当直が増えたためだ。

これまではたまに夜が遅くなった時などに泊まる程度だったが、住んで付近を散歩すると、トラディショナルな東京の芯に毎回触れるような気がする。
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日曜の昼下がり、九段坂を下って神保町まで歩き、古本屋街を一人彷徨うのが楽しい。
電子書籍とは対極の世界が昭和の匂いと共に横たわっている。




あおつゆ、と読む。

梅雨時の雨を浴びて、草花が濡れ濡れとした青さを際立たせる様を連想させる夏の季語である。
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「青梅雨」(永井龍男著/新潮文庫)

どっしりした翻訳本の厚みを堪能した後に、日本語の繊細さ、軽やかさに立ち戻りたくなって思わず手に取ったが、短編の名手が描き出す情景はどれも刹那的な人生の最後がちらついて重い。

胡散臭い借金解決を持ちかけてきた男の呆気ない死、気のふれた男が差し出す香典袋の中の靴べら、心中を前に新しい足袋を揃え、淡々と進む昭和の家庭風景。

切り取って描く市井の暮らしの向こうに垣間見える死を、遠く眺めてぐいと引き寄せる。
その集中力がすごい。


著者は神田の活版屋の生まれ。

無駄の無い簡潔な言葉選びが実に巧みだ。
装飾てんこ盛りで濃厚な味わいのフランス語翻訳本の後だけに余計そう思うのかも知れないが、日本語の明快な清涼感は美しい。

短編というものにあまり共感を覚えて来なかったが、これを読むと俳句と同じ、少ない単語数でいかに読み手の心に深く楔を打ち込むかで力量を問われる世界だろうと思う。

得てして題名も季語。
著者がそこを目指したのは間違いがあるまい。

単純に梅雨とするよりも、青梅雨という季語には湿度の重さが感じられず明るい。
描かれた世間の片隅にはすべて人生の重荷が存在するが、そこにこの季語を当てる意味を思い巡らす。

季節感と語感。

日本のセンスが光る。

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