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軽井沢、キャッチャー・イン・ザ・ライ/ライ麦畑でつかまえて [マイハーベスト]

チーム58(今年チーム還暦に改名か)のLINEが悲鳴の嵐で荒れる中、都政初の女性知事が誕生。
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つくづく◯池さんって同性には人気無い人だ。


アメリカでも史上初の女性大統領が誕生するかも知れない。
その民主党大会で「明日に架ける橋」。

サイモンとガーファンクル、サリンジャー、エリック・サティ。

身震いするように懐かしい。






ここ二週間、法人の継承や父の相続問題で気の滅入ることが多かった上、週末山荘改修工事引き渡しを切り回して、自分が摩耗していると感じる。

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正味70日間、体調を崩した老建築家の監修の下、施工店の若いスタッフが本当に気持ちよく頑張ってくれたと思う。
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引き渡しと家具移動、清掃の4日間は、まだベッドルームもバスルームも使えず、鍵もかからない状態の山荘現場に一人で寝袋持参で泊まり込み、めくるめくような数の業者と対応。
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打ち上げは、並みいる酒豪の若手現場職人と対等に飲み交わす。
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さすがに最後の晩は一人で近所のレストランバーの止まり木にとまって、夫への報告をLINEで挙げるのみに留まったが、やりきったという万感極まる。
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職人達が去った後、そして孫や客が押し寄せる前の、束の間の新しい静寂を一人で堪能する。
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改修発案の端緒であるLudwigのヴィンテージドラムも居所を得た。
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追々これもヴィンテージのZildjianをセットしていくが、測定すると、防音工事がそれほどの効果数値を示さないので、演奏の仕方を考えていくしかあるまい。

濃霧に悩まされた碓氷峠越えの週末定例も、これで終わる。
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Sound of Silence
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心身共に追い込まれた時、羊水のように温かく昔読んだ本か難解ジャンルの本を、一心不乱に、それこそ寝る時間も削って自分を痛めつけるように読むことは、私にとっては確実なリハビリになる。
疲れ切った思考回路を無理矢理、もだえる現実から離すのだ。



一週間前に読み上げた前述の「ターミナルから荒れ地へ」はアメリカ文学論であるが、著者のクールな感性に引きずられて、未だ経験の浅い私のアメリカ文学読書ナビゲーターにもなってくれた。

ワールドワイドな評価という点で、文学が決定的に音楽や美術と異なって「荒れ地」なのは、やはりそこに言語の壁があるからだ。
それを思えば、英語という世界共通語になぞらえた文学が、どうしても数の点でアドバンテージがある。

ノーベル文学賞で村上春樹の名前が挙がる度、どうにも従来の著作に共感を得なかった自分の未熟さを反省していたが、「ターミナル〜」を読むと、彼こそが日本人のアメリカ文学のリーダーとして類い稀な存在感を示していることが分かる。

村上は日本人ではいち早く言語のボーダーをクリアーし、翻訳というギャップを飛ばして世界へ躍り出た人だ。
日本人として日本語の村上を読む時、そのすごさは残念ながら(私には)実感できないのだが、今回「ターミナル〜」読了後、次男の本棚から、往年の私の愛読書の名翻訳に、数年前村上が挑んで話題になった本を引っ張り出す。

それぞれの同じような年代に、私は野崎訳を、息子は村上訳を読んだのだなあという感傷も甘酸っぱい。

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「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(J.D.サリンジャー/村上春樹訳/白水社)
「ライ麦畑でつかまえて」(J.D.サリンジャー/野崎孝訳/白水ブックス)

いわずと知れた”青春に一度は通過すべき本”の筆頭株。

放校を食らった主人公ホールデンが、己を取り巻く環境や社会への、自己のイノセントな価値観に基づく抵抗の咆哮に身を悶えさせながら、クリスマスのニューヨークを彷徨い歩く。
一人称で、「君」というだれかに宛てた書簡の形で綴られるため、若者独特のカジュアルな口調をどう訳すかが翻訳の鍵であったろう。
(今回、この総称のyouが誰なのか、主人公の中の自分なのか、という点はとても気になったが、今はさておく。)

半世紀前の野崎訳は、今読めば、やはりそこはカジュアルダウンし過ぎの感も否めないが、当時はその軽やかなセンスに私たちはノックアウトされたものだ。
そこへいくと、村上訳はお行儀のいい品の悪さ(?)を貫いて、現代の若者に足並みを揃えている気がする。
今は廃れた青春という言葉は、この本のためにあったのではとさえ思える。


二冊を読み比べる試みももうネット上では当たり前になった今、ここでこちらの訳がどう、と御託をこれ以上並べるつもりも無い。

しかし、The Catcher in the Rye(ライ麦畑の捕まえ役)という名詞を、「ライ麦畑でつかまえて」という余韻を残した口語形で残したタイトルのセンスは、今もって素晴らしいと感動する。

出所となった原文は、
「I'd just be the catcher in the rye and all.」
村上訳は、
「ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ」
野崎訳は、
「ライ麦畑の捕まえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ」

スコットランドの国民詩人、ロバート・バーンズの詩の一節である。
ホールデンが純粋さの象徴としている妹のフィービーと語らう場面に登場する。


親のいうとおりにいい学校に入り、あくせく勉強して医者や弁護士になる。
それに何の意味があるんだ。
僕はただ、ライ麦畑で遊んでいる子ども達が夢中になり過ぎて崖から落ちそうになった時、それをキャッチして安全を守ってやる。
そういう役目を社会でしたいだけなんだ。


どこまでも続く広大なライ麦畑が目に浮かび、純粋の象徴である子ども達が見え隠れしながら走っていく。
それを見つめる若い視線を思わせるロマンティックなタイトルの字面に、田舎の中学生は憧れまくったのだから。

そこを村上がいじらなかったのは故意なのか。



3日で2冊読み切る。
一冊は過去に読んだ本だとしても。

スピードが、鬱々とした気分を吹き飛ばしてくれると信じる。

ちょっと無理かなというセンを狙うし、できそう?と、自分に問いもする。

多分、頑張れば。

そう答える自分が居る限り、到達させる努力は精一杯する。



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