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軽井沢、楡家の人びと [マイハーベスト]

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軽井沢では森の木々をざわつかせる程度で台風一過、木漏れ日がダイニングに降り注ぐ美しい朝である。

長男一家、東京からの客人、そして夫が続けざまに下界へ下り、ようやく一人と二匹だけの本当の休日が来る。
こちらも台風一過である。
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別荘仲間とhouse-warming party
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日中はただひたすら本を読む。
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いたずら盛りの孫達がどかんと空けていってくれた時間の穴はたっぷりあって、極楽とはこのことか。




よくもまあ、次々にやることが見つかるもんだと感心するほど、怪獣どもはじっとしていない。
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避暑地に来たなら、出来るだけ静かに何もせずにいることが贅沢だなんていうのは、所詮大人の理屈でしかないんだろう。
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しかしカオスな彼らの避暑地の夏も終わりだ。
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(超シブいBBQ…)

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大人になって此処を思う時、彼らの胸に去来するものとは。
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避暑という言葉には、どこかノスタルジックな、古き良き日本を思わせる響きがある。
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いつ頃から始まったのかよく分からないが、今ほどの猛暑はもっと少なかったにしろエアコンの無い時代、都会の暑さを文字通り避けて高冷地へしばし日常を移す習慣は、子ども達の心にひと際色の濃い思い出を作っただろう。



楡家の子ども達は三世代に渡り強羅の別荘で夏のひとときを過ごし、それぞれの夏と出会いを経験する。
それは確かに恵まれた良き昭和の日々であったろう。

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「楡家の人びと」(北杜夫著/新潮文庫)

いわずと知れた戦後日本文学史に屹立する大長編大河小説。
斎藤茂吉を父に頂く斎藤茂太、北杜夫兄弟の華麗な一族をモデルにし、ドラマ化もされ、三島由紀夫が「戦後に書かれた最も重要な小説の一つ」と激賞している。

文庫本で3冊、明治・大正・昭和の歴史に揉まれた医家を描く長編だが、その冷静で研ぎ澄まされた文章は一貫して乱れが無く、非常に高度な著者の文筆力を思わせる。
加えて史実の分析と描写の的確性、その時代の善良性、正統性の根拠にもブレが無く、読み手は真っ当な日本の市民生活が歴史に包括されて移り行く様を、共感を持って受け止めることが出来る。


東京青山にある明治37年に創立された楡脳病院が舞台。
ドイツに留学経験のある精神科医で、当時草むら生い茂る青山に宮殿のような病院を建てて自分の成功を誇示する俗物楡基一郎が創設、文庫本第一巻はその人物像や家族のみならず病院の主な従業員を描写、当時の大病院の、どこか奇妙でしかし確実に恵まれた生活を投影する。
万事派手を好み、国会議員にまで触手を伸ばした基一郎によくも悪くも牽引されて、一家と病院は隆盛を誇る。
そんな一家の強羅の別荘の夏が過ぎ去ろうとした時、関東大震災の揺れが彼らを襲う。

基一郎の長女龍子とその婿となった徹吉(茂吉がモデルだと言われる)を中心とした二世代めが2巻の軸となる。
徹吉は学究肌で、俗物の義父とはそりが合わず、気位が高い妻龍子とも相容れず、ようやく果たしたドイツ留学で活路を見出すが、同時に欧米人の日本に対する非情なる侮蔑に接し、それが後々までの彼の発奮と落胆の原点となる。
時代はヒットラーの台頭で暗闇に向けて走り出す。

三世代めにあたる龍子・徹吉の子ども達と、太平洋戦争が絡み合う最後の展開は圧巻である。
実際に船医として航海経験のある著者のスキルが生きる。
軍医として応召し、南海の孤島で劣勢の日本に置き去りにされ飢餓のどん底を彷徨う長男、峻一。
聖心に通う長女藍子の恋人は、やはり軍医として空母に乗船しラバウルで戦死。
焦土と化しつつある東京で、精神病院という特殊性から、楡病院も国や都に没収されて個人病院としての歴史を閉じた後、東京大空襲で焼け落ちる。

歴史と社会に翻弄されながら三々五々に散らばった楡家の人びとが、最後、敗戦の玉音放送を前に、それぞれの胸に去来する思いと境遇とを取り混ぜて、映画の流し撮りのように次々に紹介されていく。
近代日本と市民が失ったものへのレクイエムが聞こえるようである。

栄華を誇った大病院が大きな歴史のうねりに飲み込まれていく中、医学部入学や留学を果たして一般的には上出来と思われる息子達男性陣が、どこか気弱であったり変人であったりして頼りなく、押し寄せる試練を不満として抗おうとするのに対し、ゴッドマザーひさを筆頭に、三世代の女性達は皆与えられた人生をしなやかに受け止め、諦観し、その中で逞しく輝いている。

特に父基一郎の指示通り養子徹吉と結婚し、病院を盛り立てていくことが自分の宿命と覚悟し切った龍子の毅然とした生き様が、戦火と病院の衰退の混乱の中でひと際美しい。
これはもう猛女と呼ばれた淑女、斎藤輝子さんが確実にモデルであろう。

現在は楡病院には及びもつかない小さな産婦人科ではあるが、福岡県久留米に端緒を発し、長男で五代目となるわがN家を重ね合わせて読むのは必然であったろう。
義父が東京に出てきてから衰退し現存しないが、久留米の義父の実家は能舞台まであったという豪奢な産婦人科であったらしいから、大宴会場やラジウム風呂まで有した楡脳病院と似通っているのではないか。

嫁に入った当初、義母(はっきり言って龍子のモデルかと思うくらいそっくり)から幾度となく聞かされたその当時のN産婦人科の様子や、その屋台骨となり、影で大病院を支えてきた伴侶たちの苦労と功績の偉大さは、著作そのままだったと記憶する。




今、なぜ楡家…を、という明確な理由は無い。

しかし読書が、人生の節目節目で何かを与えてくれ、そのために必要な本に必ず自分は出会う、という確信はある。
今回はまさにそのためにこの著作に導かれたのだという気がする。

どんなに努力して築き、傍目には成功したと思われる成果でも、個人の隆盛の範囲は歴史や社会に飲み込まれるものだ。

それを心に刻み込んだ。

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静寂が戻ったはずの山荘に早朝から異質な気配がすると思えば、今度は子ども達の抑えが取れて自由になったこの輩の悪さが始まる。
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やれやれと思う。


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