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ふじみ野、悪癖の科学 [マイハーベスト]

美しい季節が来た。
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東京中が宝石のように煌めき出す。
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折しも寒波が列島襲来。
キンと冷えた空気が瞬きを一層クリアに映し出す。
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このひと月によくもこれだけやることを詰め込んだと感心するくらい、12月という月は忙しい。
年末年始の準備に加え、孫達の誕生日とクリスマスが同時襲来するので、プレゼントのリサーチには労力と購買力を費やす。
自分が日本の資本主義構造の一端を担っているという実感がひしひしとする。
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つい先日◯マハの鍵盤楽器レッスンに白旗を揚げた最年長の孫へはウクレレを。
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彼が4歳の時からずっと付き添って通わせてきて、楽譜が読めていないのに気付きつつもスルーしてきたことが、カデンツの習得に大きく影響した。
前述の武満徹の本を読むと、楽譜が読めないことやクラシックの調和音を知らないことは、音楽の感性に何も影響しないであろうことは理解出来るが、やはり◯マハという西洋音楽システムの中にその子を置いておくのは見るに忍びない。

コードさえ覚えれば楽譜が読めなくでもカデンツを知らなくても楽しめるギター類の中で、一番簡単でサイズも小さく音が楽しげなウクレレを、友人のアドバイスを経て選ぶ。

弦楽器はまたマイノリティの問題が引っかかり手を出せないでいたが、孫に手渡すのにハウツーをちょっと付属の教本で予習してみたら、単音なら簡単に一曲弾けたりする。
この間口の広さが素晴らしい。
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音楽の楽しさ、それも聴くだけじゃなく自分で楽器を演奏する楽しさを知ってることって、それを知らない人生より確実に面白いと私は思う。
音楽と喜怒哀楽を分かち合い、それを表現する手段を持つことはそんなに難しいことじゃない。
孫の白旗はそれを私に教えてくれ、心は軽やかである。



さて季節に関係なくお酒は飲むが、毎年この月だけは自分の血中アルコール度数が異常に濃くなっている実感がある。
それほど連日飲み会が重なる時期でもある。
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人間はなぜ二日酔いという悪魔や数々の失敗談を抱えながらも、なぜ酒とすっぱり縁を切ることが出来ないのだろうか。
そこには何か、失敗を上回る効用が酒にあるからなのではないだろうか・・・

・・・・というような、酒、セックス、ストレス、さぼり、悪態といった、日頃社会で薄暗さの中に曖昧に存在している事象へはまり込んでいく人間心理を、数々の実験と共に解析している本が今月の読書会の課題である。

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「悪癖の科学」(リチャード・スティーブンス著/藤井留美訳/紀伊国屋書店)


著者は英国キール大学心理学講師。
2010年「悪態をつくことにより苦痛を緩和する」研究でイグ・ノーベル賞受賞。

イグ・ノーベル賞というところで、ドクター◯松のようなキワものを想像してはいけない。
対象が何となく後ろめたい行為であるというだけで、中身は科学的にその潜在価値を突き止めようとする心理学者の挑戦である。
そのため文系の海に沈み込んでいる私には、完璧に掬い取れなかった部分があるかも知れない。

例えばイグ・ノーベル賞に輝いた「悪態の効用」。

小さな産院である自分の仕事場で日がな一日過ごしていると、陣痛に耐えているクライエントのうめき声が洩れ聞こえたり、ある時は誰もがぎょっとするような叫び声がクリニック中に響き渡るのは日常茶飯事だ。
クライエントさん達は陣痛が引くとご自分のあられもない叫び声を恥じるし、退院時のアンケートにも「大騒ぎしてすみませんでした」とのコメントが書かれているものしょっちゅうである。

この時に何を叫んでいるかというと、それは決して痛みへの上品な嘆きではなく、普段は決して聞かないような汚い言葉だったりすることが多い。
妻の出産に立ち会ってその場面を目の当たりにした著者は、「なぜ人は痛みに苛まれた時、汚い言葉で罵ってしまうのだろう」という疑問が大学へ戻ってからも頭から離れなくなる。

それは単なる痛みへのフラストレーションなのか。
それよりも、罵詈雑言には痛みを抑制する作用があるのではなかろうか・・

仮説を立て、数年かけて実験手法を練る。

心理学では人を脅かすような痛みやストレスを与える実験は禁忌とされているので、まずは氷の入ったバケツに数分間手を浸すアイスバケツ・チャレンジというストレスを被験者に与える。
その結果は「ファック」「シット」といった侮蔑的な言葉を多く発した被験者の方が長くバケツに手を浸していられ、心拍数も増大した。
次の実験ではゴルフゲームをした後の被験者よりも、シューティングゲームの後の被験者の方が長い時間耐えられた。
つまり、悪態が攻撃感情を高め、闘争・迷走反応を引き起こし、対痛限界を引き上げると考えられる。

このように、ある仮説を立て、実験手法を練り、仮説を証明する。
その現場が、対象が対象だけにユーモラスな文章で語られる。

この悪態の項の最後には、墜落した飛行機のフライトレコーダーからパイロットの最後の言葉だけを集めた壮絶なサイトも紹介されている。
www.planecrashinfo.com/lastwords.htm
死を目前にした極限状態で出るのは、やはり侮蔑語・卑猥語であるらしい。

つまりゆりかごから墓場まで(この例えはまずいが)、生と死のせめぎ合いに何時も悪態は寄り添っている、と結ばれている。

このようにほの暗いさまざまな事象にまつわる心理実験を紹介している本著だが、もちろん仮説通りの結果がでないこともあり、心理学というものが人間の主観という個別差のあるものを科学的に実証することであるとするならば、その難しさが一冊を通して伝わってくる。

最後の章には臨死体験という超科学現象を、科学の網が捕らえることが出来るのかというチャレンジも掲載されている。

心理学や科学はどこまで人間や人生という複雑な問題提起を解析、克服出来るのだろうか。
その限界を問いかける著者の謙虚な姿勢が好ましい。

哲学と同じで、人間の感情という極めてパーソナルな支配者を絶対的なセオリーで組み敷くという学問そのものの存在に魅了される。



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