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オフィキナリス、人生のお傍に [クリニック・シンドローム]

初めてするものは何でもどきどきするものである。
初めて人に会うこともどきどきするものである。

その軽い緊張が、頭をボケさせないのだ、と何かで読んだことがある。

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オフィキナリスアロマテラピー講座第1回が終了する。

前日まで頭がフル回転状態でちょっとグラウンディングさせなければ、と思うくらいだったのに、当日朝はずっしりと体に錘をつけられたように重い。

これは出社拒否状態?

と焦るが、何のことはない、前日加圧トレーニングをやりすぎて乳酸過多だったみたいだ。

身体は重いが、心はGO!

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真冬に戻ったように寒い日だったが、10人の妊婦さんたちは欠席者なく集合される。

アロマについて話し出すと、つい熱が入りすぎていろんなことをしゃべりたくなってしまい、あっちに寄ったり、こっちに寄ったりしながら時間は大幅超過。

今回はありきたりのマタニティアロマに留まらないよう、妊婦さんのマイナートラブルの構造について夫と何回も話し合ったこと、当たり障りのないオイルだけを紹介するのではなく、いろいろな文献や識者の意見を取り入れて一歩踏み込んだオイルをカバーしたことが、特に留意した自分としてのテーマでもある。

最後にご自分で好きなブレンドをして、ロールオンボトルに詰める作業段階では、皆さんとても楽しそうである。

アロマテラピーを全く知らない方も半数ぐらいいらっしゃり、そんな方々にはこの講座をきっかけに「人生のお傍にアロマテラピー」を実践していただけたらと思う。

私がぷらぷら自分の習い事に行っている間も、夫が熱心にマイナートラブルについての資料を作ってくれ、協力を惜しまなかったことには心から感謝。

第2回は6月17日(木)10:00~。

また新しい妊婦さんにお会いできるのを楽しみにしています。


クリニック、アロマテラピー講座 [クリニック・シンドローム]

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次男が私の仕事をデザインすると、こう。

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私が送った写真は全部落第!とばっさり切り捨て、自らお出ましになり、撮っていったオイルボトルは、彼の中でこんなふうに昇華したのだ、と興味深い。

「自分の勉強のためとか、もちろん報酬のためとか、そんなくだらないことでやるんじゃない。ただ協力したいからやるんだ」と、いつもどおり私の親心を全否定して、仕上げてくれたリーフレット。

彼が幼稚園の頃、クレヨンでなぐり描いた絵にリボンをかけ、「これママの顔」と持ってきた時の感情がじんわりと蘇る。


「日常で楽しむマタニティアロマテラピー」講座。
4月15日(木)、開催。

アロマテラピーは決して贅沢なものではなく、毎日の生活の傍においてこそ、その力を十二分に発揮してくれるということを、楽しい使い方と共にご紹介できればと思う。

お申し込みはクリニックまで。


浦和、さあ、どうだろう! [クリニック・シンドローム]

特別管理産業廃棄物管理責任者講習会に一日缶詰になる。
(あー、一気に読む気無くなるな、このカタさ)

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前夜関東に降った雪で道は大渋滞だというのに、浦和の会場にぎりぎりセーフで滑り込むと、既に170人もの出席者が全員顔を揃えてるというから驚く。

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何だか私の人生の対極にあるようなジャンルだが、ウチくらいの小規模の有床診療所でも、この管理者を置かねば許さんよと言うので、その資格l関係は女房が一手に引き受けることになり、いつも私が出かけていくんである。

朝の9時半から17時までという、ヘタな免許更新より長い講義時間と、おまけに最後に試験を受けて70点以上取らなければ管理者にはなれないというハードルの高さに辟易する。

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一般廃棄物、産業廃棄物、特別管理産業廃棄物、感染性廃棄物・・・・・・・。
ただでさえ早起きして眠いのに、まるで念仏のように聞こえる(・・・・ブツ、・・・・ブツっていうからかな?)言葉たち。
何がどう違うんじゃい!と思うが、自分で図を書いてみると、なーるほどね。

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科学や医学の発達と同時に必然的に生まれる負の財産をどう処理すべきか、というこの分野は、意外にも比較的新しい。
エイズや肝炎ウィルス患者を挙げるまでもなく、数々の被害の上にようやく今日成り立ってきたものだ。

医療は、その処理を、適正に、安全に行うということも含めて医療なのだ、ということも十分理解できるし、その実施に努めているつもりだ。

でもいかがなもんだろー。

いくら産廃の不法投棄をするような悪徳業者がいるからって、都道府県から許可証をもらった運搬処理業者を疑ってかかれって、いうのは。
そして、その許可証を信じて契約しても、業者がコトを起こしたら、契約した排出業者(つまり我々)が懲罰を受けるっていうのは。

業者に許可証を発行した側には何の責任もないんだろうか。

「私が現職の頃は・・・」って繰り返す天下りのセンセイ方に、懲罰、懲罰って霰が降るように言われると、なんか気持ちがヘコむ。

でもちょっと感動したこともある。

ぼやんとした感じのセンセイの感染についての講義で、人類の歴史はそのまま感染症との戦いの歴史で、最近のH1N1との攻防のようなことが、ずっとずっと繰り返されてきたんだと聞く。

ウィルスが生物の細胞中で増殖する性質を持っているため、その細胞でできている人間が生きている限り、ウィルスもいろんなカタチに変異して生き残っていくんだって言うので、なんだかウィルスに共生の運命(さだめ)みたいなものを感じてしまう。

ウィルスの必死さもまたすごいもんだ。

試験の結果は3週間後郵送で、と大層だ。

「さあ、どうだろう!」
We'll ( ).

処理業者とやり取りするマニフェストは、本来『積み荷目録』という意味だと初めて知る。
アメリカのウェスト・マネージメント社という貿易会社が使い始めた言葉だそうである。
なんのかんの言っても、講義は結構面白かったと告白するし、適正化に努めたいと思う。

「それでここにいるんだ」
(That's) (why) I'm here.









白金、熱さを忘れないように [クリニック・シンドローム]

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鶴屋吉信「福ハ内」。
明治天皇のお目に留まった銘菓である。

立春という言葉は、厳しい寒さの中で一縷の春への望みを感じさせる。

土曜の朝7:00は、外気温2℃。
フロントのパネルには、雪の結晶マークが点灯しっぱなしである。

Gregのレッスンへ。

前夜から数人のクラスメイトが「absent」の意思をメールで公表しており、もしや、と思ったが、やっぱり!
Gregと初めてマンツーマンの90分。

もしや、と予測したリスニングのHeadlineも大当たり。
「はいち」なんて呑気に発音したが、「ヘイチ」だそうだ。

Earthquake of Haiti.

全く考えたこともない(正直どこにあるのかも最初知らなかった)遠い最貧国を襲った自然現象の惨状は、目を覆うばかりだ。

終了後、クラスメイトに「ひとりだった・・・」とメールを打つと、みんなから
「よかったじゃ〜ん[グッド(上向き矢印)]ベルリッツだったら2万円取られるよぉ」
みたいな返信が舞い込む。
あんたらぁ〜〜〜来いよ!

いや、実はちょっと行ってみちゃったんだけどね。
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「喉元過ぎれば熱さを忘る」
The danger past, ( )( ).

地震、雷、火事オヤジ。
忘れてはだめ。

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以前、ハワイ帰りの機内新聞を切り抜きたかった!と書いたら、あるクライアントさんからその記事が送られてくる。
「実家に帰っていたので」と可愛らしい和菓子が添えられて・・・・

妊婦さんのアロマテラピーは、出産を終え、1ヶ月健診が終わって母子の生活が順調にスタートすると、「卒業」である。
そのため、一般のサロンより、クライアントさんとのお付き合いのサイクルは格段に短い。

その中で、こうしてその後もずっと接点を持ち続けてくださるクライアントさんが何人かいらっしゃる。
ことあるごとにサロンに来てくださったり、ブログにコメントをくださったり、ああ、育児の忙しさの中でもずっと、すってんころりんの私を見ていてくださるんだなあとしみじみありがたい。

この仕事、やっていてよかったなあと思う瞬間がそこにある。



「ウチの犬、やっぱ食欲が無いんです」
My dog (still)(does't) have any appetite.





クリニック、こんな日が来るなんて [クリニック・シンドローム]

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先週、ひとつのお産を見守る。

新しくパパになったのは、このクリニックを建てる時の、團設計事務所の担当者だった、O田君。
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多分、竣工以来5年間毎日そこで働いている我々よりも、このクリニックの建物を隅々まで知り尽くした人だ。

眼鏡市場にいるような「團設計のヨン様」。
端正な顔に縁なし眼鏡をかけた若いO田君を最初に見た時、「この子で大丈夫?」と思ったのは事実だ。

でもみかけの華奢さとは裏腹に、ガッツはたっぷり。
真夏、職人たちと一緒に真っ黒になって草を抜き、気合いがみなぎり過ぎの夫と終電まで飲みに付き合い、荒っぽい現場職人たちともよく渡り合った。

麻布から繰り出される團先生の指示と、ふじみ野の夫の理想を結びつけるために、本当に良く奔走したと思う。

でも、お産用ナプキンを一個入れたら終わりみたいな汚物入れを病室にチョイスしたりして、時折「あー、やっぱり出産を経験してないんだなー」と思う場面もあり、「ここで奥さんがお産するのが夢です」という彼の言葉は、何だか遠くに聞いていた。

その後O田君は團設計を離れて次第に年賀状だけの付き合いとなったが、この春待合室に彼と奥様の姿を見つけて驚く。

都内に住んでいるのに、「ここ以外でお産をするのは考えられなかった」と言ってくれた彼の言葉には、1年以上夫と理想のお産の場について語り明かしたものを見届けたいという思いがにじんでいたように思う。

毎回の健診にも、彼は必ず奥様に付き添って来た。

そして先週、ついに一児の父となる。
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自分の手がけた建築が使われて手垢にまみれていくのを見たくないという建築家もいる。

しかしO田君はその日、父親になった感激と共に、自身が考え抜いた建物がどんな務めを果たしているのかをしっかりと心に刻んだのだと思う。

彼のその思いを叶えるために、ここでお産をする決心をしてくださった奥様にも心から感謝。

「こんな日が来るなんて、思いもよらなかったわ」
I ( )( ) that ( )( ) day would come.

おめでとう!

「しばらくは会えないね」
We won't be seeing each other (for)(a)(while).








オフィキナリス、スキルを形に [クリニック・シンドローム]

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そうか。
世の中、ハロウィンなんだな。

フラの大先輩が、手作りのマスコットをくださる。
子ども3人を育て上げ、孫と休日を過ごし、何十年もフラとウクレレを楽しんでいるその方の穏やかで丁寧な日常が伺われる。

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針と糸関係に疎く、先へ先へ進もうとばかりしている自分の毎日を少し見直そうかねぇ、べっちゃん。
「そうだ、そうだー。いつも留守番じゃつまんねー。モデル代よこせー」

と言いつつ、日常においてはイギリスの精油ブランドF社と、商品開発についての業務契約を結ぶ。

妊婦さんを施術して2年以上。
私の妊婦さんへの施術は300回を超えた。

世の中に、妊婦さん向けのアロマの本は沢山出回っているが、実際にデータの抽出できる数の妊婦さんを施術して書かれているわけではなく、当たらず触らずという感じで非常に物足りない。

日本においてマタニティ・アロマテラピーがなかなか実践されないのは、ひとえに産科医との相互理解不足だと思う。
テクニカルなF社サロンですら妊婦さんを受け入れることが出来ないのは、やはり体調が変化し易いその身体を施術する責任と対応が難しいからだ。

私が今、安心して妊婦さんの施術ができるのは、産科医の夫とクリニック内の施設というバックアップがあってこそ。

過去1回だけ、施術中に癲癇(てんかん)の発作を起こされたクライアントさんがいたけれど、そういう時、ナース達の素早い処置と、アロマと癲癇発作との相関関係を否定してくれる医師のインフォームドコンセントが無ければ、大変なことになる。

F社とは、マタニティ・ラインのプロダクツ開発に、オフィキナリスのスキルを役立てることで合意。

何だか、訳も判らず一生懸命自分の信念を頼りにやってきたことが、少しずつカタチになろうとしていることがうれしい。





九段坂病院、胃の中のワタシ [クリニック・シンドローム]

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殺風景って言葉は、こういう場所のためにあるんだろうなあ。

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千鳥が淵サロンのすぐ裏手にある九段坂病院は、国家公務員共済組合の病院で、建物も設備もめちゃくちゃ古い。
どよ〜んとした雰囲気が何とも重い。

あー、病院選び間違ったなあ。

胃・肺・大腸の区民健診である。

息子達が成人して私の手を必要としなくなってから、癌をそれほど恐れなくなっているように思う。
自分がいないことを不都合に思う人は、小さい我が子を置いて他にいないはずだから。

でも、ここらでちょっとメンテしとくか。

千鳥が淵の部屋からサンダル履きでも行けそうな九段病院を選んでGo!
しかし、そこへ行ってから、その淀んだ雰囲気に、安易な興味本位で来るべきじゃなかったと後悔する。

後悔マックスに達したのは、胃の内視鏡検査を待つ時だ。
胃カメラを飲んだのは過去1回。
みんなツライというけど、そんなに辛くなかったのを覚えている。

みんな冒頭の長い廊下で、検査着を来てうつむいてだまって順番を待っている。
誰か一言ぐらい話せよ、って感じ。

昨夜の夜から食事を抜いているので、貧血を起こしそうだ。
持ってきた本も読む気にならない。
ひたすら持ってきたラヴェンダーの香りを嗅いで、気持ちを落ち着ける。

「◯島さぁ〜ん!」(おお、ここはまだ名前で呼んでるんだ)
と呼びにきたのは、きびきびしたきれいな看護婦さん。
「喉に麻酔のお薬流しますねー。動悸や冷や汗が出てきたらすぐ吐き出してくださいねー」
と明るい調子で優しく話してくれる。

ああ、この人に救われるなーと思う。
これを機械的に冷たく言われたら、辛い検査が余計辛くなっちゃう。

「今日はよろしくお願いしまーす」
と先生も明るくやってくる。
(いえ、よろしくお願いしたいのはこちらです)
患者の緊張を出来るだけ拭うよう、ドクターもナースも気を配っているのが判る。

割とすんなり内視鏡は私の胃の中に入って行き、モニターにはまるで洞窟探検のような映像が映し出される。
ちっちゃなポリープの前段階のようなものがひとつある以外は胃に異常なし。
「腸の入り口まで行きますねー」
とさらに奥までカメラが進むと、こんどは洗濯機のホースみたいな襞のある壁面の画像に変わる。
『腸には無数の襞があり・・・』というLSAの生理学のテキストの文章を思い出す。
いかにも”蠕動運動”って感じだ。

何だかあっという間に終わってしまったように感じる。
背中をずっとさすってくれていた看護婦さんがおり、ああ、ここは建物は古いけれどスタッフは本当に患者さんのことを考えるように訓練されているんだなあと感心する。
どの外来へ行っても年配のナースと馴染みの患者さんの掛け合い漫才みたいな話しを面白く聞いたし。

・・・というわけで健診終了。
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「記念に差し上げます」
と内視鏡の写真をもらう。
何だか裸を見られるようで恥ずかしいんだけれど。

結果は2週間後。
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千鳥が淵の緑がまぶしい。


クリニック、姪のお産でどたばた [クリニック・シンドローム]

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鳩山新政権とのりピーが船出し、世の中大騒ぎですね。(ボクには関係ありませんけど)

のりピーには面識がないけど(もちろん鳩山サンにもないけど)、鳩山サンは別荘がお近くなのと(ただそれだけでっ!)ご長男とウチの愚息が同じ担任の先生だったのとで、ちょっと親近感があったりするんである。

『世襲にも・・・』というもう一人の愚息の作を紹介したばかりだが、この総理にも「世襲のよい意味」の表情があるように思え、私は結構期待しているんである。

その鳩山政権発足の日、クリニックでは姪のお産で大わらわである。

「おじちゃんのところでお産するー」
と彼女に泣きつかれた夫は密かに奮起していたのではないかと思う。

この姪、はっきり言ってヘタレ。

実家が八王子と遠いので、3日前から入院して始めた誘発で、早くも涙をこぼしている。
でも、ラヴェンダー(Lavender:Lavandula officinalis)とクラリセージ(Clary sage:Salvia sclarea)で背中をマッサージしながら、このブログにへんな書き込みをされた時に真っ先に怒ってくれた彼女の、我々への気持ちのベクトルを感じる。

誘発3日めの夕方、ついに夫が帝王切開の決断を下す。
姪はラヴェンダーと汗と涙の染み込んだタオルを握りしめてOPE室へ入室。

続いて夫に呼び込まれた末弟(産婦人科医で姪の父)、姪の夫、義妹(姪の母)まで大挙して入室し、3470gの男児がこの世に生を受ける。
まるで祭りだ。
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(写真撮る暇がなかった。これは避難訓練時のダミーです。ごめんっ!)

やれやれと、疲れて眠り込んでいる姪を残して、その晩は当然宴会である。

ふだん、素っ気ない間柄に見える兄弟同士だが、同業の弟と一緒にOPE室に入ったことが、そしてそれが姪のお産だったことが、長男と一緒にOPEをしたのと同じように、夫にはたまらなくうれしいらしい。

息子達の活躍を遠目に見ることって、母親にとっては何よりもうれしいもの。

鳩山家のゴッドマザーもこの日万感の思いだったのではと察するが、息子達を医療へ捧げた◯島家のゴッドマザーも同じだろう。
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そして遠い将来、姪も今日生まれた子にそんな思いを抱く日が来るのだろうと思うと、出産はやっぱりいろんな人生を繋ぐ尊い場面なんだと、叔母の私も感動する。

成城、緩和ケアとしてのアロマテラピー [クリニック・シンドローム]

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おっしゃれや〜

埼玉に開業する前は玉川学園に住んでいたので、乗り馴れているはずの小田急線に何年ぶりかで乗って、成城学園前で降りる。

母校のLSAが赤坂から移転して、初めての訪校。
「緩和ケアとしてのアロマテラピー」のセミナーを受講するためだ。

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駅から続く涼しげな並木道と豪邸。
学園町なので緑が多く、居酒屋やパチンコ屋さんが全く無いのは、玉川学園と同じ。

チャンスとお金さえあればこんなところに住みたいもんだ、なんて思いながらそぞろ歩く。

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新しいLSAは、そんな豪邸群の中の一角にある一軒家。
赤坂撤退は、校長や秘書さんには大変なヤマ場だったのだろうけれど、私はこの美しい町並みの中にあるのがLSAらしい!と、ちょっと感動する。

セミナーは川越の帯津三敬病院にアロマセラピストとして勤務する方が講師で、主に癌治療に寄り添っていくアロマテラピーが紹介される。

対象が妊婦さんの私とは目的も方法も異にするが、日本の医療機関の中でのアロマテラピーの位置を確認するという上でいろいろ聞きたいことが多く、大変出しゃばって質問してしまい、スミマセン・・・。

「だって病気なら薬を飲めば治るのに、なんでアロマなんて遠回りな方法を選ぶの?」という問いに、医療機関の中にいればいつも追いかけられる。
しかし、その遠回りする距離を使ってなし得ることが、特に死を前にした人には多分計り知れないほど多くあるのだと気付かされる。

医学は治癒をもって完成形とする。
でもアロマテラピーは何を完成形とするのか(つまり何を最終目的として実施するのか)に私はずっと悩んでいたのだけれど、その一端を緩和ケアの中に見た気がする。

懇親会を終えれば、秋の陽はつるべ落とし。
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夕闇の中で優しい光を放つカリス成城で、メリッサ(Melissa:Melissa officinalis)のハンドクリームを買って家路につく。

帰りの電車内ではマスク姿もちらほら。
先日紹介した4シーブスビネガーオイルについての詳しいブレンドがバーグ校長のブログに載っている。
http://lsajapan.exblog.jp/

『ケアは病気の早い段階にも適用する(予防、素早い対処に結びつく)』
ー2002年WHO緩和ケアの定義よりー

西洋医学を選択する手前で試みるアロマテラピーもあれば、発達した現代の西洋医学でさえ届かない病を、最後に看取るアロマテラピーもあるのだ。

クリニック、ハグしてください [クリニック・シンドローム]

嫌な仕事は、世の中にどうしてこんなにあるんだろう。

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それを黙々と片付けていくのは、このぷちぷちをつぶしていくのに何だか似ている。
感情を移入しない、というところがコツ。

『サステナブル(持続可能)』は時代のキーワードだ。
それは前にも書いたと思う。

4年前法人化されたクリニックは、それまで夫がヤーメタ、と言えばそれで終わり、という気ままな個人経営から、夫がヤメてもクリニック自体は存続していくという法人格を持つ。
つまりサステナブルであることが要求されることになる。

経営の合理化のために職員を解雇する、と言えば、非情で血も涙も無い経営者がすることだ、と相場は決まっている。

専門業者に委託することとなった業務のスタッフ数名には、再雇用の道も用意したが合意に至らず、今日が最後の勤務日となる。

一人一人を部屋に呼んで、本当に一生懸命働いてくれた日々に感謝する。

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勤続10年のKは、先日の送別会で
「最後に、院長、ハグしてください」
と言って泣いた。
夫はその手に万感の思いを込めたと思う。

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今日手渡されたピーター・ラビットのマグカップに添えられた手紙には
「奥様、10年前、私を採用してくださってありがとうございました」
とあり、最後まで非情な雇用主でいようと思ったのに号泣する。

10年前、小学生だった息子さんたちに早朝出勤の了解を得たので、と電話してきた不安そうなKの声を思い出す。
経営なんてド素人で明日も判らず、急場作りのビルの中で、みんなでわいわい、いけいけどんどんの頃だった。

クリニックの規模の成長と共に、「拡大」ではなく「維持」または「持続」が課題となってきて、私も小賢しくなったのだろう。

2009年8月31日。
自分の手で繋がりを断つ痛みを知った日。




自宅、ちょっと休憩してもいいですか [クリニック・シンドローム]

いかんっ!

いかんよ、ワタシ。

公私ともにいろんなものが変革期に来ている。

新しいものを作り出すのは、それはそれで非常にエネルギーがいる。

しかし今までやって来たやり方をある目的のために変えるエネルギーは、その2倍必要なんだと思う。
つまり旧態からの抵抗勢力をなだめるエネルギーと、新体制をスタートさせるエネルギーと。
更地に家を建てるより、古家をぶっ壊して新家を建てる方が大変なのに似ている。

クリニックも開業してはや11年目半ば。
いろんな改革は、クリニックを存続させるという前向きな目的のために不可欠だ。
スタッフもいずれは世代交代していくはずだ。
しかし10年以上温存されてきた態勢を変えるには、ものすごく風当たりが強い。

この精神的な負担はものすごく大きい。
不満の矛先が全部自分に集中しているような気がする。

でも誰かがやらなきゃいけない。

「なんか疲れてませんか」
加圧ジムのトレーナーに指摘される。

「今日はゆるやかなトレーニングにしましょう」

先方はもちろん超職業的に発した言葉なんだが、ああ、ここ数週間で初めてワタシのことを案じてくれる言葉を聞いたと、不覚にも涙ぐみそうになる。

いかん。
いかんよ、ワタシ。

仕事から離れられない夫と、ミナサン(トイプー3匹)を残して行くのは気が引けるが、ここらで一旦休憩。

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長男一家と沖縄へ。

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ただ、ただ自分を甘やかしてくれる香りを連れて行きたくて、ラデュレのチョコレートケーキの香りのアロマキャンドルを持つ。

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「アタシ、エコバッグに入るから連れてって〜」






クリニック、長男ストーリー [クリニック・シンドローム]

「ヤツ、意外とヤルなあ」

夫が久しぶりに浮き浮きした声で話す。
長男が初めてウチのクリニックを手伝いに来た日の夕食の席。

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遠いあの夜、彼は、二段ベッドの布団の中で、声を殺して泣いていた。
まだ家の事情を飲み込めない2歳下の弟は、とっくに眠りについた夜半。
彼の肩を撫でながら、私も途方に暮れていた。

医局勤めで、当直のアルバイトで生活を支えていた夫が倒れたのは、20年近く前。
息子達は小学校の5年生と3年生。
現金収入を絶たれ、即座に家計は逼迫した。

その日の息子達のテニスレッスンの後、いつも立ち寄るのを楽しみにしているファミリーレストランで、パパの入院で家にはお金が無いこと、こうやってファミレスに来ることも、テニスのレッスンも学習塾も辞めなければならないことを二人に話した。

11歳で、敏感に家庭が暗雲に包まれているのを感じ取っておびえている小さな心は、それも長男であるがゆえの悲しさだった。

その後、夫はようやく退院にこぎ着けたものの、医局で教授への道を断たれ、実父との葛藤があり、精神的にも肉体的にも、また経済的にもボロボロの状態で山形に職を見つけ、我が家は大きく未知の方向へ舵を切ることになる。

一番多感な時期が家庭の混乱期に当たった長男は、やがて自分を引き回した我々両親に恨みの矛先を向けるようになり、壮絶な反抗期を通り抜け、だが、ようやく開業した夫の背中を見て、医学部へ進んだことは前に書いた通りだ。

我々夫婦は、あれほど親に反抗していた長男がまさか夫と同じ道を選ぶとは思わなかったので、戸惑いつつも、大学入学と共に地方で一人暮らしを始める彼を送り出したものだ。

そして長男は国家試験に受かると自分で研修先を決めてさっさと赴任してしまい、そしてあっさり結婚し、二度と私たちの家庭に戻ることはなかった。
大学もアパートも都内で、一人暮らしをしながらも今もって何やかやと実家に出入りしている次男と違って、長男と私たち家族の思い出は、彼の反抗期以降、ふっつりと切れてしまっているように思う。

医学部へ行けとも、産科医になれとも言わなかった夫は、それでもちゃんと自分の背中を見て、後ろから歩いてくる彼の足音を、どんな思いで聞いていたのだろうと思う。

クリニックに人手が必要になっても、夫が新潟にいる長男に応援を頼むことは無く、業を煮やした私が連絡すると、「1ヶ月に一度でいいなら」と彼は快く手伝いを引き受けてくれ、この日が実現する。

この先、彼が産科医としてどういう道を歩いて行くのか、全くの未知数である。

しかし、少なくとも、あの日父親の入院で崖っぷちに立たされた家庭を思って泣いた少年は、今日、自分の手で父親を確実に助けられるようになったのだと思う。





バン・クライバーンコンクール、生まれてくる意味 [クリニック・シンドローム]

「こういう子(先天性染色体異常)は必ずどこかに生まれなければならない。そういう子が家に生まれてきた意味を知って、みんなで可愛がって育てよう」

図らずも自分がその当時考えたことが、同じ言葉になってTVで流れる。

米国バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した全盲のピアニスト、辻井伸行さんの祖父の言葉である。
奇しくも伸行さんの父も祖父も産婦人科医、というあまりにもシンクロした背景に目が吸い寄せられる。

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あおちゃんが、ヒルシュスプルング病という先天性染色体異常の病気を背負って長男夫婦のところへ生まれてきた時、私は普通にうろたえ、泣きまくった。
人間の身体が遺伝子で形作られる以上、必ず「どこかに生まれなければならない子」だと判っていても、「なぜ、ここへ」なのか、と。

産科医は、何千分の1の確率で生まれてくるその子の誕生に立ち会い、手放しで喜べない両親たちに接し、時にはその悲しみや責任をぶつけられたりもする。
それが言われの無い叱責だったとしても黙って耐える。
そうすることで、医学的にどうしようもない事実を、その両親達が受け入れる準備が整うのなら、と。

先天性の異常を持った子がこの世に生まれ落ちて来た時の、周囲の戸惑いと医学的な構造を一番良く知っているのは、産科医だ。
その家に「その子」が生まれてくる意味。

子どもは親を選べないと言うけれど、あおちゃんはきっと産科医の長男を選んで生まれてきたのだ。
時間が経ってそう思える自分がいたことを、伸行さんのお祖父様の言葉で思い出す。
伸行さんも、きっとご自分の才能を開花させてくれるご両親やご家族を選んで生まれてきたのだ。

梅雨の晴れ間、これから友人が紹介してくれたAKIさんの個展に出かける。
AKIさんは先天性の軽度知的障害を持った新進気鋭の画家。
http://www.life-aki.com/

AKIさんが持っているその事実を告げられた時、お父様は
「それがどうした?」
とおっしゃったそうだ。

医学的に「必ず生まれなければならない子」を支える家族が、その意味を見間違うこと無く愛情を注いでいけるような社会を望んでやまない。
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四谷、12ポイント [クリニック・シンドローム]


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IFA(International Federation of Aromatherapists)の2日間、10:00~17:00というハゲしいワークショップに出席する。
英語の直訳なので、スローガンだけ見るとちょっとヘン。(・・な集会のようにも見える)

IFAのセラピストは、IFAが認定した様々なワークショップやセミナーに参加して、年間12ポイントのCPD(児頭骨盤不均衡ではない)を貯めないと、翌年の認定が受けられない。
今回はロンドンからCOのPauline Allenが来日して講演するので、出席を確保するのはかなりの倍率だ。

1日目、「Aromatherapy Business」。
本場イギリスと違って、アロマテラピーへの認識がまだまだ定着していない日本において、アロマテラピーがビジネスとして成り立つのかどうか、私はいまだ懐疑的である。
このケーススタディではセラピストがクリニックを買収して開業するという設定がフツーにあったりして、まじ???と驚くと同時に、イギリスではアロマセラピストが医療従事者としての地位を完全に確立していることが伺え、日本との差が身にしみる。

ちょっとしたサービスのヒントは得られたものの、お昼に食べたトマト麺と、グループディスカッションで一緒になった男性のアロマセラピストの存在の方が強烈だったのが、正直な感想。
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2日め、「Introduction to IFA Aromatouch Course」。
前日の3倍近い受講者の数に圧倒され、このタイトルがセラピストゴコロをいかにくすぐるかが想像できる。

IFAのブランチをシンガポールや日本を始めとするアジアに広げるのに尽力した、御年81歳のJoanna Hoareが、高齢者や末期医療を受ける人たちに行うアロマタッチを指導。
変形性関節症を患い、大腸癌を克服し、子宮も摘出しながらも、美しくユーモアたっぷりの彼女の魅力に触れたくて、こんなに多くの人たちが集まったようにも思う。
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ぱりっとのりの利いたお洒落なエプロン、その下のシックな黒のワンピースに2連のパールネックレスが、どことなくお国の女王様を思わせる。

IFAの意図したIntroductionの内容が、しかしこれまた日本の実情では難しい人材を育てる内容であることが、結局最後の質疑応答で明らかになり会場騒然。

うん。
このズレ、ぎくしゃく感こそがいつも私の心の底にくすぶっているものなんである。

イギリスでは病院がセラピストを求め、医療セラピストはまだ学生のうちから病院に実習に入ってそのまま就職する。
ある一定の基準を満たした医療セラピストには、国からサラリーも支払われる。

つまりドクターはもちろん患者さんもさらには国家も、セラピストの価値、アロマテラピーの価値を認めているっていうことだ。

日本ではアロマテラピーの価値は、ごく限られた人にしか認めてもらえない。
アロマテラピーに対価を出してくれる人はだからほんの少ししかいない。

IFAやその他のインターナショナルなアロマセラピストの資格が日本で受けられるようになり、供給側はいまや過剰気味で鼻息も荒い。
しかし需要が何分にも少なすぎる。

でもカメの歩みであっても、アロマテラピーを日本に理解してもらうためのほんの一端を担うつもりで、日本では数少ない医療機関との連携が確保できるという自分のフィールドのアドバンテージを生かして頑張ろう!(・・と小さくガッツポーズ)

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とりあえず12ポイント獲得。
(・・と小さくVサイン)
来年もセラピストとして頑張るんである。


自宅、秘密のD-クラブ [クリニック・シンドローム]

「お〜い、来てみろよ。オレのベッドに美人が寝てるぜ!」

はいはい・・・
だいたい顛末はわかっているんである。
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まあ、こんなことだろうと思ってたケド。
夫は超うれしそうで、
「写真、撮んないの?」

はいはい・・・
写真も撮ります。
魂も売ります。
ブログにも書かせていただきます。
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「キレイに撮れたかしら?」
コイツら〜〜。

早朝、4時(!)。
バスルームからもうもうと湯気が立ち、ダッダッダッと夫の部屋から規則正しい機械音。
家中が湿っぽくなっている。

もう、何事?!

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8年前家を建てる時夫の肝いりで設置して、1年に数回しか入らないサウナに明かりが灯っており、バスタブになみなみとお湯。
(しかも換気扇が回ってないので湯気もうもう)

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夫はと言えば、これも数年前夫の肝いりで導入して、普段はズボン掛けになっているジム用のウォーキングマシーンで歩き中。
ダッダッダッという騒音はこれだ。

何事?

今日はクリニックのD-クラブの測定日なんである。

D-クラブとは、院長を会長に、ちょっと体重が気になるナース、スタッフとで結成した減量集団。
Dは「ダイエット」なんだか、「大丈夫」なんだか、「どうしましょう」なんだか。
毎月だか毎週だか忘れたが、全員の計測日があり、前回より減っていなかったら1000円の罰金を払うんだそうである。
結構みんな必死なんである。

計測日の朝こんな大騒ぎするより、ゴルフの後のお酒を我慢すれば済むことなんである。

短時間で減らした体重は、短時間で戻るっていう大原則を、医者のくせに知らないの?

おかげで寝不足である。

クリニック、夫の背中 [クリニック・シンドローム]

限りなく明日に近い今日。
(つまり0時まであと数分)

電話が鳴る。
No.ディスプレイはクリニック。

嫌な予感がする。

受話器の向こうのNナースの息が大きくぜいぜいと拡張されている。

早寝の夫が飛び起きて来て受話器を奪うように代わる。

見ていたTVの音を絞り、夫の顔色を伺う。

「あ、オペね」
なんぞと気楽に言って仕度を整え始めることを願うが(普通の帝王切開でも当直だけに任せることは無いので)、事情を聞いている夫の声がみるみる緊張感で固くなっていくのが判る。

血栓性肺塞栓の疑い。
エコノミー症候群と同じ。長く同じ姿勢で安静にしていた産婦さん(切迫早産、帝王切開などで)に起こり易い症状だ。
それが懸念される場合は必ず事前に対策を講じるが、それでも100%避けられることは無い。

夫は降り始めた雨の中を飛び出していく。
もう患者様自身は搬送されたが、ご家族への説明のためだ。

開業して10年。
病状はさまざまだが、夫のこんな背中を見送る夜が幾夜あったろう。
夫がご家族に罵倒されるのも、カーテンの影で何度聞いたことだろう。

お産は安全ではない。
精一杯やっているのに、急変は必ずある。

1000人の患者様に「先生、ありがとう!」と出産の喜びを贈られる中に、不慮の結果を突きつけられる1人が存在し、その無念や怒りを夫は全身で受け止める。
夫の中で、その1人への己の無力さが1000人の祝福に勝ってしまった時、彼は産科医を辞めるのだろうと思う。

電話を受け、真っ暗な道路へ飛び出していく夫の背中を見送るたびに、それが今日なのか、といつも思う。

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新潟、5000分の1 [クリニック・シンドローム]

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あおちゃんは生まれて44日め。
初めて自分の家のドアをくぐった。
部屋にはヴィアロームのFruitsが香っていた。

あおちゃんがNICUに入った、と長男から電話があったのは、12月20日。
あおちゃん誕生に沸いた日からたった4日後のことだ。

冷静に、来るべきものが来た、と思う自分に驚く。

年間800例近くもお産を扱えば、出産の喜びもつかの間、ベビーに先天性の異常が見つかって失望の奈落に落とされる親達を、数限りなく見ている。
それがそれほど希有な確率ではないので、もしかして・・・という思いは、産科医療に従事する夫にも傍で見ている私にも、もちろん長男達にも心の隅にほんのちょっと存在していたことは間違いが無い。

しかし、まさかその確率が我が身に当たるはずが無い、という思いも、また同時に我々の別の心の隅に確実に存在していた。

しかし、その「くじ」に当たってしまう子は0ではない限り必ず居り、神様はその何千分の一の「くじ」をあおちゃんに当てたのだ。

ヒルシュスプルング病。
あおちゃんに下されたのはそんな聞いたことの無い名前の病気だ。

先天的に腸の神経細胞が欠損し自力排泄が不可能となるこの病気は、細胞の欠損部分を切除して正常な部分を繋ぎ合わせる根治手術しか、治癒の方法は無い。
その手術さえままならないケースもあり、何年も人工肛門をつけることになることもある。
5000人に1人というのが、この病気の確率だ。

何日も何日もネットの森を彷徨い、夫と議論し、そして泣き続ける。
いつ、どこでその手術をするかが、その後の人生のQOLを大きく変えると考えられる。

クリスマスも正月も、先の見えない濃い霧の中に沈んで過ぎる。
外面ははしゃいでみせていたが、心は真っ暗。
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編み物上手なスタッフのプレゼントも、「これをあおちゃんが履く日は来るのだろうか」と思ってまた涙が出る。

年末、夫とNICUのあおちゃんを見舞う。
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その柔らかく必死で生きている小さな命を、ガラス越しに心のなかで抱く夫と息子。
それはあまりにも悲しい対面だ。

1月9日。
自分の勤務する新潟市民病院の小児外科にすべてを託すと決心した長男の意向を汲み、ヒルシュの診断のための細胞の採取と、引き続いて根治手術が行われる。
5時間の手術を、生後24日のちっちゃなあおちゃんは耐えぬく。
心配された類縁疾患ではなく、合併症も今のところ見つからないとのことで、不幸の中では最良の結果となる。
神経細胞の欠損部分が、肛門のすぐ上の数センチだったことも幸いした。

1月22日に「NICUを卒業しました!」とおヨメさんからメールが来る。
ほっとしたのもつかの間、小児病棟の24時間看護態勢に今度は気丈なおヨメさんの疲労が蓄積され、応援に行く。

そして退院。
用事がある私に変わって、夫が手伝いに行く。
一転、患者の身内という立場になって、我がクリニックでも必ずや見つかるであろう先天性異常という確率性の疾患に立ち会う彼は、何を感じ、何を思ったのだろうか。

普通の子より1ヶ月半遅れて、自宅での保育が始まる。

当直のあるパパの家庭の宿命は、ママが初めての育児に孤軍奮闘しなければならないことだ。
我が家の20数年前と同じだ。

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七変化。

すっかり「普通の」子になったように見えるあおちゃんだが、腸が未発達なので3歳ぐらいまではお腹の調子に気を遣う。
あおちゃんの本当の戦いはこれから始まるのかも知れない。

「そこは必ず私が訓練して追いつかせます!」
ナースだったおヨメさんの心強い言葉に送られ、小さなアパートにようやくぎゅうぎゅう詰めになった幸せを感じて新潟を後にする。

先天性異常。

それは誰のせいでもない。
ただひたすら「確率」だけの問題だ。

ものすごい数のDNAが相手のこの解明と回避は、不可能であろうと夫は言う。

それでも不幸なDNA 同士が出会わぬように解明が進み、我々が今回流したと同じ涙の量が減っていくことを、心から願わずにはいられない。

これまでのあおちゃんに関する記述が、何となく奥歯にものが挟まったような、わざと盛り上がっているような不自然さがあったのは、以上のような事情のためとご理解いただきたい。


クリニック、裏から見た午後 [クリニック・シンドローム]

土曜の午後のクリニックは、つかの間の穏やかさを享受する。

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置いてけぼり。早く迎えに来てください。

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深夜、伸びます。

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グレーに溜まる西日。

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昼間のおしゃべりの名残。

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ただ、ただ広い。

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分娩予約は8月までいっぱい。

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その向かい側のニューヨーク。

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手術、診察・・院長の1日の残骸。

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ミネ先生は退出後もきちんと。(院長と大差)

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光揺れるスクリーン。

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そんな中でも一つのお産は進行中。

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團紀彦の意図。

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空調は全稼動中。

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自著の改訂作業に没頭。

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ほっとした抜け殻。

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少しずつ前進せよ。

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予定は未定。

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リラックマの真摯な視線。

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ママツリーに灯が灯る。

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ベビーとママ達の上に一番星。



クリニック、ここからが大変2008 [クリニック・シンドローム]

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クリニックに例年通り、クリスマスのイルミネーションが灯る。
いつもだとこの光の三角錐は、凍るような寒空に突き刺さっているはずなのに、今年はまだ生温い夜空だ。

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パリのクリニャンクールで見つけた皮のケースの十字架を、自分のデスクに置いてみる。
その上を通り過ぎてきた年月を馴染ませて、ただひっそりとそのひとは頭を垂れている。
私のクリスマスはここにやってくるのだろう。

今年の年末年始は長男のところのお産が重なるため、何かと気ぜわしい。

この11月、開業記念日だなんだと浮かれ終わると、納税がどっさり。
連日連夜、TVに映し出される中小企業の社長さんたちと同じ気持ちを毎年、この月は私も味わう。
夫がまるで経理にタッチしないので、クリニックのやりくりは数字に超ヨワい私の仕事である。
こんなに税金を払うのに、1万円ちょっとのナントカ給付金を辞退しろとかしないとか。
言われなくてもするわい。
でも身をすり減らして納税するお金なんだから、もっと上手で有効な(そして賢い)使い方をしてほしい。
国からお小遣いもらうんなら、最初からその分納税金額から引いといてほしい。

そしてお歳暮、忘年会、おせちの準備、年賀状と立て続けに(ああ、賞与の支払いって大仕事もあった・・・)襲いかかってきて、2008年も阿鼻叫喚の中に幕を下ろすのだろう。

・・・っていったい今日のテーマは何?




きらりふじみ、何も言えねぇ・・ [クリニック・シンドローム]

「えええ〜っ、なんでよぉ!」
夜もふけ、我が家に響き渡る私の悲鳴。

クリニックのフラ・チームは、去年と同じように忘年会に発表する曲を夏の終わりに先生に選んでもらい、この2ヶ月、その練習に励んできた。
忘年会まであと1ヶ月、曲の仕上げと衣装の制作にとりかかろうとしたその矢先。

「今年の忘年会はいつものような宴会形式を止め、都内のレストランでウマいものを食べることにした」と夫が(ここが憎らしいのだが)こともなげに言ったのだ。

一瞬、頭が真っ白になり、その次にフラを発表する場が失われたことが理解できてくる。

だって私が毎晩パウダールームの鏡の前で練習しているのを見てるでしょ?
この前だってフラチームの一員と、忘年会の相談をしているところに同席してたでしょ?

そりゃあ、フラチーム8人のための忘年会ではないのだから、それ以外のスタッフたちがお食事がいい、と言えば拒否はできない。

でも、決める前に一言相談してくれてもいいじゃない!
それがたまたま私が施術で出ることが出来なかった主任会議で決まったというのもめちゃくちゃ腹が立った。
私は明日のレッスンで、心を砕いてくれた先生と頑張ってるみんなに、どう言えばいいの?
「何も言えねぇ。」

夫はそんなに自分が重大な決定事項を発表したとは気付かないのか、動物好きの私が喜びそうなイヌの番組に
「ほらほら、見てみれば?」
と大層呑気だ。

誰が見るか!
そのTVの音が聞こえないほど大音響で、予定曲だった『E PILI MAI』をリピートでかけてお風呂に飛び込む。
悔しくって仕方が無い。

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昼間購入した美しいパッケージたちも、今夜ばかりはリボンを解かれることも無く、沈黙している。

オフィキナリス、セラピストたちよ! [クリニック・シンドローム]

理想と現実。
目指すものとそこにあるもの。
前進と停滞。
希望と失望。

オフィキナリスのwebや電話に、これまで数件の就職の問い合わせが入っている。
始めてまだ2年、求人広告も出したことのないごく小さい企業個体であるにも関わらず。

その応募理由は押し並べて「医療系アロマテラピーをやりたい」である。

近年のアロマテラピーの流行に伴い、セラピストの資格も多様を極め、2〜3ヶ月でもらえるお手軽なものから、1、2年かけて解剖生理学までやって筆記と実技の試験を受け、ようやく取れるインターナショナルなものまで、さまざまである。
そして勉強すればする人ほど、ちまたにあふれるエステ系のアロマテラピーは、何だか本筋ではないぞ、という気になるものらしい。

それはそうだ。
西洋医学が発達する以前から薬用に使われてきた、歴然とした過去をアロマテラピー自身が持っているからだ。

しかし、医療機関でアロマテラピーをやりたいというまじめな希望を持つ人が、うちのような外に出してもいない個体をネットで見つけ出して就職の打診をしてくるってことは、医療、または医療のサポートとしてアロマテラピーを行える環境が我が国において驚くほど少ないってことなんだろうと思う。

そのわけが2年やってみて、ようやく判ったような気がする。

現代の医療機関に於いて代替医療であるアロマテラピーはあくまで脇役。
地道に地道に患者様(=クライアントさん)の不安や不調を聞いて、慎重に施術し、医療の効果を高めるようなサポートをするスタンスに徹する。
従って対価はできるだけ押さえなければならない。
エステサロンのように贅沢をするわけではなく、それがどうしても「必要」だから来る方がほとんどだからである。

またアロマテラピーに対する理解が西洋に比べて浅い日本では、医療に於けるアロマテラピーは対価が期待できず、本当に採算を度外視しなければ成り立たない。
この環境が日本に無いのは、この採算性が一つの要因だと思う。

その経済的な体質は当然雇用されるセラピストの給与にも跳ね返るわけで、エステ業界で高額な収入を手にしたことのあるセラピストに、准看護師並みの待遇を提示すると「こんな給料では働けません。」と言う。
自分の後に何とか続いてもらいたいと思っていたセラピストにそう言われると結構ショックだ。
医療系のアロマテラピーをやりたい、と言って来る方にも、その事情をお話しすると一様に尻込みする。

精神的に大きな落ち込みのある妊婦さんを初期からずっと続けてトリートメントする。
その方が出産されて、「真っ暗な毎日の中で、アロマに来る時間だけが唯一明るい光が射すようでした。」と言われた時、不覚にも涙が出そうになる。

若いセラピストたちに、この感動や達成感を原動力にして、というのは、無理な願いなのだろうか。



















紀尾井町、クリニック10周年 [クリニック・シンドローム]

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秋晴れの日曜日、クリニックのスタッフ達は紀尾井町のホテル内のレストランに集う。
我がクリニックが今日で10年の節目を迎えたのだ。
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甘辛く味つけたスペアリブがここの名物だ。
サイズは小さくなったものの、30年前、夫の国家試験合格発表の日に友人達とわいわい食べたその時のままの味だ。
30年後に、こんな形でこんな集いを持とうとは、夫も私もこれっぽっちも想像していなかった。

あっという間の10年だったような気がする。
開業時は銀行の貸し渋りが横行して、実績の無い夫に開業資金を貸してくれるところなど無かった。
ほそぼそと4床で始めたビル診。
夫は同じビルに部屋をもう1室部屋を借り、24時間365日クリニックから離れることが出来ず、私は慣れない経理や労務の仕事を見よう見まねでしながら、息子達が受験まっただ中で住居を移せず、横浜と埼玉を毎日通っているうちに身体を壊した。
研修医制度が施行され、福島の帝王切開死訴訟があり、産科医が激減していく中、内診は助産師のみという通達が出され、本当に産科医にとっては冬の時代を何とかスタッフと患者様に支えられて今日まで歩いてきた感じだ。

採用当時、小学生だったスタッフの子供達は大学生に、うら若き乙女だったスタッフは頼もしいママに。
夜中の緊急手術にも当然のように駆けつけてくる婦長達、明日が雪になりそうな晩はクリニックの近くに泊まって、決して穴をあけること無く患者様の朝食を6時に作りにくる厨房主任、スタッフのみんなには本当に本当に感謝。

それから二人目も三人目もと可愛い赤ちゃんを産んでくださり、いつもクリニックを支持してくださる患者様達にも心から感謝。

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こちら一番若い医事課のスタッフ。
はじけるような笑顔で今日が21歳の誕生日。
おめでとう!!






墨東病院、シニアレジデントの思い [クリニック・シンドローム]

マイカテゴリーをひとつ増やしてみた。

私はアロマセラピストで、世間の面倒なことは知りません、というスタンスで行こうと思っていた、実は。
でも小さなクリニックを作ってしまった(私は反対したのに)夫のもとで10年、医療とそれを取り巻く環境をちらちら横目で見ていて、その観察記「憶」は今の私の成分の50%を占めるようになった。
・・・となれば。

折しも産婦人科医不足、妊婦たらい回しとかなり我々も渦中まっただ中である。
アロマテラピーを行っていても、クライアントさんとその話しになる。

マスコミは脳出血で搬送を断られた妊婦さんの話しで持ち切りである。
後ろに産科医不足問題があることは日を見るより明らかだ。

奥様を亡くされたご主人の記者会見は、この出来事が社会に与える影響を十二分に理解され、大きな悲しみの中にも、決して受け入れを断った産科医を責めなかった。
たった一人で当直していたシニアレジデント(後期研修医。長男と同じ立場だ)は、今、どんな思いでこの世間の喧噪を聞いているのだろう。

ドラマ「ブラックジャックによろしく」では、主人公が初めての一人当直の晩に搬送されてきた重篤な急患から逃げ出して、非常階段で泣きわめくシーンがあった。
一緒に見ていた夫が、ぽつりと「おれもあんな思い、何度もしたなあ」と言った。(実際逃げてはいないだろうが)

夫はともかく、どんな名医でも初めての一人当直の晩があり、初めて執刀するオペもある。
その時にどんな患者さんと出会い、どんな自分と出会うのか、それはその後の医師としての人生をかなり左右するだろう。
あのご主人の言葉が、墨東のシニアレジデントの心に届いてほしい。
心からそう願う。

私は専門家ではないので正しいかどうか判らないが、あの時、かかりつけ医でまず帝王切開をしてから搬送先を探すことは出来なかったのか。
そうすれば新生児は専門の医療センターに搬送し、母体の開頭手術が出来る病院を探すだけだ。(産科でなくていいってことだ)
受け入れ先の可能性はもっと広がったように思う。結果は悲しいが同じだったとしても。

うちのクリニックでも10年の間には脳出血の妊婦さんが何人かいたが、すべて帝王切開してから搬送して、すぐとってもらえたと記憶している。

あまり専門的なことに首を突っ込むと夫に叱られるので今日はこの辺で終わりとする。








クリニック、秋の日 [クリニック・シンドローム]

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リビングのピクチャーウィンドウからの日射しが、秋色になった。
テラスに多い被さるアキニレが、直、黄色くなり始めるだろう。

先日のマジョラム、イランイラン、スイートミントのブレンドが大人気である。
それだけクライアントさんがこのブログを読んでくださっているんだなあと思うと、ありがたいし、また書く責任も重く感じる。

そんな気持ちであえて書こう。

昨日、医事課のスタッフ二人が患者様のおうちを訪ねた。
未収の治療費を回収するためである。

その方の治療費が発生したのは4月である。
緊急の事態だったため、ご家族も動転しているだろうとあえて治療費の請求を後日に、ということでお約束をした。
クリニックの病衣もお貸しした。

その後、1ヶ月経っても一向に治療費を払いにいらっしゃる気配がない。
搬送先の病院からは「回復されて退院されました」との報告書が届いているので、お元気になられたのは間違いが無いと思う。

クリニックにはその方の自己負担金7000円ほどが宙に浮いたままだ。
医事課スタッフが何度か催促の電話をした。
その度に
「給料日まではお金が無い」
「土曜だったら主人が払いに行く」
というようなお話だった。
もちろんどの土曜日にもいらっしゃることはなかった。

国保、社保の保険機関は、未収金が発生した場合、内容証明付きの督促状を出すか、自宅へ回収に行くように、と医療機関に全責任を押し付けている。
医療機関がこのようなモンスター・ペイシェントのために泣き寝入りしていることは、このごろようやくマスコミで取り上げられるようになった。

私はいつも不思議に思う。
レストランで無銭飲食をすれば詐欺罪(なんですよ!)で捕まるのに、病院の治療費を踏み倒した場合はなぜ罪にならないのだろう。

この患者様はまた昨日も「土曜に主人が行きます」との回答だったので、私が自宅まで回収しにいくよう命じたのだ。
たかが7000円なのだが、お金の多寡ではない。
気持ちの問題だ。
何だか、私の中で何かがぷちんと切れたのだ。
クリニック始まって以来、初めてのことである。

スタッフは、回収金と、よれよれの病衣を持って帰ってきた。
もちろん、退院してすぐなら7000円を用意できないこともあろう。
でも5ヶ月経っているのである。
その気さえあれば、用意はできるはず。
たったこれだけのものを車で10分ほどのクリニックに持ってこられないのか、あの緊急事態を救ったクリニックに何の気持ちも沸かないのか、と情けなくなった。

この方はそれでも電話がつながるだけましだった。
督促の電話もいっさいつながらない方、保険も使えなくなっている方、住所にもいつのまにかいなくなっている方、赤ちゃんを産んでから出産費用が無いと悪びれもせずに言う方。

もちろん命を救うのが最優先だ。
救急の場合は特に治療費のことなど言い出しにくい現場の雰囲気もある。

もちろんほとんどの方がきちんと後で支払いに来てくださり、「あの時はありがとうございました」とおっしゃってくださる。

でもこのような方も増えつつあるのが悲しい現状だ。
お金の取り立てなんてしたことがなかったが、「しかたない」とあきらめるのももう限界だ。
私の中で切れたもの、それは心の中の鍵だったのだ。
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霞ヶ関、辞めるだと? [クリニック・シンドローム]

お風呂に入ろうと夫の見ているテレビの前を通り過ぎて、画面の文字が視界の隅に入る。
でんげきじにん。
どこぞのタレントの結婚、離婚と同レベルの扱い。

人気がないので。
決めたいことも邪魔されるので。
自分じゃない人の方がウマく行くと思うので。

オイオイ。
小学校の学級委員だってもっとマシな言い訳するぜ。

あんぐり口を開けたまま、同じようなセリフ、つい最近聞いたぞ、と思う。

他の職員とウマく行かないので。
何だかクリニックの雰囲気が自分と合わないので。
アロマもやらせてもらえないので。
3ヶ月ですけど辞めます。

九州から何ヶ月も前からオファーしてきて就職したのに、辞める理由はそれかよ、とその時も口をあんぐり開けたものだ。
石の上にも3年。
継続は力なり。
こんな言葉は今時の若いもんには通用しないんだな、と実感した。

でも、1億の国民を束ねる人だ。
うちのようなちっぽけなクリニックを辞めるのとは訳が違う。
自分で手を挙げてなったポジションが、そんなに平坦なものではないくらい、判って就いたんだろうが。

嫌になったら辞める。
まるでその辺のフリーターみたいだ。

「もう産科医なんか辞めてやる!」
と、夫がちゃぶ台をひっくり返したら3月までいっぱいのお産はどうなる?
そんなことできる訳が無い。
でも一国の総理は辞められるんだ。

なんだろうなあ。
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畳表を底に張ったスリッパは、お風呂上がりの足にやさしい。




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