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混迷のインド、混迷の衛生事情 [セルフィッシュ・ジャーニー]

私は一生、中国と北朝鮮とインドには行きません。

こうおっしゃる方が何人かおられ、前者の2ヶ国については今はやりの「エモーショナルなモンダイ」かともお察しするが、さて、インドについてはどうなんだろう?

世界に名だたるウォシュレットを開発・普及させた随一の衛生立国(・・てあるの?)に棲息する身として返す返すもインドという国にまず不安を抱くのは、インドの衛生事情、特に得体の知れないトイレ環境と壮絶な下痢との闘いが、過去に語られた数々の訪問記やガイドブックでつとに言い伝えられてきたからだろう。
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自分の感覚が麻痺していないことを願って言うなら、結果的にはNOT SO BADである。

大体、途上国の農村部を訪れることになる何回かの香料視察ツァーでだいぶ免疫が出来ているのかも知れないし、ガールスカウトあがりなので青空トイレも過去体験済みだからかも知れない。

N島さん、ボクと分かれたら一人で贅沢なホテルに泊まるんでしょう。(当たり!)ボクといる時くらい、インドらしいホテルに泊まろうよ。  

と、ミスター稲葉が(多分半分面白がって)用意した今回最低のホテル(1泊2000円)Manglam Palace in Lucknow(ここをパレスっていうな!)だってここまでだ。
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まあ、ここがインドらしいホテルかどうか、インド人のランジャンには異論もあろうが)

基本的に他人と共用でなく、水洗であれば、トイレットペーパーがあろうが無かろうが(持ってきたからね!)、どっち向いてしゃがんでいいか分からないインド式であろうが、私はOKである。

マナさん、ダイジョブですかー。
(ダイジョブなわけないわっ)

ランジャンもニヤニヤしながら面白がっているので、ここで泣き出すわけにはいかない。
何としてでも平気なところをみせなくては。

このホテル、インテリアは斯様。
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カーペットのシミが泣ける。

カバーのかかった掛け布団などどこを探しても無く、足元に畳まれた紫色のこたつカバーみたいなブランケットのみ。
さすがにこれを首元まで引き上げる勇気は無い。(だって誰がヨダレ垂らしてるかわかんないもん)

返す返すも持つべきはおかゆじゃなくてファブリーズだったと後悔。

一応、カギは渡されたもののどうやっても回らない。
スタッフを呼んでどうやってカギをかけるのか聞いたところ、ドア上部のカンヌキ(っていうのかしら?)をガチャと横に引いて「これだけさ」。
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あ、そう。

じゃ、錠前はなんのため?

わんわん蚊が飛んでいるので、部屋とサニタリーに、持ってきた金鳥蚊取り線香を盛大に焚くと、たちまちベッドの上に2、3匹の蚊の死骸。

おー、グッジョブ、金鳥蚊取り!!

その香りに日本の夏を細く細く感じ留めてようやくまどろむ。

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hey!

私の人生でオマエに会うのはこれが最初で最後だわ、マングラム・パレス。

ミスター稲葉、ランジャン、面白い夜をありがとう[もうやだ~(悲しい顔)]
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その他、市中のレストランでも、高速道路のサービスエリアでも、基本、ペーパーレスのセルフウォシュレット(自分で水をカップに汲んで洗浄)だが、水洗なんで不潔な感じは無し。
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鬼門のデリー空港のトイレにはペーパーも豊富に用意されていて美男美女が微笑んでいるし、
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Amanbaghへ向かう4時間半のドライブの途中で寄ってもらったサービスエリアのサインを見た途端、頭の中にエルビス・コステロが鳴り響きもした。
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最終日、ジャイプル空港からの国内線がキャンセルになって成田行きを逃し、窮余の策で泊まったデリー空港近くの8000円のホテルも合格点だ。
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(あの境遇でこれ以下だったらベッドに突っ伏して泣いてたな・・・)

ランジャンが言ってたように、衛生状態については過去の評判を憂慮した政府が頑張って改善対策を講じている成果が、少しずつ現れ始めているんだろう。

ミスター稲葉が察したとおり、彼と別れてからせいせいと贅沢しようと向かったAmanbaghでは、もうじき猛暑でクローズドになる直前のたった一人のゲストだったせいか、予約を入れていたスタンダードルームを大幅にグレードアップして一番高いプールパビリオン(今日コストをHPで見てみたら、1泊14万円だった・・・・)に案内される。
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マングラム・パレスの寝室と、こっちのトイレと、どっちに寝ると言われたら、躊躇無くこのトイレ選ぶわと思うほどの素晴らしいファシリティーである。
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ずっと日本を出てから生野菜とフルーツを我慢してきた甲斐あり、お腹も壊さずに来たので、Amanbaghでは意地汚く2回もフルーツサラダをルームサービスでオーダーする。
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カレーよ、さらばだ!

明日は日本だ。(・・・とこの時は確信していた・・・涙)

サニーサイドアップも、パンケーキも食べる。
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・・・・あ、それまでの食事情も決して悪くはなかった。

ランジャンが気をつけて店を選んでくれたせいか、私の目が必死で訴えていたせいか、特にデリー市内ではお酒も飲めるし(インドでは宗教上おおっぴらに酒を飲む習慣が無いらしく、地方に行けば行くほどアルコールを置いている店が無くなる)、東京と変わらない素敵なレストランばかりである。
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基本、カレーとビリヤーニ(スパイシーなチャーハンみたいなもの)だが、店によっても地方によっても味やスタイルが違って飽きることは無い。
どちらかっていったら、イタリアのバジル、トマト、オリーブオイルだらけの食事の方が辛かったくらいだ。

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完食の図。

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ミルク粥。
もろもろとしたカスタードプリンのようなデザートもなかなか。

ミスター稲葉はランジャンと、市中でヒンドゥー教徒の施しの葉っぱに入ったご飯にもトライしてたけど、君子は危うきには近寄らないのよ。
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しかし、何より美味しかったのは、Amanbaghで2時間のスパトリートメントの後、部屋でインド産白ワインの栓を抜き、一人乾杯をした時に食べた、柿の種(野本、ありがとう)とノザキのコンビーフ。
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涙がこぼれそうになったのは、壮絶な夜を経て一日遅れでデリー空港のイミグレーションを通過後、JALのラウンジで摂った、周りの日本語にまみれたワインとチキンカレー。
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いろいろ貴重な体験をし、心折れることもあったけど、体調だけは常態をキープできたことが、また私の心のベクトルがインドに向いている一番の理由だ。

以下、さらにディープなトラブル篇へ・・・




混迷のインド、翻る原色 [セルフィッシュ・ジャーニー]

瓦礫と砂塵の国が、まったく悲惨にも退廃的にも感じられないのは、花や建物、そして女性たちが身に纏うサリーの生き生きとした原色の洪水と、人なつこい子どもたちの生気にあふれた大きな瞳のせいだろう。

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都市部の観光地で物乞いや商売をする子たちも沢山いるが、それはその境遇を察するだけで気持ちを濾過させるしかない。

ちょっと観光客慣れしていない地方へ足を伸ばせば、そこにあるのは単純にあまり見たことが無い外国人を見て喜ぶ屈託のない笑顔だ。
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少女たちは驚くほどの美人さん揃いだ。
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シンプルに今日生きることだけを考える。
それでいいんだと思える。




無彩色の土と埃の風景の中に原色が翻り、はっとする瞬間が何度もある。
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女性たちが身に纏うサリーは、地方によっても(多分)身分によっても、素材も凝らした手法も形も違うのだが、共通しているのはそれらがすべて日本の服飾への色彩意識とはまったく異次元の、非常にビビットな色合いだということだ。
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いやー、素敵だなあ。

生来の布フェチっ気が刺激されすぎて仕方無い。

それを満足させてくれたのが、デリーの次に、アッターの村カナウジ(Kannauj)への足がかりとして訪れたラクナウ(Lucknow)という地方都市だ。
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ミスター稲葉が、なんかちっちゃなメモ帳に走り書きした甚だ頼りないリサーチで、この町にはチキンレースという名物の美しいテキスタイルがあるから、ボクはどうしてもそこで洋服を買いたい、とのこと。

チキンレース???

まじか、と冗談半分で連れていかれた店がすごい。

まるで京都の呉服屋さんのように床から天井までの棚に、びっしりと美しいレース布の山。
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しかもひとつとして同じものはないような気がする。
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これは女性なら国籍問わず夢中になるわね。
LAKHNAWI HANDICRAFT & CHIKAN CREATION Ltd.

ちなみにchicken raceではなく、チカンレース(CHIKAN LACE)布である。

ミスターは念願のサイババ風(また言っちゃった)チュニック(Kurtaっていうのかな)をゲット。
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こちらは散々あの布、この布(サリーは反物のように6mの布の状態で売っているので)と巻き付けてもらって、結局花嫁のベールのような一枚を。
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日本の反物と同じように、6mの布の中で、前身頃、袖、裾などにくる場所によって刺繍の密度や手法を変えているのがすごい。

日本でサリーとして着ることは無いだろうが、半年かけて刺繍を施したというその手仕事を手中に納める。

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美しい布と美しい売り子さん。

ちなみに彼女が着ているパンジャビードレスはサリーより実用的で、ラクナウ空港内のショップで私も一枚購入。
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しかし、サリー、なんていったって6mもの布を折り畳んで身体に巻き付けるのである。
大変余計なお節介だが、人ごとながら心配なのは、あのインド式しゃがむスタイルのトイレではどうするのかということなんである。

最後、搭乗機がキャンセルになって大混乱のジャイプル空港で、とっても高価そうな素敵なサリーを着た(しかしとってもタカビーなナッツリターン姫みたいな)女性が、大勢に使用され尽くした悲惨なトイレに悠々と入っていくのを見て、複雑な気持ちがする。

チカンレースのパンジャビー、次のチェンナイで着用、ガイドのランジャンと。
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サリーの布は、デリーでも素敵なのを沢山見たし(もっとゆっくりお店を見て回りたかった)、最後に行ったジャイプルではビーズやキラキラメタルがいっぱい付いたものも沢山売られていた。
インドの女性がサリーにかける情熱と費用は、日本女性が着物にかけるそれと同じようなものがあると聞いたことがあるが、まさにそうなんだと思う。

美しく装いたいという女性の情熱が様々な織りや刺繍や染めの技法を生み出し、それが一つの文化となっているのは万国、どの国へいっても同じである。
私が各国の布に惹かれるのは、そんな理由だ。

ラオスやミャンマーの山岳民族の素朴な布も生命がこもって素晴らしかったが、裕福な人々が金に糸目をつけることなくその技術をエスカレートさせていった布は、宝石のように一種の錬金術にもなり得よう。

マハラジャという大金持ちが存在するインドでは、きっと素晴らしい布もどこかにまた存在するに違いない。

そんな思いが、最後のジャイプルであやうくインチキに引っかかりそうになった一つの原因なのだが・・・。

とりあえず、以下次号!

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混迷のインド、サンバックの香り [セルフィッシュ・ジャーニー]

国の玄関口である空港にはその国独特の匂いがある。

例えば韓国の金浦空港はキムチの匂い、インドのニューデリー空港はカレーの匂い・・・・

・・・って誰が言ったんじゃい!
(ちなみにその頃、日本の成田空港は味の素の匂いがすると言われ、妙に私も納得した覚えがあるんだが・・・)

なんの匂いもしないよ!インディラ・ガンディー空港!!

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みてみて〜〜〜

仏様の手の形オブジェだよぉ。

この後11日間のインド滞在中、あと4回、いや、最後は2日続けて通ったんだから正確には5回、私はこの空港を訪れるのだが、この時点でまだそんなことには気付かず、ノーテンキ&上機嫌のまずはインド上陸である。
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調香師のミスター稲葉と二人、インド・オーダーメイド香料視察の旅。
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(注:サイババではありません)

上々のスタートである。

後で一生恨むことになるエアインディア往路便での私の興味は、ひたすらこの前の席の紳士が寝る時は頭のかぶり物を取るのかということ。
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(トイレに行くついでにそれとなく観察したが、お休み時もこのままだった)

私のスーツケースには要注意のタグが付けられている。
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だってだって、混迷のインドだよ?

ペーパーレストイレが日常の国だからトイレットペーパー必携だと訪印経験者数人に言われ、一番暑い季節の訪問につきポカリの粉末とOS1のゼリー、9割がお腹壊すらしいからレトルトおかゆ、梅干し、蚊取り線香、エトセトラ、エトセトラ・・・
持ち物は果てしなく増え続けたんである。
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これじゃキャンプだよ。

持ち物からも図られるとおり、私は身も心もインドというカオスから武装し、身構える。
「洗ってもすぐに乾くのでTシャツ2、3枚だけの軽装で出掛けましょう」という地球の歩き方無視、バックパック1コと妙に可愛い手提げだけのミスター稲葉とは格段の差である。

もとい・・・

インドはカレーの匂いじゃない。
何冊かのおもしろインド滞在記の記載のように、猥雑な人間の営みの匂いもしない。
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香料の視察というデスティネーションを追う私たちは、結果的には香しい花の香りにいつも抱かれていたように思う。
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香料視察は3カ所。

まずはミスター稲葉がコンタクトを取って視察に漕ぎ着けたALI BROTHERSのファーム。
デリーから東へ飛行機で1時間飛んだラクナウという古都からさらに車で3時間ほどの、地球の歩き方にも載っていないカナウジという小さな村にある。

そこで出会ったジャスミン・サンバック。
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タイのポーワン・マライ(捧げものの花輪)にふんだんに使われるサンバックを見てから、長い間、一度でいいから咲き誇る場所を見たいと願ってきた花である。

この村は、まるでアリババの(サイババじゃないっす。しつこい?)の世界。
入り組んだ迷路のような不思議なロケーションだ。

インド特産のサンダルウッドに別の香りを移す「アッター」を生産する業者が集まった珍しい村である。
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村の人口の65%が香料関連事業(天然・合成含め)に就業し、25%は天然香料業に関わっているという、まさに”香料の村”である。

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外国人が珍しいらしく、小さな駅の前で休んでいると写真を一緒に撮ってくれと人が集まってくる。
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ファームではローズとサンバックのアッターを生産する季節にあたっており、見渡す限りの畑でそれらの花を見ることが出来る。
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気温は軽く40℃超え。

ファームの番人もお昼寝中。
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ミスター稲葉は土の香りのミッティーの製造過程に興味津々。
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アフガニスタンが出自の一族で経営するALI家では、さまざまな原料やアッターの製造過程を、ハンサムな次期社長が説明してくれる。

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ガイドのランジャン(彼については後述)はカナビス(=大麻)と記念撮影。
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そこじゃないって。

ラクナウから往復6時間の車移動はきつかったが、アッターの製造過程や業者の集まる村という特殊な環境を見られたのは、本当に貴重な体験だったと思う。
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ALI BROTHERS社から贈られたアッターのサンプルボックス。
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シナモン、ヴェチバー、ミッティーなど、世にも珍しいアッターたちだ。
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次に南のチェンナイ(旧マドラス)に飛んで、ALI B社のサンバックのエッセンシャルオイル工場へ。
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カナウジから同行して案内してくれたムーサ氏、ガイドのランジャンと。
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ミスター稲葉はここでチュベロースの蒸留が見られると思っていたらしく、チュベローズの最盛期は12月と言われて、ハシゴ外され状態。

まあ、インドの業者相手のメールのやり取りだけで取り付けた見学だから、いろいろお互いに齟齬はあろうと思う。

チェンナイでは、どの女性も髪にサンバックやペーパーフラワーのガーランドを飾っている。
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ガーランドは道ばたで供え物として小銭で買える値段で売られており、車のミラーに下げたり、髪に飾ったりする。

両方着けてみた欲張り者。
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朝着けた蕾のガーランドは夕方近くになると花弁が開いて、言いようもなく香しい香りをあたりに振りまく。

最後にどーしてもチュベローズが見たいと言い張るミスター稲葉のため、観光をぶっつぶしてチェンナイからさらに2時間以上車で突っ走った小さな村。(たしかバンガル村っていったっけ?)
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その村からまた1キロ以上も雨上がりの悪路を歩かなければ到達しないという畑見学をあきらめた私を村人たちが優しく迎え入れてくれる。

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アラウンド60の同年代。

村でトイレがあるのはここの一軒だけという家の奥様は、トイレを貸してくれ、一緒に写真に納まってくれ、私の両方にキスの雨を降らせて、チャイを作るよと歓待してくれる。
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(裸足で、大量の虫が行き交うインド式トイレに入るには、かなりの覚悟が要ったのだが)

まるでウルルン滞在記だなー

インド人には気をつけろってみんな言うけど、そんなことないなー

ミスター稲葉が大満足で摘んできたチュベローズのように、小さな村々の暖かさがふんわりと花の香りと共に心に広がる。
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武装してきた心をインドに解き放つ。

辺りの花の香りを両肺いっぱいに吸い込む。

そう、この時点までは・・・



NYC、おもしろがり記 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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アメリカの国内線て初めて乗ったけど、めっちゃカジュアルですね。

10:25発の飛行機に乗るのに、ホテル出発8:30。
朝の渋滞にドはまりながら、ほらみろ、ほらみろとやきもきしたが、Markじゃない超カジュアルなドライバーは、「はーい、到着。チェックインはそこね!」と私とトランクを空港入り口に置き去りにしてさっさといなくなってしまう。

そこね、と言われた建物入り口でおっちゃん一人が荷物をチェックインさせ、はいよ、とボーディングパスを渡してくれる。

あ、チェックインカウンターに並ぶとか、そういうプロセスは無いわけね。

セキュリティーを通ると、搭乗ゲートまでは両側にずらりと身体に悪そうなスイーツやジャンクフードの店がこれでもかこれでもかと並ぶ。
(ああ、写真を撮っておけばよかった・・・)
水を買うのに、思わず脇にあったチョコレートコーティングしたウォルナッツの小袋まで買ってしまう。

搭乗が始まると、みんな手に手にコーラやコーヒー、そしてこのポップコーンやスイーツ類を持って乗り込んでくるわけだ。
映画館かって。

キャビン全体が何か原宿のクレープ屋さんのような匂いに包まれる。
離陸直後に軽いランチがサービスされるにも関わらず、だ。

アメリカ、完全に豊かさの方向間違ってるよ・・・

NYのラガーディア空港までは2時間ちょっと。
それで思ってもみなかったけど、1時間の時差があるのね。


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斬新なビルが建ち並ぶシカゴから来ると、マンハッタンは都会だけれど建物が全体的に古くてヨーロピアンな感じがする。

ここで夫と合流。
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ここからはお大尽旅行だ。
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海外で行きたい場所と言った時に、唯一私と夫で一致するのがこのNY。
ウォシュレットが無いと生活できない夫と、サバイバル度重視の私では当然いつもdestinationが違うわけだが、世界一美味しいものと面白いエンターテイメントとソフィスティケイテッドな買い物が体験できるNYは、やっぱりいつ来ても何度来ても楽しいものだからだ。

そのうちの一つ、美味しいものは今回長引く胃腸炎により、泣く泣くリリース。
錦織クンだかマー君だかも常連という蕎麦屋で鍋焼きうどんなどすすりながら凌いだが、最後の晩だけアメリカンなステーキハウス、Strip House Midtownへやけっぱちで突撃。
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16oz=450g(!)のストリップ(お尻の肉)ステーキと46層のチョコレートケーキは、食べると言うより戦うという感じ。
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アメリカ、完全に豊かさの度合い間違ってるよ・・・

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顔は笑ってるけど、心と胃は泣いています。

比較的調子の良い朝は、Sarabeth's Central Park Southへ、NYで一番人気の朝食を食べにいく。
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サムライ3人、セントラルパークをゆく。

ぐんと気温の上がった土曜日の朝とあって、サラベスは8時台で長蛇の列。
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本当にふわっふわでしっとり、ものすごく美味しいパンケーキなんだけど、
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・・・5枚です・・・・

アメリカ、完全に朝食の枚数間違ってるよ・・・

でもこれは完食。
一日分のカロリー、すべてこれにて終了って感じ。



エンターティメント。

マンハッタンの向こう岸、ブルックリンの倉庫街で行われた400人のワケの分からぬガラ・パーティ。
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ボッテガ・ヴェネタのソワレは、持っていく過程ですでにウエストの飾りが末期状態。
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海外では折り畳めてピッシと決まる和服が、やっぱりいい。

面白かったのはリンカーンパーク内メトロポリタンオペラ劇場のバックステージツァー。
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90分かけて普段一般人は観ることの出来ないオペラのまさに舞台裏を見せる。
14階分あるという巨大なステージや回転舞台のからくり、衣装室、リハーサル風景、大道具の製作過程、客席、オーケストラボックス・・・。
その夜にかかっている『アイーダ』の舞台装置をとくと解説してくれるので、その夜のチケットをとっている観客にはどんなにか興味深いものだろう。
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残念ながら撮影NGなので写真が無いが、お土産にもらった大道具同士を繋ぎ合わせるMET特製のL字型の釘。
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解説が英語じゃなかったら、もっと面白がれたと思うけど。
メトロポリタンオペラ、東京で震災直後に、ゼフィレッリの「ラ・ボエーム」観たけど、その衣装や舞台の写真も見ることが出来て懐かしかった。

あー、またオペラ熱出てきたなあ。



シカゴで散々ライブハウスに行ったけど、最後はここで〆。

Blue Note New York。
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暖かい土曜の夜とあって客席は超満員。

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トランペット、サックス、ドラム、ピアノとバス。
酔っぱらって聴くというよりは、目を見開いてテクニック総見という感じ。



楽器屋さんが集まっているというブロードウェイ近くの47丁目あたりで、ドラム買うわけじゃないけど見たいなあと出掛ける。
多くの楽器店が賃貸料の高騰で移転を余儀なくされている閑散としたストリートの古いビルの3階で、看板も出さずひっそりと、しかし確実にファンを捕まえているSteve Maxell Vintage and Custom Drums。
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ものすごい量のヴィンテージドラムは見ているだけで楽しい。
(もちろん良さは分かりません)

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帰ってから先生に聞くと、よさげなヴィンテージドラムは新しいドラムとは音も値段も破格に違いがあるそうだ。

ふう〜ん。
それをカスタマイズして手に入れるところまで到達するか?私。

「ワルそうな服買いたい」
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・・で紹介してもらったビンテージレザーファッションショップで。
ロウアー・イースト・サイドにある、このTHE CASTは間口1間ほどの小さな店。
かなりコアな店だと思うが、紹介者の個人的なご贔屓か。

暴走オバサン、突っ走る。
イタイと言われない前に寸止めしなきゃ。

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定番のお土産チョコレートは、グラマシーのL.A.Burdick Chocolate Shopで。

必ず1コ、チョコのネズミが入っている。
カフェもおしゃれ。



The St, Regis New Yorkのサニーサイドアップ。
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イギリスでサニーサイドアップが通用せず、思っている目玉焼きを食べるのに一苦労するという話しは前に書いたと思うが、さすがアメリカ。
どこでもちゃんと二つ目玉のサニーサイドアップが、何の議論も無く出てくるのに一票。



久々の文明国。
やっぱりトイレや食事の衛生事情に神経を尖らせなくていいのは、その分余裕ができて楽しみが広がる。

投宿先のSt.Regisの部屋のカテゴリーは最悪で、自分で取ったならレセプションに怒鳴むところだけど、ベッドは素晴らしい。
イマドキのホテルは、薄いコンフォーターとシーツがきっちりとマットに折り込んであってもぐりこむのに苦労するが、ここは贅沢な大きさのふんわりした羽根布団が優雅にかけてあり、お姫様気分で眠れる。
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このアメリカという国、ヨーロッパよりは我々アジア人にとってのビハインド感が少なくて済む、と感じるのは私だけだろうか?

今回読んだ「アメリカ音楽史」にも書いてあるとおり、建国当初から黒人を含めいろんな人種の混交から成り立つ文化と歴史を持つ国だから、厳然とボーダーはあるのだが、異人種を無視しては何も成立しないこともよく分かっているように思う。

呼吸がしやすい国だ。
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またサバイバル旅につかれたら、来よう。
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シカゴ、春はブルースにのって [セルフィッシュ・ジャーニー]

浅い春の中にその家は佇んでいる。
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ミース・ファン・デル・ローエ作、ファンズワース邸。

飾りを極限まで削り落とした直線とガラスの箱のような家。
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外側に、荷重を支える壁は一切無い。
つまり、視界を遮るものが無い。
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プライバシー保護や断熱効果という住むための制約を排除した、その潔い最大公約数の美に惹かれて、死ぬまでに一度は見たいと願っていた家。
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シカゴ市内から車で2時間弱。

ファンデーションのHPを見ると、個人で到達するのが難しい人のためにシカゴ市内から団体、プライベート両方のツァーが企画されているが、若干時期が早いのか団体ツァーは5月から、プライベートツァーもメールで打診したところガイドが旅行中とかでこちらも不可。
http://farnsworthhouse.org

やむなく到着後ホテルのコンシェルジェと交渉して、プライベートカーとドライバーを一日チャーターする。

Good morning, Mrs. Nishijima、とやって来たのは、再びあのMarkである。
一日中1対1で話さなければならないため、スペインで夏期休暇の間は英語教師をしているという、彼の品行方正で聞き取り易い英語は非常にありがたい。

ファンズワースはもとの施主である女医の名。
彼女はどうしてこのPlanoという場所を選び、ミースにデザインを託したのだろうか。

眼前を流れる小川の氾濫によって、施主が去った後4回の洪水に見舞われるも、基金の援助で修復がその度に叶っている。
秀逸な建築は、一個人の手を離れても守りたいという人が現れる、社会の財産なのだと思い知らされる。
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よくぞこの季節に来たものだと自分を褒めたいくらい、歩き始めたばかりの春の気配の中に建つ瀟洒な家は軽やかで、ため息が出るほど美しい。
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見学は事前申込のガイドと共に、ロケーションを楽しみながら。
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碧ちゃん、ばあちゃんはやって来たよ。
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レゴブロックのアーキテクチャーシリーズでこの家を組み立てて思いを馳せる(・・・ているはず)の孫への写真を一枚。


ファンズワース邸見学後その足で、シカゴ近郊、日本でも帝国ホテルの設計で有名なフランク・ロイド・ライトゆかりの村、オーク・パークへ。
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ライトの自邸とスタジオ、彼がデザインした30ほどの屋敷とユニティテンプルを抱く、ライト設計の最大コレクション村である。
しかし、次男イチオシのユニティテンプルは改装工事中。残念。

自邸はさすがに彼独特の直線的なデザインがこれでもかと取り入れられ、見応えがある。
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窓や照明のデザインは、日本を好んだ建築家らしく、どことなく欄間の風情。
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自邸も、オークパークの町自体も本当に美しいのだが、ファンズワース邸を観た後だからだろうか、木目調の色彩がちょっぴり重い気がする。
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興奮気味に2つの英語による見学を終えて、さすがに疲れる。

穏やかに疲れをいたわってくれるMarkと、このシカゴ最後の夜は、アル・カポネの酒密売店が出自という老舗ジャズハウス、Green Millに行くことにする。
Mark自身もトロンボーンやバイオリンを弾くという音楽通だ。
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建築目当てで決めたシカゴ行きが、突如出発2、3日前の「ブルース聴いて来い」指令によって、もう一つの目的が出来たことは、前々記のとおりである。

飛行機の中でまさに一夜漬けで読んできた本は、大まかにまとめれば、ブルース→ジャズ→ビバップ→ロックンロール→ロックの流れをド素人にも分かるように興味深く解説しており、まさにその発祥の地シカゴにこれからのりこもうとする身は、飛行機のシートに埋もれながらかなり浮き足立ったんである。
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当てずっぽうに選んだホテル(”Langham Chicago”であります)がマリーナシティの隣だったことで自分的におおいに盛り上がったことはすでに述べたが、このホテル、オールドダウンタウンのループエリアと、華やかなブランドショップが立ち並ぶマグマイルの中間に位置する繁華街リバーノースにあって、周囲はライブハウスだらけという、一人で乗り込まんとするにわかブルースブラザーズにとっても願ってもない立地。

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3晩通ったどのパフォーマンスも、素人目でもレベルが高いのが分かって心から楽しめる。

今更ですが、ブルース(Blues)ってブルーノート(Blue Note=3度と7度がフラットの音階)でできた音楽ってことだったんですね・・・・


カバーチャージがどのライブハウスもだいたい10ドル前後、ワンドリンク・ワンプレートで20ドルほどだったと思うから、まあ3000円もあれば本場のブルースやジャズを聴きながら2時間近くかけてご飯が食べられるのである。

これは毎晩通うわね。

普段一人旅は慎重に、ディナーはホテルのダイニングかルームサービスで、と決めているが、ここはシカゴ、しかもホテルから徒歩3〜4分以内に、Markご推薦のライブハウスがひしめいているエリアなんである。

だいたい20:00〜と22:00〜の2部制なので、一晩に2つのライブハウスのハシゴだって可能である。
有名ライブハウス同士が、通りを挟んだ真向かいに建ってたりする。

シカゴ節ジャズはちょっと酔っぱらった脳に、実に心地良い。
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あー、幸せ。

音楽とお酒。

この二つのマリアージュは、シャンパンとオペラであっても、バーボンとブルースであっても、人生の幸福度数をかなりなレベルまで引き上げてくれると思う。

ああ、普段どおりお酒が飲めたらもっと楽しかったのに、と返す返すも悔しい。



そして、突然ですが、
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シカゴ・ラバー・ダックスの面々。

滞在中、ずいぶんなごまされました。
10羽ほど連れ帰ります。

ウィーンのオストロ・ダックのパクリかも知れないが、シカゴにはかようなレースがあり、それにちなんでいるのかも。
https://www.duckrace.com/chicago



私の大好きなものが詰まったシカゴで、唯一困ったところ。

それは食べ物がすべてものすごいビッグポーションだということ。
胃腸炎に悩まされつつ、ライブハウスでほんのツマミのつもりでオーダーしたチキンウィングが、クリスマスのローストチキン並みだったというエマージェンシーに近いハプニングも。

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お決まりの朝食パンケーキも例外無く、大。
バターパンケーキって言ってんだから、チョコレートソースかけるなって。

あ、サニーサイドアップは卵4個じゃないかって話しも出たくらいだけど、意外にフツーだった。
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夫とNYで会う前に、目一杯楽しんだ私一人のChicago。
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お別れは言いません。

また来ます。

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シカゴ、風と建築と [セルフィッシュ・ジャーニー]

ニューヨーク、ロスアンゼルスについでアメリカ第3のこの都市に、かようにも知的な印象を与えているのは、1871年のシカゴ大火後、急ピッチで進められたダニエル・バーナム(NYの名物アイロン型ビル、フラット・アイアン・ビルの設計者)の都市計画案、そしてそこに近代建築の巨匠たちがこぞって建てた美しい高層ビル群によるものが大きいのではないだろうか。
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建築家を志す次男がアメリカで最も好きな街というシカゴは、近代国家探訪にあまり興味が無い(笑)私が、ずっとずっと長い間、この国で唯一訪れてみたい場所だった。

夫と恒例のNYのイヴェントに参加する前に、やっぱり一人でシカゴに行こうと決めたのは、長年のそんな夢があったからだ。

出発2、3日前からアルコールを摂取するときゅんとしぼられるように痛む胃と腸を抱え(ウィルス性の胃腸炎にでもやられたんだろうか?)、ほとんど水しか飲まずに横になっていた11時間半のフライト後に降り立ったO'Hare空港に迎えにきたのは、ホテルのドライバー、Mark。
穏やかで丁寧な聞き取り易い彼の英語が、あー、今日から英語で話すのか、という最初のちょっと面倒くさい気持ちと胃の不快感をすっと拭い去ってくれる。

当てずっぽうに選んだホテルだったが、到着後部屋の窓からすぐ隣に、長年写真集でしか見たことの無かった、シカゴと言えばこれでしょ的な名物ビル、マリーナシティを望むに至って、私のテンションすでにMAX。
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目の前はシカゴリバー。

スーツケースの荷物をろくに解きもせずに、寝不足と体調不良でガサガサの顔をざばりと洗って、まだランチ前の街へ飛び出す。
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ミシガン湖から吹きつける強い風と内陸性気候の厳しい冬をようやく通り越し、街は春の息吹を知らせる若芽でけむるようだ。

いい天気。

そうそう、ホテルの入っているビル自体も、近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Roche)のシカゴ最後の高層建築IBMビルである。
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素人目にはありきたりのビルに見えるが(そう、ビルって中世の建築物なんかと違って、よっぽどデザインが奇抜でないと特徴が分かんないのが難点よね?)、ミースお得意のカーテンウォール(建物の荷重を直接負担しない壁。荷重は他の梁や柱で支えるため、軽やかな印象に仕上がると言われる)とアルミニウムの端正な姿は、お隣のトウモロコシ型のマリーナシティと絶妙な対比を見せている。

近年シカゴでは巨匠たちが設計した名だたるビルの一部分をホテルに改装して、空間有効利用と建築の街という観光資源啓発の両得を狙っているようだ。

次男が絶賛するAONセンタービルなんて、素っ気ない直線だけのビルに見えるが、近づくと素材の花崗岩のせいでどこか暖かい柔らかさを感じる。
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しかし、マリーナシティ。

鉄とガラスの建築が多いシカゴでは珍しい、コンクリートの造形美である。
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設計はバートランド・ゴールドバーグ。竣工は1964年。
アメリカが一番強かった時代だ。

下層部は螺旋型駐車場、その上がランドリーと居住者用収納スペース、その上層40階がアパートである。

下から見上げると、この外側へ向かってバックで駐車するパーキングが、美しいけど怖すぎる。
日本で近年アクセルとブレーキを踏み間違える事故が多発しているが、やったら一発で16階分落下、即アウトだな。

夜はヴェランダがイルミネーションで飾られ、名物建築に居住する楽しさが伝わってくるようだ。
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羨ましい。

鉄骨建築で復興を遂げてきた街らしく、橋桁や高架線が赤さびた肌を晒すが、それが決して汚らしくもなく、無骨でもなく、力強く街に溶け込んでいるのに感動する。
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この街最古の電車ループは、まるで赤錆た鉄くずで出来たTDLモノレールのように、楽しくガタガタとダウンタウンを高架線で回る。
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下は複雑な道路だ。
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街の表情はNYほど都会然としていず、おおらかで、私のような異邦人にも懐を開いてくれる。

シカゴ劇場前あたりはストリートパフォーマーが数メートルおきに思い思いの楽器をかき鳴らし、陽気で騒がしく、楽しい。

通行人を捕まえてはドラムを叩かせるオニイサンに捕獲され、ハイハットが無いセット(どっからか拾ってきたのか?)でヤマハのレッスンの成果を披露する(笑)
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レッスン料でもせびられるかと思ったが、無罪放免となった。
いいヤツだな。

この後、パフォーマンスを見物していたスーツ姿の黒人(メディカル・コンダクターだと言ってた)にナンパされる。

日本女性はマイナス10歳くらいは差し引いて頂けるんだろうが、そうだとしてもとんでもない勘違い野郎だ。

女性建築家ジーン・ギャングによる世界最高峰の摩天楼、アクア。
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有機的で、こんな美しい高層ビルってあるんだろうかと周囲を何度も巡って天を仰ぐ。

まだ一泊もしていない初日から、こんなに取り込まれる街も珍しい。




ミャンマー、春を待つ人々 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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歩いてきたミャンマーの道が記憶の中で細くなり始める頃、スーツケースの一番奥にしまい込んであった傘を広げてみる。

竹と蝋引きの布で出来たこんな美しいものが、たった400〜500円(それでもヤンゴンのこの値段は原産地の5倍だそうだ)で、猥雑な市場の片隅で無造作に売られている。

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手配した従兄が、まだまだ情報が少ない中からホテルを厳選してくれたので、有名な停電にも給水ストップの憂き目にも遭わず、(そして付け加えれば、アヤシげなローカル便を乗り継いだ割にはロストバゲージにも遭わず。これ、素晴らしい!!)快適な滞在だったが、ホテルを一歩出れば、度重なる内戦とイギリス支配、軍事政権支配に屈してきた混沌が町中に溢れている。

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ちょうど春節の初日で賑わう中国人街の活気ある路上ビヤガーデン。

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35、6℃の炎天下での生もの陳列も日常のよう。
ぐっとくる濃い臭気。

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お茶の葉っぱを煎って発酵させ、胡麻や豆類と混ぜ合わせて食べるミャンマーを代表するスナック(?)おつまみ(?)、ラペッ・トゥ。
屋台で試食させてもらったが、高菜漬けに似た味で違和感無し。

美味しいのでバガンで2袋ほど購入してみたが、パッキングが甘いためスーツケースの中で無惨にも爆発。
泣く泣くヤンゴンのホテルで廃棄処分。

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芸術的な並べ方で売っているビンロウの葉。

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中に刻んだ香辛料を包んで噛むと目が冴えると言われ、ミャンマーの人がガム代わりに噛む。
噛んでいると真っ赤な抽出液が出るらしく、歩道は噛み終わって吐き捨てられたその赤いマークが至る所にあって、はっきり言って道が汚れている。


市場は欧米人の観光客も押し寄せて、どこも大変な活気だ。
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ココナツは大事な供え物として、赤白のリボンが結びつけられるように柄を残して売られている。

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その場で調理をしながら提供するミャンマーのファストフード。

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めっちゃおいしそうなんだけど。

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前回イタい思いをしているので、今回は慎重を期して屋台フードは回避、リバーサイドのレストランのミャンマー料理に留まる。

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犬はペット用に売っていると信じたい。

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客引きのためだろうが、民芸品のデモンストレーションをする首長族。
100近い多民族が集まる国ゆえの内戦も多かったという。

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ミャンマー特産の化粧品、タナカ。

タナカという香木をすり下ろして水で溶いたもの。
商品は軽いクリーム状で売られている。
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美白、日焼け止め効果があると言われており、子どもから大人までみんなタナカ顔!
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タナカは一種の女性の身だしなみで、塗っていないときちんとした躾をしない家だと思われるんだという。
手の甲に塗ってもらったタナカから立ち上るほのかな優しい香りは、穏やかで友好的なビルマ人の人柄そのもののように思えた。


もう一つのミャンマー特産品は漆器。
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竹の器に漆を数十回重ねて塗り、その厚みのある表面に針で模様を彫った後、朱や金の塗料を被せて彫りに色を入れ込むという手法だ。

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確かに模様は繊細なのだが、塗り自体がぼってりとしているせいか、日本のつややか、かつ軽やかな漆器の洗練度には及ぶべくもない。

値段も別室展示の特別高級品でも、へたをすりゃ数百万円になる日本の漆器に比べ、数万円どまりのもの。

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民族衣装の巻きスカート、ロンヂーは、女性のみならず男子もほとんどが身に付けている。

ズボンよりもきちんとしている格があり、リクルートの面接などはみなこれで行くそうだ。
写真が上手く撮れなかったが、若いビルマ男子がキュッと上がった腰にきりりとロンヂーを巻いている姿は、着流しの腰帯のようで妙にカッコいい。

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黄金の寺、コケティッシュな仏像、キッチュな街。

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軍事政権へ警鐘を鳴らした欧米諸国からの経済制裁を2011年にようやく解かれて、民主主義へ第一歩を踏み出したばかりのミャンマーには、国を織りなす多民族の文化と深く浸透した小乗仏教が、色濃い独特のエキゾシズムとしてまだ手つかずで残っている。

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日本の影響は街のそこここに見られる。

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第二次世界大戦中に日本軍がアウンサン将軍(スーチーさんの父上)率いる国民軍に加担してイギリス統治から解いたせいもあり、他のアジア諸国が当時の日本を侵略国として敵視したのに対し、ここミャンマー(当時ビルマ)だけは日本への眼差しがどこか優しいと感じる。

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4日間、つききりでガイドしてくれたアウン(Aung)。
この時、人生で2度目のパスタだと喜んでいたっけ。

ミャンマービール飲みながら、いろんなことを話したね。

小学校だけが義務教育だが、そこにすらも子どもも通わせられない家庭が多く就学率は60%だってこと。

欧米からの経済制裁で事実上の鎖国だった時代に唯一つながりのあった中国に、現政権がいいように操られて、豊富に産出している天然ガスも市民には行き届かなくて、停電が多いこと。

燃料不足でヤンゴン市内はバイク使用が禁じられていること。
そのために市民の足はドアの無いオンボロバスだけであること。

停電というネックのために、各国のODAも開発の手を今ひとつ差し伸べられないこと。

若者の失業率が異常に高くて、大学を出た子でさえ、渋滞中の車の間を縫って水や地図を売っていたりすること。

でも、スーチーさんが軟禁を解かれて、ミャンマーは確かに民主主義という出口の明かりに向かって歩み始めたところだと感じる。

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マンダレー地元民の四男で、通信制の大学在学中にお寺で日本語をマスターしたという彼は、「101回目のプロポーズ」を観て、ミャンマー語と日本語は主語と目的語の配列が同じだと気付いたという、優秀でシャイな青年だった。

普通日本語を学ぶ外国人が苦手な漢字もほぼマスターして、日本の新聞が読めるというから驚きだ。

「あなたは101回目のプロポーズのヒロイン(誰だったかな?)に似ています」と精一杯のお世辞も言ってくれた。(多分日本人は皆同じ顔に見えるんだろう)

アウン、私、もうすぐあなたたちの時代が来ると信じている。

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お寺の参道で売られている、日本のだるまのようなラッキー・アイテム。

ミャンマーに本当の意味の幸せが訪れることを心から願う。




ミャンマー、The Strand Yangon [セルフィッシュ・ジャーニー]

旅に出て、ある程度のホテルに泊まると、朝食に必ずサニーサイドアップとパンケーキをオーダーする。
これは前述のどこかでご紹介したかと思う。

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(ウィーン・The Ring)

日本ではセブンイレブンのスイーツ系パンと紅茶だけという、本当に貧乏臭い朝食なのにである。

ひとりで海外へ行くと豪華なディナーに出掛けられないので、必然的に歩き回る必要カロリーを安全な朝食で摂ろうとするためである。

好きって言っちゃー、好きってのもあるが、どの国でもこの二つはあまりハズレが無いし、何度か海外のホテルで同じメニューを頼んでいると各国のそれを比べるのが面白くなって、よっぽど体調が悪くない限り頑張ってオーダーする。

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(タイ・サムイ島・The Library)

ロンドンではホテルによってはサニーサイドアップが通じないことも分かった。
3泊泊まってまともなサニーサイドアップは1回しかサーブされなかったホテルもある。
(帰国後英会話インストラクターに尋ねて、Sunny Side Up=片面だけ焼いた日本で一般的な目玉焼き、はアメリカ英語であることが判明)
その時の写真が見つからない。残念だ・・・

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これはちゃんと出た方。
(The UK・ロンドン・The Browns)

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(ベトナム・ニャチャン・Six Senses)

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(プラハ・Four Seasons)

サニーサイドアップは、卵料理の文化の違いもあり(生卵NG。半熟のトロトロしたのもイヤな顔される)、焼き方の上手下手、あるいは一個か二個か、ぐらいの違いで、味は塩・胡椒なのでそんなに変わらない。

でも完璧な朝食用パンケーキにはなかなか出会えない。
(流行のホイップクリームに埋もれたハワイ風パンケーキではなく・・・)

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(NYC・The Nomad )

私の顔より大きなNYCのパンケーキ、ちょっと困った。

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(ラオス・ルアンパバーン・Amanataka)

大方はこんな感じの、日本で言うホットケーキ風だ。


さて、今度はどうだろう。

先ずは最初の1泊、バンコクのThe Orientalはもうおなじみの、ほぼ完璧に近いサニーサイドアップとパンケーキが供される。
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(タイ・バンコク・The Oriental)

2種類のフレッシュ・ハニーも申し分ない。
パンケーキのふんわりした厚みが、心を和ませる。

そして、グローバリゼーションへようやく足を踏み出したミャンマーに、これはほぼ満点でしょうというパンケーキが存在したのである。

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(ミャンマー・ヤンゴン・The Strand Yangon)

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The Strand Yangon。

かつてはサマセット・モームも滞在したという、ミャンマーのイギリス植民地時代に建てられたアジアで初めての本格的ホテルである。

そのパンケーキは、これ見よがしに膨らみ過ぎていず(膨らみ過ぎているものはお腹にキツくて、あの有名なハワイの店も私には拷問でしかない)、しっとりとして粉臭くなく、バターの香りが香ばしい。

そして共に供されるメープルシロップをじんわりと吸い上げる吸収力。
そしてパンケーキ自体は、あくまで羽二重のように軽やか。

完璧である。

The Strand Yangon。
いったい何もの。

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混沌としたヤンゴン市内の中にあって、その周辺だけはイギリス統治時代の穏やかな町並みが広がる。

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特に希望したわけではないのだが、手配した旅行社を営む従兄は、私の好みを十二分に承知した上で、ヤンゴン滞在をこのホテルに決めたのだと思う。

2015年度版地球の歩き方・ミャンマー(ビルマ)にては、「有名だけれどスタッフの対応が悪い」と酷評されているが、まあ、長らく鎖国状態にあってようやく動き出したキャピタリズムの精度としては、このくらいがせいぜいであろうと思われるスタッフの対応である。

バガンの不便なwifi事情をかいくぐってようやくアップしたFBの、「I'm in Myanmar now.」に、普段知らぬ存ぜずのベトナム在住の次男が即座に反応、「僕も明日からミャンマーです」。

彼がホーチミン市からヤンゴンに到着する日と、私がバガンからヤンゴンに戻る一泊だけがリンクすることが分かり、ホテルでアメイジングなディナーとなる。
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血の繋がった家族でありながら普段離ればなれに暮らして、何年も会わないこともある。
そして世界には2百近い国があるというのに、この一夜だけ同じ国の同じ市内に滞在すると言う偶然。

メインダイニングのメニューにハンバーガーやピザが並ぶかなりカジュアルダウンな品揃えも、呼ばねば来ない地球歩き方相応のスタッフの対応も、前述のように環境を考えれば仕方がないこととしよう。

それよりも完璧なパンケーキと、滅多に会うことのない(去年は図らずも夏にサムイ島で会ったばかりだけれど)次男と計画もせずに会えたことで、このホテルは私の迷える人生のランドマークとなってくれるはずだ。

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人生って、旅って、本当に素敵だと思う。

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ミャンマー、金色の仏像 [セルフィッシュ・ジャーニー]

美しさの基準は、それぞれ地域のカルチャーや信仰によって異なるものだということは分かっていても、東南アジアの仏像や寺院を見る度に、ある種の違和感は感じ得ずにいられない。

だって・・・金ピカ[ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)]

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昨年秋に訪れたラオスのビエンチャンでも、あまりの輝かしさに度肝を抜かれた寺院の金ピカぶりであるが・・・
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[ぴかぴか(新しい)]ミャンマーのそれは群を抜いていたんである[ぴかぴか(新しい)]

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無数のお札が寄進されている縁結びのご利益があると言われている像に、頭の中は「?」マークいっぱい。
(チップにしか見えないのは私だけ?)

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バガンの夕日の象徴、ブー・パヤー。

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背後にネオンを背負った仏像も数多く。

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身につけた宝石が盗まれるのを防ぐため、リボンが飾られた檻に入ってもはやご本尊が見えない状態のものも。

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バガンを代表する仏塔、シュエズィーゴォン・パヤー。

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ヤンゴンのシグネチャーとも言うべきシュエダゴォン・パヤー(すみません。何度聞いても上記シュエズィーゴォンもシュエダゴォンも区別が出来ません・・・難しすぎる、ミャンマー語)は5年に一度金箔を張り替えるという壁面リノベーション中で、まだおとなし目。

貼る金箔はすべて信者からの寄進によるもので、仏塔の壁面に貼るためには、
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地上のここから出発。

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旗が翻る晴れやかなケーブルに乗って(白いパラソルの下に金箔様ご乗車)、白い雲の浮かぶ天国と見まごう受け取り口に吸い込まれていく。

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金箔だけでなく、仏像も信仰熱い信者から寄進されることが多く、境内に設置しきれなくなるとここに集合させられる。
(せめて同じ方向を向かせて置いたらどうだろうか・・・)

まるで遊園地のアトラクションを見るようで、ミャンマー人の厚い信仰が、侘び寂びの鄙びた仏教に慣れ親しんだ日本人には、一種のポップカルチャーにも思われる(すみません・・・)。

そうそう、百歩譲って金ピカは置いておくとしても、釈迦像のお顔のクドさぶりは何とかならないもんだろうか?
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全長70mの寝仏(涅槃像と違って目が開いているので、生きている釈迦の像だそうだ)、子どもだったら夢でうなされそうなスゴさである。

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こちらのお顔の表情はビミョー。

日本との違いは、アウンの言うように、大乗仏教、小乗仏教という括りで解析していいんだろうか?


・・・とはいえ、どの寺院や仏塔跡の境内でも、ラオスの橙色とは違った深い朱色の袈裟を纏った敬虔な若い僧侶の姿はよく見かける。
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カメラを向けると恥ずかしがって視線をそらす、年若い見習い僧たち。

ほっそりとした姿態にまっすぐな黒髪が美しいビルマ娘の祈る姿。
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深いグリーンのロンヂー(ミャンマーの民族スカート)は、高校生の制服だそうである。
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信仰に支えられた寺院が、市民の心の拠り所として確かに存在していると感じる。

国民への電力の供給率は都市部のヤンゴンでさえ30%程度で、停電は日常茶飯事。
(今回は自家発電のあるホテルに宿泊したので不便は感じなかったけど)
国民は失業と貧困にあえぎ、中国にいいように操られて民衆の味方になってくれない現軍政府に相当な不満がある。

なのに、この仏像の電飾や金箔や宝石はすべてその民衆からの寄進だというから驚く。
自分たちは食うや食わずの生活をしながらも、お寺に功徳を施せばきっと素晴らしい来世へ招かれるという根強い信仰があるかららしい。



かたや爆音をたてて疾走してきた資本主義に席巻されて、いつか信仰という心の手綱を緩めてしまった日本。

信仰が一種の道徳観や正義感をコントロールして秩序を保つ役目を担うとすれば、私たちは何か大きなものを失くしたのかもしれないとも、ミャンマーを見て思う。





ミャンマー・ バガン、夕日が佇む村 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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Good Morning, Myanmar!

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パゴタがはね返す朝陽がまぶしくて、ロビン・ウィリアムスのように叫びたくなる。




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人種と色彩が氾濫するバンコクからヤンゴンへ飛ぶ。

日本からミャンマーへは、第三国というワンステップを踏まなければ入れない。
空路でも、陸路でも、そして国交的にも、文化的にも。

アクセスは限りなく悪い。

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しかしバンコクの喧噪から1時間半飛べば、そこは時が止まったかのような密度の低い埃の匂いの国。

ヤンゴン国際空港でガイドと落ち合い、さらに国内線でビルマ時代の古都バガンへ飛ぶ。
バガンでガイドは見つからないので、ヤンゴンから航空運賃を支払って連れて行くことになる。

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卸売り市場の倉庫にただ看板を下げたかのようなヤンゴンのドメスティック・ターミナル。

床が抜けそうなプラペラ機、エア・バガン。
何年落ちの中古だろうか。
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席は自由席。
まるで乗り合いバスのように、途中の空港で着陸しながら乗客を乗り降りさせる。

これなら出さなくていいよ的なチープな機内食をそれでも出すのは、ついこの間までの事実上の鎖国状態から、何とか資本主義へ浮き上がろうとする民間企業の必死さの現れだろう。
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どろんとした昭和のご馳走バタークリームケーキに、身も心も戦闘状態になる。
ギアを攻めにシフトしないと、途端に自分が淘汰される地域に入ったということだ。

バガンは南北に細長いミャンマーの中央山脈の間を流れるイラワジ川の平野部に位置する、ビルマ族による史上最初の王朝が開かれた土地だ。
乾いた草原に数千ともいわれる赤土色の寺院やパゴタが点在する、考古学的にも観光的にも貴重なビルマ遺産である。

まず目を奪われるのは、灌木の低地に無造作に存在するそのパゴタ(仏塔。信者が建てて寄進する)の数である。
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その中に、同じ素材の美しい寺院が入り交じり、今まで見たことも無いような景観を作り出す。
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カンボジアのアンコールワットやタイのアユタヤでまとわりつく廃墟にありがちな負のパワーを感じないのは、今も信仰に支えられてリノベイションのアップデートが続いているからだろう。
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ガイドのアウン(スーチーさんと同じ名)は、一日でいくつの寺院を回れるか記録を打ち立てようとするかのように、正確で詳細な説明をまくしたてながら還暦に手が届こうかというオバサンを、35、6℃の炎天下連れ回す。
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彼によると、作られた時代や建造を命じた王様によっても、寺院はそれぞれ違った様式を持っているらしいが、同じ赤レンガ作りで、美しいレリーフの列柱を持った寺院は、正直違いがよく分からない。

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(上記全部違う寺院です)

きついよー、アウン!

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でも、きれいだー。

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金ピカなタイやラオスの寺院が琴線に触れないので、このクメール調の土臭さにシビレる。

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資本主義のほんの入り口に立ったばかりなので、目立った観光客目当てのお土産が何も無い国だが、私だったらこのレリーフを模したクッキー作って売り出すわね。
クリスマスのへクセンハウスのように、組み立てると美しい寺院になるとかね。

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ビルマ人独特の彫りの深い顔立ちの女性たちが、献花用の白い花を参道で売る光景も美しい。

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寺院は土臭くても、やっぱりお釈迦様は金ピカ。
昨日バンコクの市場で100バーツ(=300円)で買ったコットンのスカーフは、埃よけに。

金ピカ仏像の笑ゲキ映像は次回に回すとして、バガンが最も美しく映えるのは日没前のまさにハッピー・アワー。
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赤レンガのパゴタ群が、その色を際立たせる瞬間だ。
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こんな風景、見たことが無い。

心はすっかりバガンに奪われて、バガンの中では特別豪華だという(それでも、なんちゃって)ロッジのベッドにもぐり込む。
自家発電が整備されているホテルらしく、お家芸の停電も無し。

停電対策の小型ソーラーパネルに、電気を喰うドライヤー、ホットカーラー、電気ケトルという矛盾だらけのスーツケースの中身をじっと見つめる。

Good Night, Bagan・・・・

夢を明日へ繋ぐ。

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香港、年末年始かけある記 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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明けましておめでとうございます。

年末年始、普段クリニックを離れられない夫が休みが取れそうだと言うので、急遽「手っ取り早い海外」ということで、香港行きを決意する。

この前に香港へ行こうと思ったのはほぼ4年前。
3月中旬に一人でのんびりショッピング・スパ三昧という脳天気な計画は、その3日前に東関東を襲った大震災であえなく消えた。

普通なら航空券・宿泊費ともほぼ全額がキャンセル料にあてられる日程ではあったが、あの時は全世界が日本人旅行者に対し特別措置を適応、全額がすぐに返還され、そのままそれは東北へのドネイションとなったこと思い出す。

まだ4年経たないのに、あの時の心細さや節電の日々を遠くへ追いやってしまった自分の生活を反省しつつ、走りに走った2014年を成田の滑走路に残して、縛った心を解き放つために暖かい香港へ降り立つ。

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名物のビル群。

何度来ても思うけど、やけっぱちな高さである。
メンテナンスとか、ゴミ出しの不便さとか、考えてる??

しかも、ビルの林の根元は猥雑な街が大量の人間を含んで膨張し、そのはち切れんばかりの平面の密度と経験値を遥かに越えた高さの、歪んだ3Dが感覚を狂わせる。
町歩きは軽い目眩を伴ってかなり困難だ。
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町中に流れるスターアニス(八角)の匂い。
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ウワサどおり、スーパーは日本の食品だらけ。
わざわざ買って帰ることも無いと思う。
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時折裏路に入り込むと、ほっとできる空間があったりする。
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アンティークショップの多い上環、キャットストリート沿いのカフェ。
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綺麗なトイレに巡り会うためにも重要。

「タクシーでいいだろ」という夫の意向は即座に却下、オクトパスカード(日本のsuicaのようなもの)をゲットして地下鉄で半島と香港島を行き来する。
ホテルのあるチムシャツォイから島側の中心地中環(セントラル)までものの5分だ。
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夜景もまた強烈。
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群衆とビルと人工の光。
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ホテルの部屋から望むビクトリア・ハーバー。
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返還後に訪れた6〜7年前の香港ではおいしい料理に全く出会わなかったので、意地でチャイニーズレストランを何軒もハシゴする。

上海料理はアワビにこだわる。
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気仙沼も震災からようやく回復しつつあるのだろうと思う。
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(気仙沼産の乾しアワビだった)

同じようなもんだろと思ってオーダーしてみたナマコは、夫婦でギブアップ。
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ビジュアル的に悪過ぎ。

最後の最後の晩餐でようやく美味しい店に出会う。
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汗の出る美味しさ。

ステイは香港の顔、ペニンシュラホテル。
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ニューイヤー・イヴはホテルでセレブレイション。
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全館が白と金色のデコレーションで楽しい。
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ニューイヤー・イヴ・ディナーは、男性には金色のハット、女性には白の羽飾りが配られ、それを装着するゲスト全員に統一感が生まれて、カウントダウンへの雰囲気を盛り上げる。
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スタッフもゲストも点滅するペニンシュラ・ベルボーイのピンを胸につけて。
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こたつでおそば、紅白という日本の大晦日とは180度方向性の違う盛り上がりよう。
ホテルの全力出し尽くした趣向が素晴らしい。

日付の変わる20分くらい前になると正面玄関前に出るように言われ、ホテルのゲストと街を歩く人々が一緒にカウントダウンのセレモニーに参加する。
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沿道はものすごい群衆である。
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日付が変わる。
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ビクトリア湾に無数の花火。

2015年はどんな年になるのだろう。

確実に増えつつある自然あるいは人的災害を、人知で食い止めることができる年になるだろうか。

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本年もどうぞよろしくお願いいたします。

自宅、ロストバゲージ [セルフィッシュ・ジャーニー]

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台風一過、涼やかな秋の月である。

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一時はもう会えないかと思った子たちを一匹ずつ(ウサギは一羽って言うんだった)養子に出すのはちょっと寂しい。

まさかまさかのロストバゲージである。
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1年に何度海外に出るかわからないが、そのアクシデントには一度も出会ったことが無い。
(ニースからパリへのドメスティックで、一度、到着はしていてもバゲージクレームに載ってこなかったことはある)
マダガスカルでツァー3分の1のメンバーの荷物が積み残された時も難を逃れた組。

なのに、ここでか。

強運も尽きたってことか。

ルアンパバーンからバンコク経由で羽田に着いたが、着いた時点で地上スタッフが「N島様、お荷物は載っておりません」と近寄って来る。
なんかこれって、知らなかったのは自分だけみたいで、とってもイヤ。

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バンコクにもスーツケースは到着していなかったようで、つまりルアンパバーンから別便に載せられてハノイか、シンガポールか、その辺に行っちゃったらしい。

これが往路便だと、ただでさえ日常と違う不便さを感じる海外で悲惨だろう。
帰国便でまだよかった。
汗だらけのTシャツやパンツしか入ってないし、ラオスで買ったものの値段なんてたかが知れているし。

ただ心配なのはスーツケースに入りきらなくて手荷物のPCのクッション代わりに入れてきた6コ以外と、あのヴィンテージのモン族のスカートである。

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6羽のサヴァイヴァーたち。

これと言ってラオス的なお土産が見つからなかったので、普段お酒なんて海外で買うことは無いのに、メコン川沿いの蒸留村で12本も度数50度以上というラオラーオ(ラオスの餅米で造った焼酎)を買っていたから、それが割れたら、強いアルコールで布類の染色はあっという間に落ちることが懸念される。

ロストバゲージのスーツケースは確認のため解錠されるらしいから、中に詰まった10何羽のウサギを見て、漂着先の空港のオジたちはどう思うんだろうなあ。

ほら、よく映画にあるじゃないですか。
ぬいぐるみをさーっと引き裂くと中から白い粉・・・ってシーン。

いろんなことを私に想像させて、帰国から3日めに、スーツケースは世界のどこかを回って単独帰宅。
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見慣れた汚いスーツケースだが、心からお帰りなさいと言いたい。

行った先々のアマンリゾートがその度に付けてくれるネームタグがこれでもかと付いているので、確認するまでもなかったのか、解錠された形跡も無し。
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ラオラーオは割れてはいなかったが、ボトルの造りが甘いので、くるんだ新聞紙を透過してまたそれを包んでいた洗濯物に染み込み、ちょうど良いアルコール消毒になったかも。
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もう半分くらいになっているボトルも(笑)。

ヴィンテージスカートやヤオ族の帽子など、値段は大したことが無くても私個人にとっては二度とお目にかかれないかも知れない布たちは、必ず持ち歩くビニールの緩衝材に包んでいたため、難を逃れる。
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日常生活で遭遇したならきっと、相当腹が立つはずのロストバゲージ。

マダガスカルでは、そのためにスーツケースの中の貴重品が紛失している例も聞いているので、呑気なことを言うのは避けたい気もするが、これもひとつの非日常。
旅が日常を脱出する目的ならば、ロストバゲージに遭遇してしまったために考えたり想像したことも、目的達成の血となり肉となる。

一つの空港を毎日何万個、何十万個、何百万個の荷物が交差して行過ぎていくのか分からないが、大きなハブ空港であるほど、それぞれが間違いなく持ち主と同じ飛行機に積まれていくのは、考えてみれば凄いことである。

どんなに◯士通の物流技術をもって管理しても、やっぱりいくつかは抜け落ちるだろう。
まあ、今回は小さなバス停みたいな空港での手作業仕分けが災いしたみたいだが。

やはり身から離す持ち物については、ある程度の覚悟はすべきだ。
往路なら必ず一泊分の必需品は手荷物に入れることだ。
そして、無くなったら困る貴重品はやっぱり自分の身から離さずに。

当たり前のことだが、再確認する。

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何も無ければただのお土産でしかないが、アクシデントをくぐり抜けて来たものだと思うとより愛おしい。

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夜になると10センチほどのムカデ(?)が庭から何匹も侵入してくるので、シトロネラを含ませたテッシュをドアの下に詰め込み(ドアは4カ所あった)、しまいには自分がそのニオイにやられて頭痛がしたのも、今はいい思い出だ。

初ロストバゲージを含め、貴重な旅行であったことは間違いが無い。

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(Amantakaのアメニティたち。毎夜のターンダウンの際にベッドの上に置かれている)

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See you soon, Laos!


ルアンパバーン、何食べる? [セルフィッシュ・ジャーニー]

海外へ行ってきたと言うと、必ず「ご飯どうだった?」的な質問を受ける。
これ、一番苦手である。

日本に居ても積極的においしいものを食べに行こうと思わないヒトなので、ましてや衛生事情が立ち行かない発展途上国に、しかも一人で行った時にはカンペキ守りに入って、ほとんどの食事はホテルで定番の朝食をガッツリ食べて必要カロリーを摂取し、あとの2食は、ワインかビールを飲みながらつまむ程度である。

部屋で寝転がりながら持ってきた煎餅類をポリポリしながら現地ビールを飲むのは、一人旅の幸せそのもの。
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ビア・ラーオは、ロゴデザインが土産物用Tシャツにプリントされて巷にあふれており、飲み物というよりはラオスのアイコン的存在?

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Amantakaのダイニングでは、私が夕刻テラス席で飲んでいると、ガムランの演奏者がたった一人の日本人客のために「上を向いて歩こう」を奏で始める。
他のレパートリーは無いらしく、毎晩上を向いて歩いてた。

欧米人の多い町中には、街並みに溶け込むようなレトロなカフェや高級フレンチレストランが点在する。
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メコン川、カーン川の岸辺には、テラス席を設けたカフェやカジュアルレストランが並ぶ。
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この佇まいが外国じゃないとFBで揶揄されたブーランジェリーだが、ガイド君によればルアンパバーン一おいしいバゲットを売る店である。

なにしろかつてフランスの統治下にあった場所である。
フランスパンがおいしくないはずがない。

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フレンチビストロ、アンプチニ(Un Petit Nid)。

建物は1854年に建てられたフランス風の家屋。
濃いクリームたっぷりのラテとバゲッドサンドでランチ。

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一段高い表通りを行き交う人々を眺めながらのテラス席は、何時間でも座っていられそうだ。

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高級フレンチレストラン、エレファント(L'elephant)の姉妹店で、カジュアルなキッシュやピザが食べられるカフェ・バーンワットセーン(Le Cafe Ban Vat Sene)。

一人で贅沢なフレンチを食べる気もさらさらないので、やっぱりこちらで。

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そこでパッタイ(タイの焼きそば)かよ!と突っ込まれそうだが、きりりと冷えた白ワインと穏やかな味のライス・ヌードルは、結構マッチする。


本当に貧弱なご飯レポートで申し訳ない。

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・・・で、なんていう店だよ?
ルアンパバーンで唯一見かけた日本語表示だが、自分の店の名を日本語で書けていないのが失敗。

このカオ・ピャック(鶏の出汁のスープで、コメの麺を煮込んだもの)食べてみたかったが、簡素な店の佇まいが、普段よりレベルが引き下げられた心の警戒信号を発令させる。
何しろ、前回が悲惨だったので・・・

店や民家の軒先には、凝った鳥かごが吊るされ、並べた色とりどりの布地と相まって実に楽しげだ。
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シンを売る布ブティックはそこここに。
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店員さんも皆シン・スタイル。
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カフェの前の小学校の女の子たちもシン。
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ヴィエンチャンでお嬢様学校の前を車で通りすぎた時、ちょうど下校時だったのか、白いブラウスに紺色の裾模様が入った真っ白なシン、髪をまとめるリボンも全部おそろいでブルーという少女たちの美しさに息をのんだ。
あっという間に通り過ぎて、写真が取れなかったのがとっても残念。
その清楚な光景が目に焼き付いている。

駄菓子屋の前のラオス犬。
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不機嫌そうである。

お菓子と言えば、どこにでもある土産用のスイーツグッズ、ラオスには皆無ですので、ばらまき用のお菓子を買いたい方は、心して出かけてください。

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どこかヴェトナムのホイアンにも似たレトロな町。

中国、ヴェトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーに挟まれて、ラオスに海は無い。
ドメスティックの小さな飛行機から見下ろすと、もう切ないほどの滴るような緑の山、山、山・・・

海運の恩恵にあずかれないということが、この国の発展の歩みのスピードを限りなく遅くしたであろうことは想像に難くない。

周りの国から染み出すようにじわじわと流れ込んでくる異文化と、奥深い森林の中に点在する少数民族の文化とのミックスが、スローで独特の雰囲気を作り上げる。
その象徴のような町、ルアンパバーン。

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都会の喧騒から逃れて、その湿り気のある濃厚な懐かしさの中にしばし身を置いていたいと思うのは、私だけではあるまい。






ルアンパバーン、ラオス・ブッディズム [セルフィッシュ・ジャーニー]

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病院だった面影がそこここに感じられるAmantaka。

日本では仏花としてしか使われないシンボルフラワーの白い菊が、そこに流れる静謐な時間を際立たせて美しい。
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さて、白菊が日本の仏前の供花なら、ラオスのそれはマリーゴールドである。
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花の色が袈裟の色と重なる。

熱心な仏教国である。

見所はタイなどと同じく仏教寺院となる。

ヴィエンチャンでもそうだったが、屋根の美しさに特徴がある。

半島型の地形の突端にあるシンボル寺院、ワット・シェントーン(Wat Xiengthong)。

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圧巻の大屋根。
大胆なラインを描く「ルアンパバーン様式」。
ラオスのすべての寺院の中で最高の美しさなんだという。

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マテリアルはやっぱりレンガ。

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ラオスの寺院独特の入り口の形は、中から見ると一幅の絵が現れるようだ。

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本堂をちょっと離れた境内の庭には、鶏が闊歩し、オレンジ色の袈裟が洗濯されているのが、妙に心和むフツーの風景。


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国立博物館に隣接するワット・マイ(Wat Mai)。

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檀家が寄進した大小の仏像が所狭しと置かれ、ご本尊の前にドンともっと大きな寄進像が置かれたりしているから、本像を拝むには後ろに回らないといけない。

このへんがラオスのユーモアなんだろうか?



早朝にはラオス全土で最も盛んだという僧侶の托鉢の風景が見られ、観光の目玉にもなっている。
橙色の袈裟を纏った僧侶が喜捨を求めて町を練り歩く風景はエキゾティックで、欧米人ならずともこれは結構感動する。
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ホテルの計らいで托鉢風景を見学するだけではなく、実際に喜捨させて頂く。
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お坊様に差し上げるのは、蒸した餅米。(・・・でなくてもいいと思うが)
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これを小さく片手で丸めて、お坊様が持っているボールのようなものに入れて差し上げる。
次から次へやってくるので結構忙しいし、熱くて手が火傷しそう。


ホテルが用意したメコン川クルーズも、一応のデスティネーションは川を20数キロ遡ったところにあるパークウー洞窟(Pak Ou)の仏像群。
青の洞窟始め、ベトナムのハロン湾とか、船で渡る洞窟って観光の目玉になりがちだが、正直言って何がおもしろいのか私はよく分かりません。

マダガスカルの海戦以来、ボートにトラウマがあるが、とりあえず出掛けてみる。
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Amantakaが用意したクルーズ船は、マホガニー張りの豪華船。
制服着用のガイド兼バトラー君付き。
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これならお尻は大丈夫でしょう。

洞窟は想像どおり。
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ラオスでは信心を表す方法として仏像を寄進する習慣があるらしく、寺院もそうだったが、ここも溜まりに溜まってこの数。
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それが一種の奇観になっているわけだが、よくまあここまで持ってくるものだ。
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ご本尊の前は、仏教に関係ない欧米人ばかり。(・・と私)
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一応拝みました。

洞窟はともかくとして、川風に吹かれながら白ワイン飲んで、ガイドのSouk君が語る夢を聞いているのが楽しい。
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プライベートスクールで英語を学び、Amanatakaのボートガイドをしながら、プラクティス、プラクティスで会話に磨きをかけているという。
将来は政府公認のガイドライセンスを取って、ラオス一のガイドになる、と熱く語る。

片道約2時間のクルーズの途中で、ラオスの焼酎ラオラーオの蒸留村に寄る。
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ご本尊拝む前後にこんなに酒浸りでいいのか、信者さんたちに怒られないか、プログラム組んだAmanatakaよ。

子どもの落書き?じゃない。餅米の蒸留方法解説。
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わー、こっち見ないで。
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ねえ、こっち向いて。
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村にはやっぱり織物も売られている。
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7ヶ月だというお嬢様と私を見て尻尾を振ってくれた親しげなワンコに免じて、アルコール度50度のラオラーオ小瓶12本購入。
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ラオスにはマダガスカルと同じように、観光客に売りつける第二次産業のプロダクツが布以外はほとんど無い。
どの国にも空港にはお寺の写真貼ったチョコレートくらいあるってもんだが、そういうものも皆無なので、お酒なんて海外で買ったことが無いのだが、ラオラーオ大人買い。

これが後々大変な裏目に出るのだが、その辺は、以下次号!




ルアンパバーン、時間を織る町 [セルフィッシュ・ジャーニー]

ラオスには布が溢れている。

今まだ第一次産業中心の国で主な加工品が他に無いせいかも知れない。

装うための布は女性の一番の関心事で、その情熱が複雑な織物や染色技術を発達させる原動力となるから、どこの国へ行っても独自の美しい布が、何を置いてもまず、存在するように思う。

いつ頃だっただろう?
そして誰の写真集だったのだろう?

ラオス北部の山岳に住むモン族(Hmong e.g.)のプリーツスカートを見たのは。

藍染めの生地に細かいプリーツを畳み、そこに真っ赤なアップリケやチロリアンテープのような刺繍を施した、一目で非常に高度で凝った手仕事だと分かるそのスカートは、現代のファストファッションの中に生きる私の目に、強く焼き付いたものだ。

村の女性が一針一針思いを込めて縫い上げたであろうそのスカートの、一見無作為に見えながら相対的に実に美しい調和のもとに仕上げられる、そのセンスに痺れた。

ほとんど毎年のように訪れるタイの、バンコクの町中や空港のショップやチェンマイの市場で、たまにその独特の布の端切れのようなテキスタイルで作った小物やなんちゃってスカートに出会うことはあっても、本物は見たことが無く、かといって一番出会えるチャンスが多いはずのラオスまで出掛ける勇気も無く、10年以上が経っていると思う。

今回、従兄に勧められてラオス行きを即決した心のどこかに、このスカートに出会えるかも知れないという期待があったことは確かだろう。

果たしてそのスカートはそこにあった。

細長い麻布をろうけつで藍の色に染め、3段につないでプリーツを作り(これが手仕事でどうやるのか分からない)、刺繍やアップリケを施す。
麻の栽培から始める約10工程を10ヶ月〜1年かけて作り上げるものだ。
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一枚一枚もちろん違うデザインで、最近はその認知度と平行して機械織りや新しく量産したものも出回っているようだが、ヴィンテージに出会うことは本当に難しい。
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(ルアンパバーンの織物ブティック、Ock Pop Topで)

着る人の身長の3倍以上の長さの布を使ってなお大量のアップリケや刺繍が施されているので、実際に着用するにはかなりの重さである。

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これはナイトマーケットに並んでいた1枚100バーツ(ラオスの通貨はキープだが、USドルやタイバーツが普通に流通している)ほどの、あかりちゃん用。
実用的なのはこっちのほうだろう。

なかなかこれも可愛くないですか?

社会主義革命後、ラオスの各地から少数民族がビエンチャンや大きい都市に移動し、その時に持ち込まれた部族独特の織物は、彼らが混乱期の中で生きるために手離された。
ビエンチャンのラオ族の都会的で豪奢なシルクの織物とは違った、力強い彼らの綿や麻の織物はとても印象的で、ビエンチャンの織物市場に衝撃を与え、在ラオスの外国人やタイの布バイヤーが二束三文で大量にそれらを買って行ったという。
(チャンタソン・インタヴォン著「ラオスの布を楽しむ」参照)

多分そのあたりで、私が見た写真集は作られ、本当の持ち主の部族の手から離れた宝石のような布たちは錬金術の生け贄となって、ラオスから散逸していったのだと思う。

多くの寺院から持ち去られた仏像や価値ある遺跡の多くが、イギリスやフランス、アメリカなどの大国に今あるように、やっぱり一番いいものは強い者の手中に落ちる。
小国はそれをただ見ているしか無い。

ラオスやカンボジアで肌で感じる哀しさは、きっとそんなところにあるんだろう。

布に話しを戻すと・・・

ラオスの至る所で見かける様々な布は、国を形成する多種の民族ごとに特徴があり、それはまさに部族がが織り出す複雑な力模様そのもののようだ。

ビエンチャンのラオ族の布は、シルクで薄く、機織り機で繊細な模様を浮き彫りにする。
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仕事場を見学したり、ショップにも立ち寄ったが、やはり素材がシルクなのと、パターンが機械的で(複雑な手織りではあっても)何だかテーブルセンターっぽく(失礼!)、日本の日常で身につけるものとしては難しいと感じた。
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しかし、市内の主にコットンの織物をコレクションしたブティック、インディゴ・ラーオ(Indigo Lao)で状態の良いモン族のあこがれのヴィンテージスカートに出会う。
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ラオトゥン族(Lao Theung e.g.)のシン(ラオスの一般的なスカート。幅70センチ前後の布をただ大きな輪に縫い合わせたもので、ウェストに合わせて折り畳んで留める)と合わせて、長年の思いをスーツケースに入れる。
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世界遺産となったルアンパバーンでは、押し寄せる観光客目当てに様々な布ブティックが集結し、各地の織物が見られるが、少数民族のコットンの織物が多い。

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オークポップトック(Ock Pop Tok)はヴィンテージのコレクションと伝統デザインを基調にした高品質のテキスタイルが手に入る。

タイルー族(Tai Lue e.g.)の藍のシンを買ってみる。
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やっぱりこの方が実用的だ。

西陣織と結城紬のように、布の棲み分けってどこにでもあるんだな。

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ルアンパバーン郊外の織物の村、バーンサーンコーン(Ban Xangkhong)では、コットンの染色と手織りを見学できて、ブティックもある。



メコン川とその支流ナムカーン川が分かれる間の半島のような土地に開けたルアンパバーンは、ヴィエンチャンに首都が遷される前の、王国の都があった場所。
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山あいで交通が不便だったのが幸いしてか、王国やフランスの植民地時代の面影が色濃く残り、1995年その町並みは世界遺産に登録された。
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その町で新たな保護のもと、かつては食料を手に入れるために手放したラオスの少数民族の貴重な布が紡がれ続けていくことを心から願うし、彼らがその技術をもっとカジュアルに生かして経済的な充足を得るために、あのナイトマーケットなどは本当に必要なものだと思う。
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ルアンパバーン、Amantaka [セルフィッシュ・ジャーニー]

社会主義国である。

ヴィエンチャンからルアンパバーンへのドメスティックの空港を見た途端、ようやく気が付いた。
なんかやっぱりこの国について無知である。
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普通、空港というとこれから旅立つ高揚感やビジネスへの意気込みに満ち満ちて華やか、にぎやか、晴れやかな感じがするものだけど、そのどれもが無い。
ハノイの空港の薄暗さだ。


1975年、ラオスは650年続いた王政が廃止され、社会主義国となった。
(地球の歩き方より)

ルアンパバーンの町を案内してくれたガイド君によると、最後の王族は社会主義者によって処刑され、何人かの子孫だけがアメリカやフランスに渡り、今を生き続けているそうだ。

カンボジア、ヴェトナムと並んで元仏領インドシナであった3国の中で、最も認知度が低いラオス。
ヴェトナムはかのヴェトナム戦争、カンボジアはポルポト政権の大量虐殺という負の知名度があるが、ではラオスが忌まわしい過去が無かったかというと決してそうでは無い。

南北に長いヴェトナムの西側にほぼ平行に位置するラオスにはヴェトナムの北と南を結ぶホーチミンルートがあるため、アメリカがヴェトナム戦争時に投下した爆撃の量はヴェトナムよりラオスの方が多いと言われ、今でも不発弾が多く残り、犠牲者が毎年出ると言う。
(ガイド君の英語の説明なので、聞き取れていないかもしれません。あしからず)

加えて何度かの内戦があり、ヴィエンチャンの記事で書いたように、多くの建造物や文化遺産が破壊された。
それを修復したり、不発弾を除去したりする作業は自国では追いつかず、日本を始め先進国のODAが現在も多く関わっているそうだ。
埼玉の隅で私がちっさくのたうち回っている間に、偉い仕事をしている人が日本にも沢山いるもんなんですね。
(だから日本からのVISAはタダなんです、と彼は言ったような気がする。間違いかもしれません)

ま、そんなわけで話しを戻すと、ラオスはヴェトナムと同様社会主義国家なんである。
だから空港が素っ気ないんである。(こういうまとめ方はよくないですね。もっとシリアスな問題です)

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体重計(?)でバゲッジの重量検査。

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ビジネスのラウンジに至っては、TVでよく見る北朝鮮のようなインテリア。
(45分のフライト、ビジネスは一人だけ。あたりまえか・・)

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供されたお茶菓子は昭和のニオイ。喉を通過させるのがやっと。

やるなあ、Lao Airline。
雰囲気満載だ。
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優先搭乗者の中にお坊様が入っているのが特徴的。
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ほぼ1時間のdelayで出発した機の眼下にオレンジ色の大蛇のようなメコン川が見えてきて、あっという間にルアンパバーン到着。
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宿は今年2度目のアマンリゾート、Amanatakaである。
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ルアンパバーンの景観保護地域をややはずれたところに位置するラオス初めてのアマンリゾートは、元は病院だったという広大な敷地の中に、その雰囲気を十二分に残した静謐な佇まいを魅せている。
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穏やかで控えめなラオスの風土にぴったりマッチしたインテリアはさすがと言えよう。

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全27室がスイートだが、その中でもかなり広いインディゴブルー(この色にはワケがあったんですね)のプライベートプール付きのKhan Pool Suiteにグレードアップしてくれている。

午後早くに到着すると、2時間のウェルカム・スパトリートメントが用意されており、キッチュなヴィエンチャンの喧噪から一気に上質なリトリートへと運ばれる。

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カウチのヘッドレストの下の風景。
何でも無いようだが、センスあるなあ。

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夕刻、ホテルのバーで白ワインを一杯飲んで、歩いて5分ほどのストリートで毎夜繰り広げられるモン族のナイトマーケットを冷やかしに行く。

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布と手芸に関しては卓越した技術を持つモン族の民族衣装や織物の技術にはずっと前から興味があったので、私にとっては宝探しに行くようなもんである。

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果たして布の山、山、山。

私が本当に欲しいヴィンテージの衣装など高価なものは無いが、伝統的なモン族のパターンの布を使った小物やデイリーに着られそうなエスニッククローズがいっぱい。

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その中で、私を黒い目でじっと見つめていたこの子達。
独特の藍染めの布とクロスステッチの布でできた動物のぬいぐるみは、一匹200〜300円ほど。

すべて手縫いで、彼らは片道1間以上もかけて、村で女性が作る手工芸品をこのバザールに毎日売りにくる。
その手間と技術を思うとこの値段では申し訳ないようだ。

いくつか同様のぬいぐるみを売る店が出ているが、ここのが一番表情が可愛く、特に座ったウサギはここしかなかったので、全部買い占める。
(・・・と言っても一つ一つ作るので10個に満たない品揃えである)

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部屋のソファに並べて、朝食も一緒に食べたら愛着が湧いてしまい・・・・

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翌日もマーケットへ出掛け、増えた。

これは売れると踏んで急に増産したせいか翌日のウサギ達はちょっと出来が悪かったが、20歳前後の、前日と同じ非常に美人なモン族の売り子さんが、私の顔を見て満面の笑みを浮かべたのでまた全部買ってしまった。

いい夢をみられそうである。

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夜になると、この珍客がグループでやっては来るんだけど・・・・





ヴィエンチャン、キッチュな街角 [セルフィッシュ・ジャーニー]

それって国なの?

ラオス人が聞いたら激怒しそうな周囲の反応は、日本でのこの国の認知度の低さそのものなんであろう。
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コトの発端は、会計事務所とのいざこざに疲れ果てた夜に、タイの国内ツァー企画会社を経営する従兄と飲んだことである。
エボラのせいで練りに練ったモロッコ旅行を涙を飲んで中止にした直後でもあったので、妙にやさぐれていた私の態度を見かねてか、従兄が「ラオスって 長閑でいいよー」と気分転換を振ってきたんである。

ずいぶん前、一度ラオスは足を踏み入れたことがある。

メコン川を挟んでラオス、ミャンマー、タイ3国が接するゴールデントライアングルと呼ばれる地域で、タイ最北端からメコン川をボートで渡って、小さな寒村に「上陸」したんである。
ホコリだらけの村から裸足で船着き場までついてきて小銭をねだる子どもたちの姿に心がしぼんだその夜、猛烈な食あたり(or水あたり)症状に襲われ、一人旅の心細さと共に半死半生で逃げ帰ってきた思い出があるので、ラオス、あんまりいいイメージが無い。

しかし銀座からの帰りの電車の中で、町自体が世界遺産という従兄の言葉を反芻しているうち、猛烈にこの現実から逃げ出して、そのルアンパバーンという町に到達したくなった。

翌日「いつなら手配ができる?」と従兄にメールを打つと、「今週末にでも」という返事である。

即決した。

しかし、一応仕事を持つ身であるから週末すぐにというわけにも行かず、クリニックの給与振込など月末の処理を繰り上げて片付け終わったその夜に、羽田から飛ぶ。
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(後で気が付いたけど、ハングル表示の場面を写していた。FBでそれを読み切った友人、エラい!!)

父もこのところめっきり弱ったので、最後まで出発できるかどうか気を揉み、しかも直前に留守を預かるはずの夫が虫垂炎かもとか言い出し、もうダメかと思ったけど、飛べた。
例によって、飛行機が離陸した途端、心の中で万歳三唱する。

バンコクで早朝乗り継いだヴィエンチャン行きのバンコク・エアウェイズ機は、間違った飛行機に乗ったんじゃないかと心配するくらいガラガラ、乗客は10人ほどである。
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ヴィエンチャンのバゲージクレイムのレーンに、6個しかスーツケースが載ってなかったのには笑った。

バンコクからは従兄が言っていたルアンパバーンまで直行もできるのだが、やっぱり首都にはとりあえずご挨拶しとかないと。

やけに閑散とした首都ヴィエンチャンのお出迎えは、多分これがヨロシイと思っているのであろうホテルが差し向けた古色蒼然ロンドンタクシー。
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35℃近いヴィエンチャンの真っ昼間、エアコン無し。
かつ古いニオイのする車内に今か今かと待ち構えていたんであろう蚊に、乗った途端刺される。

あーあ、エボラ避けてモロッコ止めたのに、ここでデング熱か?

ラオス、期待を裏切らないな。

「何も無いからすっ飛ばしてもいいよ」と従兄に言わしめたヴィエンチャンであるが、どうしてどうして、なかなか見所ありまして。

一言でいうとキッチュ。

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(逆さのエッフェル塔は、ここはパリではないというメッセージか?知ってるよ!!)

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(寺院の隅に打ち捨てられていた人形?髪だけが毎年伸びていそうで、キモ可笑しい)

なにゆえに、パリの凱旋門を真似る?
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熱心な仏教国なので観光は主に寺院となるが、忌まわしい戦火の歴史を背負っているが故にほとんどが破壊され、建て直したものは冗談のように金ぴかだったり、修復が叶わないものも多く、まじめな見応えとしてはイマイチな感じだ。
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(破壊された仏像の山。首が無いのが多く、結構ブキミだ)

その中でエメラルド仏を安置する目的で建立されたというワット・ホーパケオ(Wat Ho Phra Keo)は、肝心の仏像はタイに持ち去られ、中にはガラクタ(失礼!一応昔の寺院のかけら?)がホコリを被ったまま展示されているだけだが、木の枠にじかにレンガを載せて葺いたという大屋根に感動する。
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だって載せただけですよ?
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下から見てもレンガそのもの。
ところどころ隙間だって見える。
断熱材はもちろん、天井だって貼ってない。

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予備のレンガを見ると、片側に2センチほどの引っ掛ける突起があって、それだけで急勾配からのズレ落ちをふせいでいるらしい。

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これが重なって10メートル以上はあろうかという大屋根になると実に美しい。

列柱や扉もアンコールワットを思わせる彫刻が施してあり、見応えがある。
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地方からやって来たらしいお坊様と。
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橙色の袈裟が配置されるとまた風景が変わるものだ。

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町中は、お決まりの混線模様。
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行商の女性。
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凱旋門(本当はパトーサイ:Patou Xaiという戦没者慰霊塔)の階段の壁面のデザイン。
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ミックスが多いヴィエンチャンの犬の中で、珍しく純血腫。
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Settha Palace Hotel は、フランス植民地時代の面影を残したクラシックな造り。
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朝食のフランスパンはさすがだ。
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一泊後、いざルアンパバーンへ。


コ・サムイ、任務完了 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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まあまあ、4泊もあるのよ、どうしましょう。

休みを取らない日本人の中でも断トツに休まない産科医の家族、リゾートアイランドでのたった4泊の休日に完璧オタオタである。
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お隣のデッキチェアのドイツ人家族なんて、2週間の休暇だそうである。
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せっかくのスイートジャクージも、我々一家にかかっては間違った使われ方である。
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孫たちは、ベトナムからやってきたアニキにべったりである。
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だって面倒くさがってテキトーな受け答えをするばあちゃんと違って、ちゃんと大人扱いしてくれるんだもの。
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テキトーなばあちゃん。

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毎日真っ赤なプールで遊んでは、プールサイドでビール&ワインランチ。
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こんな贅沢ゆるされるんだろうか。
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・・・と、勤労の日々が恋しくなり始める頃、休暇の終わりは容赦なくやってくる。
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It's the time to leave.
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プールサイドに運ばれたアイスキューブのように瞬く間に溶け消えた平均的日本人一家の休暇。
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今度みんなで会えるのはいつだろう。
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思えば今の孫たちと同じくらいの息子たちを連れて、まだ元気だった両親と共に、我々一家はサムイ島と反対側のインド洋に浮かぶプーケット島に初めての一家海外旅行を決行した。
30年近くも前のことである。

まだ海外の学会に頻回出かけて旅行慣れしていた夫がすべてプロデュースして、私は幼子を抱いて訳もわからずついていくだけだったが、夜の誰もいないプールで子供たちにシュノーケリングの練習をさせたり、ヤモリを追いかけながら母が持ってきたカップラーメンをすすったり、人生で一番楽しかった旅行として私の記憶の中では鮮明である。

そんな旅でも日常でも息子たちを本当によく面倒見てくれた母も逝ってしまった。

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孫たちと夫が疲れ切って早寝した最後の夜に、二人の息子と3人で語らう時間が思いがけず10数年ぶりで訪れる。

小さなフィンをつけてパトンビーチの入り江を泳ぎ回っていた小麦色のわんぱく坊主たちが今、成長して、傍にいる。

当直ばかりの夫だったので、我が家はいつも3人の母子家庭のようだったし、夫が長い入院生活を送ったこともあった。

相談する相手がいなかったので、家族の行き先はとりあえず一人で決断した。
いつもいつも夫の分まで頑張らなければと、息子たちにはワンマン(ワンウーマン?)だと非難されつつも、張りつめた、それなりのゴッドかあちゃんだったと思う。

でも、もう肩の荷を降ろそう。

息子たちは立派に成長して、気持ちや体力が下り坂に差し掛かった私の傍に、こうして居てくれる。

こんなに愛おしい夜はない。

例えどんなにそうは思わない人からバッシングを受けようとも、母親としての達成感という心の灯火を、私は生涯の道行きとして生きていきたい。

あのプーケットが、両親と我々一家が揃って出かけた最初で最後の旅行だったように、みんな心のどこかでこれが全員揃う最後の旅行かも知れないと感じてるこの旅をプロデュースするのは、ゴッドかあちゃんの最後の務めだった。

ちょっと仕事が・・・と躊躇したホーチミン市在住の次男も、つべこべ言うな、次は無いぞと一喝して呼び寄せた。

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任務完了。

かあちゃんは今、本当に幸せだよ、みんな。



コ・サムイ、The Library [セルフィッシュ・ジャーニー]

5年ぶりのサムイ島。

今回は長男一家と同行、ホーチミン市から次男も参加予定のお盆休みである。
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タイ、サムイ島はもう5回めの来島となる。

それもこれも、このThe Libraryというホテルに魅せられてのこと。
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2007年、このホテルの創業を某マガジンで知り、思い切って行き慣れたバンコクから飛んだ時は、空港はまるで田舎のバス停の様相、白々とした空港の蛍光灯ににおびき寄せられた多数の羽虫の洗礼を受けた後、真っ暗な山道を越えて辿り着いた道筋を今も鮮明に覚えている。

当時まだまだ知名度が低かったそんな島に突如現れた真っ赤なプールを抱く斬新なデザインと小規模ゆえにフレンドリーなサービスで私たち夫婦を魅了したホテル、The Library。
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5年前次男を伴って訪れて以来、自分もスケジュールが押した毎日となり、なかなかバンコクから足を伸ばせずにいたが、今回息子達や孫達と休暇を過ごすにあたって、このホテルを選んだのはごく自然なことだったように思う。

あのハンサムなホテルは、今も変わらず素敵だろうか。

若い頃のボーイフレンドに思いがけず再会するような期待と不安が入り交じったような気持ちは、夏休みの欧米人で賑わう活気に解放される。

このフォトジェニックなショットの数々でお察し頂きたい。

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2年ぶりに家族全員が集う。


マダガスカル・マダム芳香紀行、シャネル・ジンジャーオイル工場 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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帰国から2週間。
あんなに強烈だったマダガスカルがどんどん遠くなる。

原稿も書かなきゃいけないのに、記憶も感動もどんどん薄まってきてしまい、ヤバいヤバい。



そうだ!地球儀買おうと急に思い立つ。

WC(トイレではないですよ)参加国、ホンデュラスだかコスタリカだかナイジェリアだか、これどこ、とその度に聞いていたら、夫に「地理弱すぎ。どうやってマダガスカルまで行って来たの」と吐き捨てられ、そんならよーし!って感じである。

日本橋の地球儀専門店というところへ行き(天体科学好きのJohnnyも一緒に行きたがったので連れて行く)、地球儀を3つ買う。
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施設にいる父と、そろそろ世界へ目を見開き始めた孫へも勝手に送りつける。
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父は、定年退職後母と巡った海外の国々に殊更思いを寄せているので、きっと興味を示してくれるものと思う。
弱い視力でも出来るだけ文字が読めるように、光を反射しないマットな表面のものを選んで。


さて、届いたマイ地球儀はアメリカ・カーライル社のもので英語表示。
さっそく平面じゃなくて丸みの距離を加算したマダガスカルを眺める。
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ぼんやり明かりを灯すと、宇宙に浮かんでいる地球を見るようで(見たことないですけど)ロマンティックである。

直径30cm、1/42,000,000縮尺のこの地球儀だと、日本を右上の端に置くとその面のようやく左下に浮かんでくるマダガスカル。
すごく遠いと思ったけど、裏側ってわけじゃない。
(ま、1/42,000,000ならですけど)


ドン、ドン、ドン!!!

ようやく眠りに落ちたと思った途端、ロッジのドアをぶっ叩く音に飛び起きる。
何事が起きたのかと、一瞬頭の中が真っ白に。

シャネルのジンジャーオイル工場という魅惑的な響きにすがるように、壮絶なロストバゲージ騒動の後にたどり着いたAndasibeのVokona Forest Lodge。
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その時点で午前2時半。

何しろ最後の日はマダガスカル脱出(あえてそう言わせて頂きます)国際便に乗らなければならないので、ジンジャー工場見て、また5時間の道のりを戻る行程を相当正確に見積もって、ロッジ出発は6時と言われる。

えーと・・・

朝ご飯の時間入れると、部屋へ入って、シャワー浴びて、顔洗って、また顔洗って、最低限の化粧する時間を差し引いたら、寝る時間はほぼ1時間半てことですね。

ぴぴー!

なぜか頭の中でホイッスルが鳴る。

ロストバゲージの大騒動+揺られに揺られた夜道を体験したら、もう怖いものなんか何も無い。
睡眠時間1時間だろうが、30分だろうが、そんなことなんでもないです。
日本へ帰って(無事帰れたら)、目玉がとろけるほど寝てやりますから。

マダムの戦闘モード、キックオフ。(・・・のホイッスルだったんですね・・・)

・・・な覚悟で横たわったはずのカントリー調の蚊帳付きベッドの心地良さに思わず態勢忘れてまどろんだ途端、スタッフが1棟、1棟のドアを目覚まし時計代わりにぶっ叩いたわけだ。

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頭のネジを巻きに巻いて身支度をし、スーツケースをパッキングして食堂へ行くと、暖炉に暖かい朝食。
アフリカって暑いイメージしかないけど、高地の朝夕はぐっと冷え込む。
熱いコーヒーに涙がチョチョ切れる。

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さああ、シャネルのジンジャーオイル工場へ!

朝靄の森林を走るバスの中は、睡眠不足とジンジャーオイルへの期待のせいか、異様な高揚感。

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小1時間ほど山道走って、あの煙が見えるところが工場ですと言われてもまだ、さすがシャネル、超レアなところに工場持ってんなあーくらいにしか思わなかったけど。

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崖上にバスを止め、

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自力で向こう岸の工場へ辿り着けと言われた時には、何かの冗談かと。

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プラダのハイビスカス柄スリッポンを黄色い泥に突っ込みつつ、辿り着けばたしかにジンジャーの蒸留工場。

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ルートはまずスタッフが手動で水を足しながら叩き潰す。
生醤油で初鰹が食べたくなってくる。

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蒸留はルート以外に2種類のジンジャーリーフも。

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一応完成製品となった数少ないオイルのラベルには、CHANELではなく、Association Manara-Penitraの名。

標高600〜800mの高地にあって水田を作ることが出来ないこの地の村民に、自然を破壊しない産業をと蒸留の技術を教えて雇用を生み出し、販売ルートを与えたNGOである。

シャネルはその販売先の1社にすぎない。

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崖にへばりつくように建っているスタッフの住居。

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一応ショップだという小屋にも案内されたが、そこにもシャネルの一文字も無く、またみんなが購入するほどの数を取り揃えた完成品のエッセンシャルオイルも無い。
人々は自分たちの蒸留するオイルがフランスのトップブランドに渡ることや、自社ブランドを立ち上げて極東の島国から寝不足の目をこすりながらやって来る奇特なツァー客に売って儲けようなんてこれっぽっちも思わず、ただ穏やかに与えられた日々を営んでいるっていう気がする。

隊員の中には希少なオイルの買い付けが目的の人もいたから、そのあたりは当てが外れただろう。
(また何とか手に入れた彼の1kgのイランイラン油がロストバゲージに逢うという悲劇もあり・・・・)

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マダガスカル。

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未だ経済の発展に自力で立ち上がるには遠い国だ。

ナショナルフラッグシップは遅延が日常化し、勝手に乗客の荷物を置き去りにする一方、機内では「とってもレアなワイン」をサーブするちぐはぐさを露呈する。
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(サンテミリオンじゃなくて、名物だというグレーワインを頼んでみたんだけど)

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帰りはバンコクで乗り継ぎ。

2階建てのタイ航空機がなんと近代的な乗り物に思えたことか。

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買い物をする時間はほぼゼロだったこともあり、加工品や完成品はほとんど手に入らなかったが、ノシベ島の道ばたで売っていた素朴なワオキツネザルは、自宅の窓から2匹でじっと日本の梅雨空を眺めている。

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最後に空港のキオスクみたいな売店で急いで買ったマダガスカルプロダクツのチョコレートも食べ尽した。

さあ、このへんでマダム芳香紀行マダガスカル篇の筆を置こう。

・・・・え? ちょっと待て??

アンタ、さんざん事前に青空トイレだ、介護用オムツだって騒いで行って、そっちの報告は無いのか、と。

それが・・・

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便座無しとか、汲み置き水を自分ですくって流すとか、スレスレのトイレにはよく出会ったけど、ビール飲んだ男性陣はともかく、ガイドのセルジュさんがそのところはだいぶ気を遣ってセレクトしてくれたように思う。
露天で穴だけ、みたいなトイレには出会わず。

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ちょっとぬるっとしたアヤシげなものと飲み物、生野菜は徹底的に避けまくったおかげで、お腹もすこぶる快調。

オムツにはパリで買ったスタバのマグを大事に包んできた。

えー、つまんない。

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ロストバゲージ組は成田にでかでかと名前を貼り出され、スーツケースたちが勝手にパリ経由で帰国後4〜5日経って帰って来たというのに、アンタ、無傷で生還かと。

いいえ。

マダムは、ノシベのプレジャーボート合戦を皮切りにその後も続いた長時間移動でお尻が擦りむけ、最後にタイ航空に搭乗した時には、ワオキツネザルというよりニホンザル状態のお尻に。

マダム、 帰宅後薬用シートを患部に貼ってもらいながら、この時ほど夫が医者で良かったと思ったことはありません。
なぜって、他のお医者にこの状態を見せる勇気は無くってよ。

で、教訓。

マダガスカルに持って行かなければならないのは、オムツよりも、分厚いお尻の肉かクッション、そしてたくましい両腿の筋肉。(便座が無いトイレが多いので。毎週ジムでスクワット鍛錬しているので、そこはクリアー)

よろしくて?

でも、皆様。

ご想像いただけると思いますけど、いくら35年連れ添った夫とはいえ、この手当てをしてもらうのは大変屈辱的でした。

なので、今回のシメは・・・・

マダム、お尻の皮とプライドをマダガスカルにロストバゲージ。

・・・ってことで。

それでは皆様、一旦ごきげんよう。

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マダガスカル・マダム芳香紀行、大事件 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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ノシベ島の朝は早い。

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海上決戦の夜、祝勝記念の白ワインをわいわい飲んで、ヤモリの影が踊る薄いローンのカーテンの中で泥のように眠ったので、目覚めは爽快。

さあ、朝ご飯食べるよーとダイニングに行くと、リーダーの谷田貝先生だけが朝食をとられており、「また(ノシベ島から本島に帰る)マダガスカル機が遅れているんですよ」と憂鬱そうである。
本島に戻ってからシャネルのジンジャー工場まで大変な悪路を4時間行かなければならないので、暗くなると危険だと心配されている。

偉い先生(東大名誉教授)なのにいつも穏やかな笑みを絶やさず、日本の旅行会社との連絡を一手に引き受けてチームの方向を指し示してくださる。
ありがたい。

先生、マダムはアクシデントには役に立ちませんが、一緒にラジオ体操やりましょう!
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(どういう思考回路?)

・・・てなわけで、やってみました、ノシベの砂浜でのジャパニーズ・レディオ・エクササイズ。

奇しくも私がインストールしてあったのは英語バージョンで、パックンの絶叫間の手入り。
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(YouTubuで見つからず、タイトルのみ)
海外でやってる感満載なので、やる勇気のある方はiTunes でお買い求めになり、お試しを。

ちなみに、ラジオ体操やはり往路のシャルルドゴール空港待合室でも、マダガスカル機遅延のだる~い待ち時間に実施済み。

この時点で、谷田貝先生と19人の愉快な仲間たちの問題はフライトの遅延だけと思われたのだが・・・
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事件は、延々と待ち時間に耐えたノシベ島から本島に戻る、その遅延機で起こる。

夕刻ノシベ島を発つはずだったマダガスカル機にようやく乗り組んだのは、もう日がとっぷり暮れた頃。
チェックインの時点で座席ナンバーをもらったのに、ボーディングタイムになると自由席だから勝手に空いている席に座れと言う。

ちょっとぉ。

乗ってみれば50〜60人乗りのプロペラ機はすし詰め状態。
空調が切られた狭い高温の機内で離陸を待つこと小1時間。
ガタイが大きく体温が高い欧米人の男性に囲まれた席で緊張マックス。
暑さと苦手な閉所での拘束に、マダムこの旅初めてのセルフエマージェンシーサイン出しかかる。

何事が起きとるのだ。

離陸しないなら一度機外に出させてくれ。

それでも何の説明も無いまま(フランス語で2言3言あったかも知れないけど)遅れに遅れて機が飛び立ち、1時間後に再びというか正確には三たび首都アンタナナリブに着いたのは夜8時を過ぎていた。

この後空港近くのレストランで夕食を摂り、この旅最大の期待を寄せている人も多いシャネルのジンジャーオイル工場のあるアンダシベ(Andasibe)まで、最後の悪路ドライブとなろう4時間を耐えるはずだった。

ところがである。

待てど暮らせど19人の隊員のうち、6人の荷物が出ない。
他にもこれからトランジットですぐに別の便に乗り換えなければならないのに、と半泣きになっている欧米人の若者もいたので、合計10〜15人分のロストバゲージなんだろうと思われる。

多分乗客を多く乗せ過ぎたため重量オーバーになって、マダガスカル航空、人のスーツケースを勝手に積み残して飛び立って来たとしか思えない。
あの空調切られた熱湯レトルト状態の待ち時間は、その荷物を選り分けてた時間だったんだろう。

積み残されたの荷物の中には、このアンタナナリブの小学校に寄贈するはずの日本から持って来た文房具が入っていたりしたから、事態はことのほか重大。
ロストバゲージの6人はもちろんその他の隊員も沈鬱な空気に沈み込む。

食事どころではなく、レストランから弁当の出前がバスへ届く。

ノシベ島からの便は一日一便で、次便に積み残し分を載せても、翌日の我々のマダガスカル発帰国便には間に合わないという。

日本の旅行社との連絡やロストバゲージの手続きに手間取り、アンダシベへ向けてようやく出発出来る状態になったのは夜10時を過ぎており、この時点で現地到着は夜道という危険性も考慮して午前2時を回ると予想された。
翌日はまたその道を戻ってこの空港から帰国の途につく予定なので、ジャンジャー工場をあきらめ、空港周辺のホテルに宿泊してそのまま帰便に乗るのがよいのではないかという案も、この時点で候補に浮上する。

しかし、「シャネルのジンジャー工場vs危険な夜道」の不等号は、隊員たちの情熱でジンジャー工場に大きく開き、真っ暗な山道に揺られるサバイバルなドライブがまた始まる。

上下左右に大きく揺れて、頭をぶつけながらも眠りに落ちていったその夜の行程については、途中で1回だけ寄った便座無しの洪水トイレの脇に捨てられていたこの子たちしか覚えが無い。
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長い、長い一日がマダガスカルの森の中に吸い込まれようとしていた。

to be continued…







マダガスカル・マダム芳香紀行、イランイランの島 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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「ノシベ島って島中にイランイランの香りがするって本当ですか」

日本に帰ってからセラピスト仲間から聞かれたけど・・

答えはYes。
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イランイラン(Ylang Ylang)は、放っておけば30〜40mにも達する大木である。

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しかし、ノシベ島で訪ねたSPPM COMPANY PLANTATIONで、その木は酷くねじ曲がっている。
女手でも容易にその花を摘み取ることができるように、育ってくると真上から芯を叩き割られて、こんな枝振りになるという。

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身長156cmの私と同じくらい。
(ねじ曲がった木とマラリア蚊防護のため完全武装の女。すごい構図)

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無骨な男たちによって、マリリン・モンローが素肌に纏って寝たというシャネルNo.5の主原料になるあまやかな香りが運ばれていく。

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イランイランは、インドネシア語で「花の中の花」の意。

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ほら、おしべが赤くて特別なイランイランだよ、とフランコム博士。

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蒸留釜に入れられて湿り気を含み、より一層艶かしい香りを立ち上らせる。

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村の小屋の中に仕立てられた素朴な蒸留釜。
磨きたてられているわけでもなく、もちろん近代化のかけらも見当たらない。
アランビックはその名の通り、アラビアでオイルの水蒸気蒸留法が発明されてから何百年もそのシステムも道具もほとんど変わりが無い。

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オイルが抽出されてくる。

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素朴な黒板にかき込まれているのは、100kgの花からボトル(FLC)22本分、120kgからは26本分のオイルが採れるという意味(らしい)。

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使い回したオロナミンCの空き瓶みたいな125ccボトルが容器。

要は125ccのオイルを採るのに4.5〜4.6kgの花が必要って計算だ。
この抽出パーセンテージと熱帯でガンガン育ちまくる奔放な植物科であることが、ジャスミンやローズに比べて比較的イランイラン油が安価な理由だ。

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花の置き場の端っこの方で恐る恐るマリリン・モンローの気分。


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どの蒸留工場を見ても、その労力を担っているのは、自分たちが抽出したオイルがどんなfinished productsになるか、きっと知らない人たち。

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プランテーションに行く途中で立ち寄った、木の実を使った手作りアクセサリーを住民が売る簡単なストール。
女性が顔に塗っている黄色い泥のようなものは現地の日焼け止めみたいだ。(しかし、この期に及んで日焼け止めって必要?マダムはあっさり放棄してお肌ボロボロです・・・)

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澄んだ湖をバックに、観光客用に化粧を施した母親と子どもたち。

この潤んだ目、よく見たなあ。

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マダガスカル航空のシンボルマークでもある旅人の木と村人たちと私たちのぽんこつバス。

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旅人の木は茎に傷をつけると水が滴り落ち、その昔渇きに苦しむ旅人を救ったという大きな扇形の木。
その木陰は、真冬でこの気候というマダガスカルの強い太陽からも旅人たちを守ったはずだ。

空が青いよお。

ノシベ島から、今度は反対にプレジャーボートで本島に渡り、さらに大きなMILLOT社の蒸留工場の見学にも行く。

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湊までの道連れは、黄色いオート三輪の陽気なおっちゃん。

波止場は、モノを運ぶ人やお出掛けするのに民族衣装をまとった人で賑わい、カラフルだ。
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果物を売る母子の明るい表情が過酷な旅の疲れを癒してくれる。

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コーラは、水がアヤシいここでは日本人にとって一番安全な飲み物のような気がして飲みまくり、帰国後体重測ったら1.5kg増。
(ビールは長時間移動が怖くて、昼間は飲めなかった)

決して食べ物が豊富とは言えないマダガスカルに行って、太って帰ってくるワタシっていったい・・・

コーラ、やっぱり危険な飲み物だと思う。


船着き場には、2隻に分かれて乗れという我々のプレジャーボートが。
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ぎく。

この小さなボートで片道40分もかかるんですか。

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おーい、負けてはお国に生きては帰れんぞぉ〜〜〜
(いったいいつの時代?)

了解いたしましたああ〜〜〜


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熊本から参加された竹酢お爺ちゃんのかけ声(御年82歳っていうんだから恐れ入る)で、2隻の乗組員はお互い相手を抜去れと現地人の操舵手をけしかけて大騒ぎ。
波を縦に突っ切って走るので、ダンダンダンと上下に大きく揺れて、振り落とされないよう舳先にしがみつくので必死だ。

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ワタクシ、この後も続く悪路の長時間ドライブを含め、この旅ほど乗り物酔いしない我が身をありがたく思った旅はありません・・・。

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マダガスカル名物のバオバブの木は、ボートから1本だけ見えた。

対岸の本島アンバンジャ(Ambanja)のMILLOT社まではさらに、お世辞にもきれいとは言えないバンで1時間。
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森林にひっそりと実をつけるグリーンペッパー。

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コブ牛が運ぶレモングラス。

ああ、ドナドナだなあ。

使役牛を見るたびに、何故か感傷が湧き上って来るのは私だけ?

MILLOT社は、さらに手広く蒸留を行うフランス資本の会社だ。
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(え?MILLOTしゃって書いてある?)

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摘まれたイランイランが到着。

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蒸留釜に投入される。

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フタが閉じられて蒸留が始まると、スタッフが長いスワンネックを、蒸気を冷やす冷却装置へ繋ぐ。

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冷却装置からオイルとハイドロソル(蒸留水)が分離して取り出される。
1回めのオイル採取の後、取り出されたハイドロソルはこうやって漏斗で上手に受け止められ、また2回めの蒸留に使用されるため釜に戻る。

ちょっと公園の小◯小僧を思い出したり、ピンポンボールみたいにあまりにアナログで上手く受け止める装置に、思わずクスリとする。

そう。

イランイラン油の製造過程で最も興味があるのが、最初の蒸留をし終わった花をまた再蒸留、再々蒸留を繰り返し、成分の異なるオイルを採取することである。

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これは最初に採れるEXTRA SUPERIEUR(最最高)から次のEXTRA(最高)、PREMIERE(一番め)、DEUXIEME(二番め)、TROISIME(三番め)の抽出オイルの成分表(・・だと思う)。
(フランスの植民地であったマダガスカルでは公用語がフランス語なので、もういちいち表示の解読につまる。)

早い段階で採れるオイルほどO2化合物を多く含み、比重が軽い。

なので、イランイランのオイルを買う時は、必ずラベルで何回めの蒸留で取り出されたものなのかを確認することをお勧めする。

他の分野では一番先に採られたEXTRAが一番いいに決まってんだろーということになろうが、イランイランに関しては違った香りが楽しめるし、含有成分も異なることから効用も異なり、香りの好みや効用で何番めの抽出オイルを選ぶかが決まるのだから。

なんか、この段階の説明をもっと詳しく知りたかった。
(ちゃらんぽらんに聞いていた自分を悔いる)

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オイルが出てくる場所を管理しているらしいおっちゃんは、その重要なポジションを非常に誇りに思っているらしく、クソ真面目な顔で花を見せたり、オイルが出てくる管の中にハンカチを突っ込んでみろ、どうだ、この香りは!と自慢する(言葉は分からないが、私のハンカチの端を無理矢理管に突っ込んでみろ!って言うので、そんな感じだろうと思う)。

いいぞ、とぼけ顔のおっちゃん!
仕事にプライドは大切だ。

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蒸気抜きの壁のスリットからこぼれ落ちる南国の日射しのグラデーションが何とも美しい。

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見学後、農園に併設されたレストラン(・・・といっても少し大きめなあずまや風の小屋)でランチ。

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カカオの加工も行っている社のチョコレートケーキが絶品。

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カカオの天日干し。

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行きよりさらに風が出て揺れる海原を、また競争しながら帰る。
行きにも増して大騒ぎである。

でも竹酢お爺ちゃまが発奮されたのは、みんなが船酔いしないように盛り上げてくれたんだろうなあと後で気が付き、今回の参加者の見事なラインナップを改めて見直す。

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買ったチームは、ノシベ島上陸後、勝利の雄叫び。
ワケが分からず、後ろの方でフランコム博士までが拳を突き上げているのが笑える。

えーと、博士。
日本文化を誤解しないでくださいね・・・


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その夜の晩餐が、ことのほか陽気に盛り上がったのは言うまでもない。

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なぜかノシベ島名物だというフォアグラ料理。
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・・・はさておき、大阪は岸和田から持参のさんまの蒲焼きがディナーのテーブルを一気に日常化する。
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ある人は珍しい蝶を追いかけ、ある人は後進国の子どもたちに文房具を届けるために世界を渡り歩いている日本のオジさんたち。
そのバイタリティーとウィットに、ハードなスケジュールの中で何度救われた思いがしたことだろう。

面白いなー、このツァー。

ふう。
書き疲れ。

to be continued again・・・



マダガスカル・マダム芳香紀行、ノシベ島 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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拝啓、だんな様。

インド洋の彼方の島に来ています。

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朝の海は香しい沈黙の色を映しています。

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その砂浜を、歓声一つ上げず、子どもたちが黙々と学校へ向かいます。
車の排気にまみれた日本の通学路とは、なんという違いでしょう。

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この島で、視覚と聴覚はほとんど意味を持ちません。
ただただ、嗅覚だけが研ぎすまされます。

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しかし、この島は・・・・

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なんと楽しさに満ちていることでしょう!






寒さと先行きの心細さに、ダンゴ虫のように身を丸めて眠りに落ちたアンチシラベの夜が明ける。
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あらーっ!

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なんか意外にいいんじゃないのぉ?

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朝靄が流れ込むコロニアルな前庭に思わず飛び出す。

これだから夜ホテルに着くってイヤなのよ。
周囲の様子が全然分かんないんだもん。
昨日固いベッドに横たわった時は、ほとんど本気で涙が出そうだった。

朝食摂って、テンション&体温急上昇。

さあ。
歩き倒すぞ、マダガスカル。

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ホテルの正面玄関前で、この旅に私を引っぱりこんだユカさんと記念撮影。
彼女を恨むか、感謝するかが、これからにかかっている。
(今のところ、半々です)

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出発前に、フロント横の棚に並んでいた、ハンドメイド刺繍のポーチを記念に買う。
針と糸に写し取ったマダガスカルのローカルな小景。

ホテル紹介リーフレットに書いてあった「ショップも充実」って、この埃だらけのショウウィンドウのことね。

さてさて4時間かけてきた道を2時間で戻れるわけが無く、また4時間かけて首都アンタナナリブに戻るんである。
空港から今度は国内線で、イランイランの聖地ノシベ島に渡るためである。

この旅行、すべてこの4〜5時間の陸路(それもかなりな悪路)移動を往復するっていう行程がネック。
なんかムダな感じがするのは私だけ?

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おいジャパニーズ、また来いよ。

穏やかな視線を後方に受け止める。
食いちぎられたのか、片耳の犬の目に敵意は無い。

なわけで、たっぷり時間のある「世界の車窓からマダガスカル編」の最大のトピックは、やはりこの洗濯風景であろう。
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川で洗濯、も結構どしりと来るが、衣服を直接地面に広げたドライのバージョンが衝撃的だ。
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たまに柵の上に垂れ下がっているのを見ると、主婦としてはほっとする。
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時折目に飛び込んでくるあきらめにも似た憂いの眼差し。

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今だに動力は動物が担う。


アンタナナリブ市内に入り、マダガスカル最大手アロマ関連企業HOMEOPHARMA社のショップとスパを見学。
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今日の見学のために、急いで付けたらしいコピー用紙のドア表示がちょっと痛々しい。

その後のランチに19名の隊員達のテンションはマックス。
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なんとこの地でこんなゴージャスな中華料理に出会えるなんて。
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そしてそれがいちいち美味しいんだもん。

おーい、誰だ。
食べ物が合わないかも知れないので、カロリーメイト持って来なさいって言ったのは。

使い古された言葉だが言ってしまえば、マダガスカルでいつ栄養摂るのって言ったら今でしょという強迫観念に追い立てられてがっついた我が身を、マダムはそりゃー恥じましたとも。

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ビールで勢いづいたオヤジ達は、飯店の庭で飼われているらしい巨大なカメにバナナをやって、「よくかめ!」とエンジン全開。

そのたらふく中華を詰め込んだ身を、小さなプロペラ機に乗せて1時間半。

たどり着くは、マダガスカル本島の北北西にぴょこんとはじき飛ばされた雫のようなノシベ(Nosy Be)島。
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香水にもよく使われる甘い香りのイランイラン(Ylang Ylang)の栽培が盛んな「インド洋のタヒチ」と呼ばれる魅惑のリゾートアイランドである。
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ここまでなんとなく不安でざわつきが押さえられなかった胸が、島中に満ちる花の香りと満天の星空、いかにもビーチリゾートらしい陽気な雰囲気と気候で、一気に軽くなる。
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隊員達の表情も明るく。
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ホテルがまた素晴らしい。(Nosy Be Hotel & Spa)
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マダム、ようやく一息つけてよ。

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ピエール・フランコム博士、お邪魔いたしました。
博士は往路でロストバゲージの災難に遭い、それどころじゃなかったでしょうに。

珍客はそこここに。
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この色合わせ、マダガスカル!

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部屋のランプシェードもヤモリ柄。
壁や蚊帳にヤモリがいっぱい映って、楽しいことこのうえない。

売ってくれるなら買いたかったくらい私は気に入ったシェードなのに、本当のヤモリがいると思って怖がった別のマダムもおり、これをぶっ壊した先生もおり・・・・嗚呼。

ノシベ島には2泊して、イランイランの蒸留工場とプランテーションを巡る。

to be continued・・・・



マダガスカル・マダム芳香紀行、パリからアンタナナリブ、アンチシラベへ [セルフィッシュ・ジャーニー]

序章は静かに始まった。

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パリ行き全日空の12時間の空の旅は、いつものマダムのパリ旅行のそれと何ら変わりない。

ただ別室に積まれた使い古したスーツケースが、とっ始めからチェックインカウンターの計量ベルトの上で23キロという異常に重い数値を示したことを除いては。

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毎日毎日スタジオへ通ってリズムにならして来たドラムのテクニックを少しでも忘れないために、せめてベッドの縁でも叩こうと、スティックだって詰めてきた。

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旅の相棒は、パリのホテルがプラザアテネじゃなくたって、いつもと変わらない愛くるしい笑みをたたえてくれていたし。

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翌日、もうすでにパリ発アンタナナリブ行きのマダガスカル機が遅延しているとの情報が入り、思いがけなく午前中に鉄製のレースのごとき大好きなエッフェル塔にも再会できたし。

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パリ郊外のマリオットホテルで、レアもののスタバのマグもゲット。

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このまま、案外快適な旅が続くんじゃないか。

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街角の艶かしい彩色の窓辺がそんな錯覚を起こさせる。(こういうカーテンの色合わせって日本に無い)

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シャルルドゴールでの、マダガスカル機遅延の待ち時間を癒す軽快なインテリア。

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多分乗客の一人であろうピアニストが、置いてある真っ赤なピアノで、私の大好きな「アラジンのテーマ」をジャズっぽく弾き上げる。

おいおい。

意外にOK?

これから未知の航空機で一夜を明かす後に待っている青空トイレへの不安色が、徐々に薄れる。

・・・が、そこまで。

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機内の映画、音楽すべてのアメニティがNOT AVAILABLEのマダガスカル航空機内滞在11時間を経て、着いた早朝のマダガスカル首都アンタナナリブ空港は土砂降り。

その雨の中を、タラップ下りて自力で空港施設に歩いていくシチュエーションに、マダムドン引き。

とりあえずパスポートコントロールを通過して3枚の100ユーロ札を両替したら、見たことも無いアリアリ札束が返ってくる。

こんなことってアリアリ?
(その後幾度となくツァーグループ内で繰り返されるオヤジギャグネタ、ここで初登場)

10,000アリアリが500円くらいか。
財布に入り切らない札束って超レア。
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さあ、除菌ティッシュの出番よ。

心と手荷物を準備する。

・・・ですが・・・・

朝ごはん処のアンタナナリブ郊外NATURE HOLIDAY HOUSE のトイレは、旅行会社が頭を絞ったんであろう、全く問題無し。

そこからエッセンシャルオイルの蒸留ファクトリーAROMA BE社のあるアンチシラベ(Antsirabe)まで、陸路180km、4時間の車移動である。

車窓から見る初めてのマダガスカルは、雨に霞みながらもSo exotic。
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子犬を抱いた陽気な現地人達。

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ようやく泥ではなくレンガで家を造ることが普及してきた首都近辺の河原では、レンガ作りが盛ん。

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タイで線路脇の店を列車が通る度に畳む光景は見たが、線路上に直接ってのは初めて。

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廃車からのセルフサービスなのか、古い車のパーツを並べる屋台も多い。

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時折見かけるバンの屋根に積まれたドナドナな感じのトリ達。

ちなみにマダガスカルではトリ肉が一番高価、一般食はセブ牛(コブ牛)だそうだ。

・・・で、ランチはファームでのその高価な鶏肉のクリームソース。
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4年前のエジプト視察で壮絶な食あたり水あたりを体験しているバーグ校長含めLSA3人組は、付け合せの美味しそうな生野菜に今季初の警戒信号発令。

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しかし、フランスパンと作り立てバターは絶品。

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デザートのチョコレートクレープ(この先何度もお目にかかることになる)もGood。

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周りは広大な蒸留の原料となる植物のプランテーション。

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ランチ後、その中にあるAroma Be社で、ラビンツァラ(Ravintsara)の蒸留を見学する。
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オイル抽出。

1年で50tのラヴィンツァラを蒸留し、100kgのオイルを採取するという。
(数字は西島のメモより。まだ他の参加者と照合前ゆえ、確実なものではありません。これより先の数値に関しては以下同文)

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オイル採取に関わる同社スタッフ。

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ガイド役のセルジュさんが抽出されたオイルを見せてくれるが、空きペットボトルに入っているってのが違和感いっぱい。

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トイレは青空ではなかったが、オープンテラス。

180km走破後の癒しの宿は、Hotel des Thermes。
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アンタナナリブ空港で合流したピエール・フランコム博士を交え、ようやくここでツァー参加者全員の自己紹介を挟んでの晩餐となる。
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過酷な旅行にも関わらず、平均年齢割りと高め。
最近のシルバーエイジってホント元気だな。

テーブル上の芋焼酎ボックスが、参加者のキャラを雄弁に物語るように、なかなかのツワモノぞろいと見る。

部屋はバスタブ無し、布団無し。
セーフティボックスの電池は抜き取られている。

気温5℃。

ヒーターの目盛りを最大にして、天井が抜けているストレージから毛布を引っ張り出して寝る。

戦闘開始の予感。




スリランカ・再びゴール、旅の記憶 [セルフィッシュ・ジャーニー]

もう帰国してから1週間だ。
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ちょっと焦る。

従来旅行にはPCを携えて旅の興奮をリアルタイムでブログに書き留めていたのに、FBという手軽な即時性を持ったツールを手に入れてから、ブログはどちらかというと記憶のアーカイブに。

帰国すれば記憶は日常という大きな欠伸で日々アップデートされ、エキゾティックな興奮はどんどん退色してしまう。

興奮を掻き立てるべくたった一つの頼りである写真群を見返してみるも、驚くべきことに、コーヒー派の夫までが大絶賛したセイロンティーの写真なんか一枚も無い。

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砂糖をたっぷり入れて自分を淹れるような思いで飲む濃いミルクティーは、ぱりっとして中はもっちりのAmangallaのペストリーにとてもよく合う、と思い出は鮮明なのに。

記憶と記録はこんなにもズレがあるものだ。

写真を撮ってそれで安易にメモライズしたと思い込むのは危険だなー。
そう言えば、旅の達人の中に絶対に写真を撮らないという人がいたのを思い出す。

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ベイビスとジェフリー兄弟のそれぞれの理想郷を見た後、ジェフリー・バワが設計したホテルを3件巡り、あの日スコールが降りしきる中、我々のエクスカーションは完了する。

ジェフリーはルヌガンガにあの週末住宅を造る過程で自分の建築知識の不足を感じて再度英国留学へ旅立ち、再び帰国して建築家としてスタート切った時は40歳近かったという。

その後故郷セイロンに数々の熱帯地方の特性を生かしたホテルや住宅を造り、建築界に大きな足跡を残したことは前述した。

素人の私が見ても、彼のデザインが、いくらそれが人里離れたジャングルや鄙びた海辺の町にあろうとも、ひと際洗練された高みにあることは理解できる。

幾本もの梁が永遠に間隔を刻んでゆくかのような回廊。
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(AVANI HOTEL/BENTOTA)

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(JETWING LIGHTHOUSE/ GALLE)

エントランスからまっすぐに海へ突き抜ける視線。
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(JETWING LIGHTHOUSE/ GALLE)

棟の中に巧みに配されたいくつもの中庭。
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(AVANI HOTEL/ BENTOTA)
せっかくの有名アングルなのに、リネンカートを置いて欲しくなかったわ。

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(CLUB VILLA/ BENTOTA)

黒々とした太い梁。
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(AVANI HOTEL/ BENTOTA)

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(CLUB VILLA/ BENTOTA)

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(JETWING LIGHTHOUSE/ GALLE)

アイキャッチとして置かれる大きなポット。
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(AVANI HOTEL/ BENTOTA)

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(LUNUGANGA/ BENTOTA)
ルヌガンガの広大な敷地には数えきれないほどのこのポットがあると案内人は言う。

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(JETWING LIGHTHOUSE/ GALLE)

そして何よりジェフリー・バワの名をトロピカル建築の祖として世界に知らしめたのは、今となっては海辺のリゾートホテルのお約束のようになってしまった、海とプールが一体に見えるインフィニティプールではないだろうか。
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(JETWING LIGHTHOUSE/ GALLE)
(あー、すみません。建物側から撮らないと海と一体化しているかどうか分からないんですが、何しろカメラを構えるのも臆するぐらいの雨だったんです。でもそれでも泳ぐんだなー、欧米人て)

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(JETWING LIGHTHOUSE/ GALLE)
今の言い方で、自然と一体化するなんて言うのは簡単だが、もともと建築物は厳しい自然や外敵から身を守るために発達してきたものだろうから、寒さという大きな自然の抵抗が無い地方の特性を生かし切って内外の隔たりをできるだけ曖昧にしたことは、当時建築の常識を180度覆すものであったろうと思う。

ヨーロッパと熱帯地方が、バワという多才な架け橋によって繋がれたことによって生まれたリゾート建築という意義。

そこに同じ熱帯モンスーンにルーツを持つ、アジアンリトリートの先駆者エイドリアン・ゼッカが多大な影響を受けたことは想像に難くない。

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We leave now.

エクスカーションを企画してくれたYasith、ありがとう。

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シナモンの島を後にする。


毿

スリランカ・ベントータ、バワ兄弟の理想郷 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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スリランカ滞在3日めは、Yasithに、スリランカ出身の建築家ジェフリー・バワ(Geoffrey Bawa)の足跡を辿るエクスカーションを組んでもらう。

日本のバブル期、「裸足のラグジュアリー」という概念を掲げて、従来のホテルの価値観に新しい色を塗り替えたアマンリゾーツ。
その魅力の原点に、この熱帯に生まれ育った彼の感覚が燦然と輝いているのだ。

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時折話題に入り込んでくるおしゃべり好きなドライバーと助手席にはナビゲート役のYasith。

熱帯の雨季特有の、時折スコールが降りしきるあいにくの天気。

それでもアマン創業者エイドリアン・ゼッカが数々の名作ホテルをプロデュースするのに絶大な影響を受けたというトロピカルリゾート建築の祖のデザインを実際に見られる興奮は押さえきれない。

「観光は嫌い。プールサイドで寝ていたい」といつもぶつぶつ言いくさる夫。
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(夫?)

置いてくよー。

ゴールから南西の海岸沿いを、単線のローカル線と共に北上して、可愛らしいベントータ(Bentota)の駅に着く。
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この周辺にバワの軌跡が数多く残されているらしい。

イギリス統治下のセイロン時代に、コロンボの大変裕福な家で産声を上げたジェフリー・バワは、19歳で渡英、ケンブリッジ大学に学び、卒業後は父と同じ法律家の道を選ぶ。
コロンボでロールスロイスを乗り回し、優雅な生活を謳歌していたバワは27歳の時に突然そんな生活を放棄し、英国貴族のグランドツァーさながらの、アジア、アメリカからヨーロッパに至る長い旅に出る。

2年近い旅から帰国して、先にベントータの密林の奥にブリーフガーデンを創造して多くの客人と楽園生活を送っていた兄、ベイビス(Bevis Bawa)に影響を受け、ジェフリーは気に入っていたイタリア湖畔のリゾートをこの地に再現しようと、やはりベントータ郊外のルヌガンガに理想郷を造ろうと試みる。

この共に同性愛者であったという大金持ち兄弟の、金に糸目をつけない理想郷造りの対比が、とても面白い。

兄ベイビスのブリーフガーデン(Brief Garden)。
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どこか中国や日本庭園の趣があって興味深い。

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京都のお寺の石段かと思う。

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地面と水面がぴっちり同レベルの苔むした池。
(なにかと体表面積が大きいツレの身体の一部が写真に入り込むなあ・・・)

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中国的な円形のアーチ。

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(笑)

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母屋の窓から藤棚が見えるアングルは、まるで昭和の日本の別荘。


比べてジェフリーのルヌガンガは、ヨーロッパ貴族の広大な敷地を彷彿とさせる。
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その名もシナモンヒル。

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バワのデザインの一つのポイントにもなる大きなポットが、その距離を慮る基点になる。

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広大なガーデンの数ある絶景ポイントに憩いのスペースが配置され、鉄のベルが吊るされている。
これらのベルは場所によって音色が違い、使用人達はその音でバワがどのポイントにいるかを聞き分けて御用を聞きに走ったという。

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客人用のコテージのリビングは宙に浮かんでいるよう。

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屋内と戸外が自然に一体になるような巧みなデザインは、寒さと縁がないトロピカル建築の真骨頂。

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室内のタイルのデザインがそのまま屋外の地面にも引き継がれる。

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湖が眼下に広がる広大な芝生に設けられたテラス席でランチ。

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なんかこういうツァー大好き。




スリランカ・ゴール、シナモンの島 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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久しぶりの夫と二人旅行である。

お互いに自分のスケジュールで生活することの方が楽になって(熟年離婚てここからかしら?)、特に旅行は絶対一人!と私が決め込んでしまっていることもあり、この前夫婦二人で海外へ出掛けたのがいつだったか思い出せないくらいだ。

GWの隙間に、夫が4日間だけ何とか空けられるというので、矢も楯もたまらず、行ってみたかったスリランカ旅行を企てるも、予想より遥かに遠かったインド洋の彼方。

日本からの直行便は週4便のみ。
往路はそのダイレクト便を捕まえるも、帰りは話題のマレーシア航空クアラルンプール・トランスファーでほぼ一昼夜かかる旅程となった。

ところでスリランカの首都ってどこだか知ってますか。

スリランカ行くからレッスン休みますとメールしたら、「スリランカの首都って、すりじゃやわるだなぷら(平仮名で書くなよ・・)ですよね。いってらっしゃい!!」とドラムの先生がすらっと返信してきたので、なんでどうしてと腰抜かす。

だって私が小学生の頃は、国名はセイロン、首都はコロンボだったもん。

まあ、その程度の知識である。
道中は二人で、セイロン島が北半球か南半球かのレベルの低い言い合いになり、日本では替えられないというので通貨が何かも分からず、しかしそれでも直行便で成田から9時間のコロンボ国際空港からさらに車で3時間、島の南端の古都ゴールを目指ことになる。

なぜなら、そこにスリランカ一つめのアマンがあるから。

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「パーフェクトリゾート」として人気の高いアマンリゾーツが、城壁に囲まれた世界遺産でもあるゴール旧市街に開業したAmangalla。

その前身は植民地時代に開業したアジア最古のホテル、ニューオリエンタルホテル。
そこここにコロニアルな風景が広がる。
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部屋は完璧なまでのシンメトリーと、白にダークブラウンのトーンで統一されている。
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部屋に飾られた花や何気なく置かれたココナツまでが、計算され尽くしたオブジェのよう。
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完璧に美しいプール。
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一組のゲストに一人のバトラーがついてリクエストを聞き、可能な限りその願いを叶える。
アマンのOne to Oneのポリシー。

部屋に常備されたこれまでのリクエスト参考集みたいなものを見ると、ゴールから距離にして200km以上離れたシーギリヤ(5世紀の岩山宮殿跡。通常の交通機関利用なら片道一昼夜)までヘリコプターチャーターして日帰りするツァー、お値段なんと48万円とか載ってるし。

いたってことですよね、そういう人が。

近くのライステラスに100本以上のキャンドル灯してディナーもOKとか書いてあるし。
(小っ恥ずかしいだろ、中年夫婦にとってこれは)

とにかくディナーをどういうシチュエーションで食べたいかを毎日聞かれる。

我々についてくれたのは、Amangallaが開業した時にルームボーイとして採用されたというYasith。
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独学で英語をマスターしながらバトラーにまでなったというからたいしたものだ。

我々のリクエストはせいぜいプールサイドでご飯食べたいとかそんな程度なんで、安心してね。

とりあえず正味2日しかない1日めは、午前中はYasithお勧めのアーユルヴェーダトリートメントを受けて、午後はゴールフォート内散策とする。

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ずっとずっと受けてみたかったが、髪がべとべとになりそうでできなかったシロダーラをこの機会に。
オイルを流し続けるので、専用のクッションも何も無い固い木製のベッドを見て一瞬ひるむも、敢行。

胡麻油のような香りのするオリジナルブレンドだというオイルを第3の目と言われる額のツボに垂らし続ける。
トリートメント後45分はシャンプーせずにオイルを頭皮に染み込ませるようにとのことで、夫もこの出で立ち。
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正直、オイルの香りがかなりキツく、シャンプーしても3日くらい髪から匂いが抜けない。
特別な休暇だけに是非どうぞ。

午後は城壁に囲まれた小さな旧市街地を散策する。
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14世紀にアラビア商人たちの東方の貿易港として、セイロン島南部最大の街に発展した場所だ。
商人達の目的は宝石と香辛料とお茶。
特に胡椒やナツメグなどアジアでしか産出されなかったスパイスは、アラビア商人達によってヨーロッパへ運ばれ、金銀に劣らぬ高値で取引されたという。

そして、この島で育つ極上のシナモンは甘い香りでヨーロッパ人を魅了した。
その需要を背景に、最初にここを支配したポルトガル人を排除してシナモン貿易を独占し、莫大な富を築いたのがオランダの東インド会社であった。

オランダ人はシナモンのプランテーションの中にベランダのある豪華な邸宅を建てて暮らしたというが、それがダッチコロニアルスタイルの、例えばAmangallaの前身のニューオリエンタルホテルのような白い建物である。
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とにかくシナモン!

エッセンシャルオイルの歴史にも繋がる本物のスパイスが買いたい。

しかし・・・

シナモン色の犬は寝そべっているものの(笑)、シナモン屋さんというかスパイス屋さんが見当たらない。
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可愛いカフェがそこここにあって、街の雰囲気はすごくいいんだけど。
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夫、お買い物中。
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宝石屋さんやジュエリーショップも沢山ある。
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野菜や果物を売る屋台も出てる。
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おばあちゃんが作るレースは、編むんじゃなくて、無数の待ち針の間を沢山の糸をただひたすら通わせるというスゴ技。IMG_9695.JPG
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ガラクタ並べているだけに見える一応博物館のランプが素敵で見惚れていたら、「欲しいなら売るよ」って。
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オイ、博物館の展示物(・・一応)売っちゃっていいのか。

エジプトのと違って、手荷物にならない大きさだもんなあ。
まさか、ゴールの港から輸出する?
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結局スパイス屋さんはゴールフォート内には見つからず、ホームウェアを売るお店(スリランカ人がよく着ている白くて薄いコットンのドレスを売るお店がいっぱいあって、それがすごく可愛い。日本でも十分着られるセンス)で、このクローブボールを見つける。
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クローブと言えば、オレンジに釘型のクローブの実を刺したポマンダーが有名だが、これは木のボールにクローブをびっしり貼付けたオブジェ。
もともとは虫除けに使われたそうだが、これはもうかなり古いので香りもとんでいてデコレーションにしかならないそうだ。
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それでもアーティスティックですごく気に入ってしまい、大人買いしてしまいました・・・

シナモンは翌日新市街地のスパイス屋さんにつれていってもらうことにし、雨期でプールサイドでのディナーが叶わなかった我々のために、Yasithが企画してくれたコロニアルなベランダでの夕暮れディナーを楽しむ。
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もう、くたびれた中年夫婦には雰囲気あり過ぎです・・・


マウイ、Andaz Maui at Wailea [セルフィッシュ・ジャーニー]

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日がな一日、俗世間から遮蔽された場所でたった一人、本を読んでいたい。

そんな夢が叶う。

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ホノルル空港からたった30分飛ぶだけで手に入る贅沢。

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マウイ島、Andaz Maui at Wailea。
昨年9月に開業したばかりのハイアット系列のホテルだ。

前述したアマンリゾーツが規模の小ささで顧客の優越感をくすぐる手段で成功したのに対し、ハイアットはその対局に位置するいかにもアメリカらしい大味な大箱ホテルだ。

そういう系列ホテルは往々にしてデザインを二の次にした月並みな詰め込みホテルに終始するが、Andaz Maui at Wailea は200室以上と大規模ながらモダンでエッジィなセンスに溢れている。

西の海岸への傾斜の一番高いところにアプローチはあるが、従来のホテルのようなレセプションは無い。
ゲストが思い思いにくつろげるように配されたソファやバーカウンターがあるのみ。
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ゲストの情報はチェックイン時からすべてスタッフがそれぞれ持っているタブレット端末で管理され、ラストネームを告げるだけでどのスタッフからも同等のあらゆるサービスが受けられる。
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そうそう。

ここでは従来のホテルのように「ミセス・ニシジマ」なんて恭しく呼ばれない。
「ハイ、Mana!」とファーストネームで声かけてくるスタッフはめちゃくちゃフレンドリーだ。
(まあ、ここは賛否両論あろうが)

海風が吹き抜ける高台のロビーの真ん中に、子ども達の恰好の遊び場となるビーチの砂が敷き詰められている。
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その吹き抜けのロビーから、3つのインフィニティプールが、まるでライステラスのように段々にビーチに向かって流れ落ちるのが眼下に望める。
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部屋はコアウッドの家具で統一され、広いテラスにはハンギングチェアも。
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なにもプールサイドまで出向かなくても十分心地良い読書タイムが約束されたようなものだ。

広いシャワーブースとまるで子宮に抱かれるような卵形のバスタブ。
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ホテル内デリもインルームキッチン風。
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奥のベーカリーで焼いたばかりのマフィンやケーキをそこで買って、お茶を飲みながら食べるスペースもある。
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スパがまた秀逸。
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レセプションの壁一面に中国の薬問屋みたいな引き出しが配されて、あらゆるハーブやオイルが出番を待っている。
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たっぷり半日かけてストレッチの利いたロミロミを受ける。

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夕暮れはことさらホテルを美しく演出する。

生演奏のスラックキー・ギターの音が水面をすべる。
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ダイニングの特別な席。
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一面ブルーに染まる幻想的な夜景。
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お役所相手のイライラする仕事を片付けて飛んできた甲斐があった、と嬉しい。
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バンコク、旅情の街 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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冬になると、タイへ行きたくなる。

日本で空気の冷たさに首をすくめる頃、タイは乾期に入って暑さの質が変わる。

そして無性にチャオプラヤーの川風に吹かれたくなる。
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ここ数年いろんな事情が重なり足が遠のいていたが、またやって来た季節に飛び乗り、第二の故郷へ。
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そのエキゾシズムは健在。

Mandarin Oriental Bangkok。
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古くは世界で最高のサービスを提供するThe Orientalとして、数々の文学や映画の舞台になったホテルだ。
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数年前、マンダリングループの傘下に吸収され、ややミーハー路線に傾いてきたが、ここが我々のバンコク滞在の拠点であることは、今も昔も変わりがない。
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街へ出れば、熱心な仏教国タイの寺院のシルエットは異国情緒を掻き立ててやまない。
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庶民の喧噪を乗せて走るトゥクトゥク。
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(persons?)

シーフードと香草の香り。
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detail-oriented style。
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1年半ぶりにベトナム在住の次男と過ごす時間。
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何度来ても感動のディティール、スワナプーム国際空港。
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See you Bangkok, my second country.
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ウィーン、パイプオルガンの調べ [セルフィッシュ・ジャーニー]

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石畳からしんしんと足下に伝わってくる寒さに耐えかねて押した古い木の扉の向こうに広がったのは、天上の世界とはこのことかと思わせるような光景とオルガンの調べ。



歩行者天国のグラーベン通りの奥にひっそりとたたずむ、バロック様式のグリーンのドームを抱くペーター寺院。
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聖堂に満ちるパイプオルガンの調べに制されるように固い木のイスに座って、30分ほど聞き入っていたのだろうか。
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卵形のドームのフレスコ画はロットマイヤー作。
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この旅で一番感動したかも知れないこの光景の中に身を置くアドミッションはフリー。
写真も録画も許されている。

ウィーン、音楽に関しては本当に芳醇で豊かな街だ。

そのちょっと手前の大観光名所シュテファン寺院が、照明も付けずに薄暗く、大挙して押し寄せる観光客からいちいちカタコンベや内陣の入場料を取るのは、比べてみればあまりにも俗っぽく感じる。
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そして、今回もベートーベン・フリーズには会えなかった。

間違いなく見学に漕ぎ着ければ、今回のウィーンで最大の目玉になったであろうセセッシオン(Secession)が月曜休館だという事実を見逃していたのである。
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前回の微に入り細に入ったプレスツァーで、このユーゲントシュティールの至宝がスケジュールに入っていなかったのはどうしてなんだろう(やっぱり月曜だったんだろうか。今思えば)。

金色のキャベツと呼ばれる月桂樹のボールを屋根に載せた印象的なデザインのセセッシオンは、若き芸術家ブループ「分離派」が自分たちを閉め出した保守派から「分離」して、自らのデザインで構築した自分たちの作品発表の場だ。
グループにはクリムト、オルブリヒ、ホフマンなど、その後のウィーン芸術を牽引するそうそうたるメンバーが名を連ねる。
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まあ中には入れないが、私の一番見たかったのはオルブリヒの建物のそのもののデザインだったので、周りを3周くらいしてなめ回すようにそのディティールを堪能する。
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フランスのアールヌーボーとはまたちょっと違った、一種独特のモダニズムが加味された印象的なデザインは完璧私のツボだ。
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ヘビとトカゲのコラボレーション。

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正面の大きな碧球を支えるカメ。

新しい息吹は、常に従来の力に疎まれ、戦ってきた。
古今東西、どの世界でもこの力関係は一緒だ。

「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」

セセッシオン正面に刻まれた分離派のスローガンである。

寒空の下の散策に身も心も凍えたら、天満屋で刺身をつまんで熱燗を引っ掛け、今度はコンテンポラリーアートの殿堂アルベルティーナへ。
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目の前は皆さんあこがれのカフェ・ザッハー。
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満員のお客さん達が食べているザッハートルテは見た目も胃にも重そうでパス。
あ、ずっしり重いザッハートルテは抜かりなく日本に配送してもらうよう手配しときましたから、そこのところよろしく。

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アルベルティーナは、同名の宮殿内をモダンに改装して、デューラーからレンブラント、シーレまでの素描画6万点、はんが100万点を所有する世界最大級のグラフィックアート美術館だ。

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素描が好きなのでそちらは楽しめたが、エキジビションの写真展の方がネオナチっぽくて怖すぎ。
「羊たちの沈黙」を思い起こさせるようなこういう一面もウィーンには確実にある。

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私のコレクションアイテムのミュージアム消しゴムのモチーフは、アルブレヒト・デューラーの「野うさぎ」。

帰国の時間は刻々とせまる。

おー、病気のクロを預かり、何も言わずに送り出してくれたダンナに何も買っていなかった!

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シュテファン寺院のすぐ後ろの手袋専門店。(店の名前の読み方が分かりません)

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一坪ほどのホントに狭い店だが、その棚全部手袋。
「男性用、革製、色は黒」みたいにアイテムの希望を言うと、ほいっとばかりに引き出しを開いて、希望に合った何種類かのデザインをざら〜っと出してくれる。

しんなりと肌触りのよい子ヤギの革の手袋、買いましたぜ。

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シャンデリアの殿堂、ロブマイヤーも今回はもう取り付ける場所が無く、Just lookig。

最後に香織さんからの情報で、オペラ劇場前の地下道にある「世界一豪華な公衆トイレ」ってヤツを体験(?)しに行く。
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2ユーロ弱(でも2ユーロ硬貨を入れてもお釣りは出て来ない)のアドミッション(?)を払って入ると、シュトラウスのワルツが流れ、個室の扉には例のロオジェ(オペラ劇場のボックス席)のサイン。
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なるほどね。どちらも「個別」ってことね。

その見事な茶目っ気は、観光客にあくまでサービスする観光立国の鏡のような光景である。
(しかし、トイレお借りするのに2ユーロは高くね?)

ちなみにウィーンには有料の公衆トイレがいろんなところに設置されており、イギリスやフランスで感じるような緊張感は無い。

さあ、出発である。

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あくまで優雅なカフェ文化で観光客を送り出そうとするかのような空港。

そう。
国の有名人をアヒルに仕立てて笑いを取るセンス、カツラを被ってオーケストラを奏でる商魂、無償でオルガンを心に浸み渡らせる優しさ。

日本も今後観光立国を目指すなら、オーストリアのこの徹底してツーリストを楽しませる精神と根性を見習った方がいい。

さあ帰ろう、その日本へ。

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君たちと楽しかった思い出をトランクに詰めて。


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