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水戸、ケアレジデンスの森 [フレグランス・ストーリー]

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犬たちは時折、飼い主の重荷を共に背負うような仕草を見せる。
偶然だろうかといつも不思議に思う。

父を施設に入居させる手続きが終わる。
父は母と同じ施設の隣の部屋を別個で所有し、入居する。

母の時のように、堪えても堪えても溢れ出すような感情の奔流はない。
ただ、ただ哀れで情けなく、早くこの仕事を終わらせたいとだけ思う。

金銭と色恋の沙汰に溺れることは、品の無いことだと私に深く植え付けたのは父だったのに、その父が、83歳の今、まさにお金と、母を疑ることだけに神経を尖らせているのは、皮肉で、老いの残酷さを見せつけられる。

老人は皆、年をとればとるほど自分が日々生活するのに精一杯で他人を慮る余裕が無くなるものである。
しかし、母親が娘に迷惑をかけるまいという心の核からの指示に忠実に従うのに対し、父親の言動はすべてが自分本位である。

周囲をかき回し、母を疲労困憊させて、父は母のもとへようやく戻っていく。
91歳の母に父の世話をする気力や体力が残っていないにも関わらず、身の回りの世話を母にしてもらいたいという理由で。

両親の世話を自分ですることなく、できうる限り整った施設に入れることは、お金と引き換えに自分の義務を放棄したのだ、という非難は当然あろう。

しかし、自分の人生の中に、両親の介護をするために手放さなければならないものがあったとしたら、そしてそれが自分の家庭の平穏だったり健康だったとすれば、それは親不孝と言われるよりも辛いという、自分で出した結論に対して迷いは無い。

少なくとも二人は自宅よりも広く快適な空間を手に入れ、身の回りの世話をしてもらうことができ、毎日温かい食事をとることができる。
そして、それは少なくとも彼ら自身の選択でもあったと、私は自分に言い聞かせる。

別々に暮した半年間を経て、ケアレジデンスの森でまた二人の新しい生活が始まるのだ。








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