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自宅、両親のデスク [フレグランス・ストーリー]

これはもう要らないわね、と母に鈴の付いた小さな鍵を渡された時、胸が締め付けられるような気がした。

父と母を身近に呼び寄せようと7年前に買った、自宅のすぐ隣のマンションの一室。
2回も改装を重ねて浴室を広げ、フロアをフラットにし、個室2室は二人が行き来できるように壁を取り払い、引き戸を付けた。

介護ベッドを2台設置し、家具や照明は青山のロイズ・アンティークスで落ち着いたものを、と厳選して入れた。

ここで両親を最後まで送る、そんなつもりであった。
一人娘ならそれが私の役目、と漠然とはしていたが、そんな決心であった。

当初、都内の句会へ出る足がかりとしたり、頻繁に遊びに来るたびに、「ここにいれば、あなたがすぐ隣にいると実感できて本当に安心」と少なくとも母は大層喜んでいた。

しかし、さあ引っ越しを、という段階で何度か頓挫し、それがすべて自宅の整理が付かないとか何かの残務整理があるという父の理由だったことを思えば、最初から父は50年住んだ水戸を離れることに賛成ではなかったのだと思う。

特に高齢の母の方の体力の衰えが目立ち始め、頻繁にめまいで倒れるようになり、ようやく二人での自活が難しいと父が気付いた昨夏、ついに「引っ越し屋を頼んでくれ」と依頼がある。
ああ、いよいよだなとマンションの部屋も掃除を入れ、引っ越し屋さんが見積もりに来る時間を気にしながら高速を飛ばして実家に着いた途端、「やっぱり自分たちはここで最後まで頑張ることにしたから、埼玉には行かない」と宣言される。

適当な理由をつけて見積もりに来た引っ越し屋さんを追い返し、ああどうして、と混乱したままその日は帰宅したが、案の定、それから特に父の迷走が始まる。
私の留守中に疲労し切っている母を無理矢理引き連れてマンションを訪れ、こちらに運び込んだものを荷造りする。
力なく束ねた毛布や衣類に、震える自筆で「手数をかけて申し訳ないが処分してください」と母が書いたメモを見て、どんなにここに住んで安心したかったろうに、父に従うしかなかった彼女の気持ちを慮って泣く。

その後わずか一ヶ月で母は記憶もぼんやりするようになり、買い物途中で倒れたりもするようになって、心配した従姉がケアレジデンスを紹介すると、すぐにでも入りたいとの希望があり、拒否した父を残して母だけ入居の運びとなったのは前述の通りである。

半年経った先月、ついに父も同所に入居し、隣のマンションは用済みになる。
私はここで面倒を見ようとした自分の思いを捨てきれなくて今までずっとそのままにしてきたが、もうここに彼らが住む可能性は無いのである。

現実に向かい合わねばならない。

二人の私物を整理し、賃貸に出す準備にとりかかる。
電化製品などは必要な人を募るが(幸い次男が多くのものに手を挙げてくれた)、慎重に選んで買ったアンティークのダイニングセットは人手に渡し難く、自宅に運び込んで私の作業デスクとする。
IMG_2823.JPG

自分のライティングデスクを母が入居した時に進呈してしまったので、ずっとソファの前のローテーブルでうずくまるようにPCを叩いていたのだが。
やっぱり広いデスクの上で、イスに座って作業が出来るのは、本当に楽。

IMG_2826.JPG
おかあさん、アタシも机に乗っていい?

・・・・もちろんダメです!

施設に入居した安心感と規則正しい食事のせいで、二人はだいぶ元の調子を取り戻し、ドライブに出かけたり、歌やフラワーアレンジメントの会に参加したり、余暇を楽しむ姿勢も見えて来たようだ。

もちろん不満が無い訳ではないようだが、この結果は今の私に出来得る最良の選択だったのだと信じよう。

多大な無駄を生んだように思えるが、義務感だけで自分の生活圏に両親を引き入れようとしたことは、結局私のエゴだったのかも知れないし、その過程があってこそ初めて二人の今の生活の選択肢が出て来たのだとも思う。

老人の介護は、計画通りになんて何もいかない。

このデスクに座るたびに、私はそれを重く心に刻むのだと思う。









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