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守谷、最後にお茶を [フレグランス・ストーリー]

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部屋中が衣装で溢れ返っている。

演し物中心の忘年会とフラのホイケが同時進行中で、一般事務職OLがいきなりドサ回り役者の楽屋に放り込まれたような、別の世界を味わっている。

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これはタヒチアンの『Pahoho』の衣装。

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『Na Kuahiwi 'Elima』の衣装。
昔のハワイの洗濯女たちの役なので、カゴを持つ。

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オープニング『Hawai'i Ponoi』を歌う時の衣装。

そして・・・
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レイとココだけで、衣装がまだ出来ていないのが、メインの『Ka Lehua 'Ula』。
赤いドレスなんだが、ホイケまであと10日を切っているのに大丈夫なんだろうか?

土曜日はフラの合同レッスンで茨城まで足を伸ばす。
明後日は、ホイケの予行練習の後、クリニックの忘年会に飛び込む形になる。
この年末、どこまで気力と体力が持つか、大勝負である。

一番後ろでウロウロ踊っている私のような者が、埼玉から東京を飛び越して茨城まで、2時間のレッスンのために往復4時間かけて出向くのは、もちろん練習のためではあるが、半分以上は一番初めにクリニックでフラを教えてくれたM先生に会いたいからだ。

練習後、先生とワッフルを紅茶で頂きながら4時間もおしゃべりする。
話しながら、ああ、最初にこの先生に出会っていなかったら、私はフラをここまで続けることはなかっただろうと思う。
先生のフラへの情熱や周囲への気遣い、そして清楚という言葉に尽きる踊りが私は大好きだった。

先生はホイケ後、私がこのスタジオを辞めることを承知で、私を最後のお茶に誘ってくださったのだ。
そう思って何だか胸が熱くなる。

先生のクラスから麻布十番のスタジオに移ったばかりの頃、ステップが判らないと泣きついた時に、携帯の動画で助け舟を出してくださったことを思い出す。

私のフラの先生は、最初から最後まで心の中のM先生だった。

来年からきっとまたどこかで私はフラを踊るだろう。
フラを踊っている限り、M先生は私の気持ちの側にいてくれるに違いない。






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