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千鳥が淵、復興ノート7 [フレグランス・ストーリー]

あの日から2週間。

混沌の日本で、ひとつだけ希望の光に向かっているのは時の流れだ。
朝が来るたび、あの日から一日確実に遠離る。
そしてこの国が立ち上がる日に、確実に一日近づく。

震災後、初めてふじみ野を離れる。

地震当時都内にいて電車が不通になったために帰れず、大混乱のクリニックと停電した自宅を夫が1人で守らなければならなかったのは痛恨の至りで、余震が大きい間は家を離れないと決めたのだ。

今日は千鳥が淵の部屋の掃除を約束してあったので、午前中にアロマテラピーの施術を終え、車の代理店が調達してくれたいくばくかのガソリンを頼りに、都内へ向かう。
あの日大手町から歩いて着き、不安な一夜を過ごした部屋は、ガラスのシャンデリアを避けて家具を動かしたままになっており、時間がそこで止まっているかのようだ。

去年の4月1日に賑やかに花見をした千鳥が淵の桜も、今はまだ鎮魂の沈黙を続けている。
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3月25日(金)復興ノート。
・週末2日、計画停電実施なし
・被災地支援、企業が知恵
・放射性降下物大幅減.大気の放射線量も低下
・札束、スーツケースで上海日本総領事館へ

最後の一項。
中国らしいなあと、思わず笑い。
中国企業60数社と中国人従業員の有志から5500万円あまり。上海の中学生も小遣いを集めて1388元(約1万7千円)を匿名で同領事館へ。

日本と中国の関係はこれまでものすごく良好という訳ではなかったように思うが、しみじみと有り難い。

千鳥が淵の花見に使っていた、充電式キャンドルライトを持ち帰る。
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いっぱいに充電しておけば4時間近く光っている。

これ、計画停電にジャストフィットでしょう!

本日の新聞の片隅にひっそり。
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次男もここで大学院の卒業式のはずだった。

若い力の門出を祝ってあげられないのはちょっと寂しいが、この卒業生たちが、まさにこの時に社会へ出たことを心に刻んで、満身創痍の日本復興の原動力となってくれることを心から願う。

「過酷な事態から真摯(しんし)に学び、痛みが少しでも癒えるように、次世代が同じ苦しみや悲しみを味わわなくて済むようにすることが、学問の務めであり、学問を学んだ人間の務めです」(浜田純一東大総長)




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