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巣鴨、節分 [フレグランス・ストーリー]

節分である。

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昨日、巣鴨にあるフラの先生の家の隣の小さな神社でも、高いステージを作って豆まきの準備に余念がない。

これは3日に家に撒くのよとあげた豆を、もうすでに食べてしまったとP(=フィリップ)から2日前にメールが来、ったく、と舌打ちしながらも、かすかに私の英語が通じてなかったのかもと反省する。(当然そっちである)

節分というのは「季節を分ける」という意味で、立春、立夏、立秋、立冬の前日すべてを指すのだと俄仕立ての知恵袋を広げ、その中でも立春の前の節分だけなぜセレモニーがあるかというと、旧暦で春は年の初めだとされているからです、なんて日本でもあまり語られない知識をガイジンに話そうというのが私の能力ではすでに限界オーバーである。

豆鉄砲食らったハトみたいな彼を責めても仕方ないんである。

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日の当たる神社は平和で、さあ明日から春へ向かうよと、寒風に身を縮める人々を励ましてくれる。

東北や日本海側の想像を絶する雪模様をTVで見るたび、20年ほど前に同じような雪深い鶴岡で過ごし、後から後から降ってくる雪に絶望にも似た敗北感を味わったことが思い出される。
地元の人でも大変なのだから、カラッカラの関東で育った人間は雪の重みに身も心も押しつぶされそうになる。

その中で、少なくとも今日から春へ向かって歩き出すのだという節分が、何だかようやく見つけた小さな出口の灯りのようで、本当にありがたかったのを思い出す。
最も寒く暗い時期の中での春への希望が人々の生きる活力を生み出し、しいてはそれが文化や進歩を促進し、深い情緒を育むと思うのは、一年中暑い国々と比べて私だけが抱く偏見だろうか?

疲れ果てた雪国の方々に、今、私は何も出来ないけれど、その気持ちだけを伝えたい。

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ミナサン(トイプー3匹)をトリミングサロンに預け、クリニックへ仕事に出るちょっとの隙間を、スタバでの勉強に充てる。

関東は、穏やかな、穏やかな節分の朝である。




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