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水戸、処暑祭 [フレグランス・ストーリー]

やばい。

またしても泣きそうである。

音楽や映画からもらう、さらさらと湧き出る泉のような感動と違って、親子のしがらみから生じる情念の迸りは、激情的で粘度の高い汚泥にも似ている。

87歳の父が暮らす老人施設では、毎年二十四節気の一つ処暑にちなんだ夏祭が催される。
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この施設の処暑祭はもう24回めというから、地方の小都市水戸では、ここは結構有料介護施設の草分け的存在の施設であろう。

今年のテーマはハワイアン・カーニバル!(えーと、意味がよくわかりません・・・)
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・・・というわけで、日頃お世話になっているヘルパーさん達もこの出で立ちである。

各テーブルに置かれたプログラムとお薬ポーチも、スタッフの手による切り絵のフラガールがモチーフである。
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この年中行事は、日頃施設で暮らして家族から孤立しがちな入居者達が、家族と共に一緒に飲み、食べ、歌って楽しむための貴重な企画だが、一方、家族がこの日訪れない入居者達にとっては、一層寂しい日であることは間違いが無かろう。

前々年の処暑祭に何かの都合で欠席し、でもまあ夫婦で入居しているんだから寂しくもなかろうと思った矢先に母が亡くなり、非常に後悔したので、父一人となってからは何が何でもこれだけは出席することにしている。
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午前中に用事を片付けて都内からの出発だったので、途中あまりの眠さにPAで仮眠をとっていたら、オープニングギリギリの時間となってしまい、ステージ正面のど真ん中の一等席にぽつねんと座らされた父には、ちょっと心細い思いをさせたかも知れない。

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アトラクションは、入居者と職員達のフラダンスやコーラスの他、著名なバーテンダーのジャグリングもある。

レイをかけられ、私の分まで常陸牛のステーキを2枚平らげた父は、日頃許可されないビールを心行くまで飲んだせいで、帰りは部屋まで上機嫌の車イスである。
それもこうしてお世話をしてくれるヘルパーさん達が身近にいて、ようやく成り立つ小さな幸福。
父は施設への不満しか私に訴えないが、こうやって余裕を持って父と接することが出来るのも、このサポートがあってこそなのだと思う。

父の、私たち家族に対するやり方が間違っているのではないか、と思い始めたのは、高校生の頃だったか。
独善的で、威圧的で、私や母が自分に逆らうことを決して許さない。
父には父のやり方でずいぶん私を引き立てようとしたのだとは思うがやり方が違っている、と反発した。

幼くして両親と死に別れた父は、配偶者や子にどういう風に接するのかを親から学べなかったのだと気付いたのはもっと大人になってからだったが、老いて何の力も無くなってもなお、私や母をコントロールしようとする父が、ずっと嫌いだった。

母が亡くなり、初めて自分の力で操縦するものが無くなり、父は今の自分がいかに無力かをようやく悟ったように小さくなった。

「お前が来てくれてよかった。」

そこでやめておけばいいものを、
「いや、一人でもよかったんだけれど、あそこで一人で座っていてもなあ・・」
と付け加えて、それまでの盛り上がりを台無しにするのは相変わらずだ。

私には夫や息子や孫がいるけれど、ああ、この人には私しかもういないんだと、胸が一杯になる。

「もう、お前に(来てくれたお礼に)やるものは何も無い。それを持っていけ。」

多分、いくらのものでもなかろう。
コレクションしていた中で、今は乱雑になった自分の部屋に、最後まで残しておいたひとつの小さな仏頭を、いくら「いいよ」と辞退しても、どうしても持ち帰れと言う。
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施設からの常磐高速は、単調で長い。

母が生きている時もずっとそうだったように、センターラインにいろんな思いが交錯して涙が出そうになる。

父の人生を、思う。






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