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ウィーン、Austroducks [セルフィッシュ・ジャーニー]

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素敵なバラ色の朝焼けを、帰国の朝にありがとう[もうやだ~(悲しい顔)]

ウィーン滞在中は、今にもみぞれに変わりそうな冷たい雨と曇天に苦しんだ。

気温は昼間でも7、8℃。

薄いダウンベストとコート、ヒートテック、持ってきたアイテムすべてを重ね着してぎりぎり凍死を免れるか(またオーバーな)である。

しかし前にも書いた通り、前回ウィーン訪問がオーストリア政府観光局招待のプレスツァーだったので、それそれはオイシいところだけをバッチリ選んで見せてもらい、体験させてもらい、食べさせてもらったので、今回はプラハのように貪欲に観光スポットを歩こうという気もなく、ガイドブック殿が「ウィーンに来たらザッハーやデメルのカフェを全軒踏破しましょう」とがなりたてるのも、全く無視。
前回、カフェオーナー主催の舞踏会なるものにも出席したしな。

いくらカフェ文化の中心地ったって、だいたい甘いケーキやホイップクリームが得意じゃないし、この寒空の下、チョコレートケーキで身体があったまるかいっ!

熱燗しかあり得ないだろ。

・・・というわけで、熱燗飲みに二度ほど通わせて頂きました、天満屋様。
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この恩は忘れません。
女子マラソン、応援するからねー!

さてさて、寝る間と食べる間は惜しむが、見る手間と買う手間は全く厭わないタチである。

プラハのお買い物が不発に終わったのでしょんぼりしてるところへ、直球を投げ込んでくれたのが、横浜在住時代のテニス仲間、香織さんである。

香織さんはオーケストラに所属するフルート奏者なので音楽に造詣が深く、今夏のザルツブルグ音楽祭に出掛けて見つけたらしい、モーツァルトの恰好をした何ともおかしなおもちゃのアヒルをFBに公開していた。
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私のアンテナはがっちりとそのアヒルにロックオン。
ウィーンに着いてさっそく探すもどこのお土産物屋さんにも売ってない。

FBで香織さんに泣きつくと、それがAustroducks http://www.austroducks.com で、オーストリアゆかりの人物を模したゴムのアヒルのコレクターズアイテムだと教えてくれ、親切にウィーン市内のどこで手に入るかを検索してくれたんである。

香織さん、ずっと会ってないけど、昔と変わらないなあ。
おっとりとしてとっても親切。
ヒトの話しをうんうんと親身に聞いてくれる。

その後意外にもホテル前のオペラ劇場の美しいコリドーに面したミュージアムショップで、モーツァルトだけじゃなく、全種類のAustroducksを発見。
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FBで彼女に報告し、フロイトや皇帝フランツ・ヨーゼフやシシィのアヒルをポステッドしては二人で大盛り上がりに盛り上がったんである。
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ウェスト50センチを維持するために毎日のトレーニングを生涯欠かさなかったという皇妃エリーザベト、シシィもAustroducksにかかればこんなにキュート。

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市内のとあるリネンショップには、歴代のコレクションがずらりと飾られていたから、地元市民にとっても楽しみなコレクタブルズなんだろうなあ。

HPにある通り、現在発売されているのは8種類+1種類らしいが、このプラスワン=ピンクのコスチュームのスペシャル・モーツァルトだけはどこにも無くてあきらめかけたのだが、最終日の夜、ついに出会えたんである。

つまらないのは承知で出掛けた楽友協会モーツァルト・コンサート。
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市内のあちこちで開かれている、モーツァルトのカツラを被った音楽家達による観光客寄せのためのパフォーマンスなんだが、楽友協会のなら音楽的レベルが少しは高いだろうと思い、これも日本で予約して行ったのだが、まあとるに足らないものではあった。
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中国人の団体が演奏中でもところ構わず写真や動画を撮りまくり、なんか観客の質的レベルも最低。
(一応撮影OKではあるらしいので、私も一枚撮らせていただきましたが)

疲労感もピークに達していて、前半のドンジョバンニが終わった時点で退散。
その入り口でプログラムと共に私を見つめていたのが、このピンク・モーツァルトだったんである。
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オーストリアは完全な観光立国だから、観光客が何に飛びつくかという、こういうリサーチやセンスは本当に鋭い。

さあ、一緒に日本に帰りましょう。

帰国の途は、10何羽のアヒルと共に。

ウィーン、セビリアの理髪師 [セルフィッシュ・ジャーニー]

あー、楽しかった!

ホテル前の交差点のはす向かいにある国立オペラ劇場で、「セビリアの理髪師」を観てきたんである。
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しつこいようだけど、オペラ劇場の別のはす向かいにはスタバ。
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投げ込むなあ、直球。

それはそれとして、ロッシーニすごく好きかというとそうでもなく、日本で劇場のHPにアクセスしてチケットを予約した時に、たまたま滞在期間の上演がこれだっただけなんだが、案外当たりだったかも知れない。

日本で観る時のように字幕があるわけでもないから、歌詞も台詞も分からないが、ドタバタ喜劇(ウィーンてこういうの好きなんだろうなあ。よくモーツァルトの演目も喜劇選ぶ)は、歌い手さんのオーバーな仕草だけでかなり笑える。

劇場のHP上では、席の見取り図があって空いている席が色分けされているから、そこから自分の好きな席をポチして、住所、名前など必要事項とカード情報を入れれば予約完了となり、世話は無い。

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予約は簡単だったけど、現地ではプリントアウトしてきたバウチャーをチケットに変える場所が分からなくて、劇場の周りを2周してしまう。

くれぐれも正面玄関前でモーツァルトの恰好をして法外なチケットを売っているダフ屋にはモノを聞かない方がいい。
みんないい加減なんだもん。

それからよく地球を歩くガイドブックが体験談として「ウィーンのオペラにはドレスアップして行くべきです」「日本と違ってシャンパンとカナッペが用意されていますから、是非ドレスアップしていきましょう」などと載せているが、ホントかなと私は懐疑的であった、常々。

さすがにジーパンにスニーカーはまずいだろうが、とびきりおしゃれとは言えない(失礼!)ウィーン市民が、日本とは違って年間300回以上上演されるという(日本と違うのはシャンパンとカナッペじゃなくて、そこだよ!)日常茶飯事のオペラにそんな正装で毎回行くものだろうか?

行ってみて、やっぱり主観でモノを言う(あるいはガイドブックが言わせる)のって怖いなと思う。
浮いてます、日本の、特に若いカップル。

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天井画。

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シャンデリア。

クラシックな装飾も日本の劇場には無いものだが、ステージのサイズやオーケストラボックスや平土間の1階席は思ったよりとても小さい。

そして、演目にもよると思うが、雰囲気はとってもとってもカジュアルっていうか、日常生活に溶け込んでいる感じである。

ここのオペラは、ステージと観客がすごく近いんである。
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日本でオペラと構えるのは何なんだろうと思う。

ロオジェと呼ばれるボックス席は日本の劇場には無いので、そこの最前列を選んでみたが、これは正解だったようだ。
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横並びにずらりと並ぶ日本の劇場シートの配列は、トイレに行くことを考えると一種の圧迫感があるし、前に大きな人が座ったら最後、快適な観劇はあきらめねばならない。

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ロオジェには6人しか入らないし、最前列はカウンターに手を置いて観ることもできるし、荷物も置けるし、前に邪魔な頭が来ることも無い。
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一方、正面の一番いい場所をわずか3~4ユーロで入れる立ち見席としているところが、庶民の楽しみを大事にしている感じですごくいい。
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(日本での上演のように本国から運んでくるのではなく)持ちネタなので舞台装置も早変わりできるようにうまく設置してあり、準備のための幕間も結構短い。

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例のシャンパンと手作り感一杯のカナッペも大急ぎで飲み込む感じだ。
キャビアのってます。

いやー、美女の恋路を邪魔しようとする強欲オヤジの演技がまるで吉本喜劇のようで、大笑いしてしまった。

一人旅だとセルフポートレートが無いので貴重な一枚をアップ、こんな恰好で十分でした。
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スカートの履き方、忘れるくらい久しぶり。

ちなみにオバサマからこの劇場の服装についての「体験談」を一言、よろしくて?

洋服がどうこう言ってないで、面倒でも小さなハイヒール一足をお持ちなさい、若者よ。
とって付けたようなドレスに、旅に便利なペタンコ靴はおかしい。

どんな恰好で行かねばならないかという服装からのアプローチではなく、オペラを楽しみ、敬意を払う気持ちを優先させる。
気持ちがあれば、服装は自ずから決まってくるものだ。

そこのところ、是非よろしくお願いします。




ウィーン、唐揚げ御膳 [セルフィッシュ・ジャーニー]

あー、あり得ない。

プラハ踏破(し尽くしたワケじゃないが)のせいじゃない。
あのボヘミアンセラピストだ(まだ言ってる)。

旅程3日めにして全身にねっとりとからみつく、言いようの無い倦怠疲労感。
今まであまり経験したことが無かったが、もみ返しってやつなんだろうなあ。

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前夜オーダーしてあった朝食のハニーワッフルも飛びついて食べたいほどの食欲がわかない。

お腹の調子もちょっと悪い。
でもビオフェルミン飲みながら食べたけど。
体調悪いながらも、甘さが溶け出すような美味しさはわかる。

移動日である。

ウィーンに着いたら午後はゆっくり休んで後半に備えようと決める。
一人旅は、自分の調子でスケジュールを調整できるのが、何と言っても気楽だ。

市街中心部のホテルから空港までタクシーでわずか25分。
土曜で渋滞が無いせいもあるが、我々日本人は成田のおかげで空港までの所要時間をとかくオーバーサイズに見積もりがち。
空港での待ち時間が長くなる。

がらんとしたプラハの空港で、やることがないので大量に余ったチェココルナをユーロに換金する。
海外でのお買い物熱の発火点はかなり低い私でも、このチェコっていう国、本当に買いたいものが見つからない。

地球の歩き方ご推薦のお土産は、ボヘミアンガラスとあのマリオネット、ベヘロフカという薬草酒ぐらいのものだから、どれも重過ぎ、つまらな過ぎ、持って帰るほどの情熱を注げない。

歩くのに忙しくてお店をろくろく覗けなかったせいもあるが、買ったのは例のスタバのマグのみ。
夫が聞いたら絶対心配する。
具合が相当悪いんじゃないかって。

だから潜在的にチェココルナを使いたいっていう思いが私のどこかにあったんだと思う。
人気の少ない空港内の土産物屋さんから、じっと私を見つめる視線に射られる。

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うちのべっちゃんくらいの大きさと重さはある、ドクターのマリオネット。

うちのダンナさんがこんな頭になったら悲しいけど、気難しさの影に地域医療に邁進してきた誇りのようなものが垣間見える表情(どんだけオーバーエクスプレッションだ)に、500チェココルナ札を5枚、ついに差し出してしまう。

大荷物である。

プラハからの移動は、ついに出ました、双発プロペラ機。
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プロペラ機はジェット機のように雲の上に出ないので、眼下の風景が楽しめる。
10年前の2月、ザルツブルグからウィーンへの双発機から見下ろした、雪に覆われたオーストリアの山間部の美しさに息を呑んだことを思い出す。

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さようなら、プラハの街。

またきっとすぐに戻ってくるよ。
今度はゆっくりした時間をトランクに詰めて。

観光客で賑わってはいても、歴代の勢力に侵略され続けてきたせいなのか、どこか物悲しい感じのするプラハから移ってくると、まあウィーンは大都会である。

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Four Seasons Pragueとは格も大きさも違うコンファタブル(であろう)ホテル、The Ringは、国立オペラ劇場に近いというだけで決めた。
オペラがはねてから、夜一人でタクシーを使わずに帰って来られるのが、第一条件なんである。

目的はばっちり。
リングの交差点のはす向かいにオペラ劇場がある。

昼過ぎに着いたので、まだ部屋の準備ができていないと言われ、荷物を預けてウィーン随一のメインストリート、ケルントナー通りに散策に出る。

マクドナルドも50メートルおきぐらいにあるし、スタバだってある。
このカフェ文化の中心地に殴り込むなんて、今回はプラハ城といい、スタバの押しの強さってもんを見せつけられたような気がする。

前例もあるし、とりあえず入ってご当地マグを買ったが、メニューにはウィンナコーヒーの代表格、カフェ・メランジェなんかも載っていて、一応地元カフェ文化に配慮した形になってるのかなあと思う。

土産物屋さんでモーツァルトのカツラを被ったテディベアを買ったら、急に空腹を感じる。
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さっきまで食欲が無くて、40分のフライトで投げつけるようにサーブされる巨大なサンドイッチはどうしても食べられなかったのに、である。

笑わば笑え。

ウィーンでは、ウィンナー・シュニッツェルじゃないのかと。

お腹の調子を正常化させるためと言い訳して、通り近くのバリバリ和食処天満屋に入り、日本でもこのボリュームは絶対食べない刺身付きの「唐揚げ御膳」を熱燗一合と共にオーダー、完食した私を。
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あっつあつの唐揚げと五臓六腑に染み渡る熱燗酒。
涙がチョチョ切れそうである。

凍えるパリの国虎屋で天ぷらうどん食べた時と同じ気持ち。

一人旅の外国で出会う本格和食(外国人がやってるなんちゃって和食じゃなくて)の暖かさは身にしみる。

熱燗の勢いでかなりハイになってホテルに戻り、期待もせずに古い手動式のエレベーター(!)で言われた部屋へ上がれば、またもやワーオ!である。

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6階の最上階、天窓付きのモダンなインテリアの広いワンルームである。

これはテンション上がるー

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ウィーン、いいじゃないか。



プラハ、王の道 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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フラッチャニの丘を下りる道は、土産物屋やカフェが軒を連ねるにぎやかな通りだ。

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チェコの最も有名な土産物といったらこの操り人形らしく、行けども行けどもマリオネット屋さんが延々と軒を並べているのだが、結構不気味なんである。

時折、有名なサッカーチームの選手達に似せた人形や、子ども向けにひょうきんな動物のマリオネットもあるんだが、操り人形劇はれっきとした大人の文化、と胸を張るだけあって、それぞれの誇張した表情がかなりリアルでコワイ人形が多い。

こりゃー、買えないわ。
ボヘミアの魔女が一緒についてきちゃいそうだもん。
(しかし後述するが、ついに一体買ってしまうのである)

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昔ながらの坂にへばりつくように建った石造りの連棟が、思い思いの趣向でカフェに改造されている。

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真っ赤なイスとテーブルとピックアップトラック。
偶然なのか、意図的なのか。

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頂上にはスタバがあったが、カレル橋のたもとにはマクドナルドがある。

日本では林立しているマクドナルドもスタバもコンビニも、この観光地ではほとんど見かけない。

それはそうだ。
無血で共産主義から市民を解放したビロード革命は、ほんの20数年前のことだ。

「一人でチェコへ行ってきます」と83歳のフラの先生に言ったら、おおまじめで「危ないわよ。あそこって共産圏でしょう」と心配されたけど、大方の周囲の反応も似たり寄ったりだ。
それほど、日本からは地理的にも意識的にも文化的にも遠い国なんである。

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カレル橋のたもと広場ではセグウェイ・ツァーが事前練習中。
セグウェイ・ツァー、この頃はパリでもロンドンでもウィーンでも大流行りだ。

プラハ城と並んで、この街で最も人が集まる観光スポットが、ヴルタヴァ川にかかるこの歩行者専用橋カレル橋だ。
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朝、一つ上流の橋から望んだ時は閑散としていたのに、今や橋の床が見えないほどの人だかりだ。

橋の上にはストリートパフォーマーや出店が建ち並び、橋桁に設置された彫像群と共に、それらを冷やかしながらそぞろ歩くのが楽しい、とされている。
パリのポンデザールやこの橋のように、楽しみながら歩けるのんびりした橋って日本には無いなあ。

両側の欄干にある聖人の彫像は30体あると言われており、それぞれの解説もガイドブックに載っている。

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ベビーも鳩も抱えて、ちょっぴりやつれたマリア像。

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金色のタケコプター?(よく見ると羽は4枚でした)

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欄干に埋め込まれた銅板のイヌを撫でると幸運が舞い込むのか、イヌだけが撫で磨かれてピッカピカ。

さらに進むと観光客がごった返す旧市庁舎広場。
どこででも見かける日本の観光ツァー客はほとんど見かけない、というか全く見ない。

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有名な旧市庁舎のからくり時計の前で、子どもたち。

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旧庁舎の、ルネッサンス様式の一つとされるだまし絵技法で彩られた壁面。

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広場の対面にそびえる特徴のあるゴシック様式のティーン教会の二つの尖塔。
聖ヴィート大聖堂と同じベトル・バルレーシュの設計。

ボヘミア王が交代する度に戴冠のパレードを通してきた由緒ある「王の道」を、プラハ城から逆に辿ってきた最後の方に、比較的新しいキュビズムを建築に具象化した「黒い聖母の家」がある。
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ピカソやブラック等の絵画で知られるキュビズムが建築に表現されたのは、このチェコだけだと言われている。
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名の通り、キューブを取り入れた階段の手すりのデザインがユニークだ。
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建物の角に飾られた聖母像からこの名がついているそうだ。
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シャンデリアが当時のままのキュビズムのデザインの2階のカフェでランチにする。
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お世辞にも美味しいとは言えないチキンクレープ。
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建物が目的なのでそこは大目に見る。

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ゴシック様式の火薬庫を最後に王の道が終わり、新市街地へムハ(ミュシャ)美術館を目指して歩き出す。

それほどミュシャに惹かれないが、自宅に特大の版画があるので敬意を表して。
ここは日本のオバちゃんが多く(私もだよ!)、日本でのミュシャ人気を伺わせた。

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スラブ民族がドイツの侵略に抵抗して、威信をかけて建設したという国民劇場の裏にあるオペラハウスは、超現代的なガラスブロック製。
青山のプラダビルともまた違う、量感のあるふっくらしたガラスが好ましい。

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ヴルタヴァ川のほとりの角のフランク・ゲーリーのダンシング・ビル。
プラハの街にそぐわないと、建設当時は物議を醸したそうだが、今は立派な景観の一部に。

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ダンシングビルからまたヴルタヴァ川岸沿いに北上してホテルを目指す。
セーヌ河畔にも、テムズ河畔にもある、こんな木陰の散歩道。
一人旅には必ず歩く。

川の反対側にはアールヌーボー様式の建物が続く。
いつもなら飛びつくのに、さすがに今日は建築デザインもあまりに一気に見過ぎて、お腹が一杯だ。
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お約束の出会い犬。
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おイヌ様だらけのパリやウィーンに比べると、少なかった気がする。

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またフラッチャニとカレル橋が見えてきた。

一日でほぼ一世紀分の建築様式を駆け足で見て歩いたことになる。

さすがに、疲れた。

なのに、ボヘミアン・マッサージ!

気をつけよう。
暗い夜道とご当地マッサージ。


プラハ、二つの教会 [セルフィッシュ・ジャーニー]

痛いぃ〜〜

夕刻、Four Seasons Pragueの地下にあるフィットネスクラブに併設されたスパ。

正味一日しかないプラハ散策の後のお楽しみだったはずなのに、セラピスト、トリートメント下手すぎる。

カウンターで受付をしてくれたジムトレーナー風若者が、コンサルシートにチェックし終わった途端、「私がセラピストです。Nice to meet you.」
えーっと思ったが仕方無い。

LA BOHEME、ボヘミアンマッサージってこんな?

指先にだけ力が入る(それも尋常な力じゃない)、ツボもなにもあったもんじゃない下手くそな指圧みたいなピンポイントマッサージ。
圧が強すぎると言うと一瞬、OK、OKと弱まるが、別の部位に移るとまた元の木阿弥。

ご当地マッサージには要注意。

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さてさて、たった一日で(ウィーンに重点置き過ぎた。失敗)どれだけプラハを歩き倒せるかが勝負の日は快晴。

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機内食3回食べて疲れ果て、前夜ビール1本で昏倒してしまった腹ペコ青虫は、頼んでおいたルームサービスの朝食に飛びつく。

Sunnyside upもちゃんと通じてる(フォーシーズンズだから当たり前か)が、クリスピーベーコンだけ卵に添えずに別盛りってのはどうなんだろう?

Well, well・・・・

お腹を満たして、きーんと冷えた早朝のプラハの街に飛び出す。
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一旦スーツケースに入れたダウンを、モンクレールの厚手のコートに入れ替えたが、これは裏目に出た。
昼間は12℃くらいまで上がるらしいが、早朝の最低気温はわずか1〜2℃である。

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「芸術家の家」前で、コートの下に薄いダウンのベストを重ね着してリスタート。

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ストリートというよりはストラーダと呼びたい石畳の街。
アスファストなんて何処にも見当たらない。

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旧市街地には縦横無尽にトラムが走り、3本しかない短い地下鉄に代わって市民の足となっている。

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朝の車の渋滞も、だから線路の上。

どう整理するんだろうなあ。

昨日のおばあちゃまの言ってた「スラブ叙事詩」にも巡り会う貴重なチャンスでもあったが、調べたら交通機関を使わなくてはならないところだったので、今回は我慢。
自分の足で歩ける範囲に見たいものが山ほどあるから。
4年後の絵の来日まで生き延びよう。

まずはヴルタヴァ川の対岸にそびえる小高い丘、フラッチャニのプラハ城へ。

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マーネス橋から見る、まだ人影の少ないカレル橋。

「初めての街についたら、まずはその土地の一番高いところへ登って地理感を獲得すること」
小生意気な大学生だった頃の次男の言い草を、それでも私は今も一人で初めての土地へ行くと実行している。

うねうねとした歩きにくい胸突き八丁の坂道は、両側にひしめき合う装飾を美しく施した家々や土産物屋を見ながらの楽しい道だ。

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イタリア大使館(・・・といっても普通の一軒家風)の迫力ある2羽のワシ。

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ルーマニア大使館(・・・といっても普通の一軒家風)では、巨人がバルコニーを支えている。

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丘の上から見るプラハの朝。

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プラハ城の前はすでに観光客の群れ。

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さすがスタバ。
人が一番コーヒーを飲みたくなる場所が分かってらっしゃる。

始めに重たいPragueのロゴ入りのマグを買うのはためらわれたが、後の行程で見つからなかったら一生後悔すると思い、お約束のコレクションアイテムをゲット。
後になればこれが正解。
下のどの観光スポットでもスタバは見かけなかったから。

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お決まりのラテを飲んだ後にお借りしたトイレへ降りる階段の窓。

プラハ城はすっ飛ばして、お目当ては隣接するゴシックの至宝聖ヴィート大聖堂。
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600年かけて完成されたというから、経てきた当時当時の建築様式が複雑に混在した大傑作だ。

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個人的には怖すぎるガーゴイル群に釘付け。

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建物の角という角全部に違ったガーゴイルがついていて、上から人民を威嚇している。

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内部は繊細なリブヴォールトに支えられた、光のグラデーションが美しすぎるゴシック様式。

朝の東の光を通して、意匠どおりの効果を醸し出している。

とにかく教会を含めたプラハの多彩な建築物を一つでも多く回りたかったので、プラハ城には足を踏み入れること無く、すぐに坂を下リ始める。

カレル橋につく手前にバロック様式の聖ミクラーシュ教会。
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ロココ調の金彩の装飾は、トゥーマッチな感じだが、ドーム型の天井に溶け込んで決して嫌みがない。
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林立する聖人の彫像も一つ一つ見応えがある。
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ドーム型の天井は素晴らしい音響効果があるらしく、コンサートも頻繁に行われているようだ。
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誰かさんが必死で練習しているバッハもあって、ちょっと家を思い出した。

(続く)


プラハ、モルダウのほとり [セルフィッシュ・ジャーニー]

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"Welcome to your 'home away from home' in the golden city."

部屋のメッセージカードを見た途端、まる一日かかった道行きの疲れがほろほろと身体中からこぼれ落ちていくような気がして、バスタブに身を沈めた後、ミニバーのビールを1本飲んで、ベッドに倒れ込んで昏睡してしまった。

久しぶりのヨーロッパである。
久しぶりの一人旅である。

一旦アメリカのボーダレスな茶目っ気に触れてしまうと、何となくヨーロッパは敷居が高くなってしまうものだ。

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しかし、いつまでも自由が利く年齢でもあるまい。
行けるうちに行こうと思う。

越えなければ。
いつもヨーロッパで感じる有色人種のビハインド感・・・

乗り込んだオーストリア航空。
最終目的地プラハまではウィーンで乗り継ぐ。
10年ほど前にオーストリア政府観光局のプレスツァーに紛れ込んで、ウィーンとザルツブルグを訪れて以来である。

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チェックとチロリアンテープで飾られたブランケットとピローで一気に気分はロマンチックなクラシカルヨーロッパへ。

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食事はCAがコックさんの恰好をしてサービスにまわり、楽しさを盛り上げる。

オーストリア航空の機内食は美味しい。

グルメじゃない私が言っても説得力ゼロだが、個人的に日本の次に食事が美味しいのはオーストリアだと思う。
味に層と深みがあり、味付けや調理が丁寧な感じがするところがすごく日本と似ていると思う。
さすが栄華を誇ったハプスブルグ家のお膝元である。

話しはそれたが、それが航空会社の機内食にも如何無く発揮されている気がする。

圧巻は食後のコーヒー。
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れっきとした「カフェ文化」なるものが存在する国の威信をかけ、10種類のウィンナコーヒーからチョイスできる別メニューが配られる。
クルーはすごく親切というわけではないが、楽しめるフライトに仕上がっていると思う。

12時間のフライトを予定していたのに1時間以上も早くウィーン到着。
40分ほどしか無かったトランジットに余裕ができて一安心。
シェンゲン条約加盟国同士なのでパスポートコントロールは無し。

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ウィーンからはプロペラ機でないだけまだまし、といった風情の小さな機材。

日本人乗客は私以外に杖をついたおばあちゃま一人だけ。
お話しすると78歳で、ミュシャの「スラブ叙事詩」を観にはるばるツァーにも入らずお一人でプラハまで行くという。
「スラブ叙事詩」は普段はモラフスキークルムロフという地方都市まで行かないと観られないのだが、12月31日までプラハ市内のヴェレトルジュニー宮殿で公開中なのだそうだ。(恥ずかしながら調査不足でした)
2017年に来日も予定されているそうだが「あと4年生きられるかどうかわからないでしょ、私」とさらりとおっしゃった。

いいえ、必ず日本で叙事詩と再会されますとも。

おばあちゃま、素晴らしいです!
あなたこそ、私の目指す先達かも知れません。
20年後、私もどこかの空港でそう言っていたいです。

日本の熟年女性、まだまだ捨てたもんじゃありません。

「お荷物のピックアップ、お手伝いしましょうか」
と言っても、
「大丈夫。軽いから。あなたも良い旅をね!」
とおっしゃって、プラハの空港でお別れした。

さてさて、空港からタクシーで、日本で言えば田舎の坂道といった風情の主要道路で渋滞にハマりながら、小一時間で、ヴルタヴァ川(モルダウ川)ほとりのFour Seasons Pragueに到着。
言葉は最低限の英語しか分からないが、ドライバーさんもにこにこした愛想のいい人だった。

一人旅ではあまり贅沢なホテルには泊まらないことにしているが、プラハは初めての街で雰囲気が読めないことと、どうしてもモルダウが見える部屋に泊まりたかったので、HPにアクセスして部屋も限定した。

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期待に違わず、ちょうど間に合ったモルダウとカレル橋の夕暮れ。

スメタナの名曲を反芻する。



自宅、準備 [セルフィッシュ・ジャーニー]

まだ、おります。

早々と「プラハ 都市の肖像」に引っ掛けて出発宣言をしてしまったので、あれ、まだいるんですね、なんて周囲から言われたりする。

ええ、まだいます。もうすぐいなくなりますけど。

帰国後時差ボケしながらアップアップするのが目に見えているので、日常に組み込んでいるルーティンをとりあえず1週間分片付けていく。

帰国翌日に這ってでも行くつもりのフラの練習もしたし、Johnnyのアサイメントは仕上げてメールで送った。
不在中に締め切りが来るバンドライブのエントリーも済ませた。
仕事のお休み掲示もアップした。

それはいいけど、旅行の準備は遅々として進まない。
北海道より寒いと言われている中欧がどんな気温なのかが依然読めないせいもある。

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ヘルノの軽めのダウンだったり、ロロピアーナの薄手のカシミアタートルは、ベージュとモスグリーン系に統一して組み合わせが効くようにする。

ウィーンではオペラとオペレッタのチケット予約したので、ストレッチ素材でシワにならないワンピと軽いハイヒールもとりあえず持参する。

旅のワードローブは色調を揃えると、組み合わせが効いて無駄な衣服を持つことが無く、全体的な量を最小限に抑えられる。
NYの時のようにパーティがあるわけでもないので、こまめに着替えるTシャツだけ多めに持てばいい。
少しカッコイイブランドのTシャツなら、暑い時にはダウンの下にこれ1枚でいいし、もちろん部屋着としても使える。

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前も書いたかも知れないが、アジアと違ってヨーロッパのホテルにはお湯を沸かす電気ケトルが備わっていることがほとんど無いので、一日中でもお茶を飲んでいたい私に、携帯用ケトルは必需品である。
免疫力が低下することも考えて、エキナセアのお茶は必ず持参する。

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これも前にも書いたと思うが、部屋によっては異質な匂いでリラックスできないことがあるので、サンタマリア・ノヴェッラの紙製のお香も必ず荷物に入れる。

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一人旅の長年の友(名前はまだ無い)も忘れずに。
一人でホテルについてこの子の顔を見た途端に、いつもいつもほっとするのだ。

今日は一日ドラムを持っている友人宅で、先日の雪辱を晴らすまで練習しまくる。

悔しく、みじめな気持ちで飛行機に乗りたくないから。

旅の準備は、実際の装備もだけれど、私の場合気持ちの完了感がどうしても必要なんだと思う。



NY漬け、25th St.~Brooms St. [セルフィッシュ・ジャーニー]

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バイワン。
ゲットワン。
待つワン。

W25丁目フリーマーケット付近のSABWAY前で大人しくご主人待ち。

アンティークショップの多いこの付近は建物もアンティーク。
マンハッタンの歴史は島の南端から遡っていくので、南下するほど建物が古くなるのは当然である。

古びた教会の間にエンパイアステートビル。
25丁目から見る34丁目。
その間に何十年の月日が横たわっていることだろう。
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5番街と交差したブロードウェイをそのまま東南へ下っていくと、今度はパークアベニューにぶつかったところがユニオンスクエア。

土曜でほとんどの日本料理店が休みという中で、一軒気を吐く寿司屋15 EASTは名前の通り、5番街とユニオンスクエアの間、15丁目にある。
http://15eastrestaurant.com

ちょいと殺風景な界隈の中にあって、内装はシックでモダンなしつらえ。
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高い天井には杉玉。
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とかく外国でありがちな、なんちゃってイケイケ和食とは一線を画す本格派日本料理&寿司。
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鰆の西京焼きも、赤だしの味噌汁も、ジョン・レノン似のスタッフのネタ紹介も、まったくあぶな気がない。
ミシュラン一つ星、感動のNY寿司。

横に走る地下鉄はほとんど無い中で、14丁目大通りの下には「L」という(だから名前は無いのか、名前はっ!)東はブルックリンまでのびる東西のラインが珍しく通っており、それを使って西の終点8番街駅まで行く。

目指すはミートパッキングディストリクト10番街のJeffrey。
あとの2番街分は歩けってことですね。

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道沿いのアイスクリーム屋さん前でも、待つワン。

9番街角の騒がしいカフェにて、買い物前にロゼワインと巨大なチキンサンドウィッチを食す。
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滞在中一度は食べるべき期待通りなアメリカンプレート。

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Jeffreyは古い鉄道の高架線を散歩道にしたハイラインが14丁目通りをまたぐ角にあるセレクトショップ。
https://jeffreynewyork.com
ここを見ればNYのトレンドが一目でわかる(と地元ドライバー氏)。
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前日に案内されて一度来店したが、また気になって来てしまった。

「それジミー・チュウだよね」と私のぼろブーツを見て寄って来たスタッフのMasumは、「ねえ、何年か前にも来たよねえ。覚えてるよ」(昨日だよ!と心の中で毒づく)と調子いい。

NYの思い出に、蜻蛉の羽のような薄布を重ねた細身のジャケットを買う。
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ジーパンをきれいに履きたい時に重宝しそうだ。

お目当てが期待外れだった長男にもジャケットを一枚。
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一応ベトナム在住の次男にも。
(しかし、届けるすべが無い)
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オーナーのジェフリー・カリンスキーによる店内のセレクションは、だいたい東京でも手に入るブランドばかりだったので、東京もNYに決して負けてないなと思う。

14丁目大通りから8番街を不規則に3〜4ブロックほど南下していくとグリニッチ・ビレッジの閑静な住宅街の中にSATCの世界。
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キャリーの家。
典型的な19世紀のブラウンストーン・ビル。
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写真はあっちで撮ってくださいとサインボード。
ロックフェラーセンターのパーティでお見かけしたよしみで詣でる。

角のマグノリア・ベーカリーには誰もが死ぬほど甘いというカップケーキを求めて長蛇の列。
(興味が無いので写真なし)

キャリーのファッションをプロデュースしたパトリシア・フィールド(Patricia Field)のお店は、下町大通り、バワリーアベニューの2丁目に。
http://www.patriciafield.com
http://www.buyma.com/contents/08070101/sex-and-the-city/vol3.html

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普通プードルものというとファンシーになりがちだが、パトリシアの手にかかればこんなにロック。
(シャツを進呈したブリーダー女史に、お宅のメグちゃんにそっくりと言われた)

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大統領のスカルも、Yes, we can.

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摩天楼のビルはいつの間にか姿を消し、外階段が情緒を掻き立てるカースト・アイアン・ビルディングが目立つ街並に変わる。

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鉄のパーツを現場で組み立てるプレハブ工法は、ソーホー地区に多く保存されている。

バワリーアヴェニューを挟んで東側の4丁目にはボンドストリート・チョコレート(Bond Street Chocolate)。
http://www.bondstchocolate.com
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2坪ほどの小さな店内に、カカオの香りが立込める。

チョコレートの激戦区マンハッタンで、ひと際異彩を放つスカル型純正カカオ72%「神様チョコレート」。
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シー・ソルトがまぶしてあるキャラメリゼ・アーモンド入り38%ミルクチョコはやみつきに。
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さてさてお土産ショッピングもクライマックス。

今回私が歩いた最南端の店はブルーム通り(この辺りはもう〜丁目という表示が生まれる以前の街並だ)のチョコレートショップ、マリベル(MarieBelle)。
https://www.mariebelle.com
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ちょっとパリっぽいクラシックな店内にガーリーなチョコレート。
日本では京都だけに店を出しているとか。

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クリニックの職員ひとりひとりにお土産を。

さあさあ。

歩いた。
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買った。
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出会った。
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食べた。
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ブルックリン側から摩天楼街を眺めていたら、ふいにクリストファー・クロスの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」(古い!)がエンドレスで頭の中に流れ始めた。
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When we get caught between the moon and New York City
I know it's crazy but it's true

この曲が流行った頃、多分私は大学生か結婚したての世間知らずで(世間知らずは今もだけど)、NYCなんて一生行くことの無い遠い世界だと思っていた。

そこに一人で立っているこの人生の結論の評価を自分に問う。

NYC。

やっぱり特別な街だと思う。


NY漬け、地下鉄に乗って [セルフィッシュ・ジャーニー]

毎回新しいホテルを見つけると、バカの一つ覚えのように書くけれど、「ホテルの格は準備されたタオルの数に比例する」。

私のひとり旅のバイブルとも言うべき、浦一也氏の『旅はゲストルーム〜測って描いたホテルの部屋たち〜』(東京書籍)の中の忘れられない一文だ。
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この点、The NoMad NYは完璧である。

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一見、一組のハンドタオルしかパウダールームには見当たらず、シャワーを浴びようとして戸惑うも、洗面台の下の扉の中にきっちりと収納されているのを見つける。

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身体をくるむための特大のバスシーツ、バスタオル、そして少し大きめのフェイスタオルがワンセット。
その他にハンドタオルがたぶん手を洗う回数分。

生地は分厚くて真っ白。
からりと乾いていて、気持ちいいことこの上ない。

しかし、この部屋、バスタブが無い。
欧米のホテルではままあることだし、このホテルの予約は他人を通じてしてもらったので、自分できっちりと部屋のカテゴリーを把握していなかったのがいけないのである。

あきらめの中での滞在最終日に何気なくコンファメイションシートを見たら、「猫足のバスタブ付き」って書いてあるじゃない!
ちゃんと読んで最初に部屋を案内された時に言うべきだった。

仕方なく精算時に負け犬の遠吠えみたいに、シートを提示して条件が違っていたことを伝えると、謝罪があり、ルームチャージを計算し直すと言ってくれたが、確認を怠った自分が悪いのは確かなので辞退し、でも「日本人にはバスタブは重要なんです」とだけは言っておいた。

さて、ホテルは十分にノリがいいが、大きな窓から外を眺めるとやはり界隈はちょっと注意が必要な感じ。
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ここを拠点に歩き回ろうとする自分の心にBe careful。

探索の基本は歩きと決めていたが、思わぬリクエストで少し長距離を逆行する時には地下鉄を使う。
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パリ、ロンドンなど主要都市で地下鉄を使ってきたがいずれもわかりやすく快適だったと記憶している。
しかし、今回のNYC地下鉄、結構難易度が高いぞ。

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まずは入口が見つけにくい。
ビルの陰にひっそりと小さく口を開けている程度。
階段も昇ってくる人とすれ違うのがやっとの二人幅。

そして駅の中で上下線のホーム移動ができないところが多いので、間違って反対方向行きの駅に降りてしまったらそのまま逆方向に運ばれてしまう。
または出口専用だったりして。

なのに頼りの表示が素っ気なさ過ぎて目立たない。
ほとんどの地下鉄が南北を縦に走るので、行先ではなく「uptown」「downtown」でのみ方向が表示される。

何より分かりにくさを増幅するのは、丸の内線とかJubilee Lineとかのライン名が無く、それぞれのローカルとエクスプレスもごっちゃにアルファベットと数字のみで表されていること。
ホームに滑り込んできた電車が、自分のお目当ての電車なのかどうかがとっさに分からない。

ホームにも駅名以外表示がほとんど無く、次の駅が何なのか、どちら方向に向かう線路なのか分からない。
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何度乗ってもコツが掴めない。
終いには、とりあえず乗って、次の駅が自分の思っている駅と違ったら降りて地上に出て、また乗り直す、という原始的かつ確実な技で乗り切る。

そう、間違ったらやり直す。
それでいいのだ。

車内は言われているほど汚くもなく危険でもないが、そっけないスチール製のベンチで吊皮も無いからできるだけ早く降りたくなる。
日本の地下鉄なんて、これに比べれば全部グリーン車みたいだ。
たまに小銭目当ての即席デュオやギター演奏が練り歩いているのは、ちょっと楽しい。

日本人が電車で寝ているのに外国人はびっくりするというが、この車内ではそりゃー眠れませんわ。



NY漬け、42nd St.〜23rd St. [セルフィッシュ・ジャーニー]

グランドセントラル・ターミナルとクライスラービルディングを堪能した後は、ターミナルを高架でくぐり抜けるパークアベニューを南下することにする。
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パークアベニューは5番街と3番街の間にあり、ユニオン・スクエア・ガーデン以北で4番街が名前を変える通りで、他のどのアベニューとも違うのは、広々とした両方向通行可能な道路に(だいたいのアベニューは一方通行である)の中央にこの時期にはドッグウッドの花が咲き乱れる分離帯が設けてあり、こじんまりとした店が点在するだけののびやかな雰囲気に包まれていることだ。

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白いドッグウッドの陰の小さな聖母像。

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シックなカフェのウィンドウに自分。

ムードをぶちこわす大きな「A」のシールは、衛生状態良好の証だそうだ。
B、Cと順に状態は悪くなるそうだが、「C」はさすがに見かけなかった。

タクシードライバーのランク付けといい、こうやって比較させて向上を目指すのがNY流?

気温、摂氏で多分8、9℃。(Johnnyに°Fからだいたい34を引けば℃になると言われていたのを今頃思い出す)
天気はよいがめちゃくちゃ寒い。
手袋売ってたら絶対買っちゃっただろうなあっていうくらい。

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キールズのウィンドウ。

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ペットショップの犬は、日本のそれよりかなり成長している感じ。
保護法みたいなものがあって、生後間もない幼犬なんかは売れないのかも。

のんびり散歩の足が次第に速くなり、そうなると人間の習性でランドマークに吸い寄せられるのか、横へ移動して再び5番街へ。

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広い34丁目通りが5番街と交わる角に、長い間世界一の高さを誇っていたエンパイア・ステート・ビルディング。
1931年竣工にも関わらず、今だにひび割れ一つ無いというのだから大したものだ。
・・・というか、地震の無い国が心底羨ましい。

展望台に登ってみたかったが、チケット売り場の長蛇の列に戦意消失。
列に並ぶのも、オープンデッキの展望台も激寒と予想。

そのまま5番街を南下すると、東側から北上してきたブロードウェイが鋭角に23丁目で5番街と交わり、西側に変わる。

その鋭角をそのまま反映したのが、交差点南側にそびえるフラットアイアン・ビルディング。
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だってこれ、すごくないですか?

北側の狭い方の角はわずか2m弱。
中の部屋はどうなっているんだろうと思う。

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これだけ薄いのに、シャープな、というよりは、美しいスィーツの一片を見るような甘やかさが胸に広がるのは、丹念に彫り込まれたカーヴィングのデザインのなせるワザか。

1902年、当時珍しかった鉄骨で作られた世界一高かったビルのデザインは、アメリカの摩天楼時代の幕を開いたダニエル・バーナム。
クライスラービルディングと同じくらい、このビルが好き。

その前にあるマディソンスクエア・パークに面したイレブン・マディソンパークは、今勢いのあるフレンチシェフ、ダニエル・フム率いる3つ星レストラン。
http://elevenmadisonpark.com

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銀行を改装した天井の高い空間。

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16皿のテイスティングメニューのみ、と客のセレクトを一切排除した設定は、自信のほどが分かるというか、いっそ潔いというか。

量が多くて大味、というアメリカの食事の常識を根底から覆さんとするシェフの意気込みは、どこか遠い日本の懐石料理の方を向いているような・・・。
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陽気で折目正しいイケメンスタッフ。
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通常3時間半かかるというコースを無理矢理2時間半に凝縮してもらっての(それでも)エクスプレスなランチ。

夫が一足先に帰国した日から、自分の城はブロードウェイを28丁目までちょっと北上したところにあるノマド・ホテル。
http://www.thenomadhotel.com

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それまで投宿していた5番街のペニンシュラホテルと違って、界隈はあやしげな香水屋やドラッグストアが立ち並ぶ、ちょいとヤバめな雰囲気。

それでも去年秋にオープンしたばかりの話題のクールなホテルは、期待を裏切らず、ソフィスティケイテッドだ。
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どこか、誰かさんが好きなクロムハーツ調。

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歯磨き用のグラス一つをとっても「選んだな」感いっぱい。

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広々としたキングサイズのベッド。
ここを一人で占領できる幸せ。

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天井が高く、アンティーク仕上げのマホガニー材のフローリングがゴージャスだ。

このホテルの西側には、今一番ヒップなエリア、チェルシー、グリニッジビレッジ、ミートパッキングディストリクトが広がる。



NY漬け、50th.St.〜42nd.St. [セルフィッシュ・ジャーニー]

斜めに走るブロードウェイのW52丁目辺りからタイムズスクエアまでは、両側にミュージカルの劇場が並ぶ活気にあふれたエリアである。

劇場ごとに演し物は決まっており、我々ならあらかじめ英語力があまり必要とされない楽しそうなものをチョイスしてチケットを事前手配する。
今回はW50丁目角にあるWinter Garden Theatreの”Mamma Mia!"。
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抱腹絶倒のストーリー展開に加え、我々の青春を彩ったABBAのノリのいいヒット曲が全編にあふれていて、楽しいことこの上ない。

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Winter Garden Theatreは古めかしいクラシックな劇場で、土曜昼間の公演ということもあって、ちびっ子たちを引き連れたファミリーの姿も多い。
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日本の同世代の子どもたちがサンリオやせいぜいディズニーで満足しているところ、NYっ子は大人も大興奮のプロの芸術に、いとも簡単にこうして触れている。
両親が肩を抱き合ってステージに酔っている横で、ぐずることもなく、チョコチップなんかを齧りながら、どこまでわかっているのかいないのか、大人しく鑑賞している。
マナーも完璧、これは敵わないなと思う。

このブロードウェイがまっすぐに北上してきた7番街と交差する鋭角の交差点がタイムズスクエア。
ストリートはW45丁目である。
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東京で言えば新宿のような雰囲気で、人種も交通も着ぐるみパフォーマンスも何でもござれの坩堝である。
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ロンドンのピカデリーサーカスみたいに目立ちたがりのオバカも沢山いる。
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ストリートは5番街を境にW(西)とE(東)に分かれており、今度はさらに下った広い42丁目通りを歩いて東側に移動し、パークアベニューを高架に押し上げたグランド・セントラル・ターミナルを目指す。

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途中から多くの人がNYCで一番好きな高層ビルに挙げるクライスラービルディングの、美しいアールデコ様式の尖塔が見え始め、気分がぐっと上がってくる。
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右斜め前にはNY摩天楼の王者エンパイアステートビルも望める。
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42丁目通りのひとつ北側のうら寂しげな43丁目通りの真っ正面がグランド・セントラルの正面玄関。
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それでなくともターミナル駅というのは旅情とドラマチックな雰囲気を醸し出すものだが、数々の映画やテレビドラマのロケ地に使われるせいで、ことさらこの駅にはその雰囲気が強い。

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1913年に80億ドルをかけて建造され、マンハッタンの歴史的建造物となった。
その後改築のために一時は取り壊しの危機を迎えたが、東京駅と同様保存が決まり、正面のステンドグラスには誇らしく「100」の文字が。

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天井にはプラネタリウムのような星座図。

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すべてはここから始まる、という旅情を掻き立ててやまないクラシックなプラットホーム。

ロウアーレベルにある開業当時からのオイスター・バーは有名だが、牡蠣アレルギーが返す返すも残念だ。

42丁目通りに沿ってさらに東に進むと、グランドハイアットホテルを挟んでかのクライスラービル。

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多くの人を魅了する銀色の鱗状の尖塔は、すべて最初の持主であったクライスラー社の自動車工場から調達された錆びることの無いステンレススチール製。

しかし喜び勇んで足もとまでたどり着いてみれば、あまりにも高くて尖塔は見えず、4つの飛び出すようなガーゴイルがようやく望めるのみ。
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ひたすら上を撮り続ける自分の姿が、グランドハイアットの鏡面天井に映るのみの虚しさ。

やはり摩天楼は遠くから楽しむもの。

NY漬け、82nd St.〜50th St. [セルフィッシュ・ジャーニー]

前述したように、本当はマンハッタン南端のバッテリーパークから出発すれば、歴史の流れを追いかけられて建築物の特徴などもきれいに揃うような気がするのだが、何しろ自由時間しょっぱなが思いっきり北のハーレム訪問になってしまったので、仕方なく南下することにする。

周知の通り、縦に長いマンハッタン島は、縦に走るAvenue(街。〜番街と訳される)が東西の位置を示し、そこに交わる横のStreet(通り。〜丁目にあたる)が南北の位置を示す。
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経度と緯度のようなもので、大変便利。
この合理的な秩序が特別な雰囲気をマンハッタンに与えていることは間違いが無い。
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唯一縦に走りながら東西の位置を示す指標にならないのが、南端中央からアッパーウェストに斜めに走るブロードウェイで、これがイギリス人が統治する以前に原住民が使っていたおおもとの丘陵線の獣道の名残だと言われている。

ストリート(St.)はマンハッタン島を24ドルで買った(と冗談で言われている)オランダ統治府がおかれた南端から、次第に居住地区を北へ北へと広げていった歴史と共に加算されていくので、北へ行くほど大きな数字となる。

よって今回はそのSt.表示を逆算することになる。

さて、110丁目以上のハーレムから一気に80丁目くらいまで下ると、セントラルパークの東側、アッパーイースト。
知らない人はいないセレブな街並である。
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今は自邸がフェルメール3点を含むコレクションの美術館となっている鉄鋼王ヘンリー・クレイ・フリックはじめ多くのミリオネアたちがこぞって大邸宅をここに作ったのである。

そのアッパーイーストと5番街を挟むセントラルパークの内側に、巨大なメトロポリタン美術館がある。(中央入り口はE.82丁目の終点)
天気がよいので、多くの人がその石段に腰掛けて時間を楽しみ、連れられてきた犬達はホットドッグをねだる。
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じっくり見出したら1ヶ月はかかるという美術館を、たった1時間だけのハイライトにまとめて欲しいという無理難題に、館の日本人ガイドは見事に応えて、ルイス・C・ティファニーのガラス工芸やドガ、ゴッホなどバランスよく解説して見せてくれた。
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ドガのバレリーナ像。
オルセーにもあったような気がする。

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メットのマスコット、ウィリアム君。
古代エジプトでは水中の怪物として恐れられたカバがモチーフ。

マディソン街の76丁目のカフェ・ブルーは、NYCのスターシェフDaniel Bouludがアッパーイーストに出した2軒めの店だ。
http://www.cafeboulud.com/nyc/

65丁目の本店よりややカジュアルだというが、まあ夜10時過ぎだというのに超満員である。
選んだHoney Glazed Duck Breast(アヒルの胸肉蜂蜜ソース)を食べてみて感動する。
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(薄暗い中のiPhone撮影なので写り悪いが・・)

皮はぱりっと焼けて中身はジューシーなダックに、醤油ベースの蜂蜜ソースがバッチリ。
上品な照り焼き、という例えはどうだろうか?

アメリカの肉は固くて不味い、という定説はこのレストランには無い。

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デザートのコーヒーに供される貝殻型のフィナンシェの、繊細な味と食感にも脱帽。

超満員の訳が納得できる。

息子にねだられてマディソン街、E.70丁目のクロムハーツをようやく探し当てるも、小っさ!
ニューヨーカーに、このテイストはウケないんだろうな。

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5番街を南下してセントラルパークの東南角から2軒目におもちゃの殿堂F.A.O.シュワルツ。(E. 58丁目)
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セントラルパークの南端からはぐっと高層ビルが多くなり、摩天楼街へ繋がる。
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シュワルツの店内はワンコOK。
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これ連れて帰るー。
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孫達におもちゃを選ぶ。

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イエローキャブも増える。

イエローキャブのナンバープレートにはAからH(までしか見なかった)位までのアルファベットがふってあり、順に優良ドライバーかどうかのランクが分かるそうだ。
それならAのキャブを選んで乗りたいところだが、実際は空車がほとんど無く、選り好みしている余裕は無いみたいだ。

5番街E. 50丁目にはGalaのあったロックフェラーセンター。
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http://www.nytimes.com/imagepages/2013/04/21/style/21STREET.html
NYTimesの日曜版に、Galaの様子が掲載されている。
サラ・ジェシカ・パーカーの上に掲載されて光栄。

とかく華やかな界隈である。
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NY漬け、115th St. [セルフィッシュ・ジャーニー]

夫が一足先に帰国し、ようやく自分だけの本当の短い休日が始まる。

からりと晴れたが、震え上がるような日曜の朝。
°F表記でピンと来ないのだが、48°Fは9℃くらいか。
日本の真冬並み、しかも空気が乾いているせいか体感温度がより鋭く冷たい。
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Webでハーレム在住20年以上というトミー富田氏主宰のゴスペルツァーに参加する。
http://harlemlive.fc2web.com

生のゴスペル聞きたいと思うが、セントラルパークの北端から先にある黒人や中南米系人の居住地区ハーレムは、さすがに素人オバサン一人ではヤバすぎる。
パンケーキだ、セレクトショップだなんていう浮かれた地域でないことだけは確かである。
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イエローキャブもほとんど入って来ないがらんとした道路の両側に二重駐車の車の列。
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教会の内外はもちろん、それ以外でもめったやたらに写真を撮るなとトミーさんから忠告を受けていたので、体験インパクトが強い割に写真がほとんど無い。

一言で言うと、ディープな世界だった。

「天使にラブソングを」みたいな感動的な美声のハーモニーを期待していたら大間違い。
それは腹の底から絞り出すような耳障りなほどの協和音で、ドラムや吹奏楽の楽器も入り、教会によってはダンスも入る。

2軒目に行った教会は牧師自らが歌い(?)、打楽器や吹奏楽器の異様なリズムに乗って、参列している信者達が次々にトランス状態になって泣き出したり、倒れそうになる。
これ、ゴスペルっていうくくりでいいんだろうかと、ツァー参加者たちはただ唖然とするばかりだ。

ハーレム地区に250以上もあるという教会は、狭い国土に単一民族のみで住む我々が到底想像できないような逆立ったエネルギーが集結する場所なのだ。

朝だけでなく昼食を挟んでまたその儀式(?)を続行する信者のために出される食事を一緒に頂く。
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ただのフライドチキンだったりミートローフだったりなんだけど(かりっとして結構美味しかった)、多分白人が普通食べない部分や材料も使っていたりするらしく、トミーさんはソウルフードと呼ぶ。

分かるような気がする。


NY漬け、ヘリコプタークルーズ [セルフィッシュ・ジャーニー]

NYっ子にしてみれば、そんなの、面白いの?っていうもんらしいのである。

NYヘリコプタークルーズ。
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我々がはとバスなんて面白いの?というようなものである。

いや、面白いでしょう!

FBという簡単便利なツールを手に入れてしまったために、睡眠時間を削ってブログをアップするこれまでの旅行形態があっさり崩れてしまい、もう5日めとなってしまったNY滞在をどう書いていいかわからない。

とりあえず名著「ニューヨーク」に従って南から北へ(これは昨日もろくも崩れて逆になってしまったのだが)地理的に整理していこうと思うが、その前に全体を俯瞰してみようという無理矢理な設定なのである。

スーパーマンかスパイダーマンのように、摩天楼が林立するマンハッタン島を、そのまた上から眺められるのである。
ハリウッドの特撮映画でさんざん見てはいるのだが、体感はしていないのである。

ジェットコースターだって大嫌いという夫が次第に無口になっていくのを尻目にテンション上がりっ放しの私。
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暮れなずむマンハッタンを対岸に見るブルックリン側のヘリポートから飛び立つ。

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グラウンド・ゼロに建設中の新しいトレードセンターに夕日が反射する。
標的の跡地にさらなる高層のシンボルを建設するのは、NYの、いやアメリカの意地なのか。

上昇する時に風にあおられてややゆらゆらするものの、いったん飛び上がってしまえば、思ったより安定した乗り心地である。
たちまち眼下に輝くネックレスを繋いだようなブルックリン・ブリッジが見えてくる。
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操縦士の脇にカメラマン兼ガイドが乗り込んで、場所を(英語で)説明してくれる。
しかし我々が理解できないと踏んで操縦士と「昨日どこどこでなになにを喰った」みたいな雑談もし、それが全部ヘッドホン越しに伝わってきて笑える。

マンハッタン島と対岸のクイーンズ。
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タイムズスクエア。
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動画を撮っていたらあっという間にカメラのメモリー不足となり、iPhoneに切り変えて写真を撮る。
ヘリコプターの振動でぶれるし、小さな光量までは拾えないのでやや昏く感じるが、よく言われるように宝石箱のごとし。

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エンパイアステートビルとクライスラービル。

ああ、もっと高性能のカメラを仕込んでくるんだったと後悔しても時すでに遅し。
30分のクルーズはあっという間に終わってしまう。

印象的なのは、意外なことに高層ビルより、あまりにも計画的に機能的に作られた縦横に走るアベニューとストリートの光の帯。

アメリカの合理主義の象徴のように感じるのは私だけだろうか。
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NY漬け、ロックフェラーセンター [セルフィッシュ・ジャーニー]

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その夜、セントラル・マンハッタンのロックフェラーセンターはティファニーブルーで彩られ、NY市警の厳戒態勢で完全防備である。

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我ながらタフかも知れない。

4時間前にスッピンの頭ぼさぼさでJFKに降り立ったばかりなのに、桜の花房を染め抜いたティファニーブルーの着物で花道の前に立っているのである。

175年めのアニバーサリーということもあり、このジュエラー、かなり気張ったと見える。
クリスマスの巨大ツリーで有名なロックフェラーセンター前の広場を、トレードマークのブルーで染上げ、大きなブルーボックスの中に招待者が入っていく趣向である。

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隣接する小学校(?)の生徒達は、会場までカーペットを歩く参加者をガラス越しに見物である。

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ブルーボックスの中の会場は、後ろにおなじみの金色の像が見えるのでお分かりのように、冬はスケートリンクになる場所である。

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6月に封切られるディカプリオ主演の「華麗なるギャツビー」のジュエリーをこの宝飾店がプロデュースしたということで、パーティは1920年代のアールデコがモチーフである。
http://wwws.warnerbros.co.jp/thegreatgatsby/

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世界から集まった200人の招待者は、NYの最も繁栄したベルエポックの中にたちまち取り込まれる。

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新鮮なオイスターとシャンパンからスタート。
牡蠣アレルギーゆえ指をくわえて見るだけ。

いろいろな方からボストンのテロの影響のご心配をいただいたが、成田もJFKもいたって日常的でNY市内も表立って騒がしいことも無い。

まずは久々のセルフィッシュ・ジャーニーの第1日目である。

ロンドンスタディ、小麦粉と女王陛下 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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ヒースローはアプローチが広々として美しい。

いつもヴァージン・アトランティックの専用入り口から入っていたので気付かなかったけど。

あっという間にトンボ帰りである。

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値段の割には、広々として心地よいChancery Courtともお別れである。
http://www.chancerycourthotel.com/en/

さすがに物足りなさは残るが、今回はいろいろ行動に制限があって、精神的にも胃腸的にもこの辺が限界かと納得する。

一人旅の時は好きなように好きなものを食べるので、食事の負担はあまり気にならなかったけれど、今回行動が制限される中で手に入るイギリスの食物は、あまりにも粉物が多く、胃腸が悲鳴をあげてしまう。
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アロマテラピー・デトックスで、精製された小麦粉の悪さを言われても今まで実感として湧かなかったが、いや、この食習慣としてこの量の小麦粉が体の中に入ってくるなら、それは絶対悪いでしょう。(キッパリ)
もう、胃壁腸壁に、べったりと小麦粉が粘り着いて蠕動運動を止める感じがする。

最終日。
日曜で周りに開いているレストランも少なく、繁華街に出るアンダーグラウンドも工事でストップ、冷たい雨が降っている中ではこれしか手に入らず、弱っている胃に押し込む。
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日曜のディナーとしては、あまりにも寂しい。

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ヒースローのヴァージンのラウンジは、まるでおしゃれな広いレストランのようで気に入っている。

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中二階のスペースは、アーティスティックなリビングのようだ。

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そこで、矢も楯もたまらず、CHICKEN RAMENをオーダーする。
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前回の天ぷらうどんといい、ここのアジアンフードは想像していたものとは全く別な食べ物が出てくるが、まあいいとしよう。
そう、この汁気というか、これが我々アジア人には必要なんである。

今回の訪英でラッキーだったのは、the Queen's diamond jubileeに当たったことである。

我々はバッキンガム宮殿外の至る所で、女王陛下のお顔に出会うことが出来たから。
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日本の皇室と違って、肖像権なんかあるんだか無いんだか、まあそこいら中のお皿にもマグカップにもご尊顔がプリントされ、まるでAKBなみの人気っぷりである。

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ダイヤモンド・ジュビリー・トランプ。

飼い犬Susanから一番好きなサンドウィッチ(ちなみにcoronation chicken=アプリコットとカレー味ソースのチキンである)まで女王陛下への関わり度や古さ(古いほどよい)で勝敗を競うカードである。
それぞれに丁寧な説明がついているので、このワンセットで彼女のすべてが分かる。
いやー、AKBでもここまで個人のプライバシーで遊ばれることは無いだろうな。

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ユニオン・ジャックを配したグッズもここが売り時とばかりに花盛り。

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夫へ。
どや!どんだけおしゃれやろー、と差し出すも、「なにこれ。どこで履くの」だと。
このセンスが分かんないヤツは放っとく。

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対してすっかり市場をそちらに奪われて寂しげなポートベロー・マーケットで唯一買った古着のティアードスカート。
4層にもフレアが重ねられた凝った作り。

英国滞在中に関東は梅雨入り。
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ロンドンも雨ばかりだったけど、雨はやっぱり日本がいい。


ロンドンスタディ、ファウンテンセンター [セルフィッシュ・ジャーニー]

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さて、今回の旅行の本題は土曜日のIFA Conference 21012出席と、日曜日の病院内のアロマテラピー事情視察、ワークショップ”The Female Life Cycle”への参加である。

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IFA Conferenceの方は、世界各国からIFAの資格保持者が集うので、もちろん日本語通訳だけ付いている訳でもなく、正直言って5つの講義にほどんど付いて行けてる感じがしなかった。

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目の前に座っているこの方のヘアスタイルだけがどうしても気になってしまう。

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トニー・バーフィールド博士の”Essential Oils; Ecological and other Issues Surrounding their Use”は、要約だけでも日本語のレジュメがあったらどんなにかよかったのに、と思うけど、英語力が無い自分を戒めるしか無い。

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IFAの機関誌「アロマセラピー・タイムス」に頻出の著名人のお顔と、会の雰囲気を視察したってことで、くたくたに疲れて一日が果てる。

翌日、日本からの一行はロンドンから車で1時間ほどの郊外にある、国立のGuilford Hospitalへ。
その中のFountain Centerは、この広大な病院(主に末期がん患者を受け入れる)でリミットのある時間を過ごす患者のために、アロマテラピーはじめ様々なボランティア活動を実施する場所である。
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IFA元理事長のジョアンナ・ホーさんがここに携わっているため実現した、日本ではほとんど見ることのできない、医療機関で実施されるアロマテラピーを視察することが出来る希少なワークショップである。

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ジョアンナは御年86歳。
ビューティスキンケア・アロマテラピーのスペシャリストらしく、このお年でシミ一つない白いお顔と、細く華奢な指を持った、気品ある、そしてとってもお茶目な、ティピカルな英国のおばあちゃまといった風情である。

女性の一生を追って、そこに関わるアロマテラピーを紹介するワークショップは、まず著名な助産師スー・モウスリーさんの、妊娠、出産とチャイルドケアで幕開け。
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Hello!

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ベビー・マッサージの実技には、講師の一人でナースの、メガン・デービスさんの10ヶ月になる坊やがモデルを務めてくれる。

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首の座らないベビーへのマッサージを指導するスー。

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ジェイコブ君(名前これでいいんだっけ?)は、マッサージを受け慣れていて、威風堂々のモデルっぷり。

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マッサージのシークエンスより、オーディエンスはその愛らしさに目を奪われっぱなし。
マッサージの最後には、ママの優しいキスをご褒美に。

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ランチはなんとジョアンナとその娘さんの手作りのサンドウィッチやケーキでおもてなしされ、もう、ジョアンナやスーのアットホームで暖かい雰囲気がそのまま伝わってくる。

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前日のカンファランスで知り合ったオランダから来た姉妹セラピストも飛び入りで参加しており、3時間でロンドンまで飛んでくる飛行機は高いので、20時間かけて船であの低気圧の中をやって来たという情熱に何だかすごく心が動く。
(手前のお嬢さん、大きすぎ!)

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末期がんという大きな失望感に圧迫されている、または体が生きながらえながら意識がこの世から去ってしまった人たちが、この暖かいリビングへやってくる。

彼らはここでカウンセリングを受けたり、
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アロマテラピーを受けたり、
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ヘアメイクをしてもらったりして、その喪失感を徐々に埋めて行く。

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壁には、そんな患者やその家族からのサンクスカードがいっぱい。

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この活動はすべて50人近いボランティアの人たちによって実施されているのだが、ボランティアたちにとってもここで自分の活動や仕事を広められるというベネフィットがちゃんと用意されており、ビジネスカードの置き場所も用意されている。
このシステムによって、より多くのボランティアが集められるには間違いが無い。

国立の病院で、医療という先端技術からこぼれ落ちた人々のQOLのために、ボランティアと寄付でこれだけのシステムが確立され、そこにアロマテラピーが大きく寄与している現状は、本当にうらやましく思う。

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まだまだ語り足りないが、あとは後日、クリニックで報告会を兼ねた講習を開いて、皆さんにお伝えしたいと思っている。
予定は7月19日(木)。

ご参加ください。



ロンドンスタディ、香水店を巡る [セルフィッシュ・ジャーニー]

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2日前に女王陛下のDiamond Jubilee Celebrate Daysが終わったばかりのロンドンは、いかなるストリートにもユニオン・ジャックがはためき、あらゆる店先に女王陛下のお顔を配した沢山の記念グッズがあふれている。
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土日はカンファランスとワークショップに費やされるため、短い滞在のうち本日だけがフリータイムである。
時折大粒の雨が突然なだれ落ちる荒天下、イギリスは初めてというMaiちゃん優先の、乙女な観光とショッピングを敢行す。

まずは、ビッグベンのお隣、昨年ウィリアム王子の結婚式が行われたウェストミンスター寺院へ。
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ここはイギリスの歴史に刻まれる人々の墓所でもあり、故ダイアナ妃の葬儀が行われた所なので、結婚式なら近くのウェストミンスター大聖堂(cathedral)ではないのっ?!と迷うも、Mai大先生が「だってガイドブックにウェストミンスター寺院(abby)て書いてありますっ!」と言い切るので、あとでインターネットで調べようと思いつつ、ここで結婚式が執り行われたのだと自分に言い聞かせつつ、音声ガイドに従って見学する。
(結局、正解だったようである)

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アンダーグラウンドのウェストミンスター駅にはトイレ有りの表示があり、どの駅にも必ずこぎれいなトイレが有る日本とは事情が大きく違うイギリスでは珍しいので、とりあえず写真を撮る。

その後はこれも彼女の希望であるアフタヌーンティーの予約時間まで、アロマセラピストらしく、メイフェア界隈の3大香水店を巡るショッピングと相なる。

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最初にBerkeley公園前のMiller Harrisへ。
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ここには小さなティールームが併設されており、香りの原料となる花をミックスしたお茶が飲める。
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8年前、初めてイギリスを訪問した時に泊まったThe Dorchesterの館内に流されていたのが、ここの調香師リン・ハリスのフルーティな香りであった。

”Coeur de Fleur”というシトラスにスウィーティな花の香りをブレンドしたトワレを買う。
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次に、10月にも訪れたBurlington Arcade内の”Penhaligon's”へ。
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いつ来ても、この店構えには、established 1870の誇りを感じる。

”Amaranthine”という名の、フレッシュな若い草花の香りのフレグランスを購入。
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最後にピカデリー・レーンを渡って、Jermin StreetのFlorisへ。
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ここも王室御用達の由緒正しき名店であるが、誇りというより埃(失礼!)を感じるのは、「我々はコマーシャライズされんわ」という、いかめしい無言の主張があるようにも思う。

以前、Penhaligon'sでも同名の香りを購入したが、ここのはもう少し甘い。
”Lily of the Valley”。
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スズランの香りがいかに香しく、それぞれの調香師がその香りの再現にどれだけ力を注ぎ、その個性をブレンドした”Lily of the Valley”を世に送り出したかを想う。

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メイフェア地区は高級住宅街として名高く、その中に点在する店も、それぞれに品がある。

16:00に、以前投宿したBrown'sのティールームへ、Maiちゃんの第一希望であるアフタヌーンティーを体験しに行く。
一人で泊まっている時は、何の興味も無く通り過ぎていたティールームであるが、彼女の希望を受け検索したところ、アフタヌーンティーの発祥の地であるという。
日本からメールを出して予約を入れておく。

イギリスの紅茶はそりゃ美味しいけれど、午後の働き時に、山盛りのスイーツやサンドウィッチを前に何時間もお茶するなんて、わたしゃそんなにヒマではないのと敬遠していたこのカスタム。

いやー、ヒマが有るヒトってこんなに沢山いるもんです。
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もう大盛況である。

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目の前のMaiちゃんを撮るふりしてこっそり盗写したこのおばあちゃま達なんて、ほんとに優雅にお茶と会話を楽しんでいるようで、同化したティールームの景色ですらある。

急にこの習慣を敬遠していた自分が貧乏臭く思えたりする。

帰り道のピカデリー・サーカスは、そんな世界とは対局にあるロンドンのもうひとつの象徴。
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仕事帰りに一杯引っ掛けるパブにも、人だかりがし始める。
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ホテルに帰還し、スパで1時間のボディマッサージ。
極楽。

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Maiちゃんがお母さんのお土産に買ったガーゴイル。
お母さん、きっと喜ばれるでしょう。

手前はジュビリー記念のオイスターカード。

Maiちゃん、初めてのロンドン散策、いかがでしたか?


ロンドンスタディ、イギリス行くなら [セルフィッシュ・ジャーニー]

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所属しているIFA(International Federation of Aromatherapists)の2012年カンファレンス出席のため、半年ぶりのまたまたロンドンである。

オフィキナリス(私のサロン)アロマセラピストのMaiちゃんがIFA Japanのお世話役で、このカンファランス・ツァーの企画をしたので、それでは一緒に行きましょうということになったんである。

成田のヴァージンのラウンジでキツネうどんを食べる。
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まともであった。

・・・というのは、昨年10月にヒースローのラウンジで供されたのが、こんな天ぷらうどんだったから。
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みそ汁の中にうどんが2〜3本浮いてるでしょう的な。

12時間のフライトはあっという間で、機内ではシェイクスピアの戯曲他人作説を扱った『Anonymous』と、9.11で父親を亡くしたアスペルガー症候群の少年の大きな一歩を描いた『Extremely Loud and Incredibly Close』(邦題がコメディ映画のようだった)の2本を観たが、後者が圧倒的によかったと思う。

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着陸前にはちっちゃなアフタヌーンティー形式の軽食が出され、「イギリス行くならアフタヌーンティー!」と言い放ったMaiちゃんには、感動モノのスタートである。

ロンドンはせっかくの女王陛下Diamond Jubilee(在位60周年) Weekなのに、台風みたいなでっかい低気圧にすっぽり覆われ、強風、降雨で気温15℃。
街行くロンドンっ子は全員レインコート、はてはダウン着用の冬装備である。

やばいなー。
薄着だよー。

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夕方の渋滞に巻き込まれ、苦痛の2時間を要して、Holborn駅にほど近い投宿先Chancery Courtへ。
ツァー会社が用意したホテルなのであまり期待はしていなかったのだが、どうしてどうして、立派です!

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くたくたに疲れたので、夜はコンシェルジェに紹介してもらったチャイニーズ『China blues』へ。
焼うどんみたいな焼きそばと、おじやみたいなチャーハンを食す。

とりあえず、ジュビリーとオリンピックイヤーで盛り上がるこの地に、身を置く。



傘寿ワイハ、スター・ゲイジング [セルフィッシュ・ジャーニー]

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たった3泊のハワイ滞在のうち、2泊を義母や弟夫妻と過ごし、先に帰国する彼らと同時にホノルルを発って、夫と私はハワイ島コナ空港に降り立つ。

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到着すると、まるで「My Little Grass Shack」のような空港ロビーへ、パッセンジャーたちは自分の足で歩いて行く。
なんとものどかでフリーな光景。
夜になれば、「Kona Moon」も拝めそうだ。

ハワイ島。

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それはフラ発祥の地であり、多くのフラダンサーあこがれの島だ。

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一夜の宿は「Waikaloa」ビーチリゾート。
そこからハワイで最も有名な山、マウナケアのスター・ゲイジング・ツァーに参加する。

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まずは腹ごしらえと、愚かな我々はその後がどんな過酷なツァーか考えもせず、1人分3000キロカロリーはありそうなランチとビールをパクついてしまう。

空港ロビーでもホテルでも、一度は踊ったことのあるなじみ深いフラソングがバックグラウンドミュージック。
さすがにフラの聖地である。

やがて関西弁をしゃべるガイジン顔のアンディが迎えにやって来る。
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差し出された免責書類へのサインで、一気にフラな気分が吹っ飛ぶ。

□高血圧
□心臓に不安がある
□アルコール摂取後
ツァーをご遠慮いただきたい方の条件に、夫なんかすべてにチェックが入ってしまう。

なにしろ富士山より断然高い、標高4200メートルのマウナケアの頂上まで一気にピックアップトラックで登るツァーである。
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当然高山病の心配があるんである。

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大きく美しいレインボーブリッジに見送られ、

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ハワイ島独特の溶岩の大地で余裕こいていたのも束の間。

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中継地点のオニヅカ・センターでは寒さに震え上がり、防寒準備である。
1986年、スペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故で殉職したハワイ出身の宇宙飛行士の名を冠したロッジである。

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オニヅカ・センターを出発してほどなく標高3500メートルを超えると、先ほどまで上にあった雲がぐっと足下に見える。
ちょっと心臓がトキトキし、手先の感覚がじんわり緩んだ気がし、ああ、酸素が薄いってこういうことかと思う。

標高4000メートル付近には、各国の天体観測所が立ち並ぶ。
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地上とは全く別の、硬質なクリアー感のある宇宙(そら)と赤い溶岩砂は、どこか異星に降り立ったような錯覚を覚える。

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山頂付近で日没を待つ。

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聖なるマウナケアの頂上に、Po(月)。

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やがて雄大な雲海にぐんぐん沈むダイナミックな夕日が、すべてをオレンジ色に染める。

日本にいると自然は繊細で移ろいやすく感じるが、ハワイのそれは揺るぎなく泰然としたものである。


(Kaulana Kawaihae/Israel Kawakawiwo'ole)

E kilohi ia Mauna Kea
Kuahiwi ku kilakila

マウナケアをじっと見つめる
荘厳なる山の姿

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日没後、急速に暗くなっていく中をオニヅカ・センターまで降下し、アンディのユーモアあふれる解説でスターゲイジングを行う。
北半球ではなかなか見られないサザンクロスも見ることが出来る。

観測の間にも星々はゆっくりと天球を巡り、その反対に廻る地球の動きを直に感じることが出来る。

ワイカロアのホテルに帰り着いたのは夜中11時過ぎである。

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私たちが見たのは、コマーシャライズされた一部のアトラクションかも知れない。

しかし、悠久の自然の前に我々はただ生かされているのだという「Hawaiian Soul」に恋をするには十分な経験だったと心から思う。



傘寿ワイハ、ゴッドマザーに捧ぐ [セルフィッシュ・ジャーニー]

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義母が今年で80歳となり、かねてより彼女の希望であったハワイへ、GWのまっただ中親族一同移動と相成る。

それではと腰を上げた2月の時点でエアは全部満席と言われ、去年の反動なのか円高の後押しなのかと、GW混雑のハイレベルな予想値に心萎えたが、ようやく捕まえて乗り込んだデルタ航空には空席もあったりし、そう言やイミグレーションに長蛇の列が出来るわけでもないし、旅行業界の落とし穴にまんまとはまった感いっぱいの、釈然としない出発である。

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しかし、義父母にはハワイは特別な場所であるらしく、その事実に忠実に三兄弟の新婚旅行先も、20年前義父が亡くなる直前の親族旅行も、すべてハワイで過ごして来たN家のゴッドマザーは、最近足が悪くなり旅行から遠のいていたが、自分の傘寿という人生の節目で一念発起をしたのであろう。

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直前まで代診のドクターが見つからず参加が危ぶまれた夫も、皆よりちょっと遅れてようやくママのセレブレーションに合流である。

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「GWのハワイなんて」とぶつくさ言いつつも、行ってしまえば「Alo〜ha!」と超フレンドリーな合い言葉に正気を失い、ジャンクフードとアルコールとショッピングのアディクションにたちまちハマる。
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投宿先はワイキキビーチのど真ん中のピンク・パレス、ロイヤル・ハワイアン。
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(とても予約段階でホテルを選べる状態ではなかった)

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ローブも、カバナも、タオルリネン類も、徹頭徹尾ピンクである。

こうなりゃアラモアナのニーマン・マーカスで買うあかりちゃんのドレスだって、思いっきりピンクのフリフリでいこう。
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ニーマン・マーカスの3階にあるレストラン「MARIPOSA」はいつもは長蛇の列の待ち時間にあきらめるのだが、すんなり入れて、ここでも?マークが頭をよぎる。
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天井に無数の団扇が回転していて、南国気分を盛り上げる。

まあ、酒好きの一族が集まれば、そしてそこのダントツ酒豪であるゴッドマザーのセレブレーションなのだから、一日中アルコールが途切れることは無い。
ブランチといっちゃあシャンパンを開け、買い物途中にビールを飲み、夜の本番への助走をつける。

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ディナーのセッティングを任された身として必死でセレクションしたChai's Island Bistroは、「ハワイの大御所のライブが楽しめる」という触れ込みにしちゃショーがあまりにもショボい。
ナー・パラパライ、カジメロ、マカハサンズ・・・・どうした!

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ご飯はチャイニーズ系のパシフィック・リムで、日本人にはなじみやすい味。

ディナーが終わってもハワイの夜は終わらない。

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ロイヤル・ハワイアンのビーチ・バー、「Maitai Bar」はその名の通り、有名なカクテルMaitaiをこの世に送り出したバーである。

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皇太子時代の天皇皇后も訪れたと言う由緒正しきパナマ帽の店のウィンドウは、千鳥足の我々に、閉店後もオールド・ハワイのノスタルジーを満喫させてくれる。







べトナム周遊、ドンコイ通りで [セルフィッシュ・ジャーニー]

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べトナムの陶器は、その料理と同じように、ほっこりと優し気だ。
日本人にも馴染みが深い藍と白のコントラスト。

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ベトナム料理の名脇役、ヌックマムやピーナツ味噌などのつけダレを供するピルケース状の小器は、建築家にならなかったらシェフになりたかったというくらい料理好きのPへのお土産に。

頼まれたスーツケース半分の荷物と日本土産を次男に手渡した後、最後の一日はショッピング三昧でスーツケースの空間を埋めるという目論みは、見事に大ハプニング(捻挫)で白紙となる。
しかし、雑貨天国べトナムからたった6個のランタンとともに空身で帰る訳にはいかない。

現地クリニック受診後、一歩踏み出すごとに走る激痛に歯を食いしばりつつ、ホテル近辺のドンコイ通りを1時間ほど歩いてみる。
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バチャン焼き村の専用工房で作られたオリジナル陶器の店Kito(3F,78B Dong Khoi)で、冒頭の器たちと出会う。
古いビルの3階にある店は見つけにくいが、大量生産の土産物とは一線を画す食器や雑貨が見つかる。

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ドンコイ通りの一番サイゴン川寄りにあるNguyen Freres(グエン・フルール:2 Dong Khoi)は、その名の通り阮(グエン)王朝をイメージしたアンティーク雑貨の店。
100ドル以上のアンティーク家具もあるが、少数民族の手仕事感いっぱいのテキスタイルを使った雑貨が興味深い。
カレン族っぽい細かいクロスステッチの布でできた指人形。

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あとはザ・べトナムな刺繍小物を少し。

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刺繍の技術がハイレベルなものを選ぶのがコツだろうか?
この美しいポーチは、ハノイ36通りの中のエンブロイダリー・ハウスPhuong Thao(3 Hang Be - Hanoi)で。
値段はちょっと高い(・・といっても1枚4ドル)が、ものすごく手の込んだセンスのいいリネン類を、頑固オヤジが売りたくなさそうに売る店である。

さてさて、体力的にも、苦痛を我慢する精神的にも、この辺がいっぱいいっぱいである。

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肝心のランタンは・・・・う〜む。
やはり現代の建物には、フィットしにくいものですな。
ホイアンの町並みにあんなに似合っていたランタンが、何だか日本に持ち帰ると青い鳥のように色褪せてしまう。

このランタンにしても、雑貨を彩る刺繍にしても、ひとつひとつまぎれも無い細かい手仕事の成果なのだが、ひとつ3〜4ドルである。
次男が言うように、この国では手間ひまというものにお金を払う習慣が無く、価格に全く反映されないのだ。

そんな社会の中で、建築という大きな手仕事をしていく次男。
親には言えない辛さも苦労もあるだろうが、まずは何とかこの地に溶け込んだように見える。

それだけを確認すれば、今回の私のミッションは完了である。







べトナム周遊、帰国の途 [セルフィッシュ・ジャーニー]

一人旅の帰国便は、真夜中がいい。

だいたい0時台発だから、夕食を町中で済ませ、一人がらがらとスーツケースを引っ張ってタクシーかなんかで空港に行くが、それでもまだ21時にもならないくらいで時間はやたらにある。
パスポートコントロールとセキュリティーチェックを通過すれば、海外の一人旅につきまとう緊張がほろりと身体から剥がれていく。
土産屋を冷やかしつつ最後の現地通貨をそこで始末して、ラウンジへ向かう。
離陸したら一気に眠りたいので、ラウンジでは暖かい飲み物でも飲みながら眠気と戦う。
だいたいは旅のブログの最後の現地アップにいそしむ。
いろんな国の言葉が、眠らない空港独特の雰囲気と共にラウンジには充満しているのだけれど、その中に私はたった一人でおり、あとは出発便のシートに座りさえすれば自然に日本に運ばれていくのだという異国の旅の完結感を楽しむのだ。

それがスワナプーム(タイ・バンコク)のファースト専用ラウンジのようなゴージャス感が無い、殺風景な空港ならなおさら孤独感が際立って、よろしい。

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ホーチミンのタンソンニャット国際空港はまさにうってつけのイメージである。

しかも今回、私はケガというハンディキャップをひとつ荷物に加算しているのである。
病気の場合は身体がしんどいので、そんな御託を並べる余裕は無いのだが、ケガは(程度にもよろうが)旅情を増幅させる小道具になったりもする。

右足のくるぶしの痛みが我慢できないほどになったのは、旅程最後のホーチミンの夜である。

ニャチャンでは何ともなかったので忘れていたが、思い返せば、ホイアンの夜をウェッジソールのサンダルで歩き回り、石畳の段差で捻ったのが原因かも知れない。

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ショッピングのためにとっておいた最後の一日は、次男が連れて行ってくれた日本人医師のいる病院受診と、ホテルのプールを眺めるだけになる。

「捻挫ですね」と予想通りの診断で、もらったのは海外でも頑張る我が国のサロンシップ。
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痛み止めを飲みつつ、冷やして耐えるしか無い。

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次男とそのオフィスの女の子たちと、ごった返すNha Hang Ngon(ニャーハン・ゴン)で夕食を取り、シナリオ通り素っ気なく次男にタクシーに押し込まれ、一人空港へ。
http://vietnam.navi.com/food/224/

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ラウンジはしらじらと蛍光灯でライトアップされ、人影もまばら。

まさに筋書きがあるように、出発までに横たわる2時間という孤独を、右足の痛みと共に刻んでいく。

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ラウンジ内のトイレは、チープなアイビーでデコられている。

なんか、この30年ほどのビハインド感が妙にうら悲しくていい感じだ。

tuita?

日本文字の打てない現地の次男の携帯からメールが入る。

そんならこの際、日本語じゃ照れ臭くて言えないメッセージを送ろう。
Thank you for your helps and I really enjoyed the holidays with you.
I always wish your happiness and wellness.
Take care, and see you someday!

打ちながらsomedayのところで涙が出た。



べトナム周遊、休日の終わり [セルフィッシュ・ジャーニー]

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穏やかに見えるニンヴァン・ベイの気象は、激しい海風が吹き付け、なかなかサヴァイヴァルである。

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海に突き出たテラスに、スタッフがボートで朝食を運んでくる。

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そのための船着き場。

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沖には普通の漁船(?)も行き来する。

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無人の島にこれだけのファシリティーを備える過程自体が、現代版ロビンソン・クルーソー。

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故意に木肌を晒すヴィラのデザイン。

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バスタブは日本のそれのようだ。

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この気象下の雨に、この傘はユースフルだろうか?

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おやつのバナナチップについ手が伸びる。

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島内は、専用自転車で巡ることも出来る。

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次男は、プライベートプールとヴィラから直接下りる海で、もっぱら水遊びである。
28歳が水と戯れる姿に、スイミングスクールの優等生だった面影がだぶる。

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水深は1.3m。

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コーラル・ビーチではシュノーケリングも可。

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久しぶりの休日らしい休日はすぐに終わり、再びコンパルソリーと飛行機で、一路今度は次男の拠点であるホーチミン市へ。

宿は目抜き通りに面した、これもフレンチ・コロニアルのGrand である。
http://grandhotel.vn/
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昔の映画に出てくるような旧式のエレベーターが未だ現役である。
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小さなフランス窓の外は、緑濃いドンコイ通り。

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夜は次男の事務所の先輩と、まるでギマールのメトロ・ステーションのようなデザインのレストランHoa Tucで、穏やかなべトナム料理を食す。
http://vietnam.navi.com/food/153/

次男のホリディは終了である。
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べトナム周遊、ニャチャンの海 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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それは偶然ではあったのだが、その日、日本にいないことを心の隅でほんの少しも願わなかったというのは嘘になるだろう。

近年の日本で一番悲しいアニバーサーリー。
(アニバーサリーとはお祝いの記念日のことだと思ったら、悲しい記念日をもいうのだと言う)

その前日、私はホイアンを出て、ダナン空港から国内線でリゾート地ニャチャンへ。
南北に長いべトナムなのに、新幹線のようなものは無く、国内移動はすべて飛行機だ。

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体躯が大きい欧米人は頭がつかえそうな、プロペラ機。

ニャチャン空港で、滞在先のホーチミン市からやはり飛行機でやって来た次男と落ち合う。
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海外生活でタバコを覚えてしまい、夫は怒るのだけれど。

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空港から車で1時間、シーポートからさらにジェットボートに乗ってシックス・センシズ・イン・ニンヴァン・ベイに着く。

http://www.sixsenses.com/sixsensesninhvanbay/
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我々のプレジデンシャル・ヴィラまでは、そのレセプションからさらにボートで移動である。
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ごつごつとした巨大な岩石海岸に、打ち込まれるように建てられた丸太小屋のようなヴィラ。

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海風にはためく薄布をまとう天蓋付きベッドが、リゾート気分を盛り上げる。

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バスタブは海の見渡せる特等席に。

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アナログ表示。

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サンタン用のシャンプーも。

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バスルームのシンク。

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トイレットペーパーホルダー。

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Hello!
Please clean your shoes.

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次男は早速プライベートのホリゾンタルプールに浮かんでいる。

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次男用のセカンド・ヴィラのモスキュート・カーテン。
未使用時の結び方がアーティスティック。

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海風が部屋のすみずみまで吹き渡って、外の暑さとは裏腹に肌寒さを感じるくらいだ。

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スパ。

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べトナムのスパのレベルはイマイチだと思っていたが、施術に当たったLYHNさん、とても上手で丁寧でした。

できるだけ自然を残したランドスケープと、移動にボートやバギーを使わなければならない不便さは、ともすると垢抜けない印象も与え、当初はホテル側のポリシーに若干の押し付けがましさ(時計を1時間早める独自の時間制など)も感じるが、慣れてくるに従い、その野性味と不便さから、都会生活で摩耗したホテル名の第六感らしきものが次第に呼び覚まされてくるのを実感する。

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まるで野◯◯(品がなくて失礼)をしているような錯覚に捕われる青空天井のトイレ。

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スパのトイレはフローティングな感じ。

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竹林の中のメインプール。

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プール・バー。

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陽が落ちると、風がぐっと涼しくなる。
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ボートとバギーでたどり着くメイン・ダイニング。
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震災後1年を、べトナムの海から想う。
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3.11 べトナムから [セルフィッシュ・ジャーニー]

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昨日次男と合流して、ニャチャンというリゾート地に来た。

3.11。

今日、日本はどんなに深い悲しみに覆われているだろう。

1年目の今日、あえて日本を離れた私は、ニャチャンの海を前に心の中で合掌する。

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べトナム周遊、ホイアン・ビューティフル・ナイト [セルフィッシュ・ジャーニー]

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ランタンの町の夜が、美しくなかろうはずが無い。

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一人旅の夜はおとなしくホテルの部屋で、と決めていたが、その夜だけはその禁を破ることにする。

ホテルのスタッフに「ホイアンは安全だから大丈夫!」と確証をもらってまだ蒸し暑さの残る町に向かって再び歩き出す。

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ああ、なんて美しいんだろう!

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もう期待通りである。

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昼間シックに揺れていたすべての家々や店のランタンすべてに灯がともり、カラフルでちょっと艶かしいホイアン・ナイトを演出する。

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来遠橋までメインストリートを歩き、ホテルに戻ろうとトゥポン川沿いへと左に折れた途端、その川岸の風景に息を呑む。
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対岸に渡るアンホイ橋には見事なランタン(というかねぶたの灯籠のような灯り)のデコレーションが施され、対岸のアンホイ島の無数の提灯までもが一緒に川面に反映し、その数を倍にする。
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こんなに幻想的な夜景を見たことが無い。

川岸には沢山の屋台と椅子とテーブルが用意され、欧米人たちが寛ぎ、思い思いに東洋のエキゾシズムを堪能し、現地人の子どもたちの売る灯籠を川に流したりして、それはそれは美しいのである。
夜景の撮影が難しくて、その感動をうまくここに表現できないのが残念である。

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ボクも晩ご飯。

ある意味夢遊病者のようにランタンの世界を歩き回り、満足な疲れと共にホテル帰還。

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ドント・ディスターブ。

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ターン・ダウンのアメニティ。

隣の物音が筒抜けである以外、文句のつけようがない。
トイレのふたを閉める音まではっきり分かって、仕方なくiPhoneのイヤホンを耳に突っ込んで寝る。

しかし・・・
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明け方5時前からお隣の老夫婦のおしゃべりで覚醒。
仕方なく部屋の外のカウチで朝寝をむさぼる。

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目の前の川を船が通り過ぎ、ランタンの夢から覚めたホイアンの日常生活が始まる。



べトナム周遊、ランタンの町 [セルフィッシュ・ジャーニー]

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以前も思ったのだけれど、このノイバイ空港の素っ気なさは群を抜いている。
これから出発しようとする旅人を盛り上げようなんて気はさらさら無し。
共産圏(とまた色目鏡でモノを言うが)とは、こんなものだろうか。

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滑走路脇にはかまぼこ型の戦闘機格納庫が雑草を生やして連なっており、まだ戦争を記憶に刻んでいる国だと知る。

唯一持って来たカシウェアのジャケットを着込む肌寒さのハノイを発ち、約1時間のフライトでべトナム第3の都市ダナンへ。
気温は28°と機内アナウンスがあり、慌ててジャケットをキャリーに突っ込む。

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空港ではナゾのゆるキャラが手を振って到着客を出迎えるが、誰にも見向きもされず、寂しそうだ。
ノイバイ空港の無愛想さから一転、どうしたのかと私は動揺する。

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ダナン空港から車で30分ほど走って、古都ホイアンに到着する。
1999年世界遺産に登録された町並みは、その昔中国やインド、アラブを結ぶ中継貿易地点として栄え、16世紀頃には日本人町も作られていたと聞けば、どこか京都の路地を歩いているような錯覚も覚える。

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日本人が作ったという来遠橋。
たもとでなぜかポーズを決める二人。
落ちるなよ。

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濃い緑と華僑の面影を残す家々。

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ノスタルジーがゆっくりと歩んでいく。

ホイアンはランタンの町でもある。
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軒先に吊られた色とりどりのランタンを見ているだけでも楽しい。
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床屋さんはシックな白。
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ドキッとするほどエロティックなカフェ。
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カメラワークが拙くて色が出ないのだが、この薄い紗のカーテンはもっと深い紫で、中にちらりと真っ赤なランタンが見える。
家具は黒。

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ランタンを作って売る店も沢山。
こうして足で骨になる竹を押さえながら、端切れ(のように見えるがちゃんと採寸して切ってあるのか)布を張込んでいく。

町自体がランタンのショールームみたいなもので、参考になりそうなディスプレイがそこここにあるんだもの。
我慢できずに荷物になるのは分かっているけど、また白と黒のランタンを1対ずつ買ってしまう。
ショックだったのはハノイで買った赤が1つ16ドルだったのに、なんと工房では4ドル!!

急いては事を仕損じる。

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オバちゃん、わかりましたか?

はい、とくと。

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な?ランタンはホイアンやからな。

はい、肝に銘じます。

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道に西日が落ちるようになり、夢中で歩いた汗まみれの身体を一旦ホテルに引き上げる。

ホテルはトゥボン川沿いに建つライフ・ヘリテージ・リゾート。
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http://www.life-resorts.com/index.php?nav1=resort&nav2=hoian

ソフィテル・メトロポールとはまた違ったオレンジに近い赤が印象的な、連棟スタイルのコテージ。
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シャワー後に川風に吹かれながら飲むビールは最高。
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エビをわさび入りの衣で揚げたフライがめちゃくちゃうまい。

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青い花綱とデッキチェアの色が統一された明るいプールには、誰もいない。


べトナム周遊、赤いランタン [セルフィッシュ・ジャーニー]

(あー、じれったい!続きです)

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ハノイ36通りにいる。

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まるで鳥の巣のような電線は、いっそ芸術的ですらある。

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断線しててもわかんないワン。

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ワタクシたちはこんなに整然としててよ。

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トイレを借りた場末のカフェの2階から、電線を透かしてみたべトナム・ロマン。

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色鮮やかなこのランタンたちにものすごく惹かれるのである。

明日はランタンの町、ホイアンに行こうというのに、もう待ちきれず何軒もの店に次々と入り込み、やっぱり一番「らしい」真っ赤なランタン二つを買ってしまう。

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ホテルの部屋に吊るしてみれば、それはもうこの部屋のためにあるような。

骨が竹なので、たたんだ状態からたわめて形作るのが、めちゃくちゃ大変、力づくである。
ひとつ16USドルにしちゃしっかりした作りである。

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必ず買うことにしているその国の履物は、同じ店で、ベトナミー・エスパドリーユ風を。
一足5USドル(べトナムドンは単位が多すぎて訳が分からないので換金せず。すべてUSドルOKである)。

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ホアンキエム湖の北端のカフェで一休み。
やけに苦い大量カプチーノ。

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今度は湖の反対側を南下し、ハノイで最も大きな教会セント・ジョセフ教会界隈を通って、3ヶ月前次男とハノイを訪れたPリコメンドの店、Quan An Ngonでのランチをめざす。
http://www.tripadvisor.com/Restaurant_Review-g293924-d1124698-Reviews-Quan_An_Ngon-Hanoi.html

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欧米人の旺盛な食欲を満たす、チープなプラスティックのイスとテーブル。

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しかしほとんどの現地人は、それすらも無く、路上で簡易な昼食をとる。

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おい、わかっとんのやろな。
ビールはサッポロじゃなくて、333(バーバーバー)やで。

30分ほど歩いてようやく着くも、P、これは私には無理だって。
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巨大テントの下に、めくるめく数の食材と人、人。
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セルフなんだか、サーブしてくれるんだかも分からず、とにかく順番待ちの人数もハンパない。
Pや次男の突撃タイプにゃOKでも、オバサンは引くよ。ハードル高すぎ。

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さっさと退散よ。

だからアンタは、となじられようとも私はこっちがいい。

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ホテルに戻ってプールサイドのクラブハウスで、ロゼワイン。
なんかのアニバーサリーなのか、女性客には真っ赤なバラのプレゼントまで。

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待ちきれなくなったかのように、外のプールに雨が落ち始める。

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ホテル内のアーケードのコンフェクショナリー。
ケーキの色使いが独特だ。




べトナム周遊、オールド・ハノイ [セルフィッシュ・ジャーニー]

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本当はプールサイドで白ワインと読書を決め込みたいが、憧憬のオールド・ハノイを歩いてみようと決める。

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市の中心にあるホアンキエム湖は市民の憩いの場である。

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少年たちは、どこの国でもボールと仲良し。

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広場の花嫁たちははじけるような笑顔で。

湖の南に位置するホテルから北側に開ける旧市街地までは、湖畔をそぞろ歩いて15分ほどである。
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今にも雨が降り出しそうなしっとりとした空気。
気温は薄いカーディガンをはおってちょうど良いくらいだ。

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湖畔の散歩道から旧市街に入る最初の関門は、怒濤のごとく押し寄せるバイクの奔流をかいくぐって対岸に泳ぎわたることだ。

「最初は誰かが渡る時に一緒に渡ろう。後は慣れて呼吸が分かるようになる」
ガイドブックも無理言うなーと思ったら、何度かやっているうちにほんとにそうなるんである。
あ、このすきま!と嗅ぎ分けられるようになるんである。

教訓その1:べトナムの道路は嗅覚で渡れ。

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無秩序に電線と街路樹の緑がからまり合うハノイ36通りは、11世紀に李朝の首都タンロンが置かれた場所で、一つずつの通りに昔の商いの名がつき、保存地区となっていて古い商家の町並みを見ることが出来る。

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階上には日常生活が。

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地上には商売が。

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その中間には鳥かごが。

(ネット事情が悪く、大量アップ無理そうなので一旦仕上げます)


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