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常磐高速、ローズとぜんまい [フローラル]

認知症の診断を受けた父のために申請した介護保険の認定が下り、市役所から連絡があってケアマネジャーの訪問を受けることになる。
実家のある水戸へ向かう。
灰色の荒川は、埼玉の私と両親を大きく隔てているように思える。
気持ちはどんよりと重く、面談よりも、心の荒れた父に向かい合うのが憂鬱でたまらない。
何を言われても相手は病人、鈍感でいようと自分を言い聞かせる。

実家は築45年の木造家屋だ。
まめだった父が元気な頃はしょっちゅうメンテを入れて何とか体裁を保ってきた家も今は荒れ放題で、リフォーム業者の格好の餌食だ。
「ただいま。」

「あら、早いこと!」
父と昼食を食べていた母が嬉しそうな声を上げる。
父より7歳年上の母は今年89歳になるが、頭も身体もしゃっきりしている。
これといって趣味の無い父と違って、俳句を何十年も続け、未だ一人で都内の句会に月一度は出かけていく。
水戸駅の階段で転んで足をくじいたが、そのまま足を引きずって新大久保まで行って帰ってきたという年寄りらしからぬ武勇伝もある。
夫が「とてもお前と親子とは思えない」というほど、決して贅沢をせず常に自分を律している姿を見ると、人間どう老いるかはその人の知性に左右されるのだなあと、わが母ながら感心する。 
そんな母が人生のラストランを、認知症で粗暴になっていく父と伴走しなければならないのは、あまりにも不憫だ。

「我々のためにご苦労さん。」
思いがけない父の穏やかな言葉に胸をなでおろす。
仕事のストレスから逃れるため、頼り、依存してきた抗精神薬を主治医に厳しく管理され、父はずいぶん落ち着いたように見える。
認知症の症状も進んではいないようだ。
ケアマネジャーとの面談も談笑のうちに穏やかに進み、両親は週2回のヘルパーさんの訪問を受けながら、とりあえず介護保険生活のスタートを切ることになる。

ケアマネジャーが帰るとすぐ、時計を見ながら父が「ほら、渋滞が始まらないうちに帰りなさい。」と言う。
本当はもっと長くいてもらいたいはずだ。
「まだ大丈夫だよ。」と言っても「お前は仕事があるんだから・・・」とそれでも急かす。

「はい、これ。」
母が差し出すのは私の大好物のぜんまいの煮物だ。
「母親ってのは変なもんだな。50過ぎの娘にまだぜんまいを煮てるんだから。」と父が笑う。
母は私が実家を訪ねると必ずこれを煮て待っている。
遠くに住み、自立した娘に自分がしてやれること。母にはこれだけが残された自分の仕事に思えるのだろう。

父は私のアロマテラピーを未だ認めてはくれないが、母は娘が踏み出した道を常に何とか理解しようとしてくれる。
母に新しいローズ・オットー(Rose otto:Rosa damascena)の小さなボトルを渡す。
オットー数グラムを抽出するのに何百キロの花びらが必要とされ、EOの中では最も高価なオイルである。
同じ甘さでもジャスミンの官能的なそれとは違い、香りはどこまでも気高く、凛としており、特に悲しみに閉じた心に作用する。
以前ハンドマッサージをこのオイルでしてあげてから、彼女はこの香りをずっと枕元に置いている。
「あなたに言われたとおり、心細い時はこの匂いを嗅ぐのよ。」

私に迷惑をかけると、長く生きた自分の存在をいつも謝る彼女は、認知症の父と二人、あばら家に残る選択をした。
「私は大丈夫。」と言う言葉とは裏腹に、どんなに心細いことかと傍にいられないことがやるせない。 

帰りの高速は、行きとはまた違った思いで胸がいっぱいになる。
助手席の母のぜんまいはかつおだしが香り、「今の自分の生活を大切にしなさい」と家路を急ぐ私の背中を後押ししている。

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