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鶴岡、バジルは香る [セルフィッシュ・ジャーニー]

先週末、まるで沖縄かハワイのような気温20℃快晴の羽田から、8℃のどんよりとした庄内空港に降りたった。

山形県鶴岡市。
北に鳥海山、東に月山という名峰を臨む庄内平野の真ん中にあるこの町は、東北にしては珍しいたおやかな方言が耳に心地よい古都で、研修先として選んだこの地を、長男は2年の研修期間を終えてこの3月で離れることになった。
お世話になった方々へのごあいさつを兼ね、私達夫婦は二度と来ることは無いだろうと思っていたこの地を再び踏んだのだ。

長男夫婦の出迎えを受け、その後夫の以前の勤め先の院長夫妻が、「情熱大陸」に出演したという地元のイタリアンの名店でご馳走してくださった。
バジル(Basil:ocymum basilicum)の薫り高い前菜は、地元のオオイヨという白身魚をのせた華奢なつくりのパスタで、それを皮切りに次々と10品以上も続くイタリアンを肴に、我々は次々にワインを開けて飲んだ。
バジルはキッチンレシピとしてはもちろん、マージョラムとブレンドして神経の強壮にとてもよいオイルだが、この時は飲み過ぎで神経もくたくただったのか、終いには夫人がぶっ倒れた。
翌日には我々の借家の隣に住んでいたご夫妻が庄内のおいしいお寿司をご馳走してくれ、その後ご挨拶に回った方々も、みんな笑顔で別れを惜しんでくれた。
15年前、この鶴岡をあとにした時、こんな日が来るなんて誰が想像しただろうか。

16年前肝臓を患い、ハードな大学病院勤務をあきらめざるを得なかった夫は、事情があって実家に戻ることも阻まれ、東京を捨てる決心した。
山形県鶴岡市に開業していた大学の先輩M先生を頼り、不安がる家族を引き連れてこの地へ移ることとなった。
長男は多感な時期の入り口に立った6年生、次男は4年生だった。
子供達も私も、あきらめなければならないものがあまりにも多すぎたが、「家族は一緒にいるべき」というルールは崩せなかった。

新天地に馴染もうとした気持ちに次第にひびが入り、夫は1年半後、自分の移住が失敗だったと結論付けてまた関東に戻ることにした。
一生懸命この地で生きていくために努力してきた家族はたまらなかった。
長男はそんな夫や家庭の事情を恨んで、次第に我々に心を閉ざしていった。

その長男が医師になり、研修先に鶴岡を選んだと聞いた時は複雑な気持ちだった。
もはや過去のものとして封をしたパンドラの箱を開けることになりはしないかと考えたからだ。

長男が研修に来なかったら、私達の鶴岡はあのままだったはずだ。
自分の境遇やそれを形成した私達親を恨んでは反抗した彼は、しかしその2年が決して無駄ではなかったことを我々に教えてくれ、こんな素敵な日が来るきっかけを作ってくれた。
私達に対してわだかまりを持って当然な先輩の院長夫妻はすべてを許し、大きく手を広げて迎え入れてくださり、また来いよ、と先生は夫と握手してくださった。

自分の人生を、いろんな人が牽引してくれているような気がした。


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「情熱大陸」で紹介された地元のイタリアン、アル・ケッチャーノのオオイヨのパス タ

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地元産小松菜のスープ。青汁のような味でした。



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