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千鳥が淵、惜別のとき [ブレンド・プロダクツ]

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花の宴のためのセッティング


花散らしの雨が東京に降った日、懐かしい面々が千鳥が淵に集った。
そう、一人を除いて・・・・

次男はまぐれで入った駒場にある国立大附属校で、中・高の6年間を過ごした。
男子だけの自由な校風で、とても優秀な生徒が多い学校だったので、次男はたちまち落ちこぼれたが、バスケット部に所属し良き仲間を得た。

中学時代はこの仲間達でいろいろワルイこともやらかし、親まで反省文を書かされたり、学校に謝りに行かされたりしたが、この学校に息子を通わせるお母さん達は皆、息子達を信じ、誇らしく思っているのがすてきだった。
そんな親と教師たちのの連携プレーも見事で、そんな万全の環境の中で、少年達はいきがって社会へはみ出しては叱られ、叱られてはまたはみ出して、校則の無い自由な学校生活を謳歌している、そんな学校だった。

次男も相当はみ出したが、ケイタ君はその上を行っていた。
お母さんが心を込めて作ったお弁当を持って出掛け、雀荘で食べて何食わぬ顔で帰ってくるなんて、お茶の子だった。
お母さんは学校から「風邪の具合どうですか」と言われて、初めてケイタ君が登校していないのに気付き、放校しないでくれるよう先生に頼むしかなかったと言っていた。
「まったく・・・」とケイタ君への信頼と愛情をにじませながら口を尖らせて、お母さんは嘆いてみせた。

私が自律神経をやられて外出ができなくなった時、同じバスケ部のお母さん方に声をかけて埼玉まで会いに来てくれたのも、ケイタ君のお母さんだった。
「自分も具合が悪くて外に出られなかった時、それがいちばんうれしかったから。」
と、あまり身体が丈夫でない彼女は言ってくれた。

その彼女が末期の胃ガンだと聞いたのは、次男たちがその学校を卒業して大学をも卒業する子が出始めた頃だった。
一昨年の秋、埼玉に来てくれたのとちょうど同じメンバーで、寛解状態にあった彼女を囲み、自由が丘のレストランで食事をした。

「その病院のナースったらね、余命はどれくらいか先生に聞いたの?なんてずけずけ言うのよ」
相変わらずの明るいさばさばした口調だったが、その表情を作るまでにケイタ君始め、ご家族と彼女がどれだけ辛い話し合いを重ねたのだろうと思うと、胸がつぶれる思いだった。

一軒家のそのレストランの庭には大きな桜の木が紅葉しており、その枝を見上げながら彼女はふっと優しい顔になった。
「ケイタがね、病院には自分で運転して付き添ってくれるの。あのケイタが、よ・・・」

喉元まで出かかった
「来年の春は、千鳥が淵で満開の桜を見ましょう・・・」
と言う言葉を、私はぐっと飲み込んだ。

年が明け、桜の季節が近づいて、皆と彼女に千鳥が淵の桜を見てもらおうと計画した。
しかし、それはとうとうかなわず、その夏をようやく越えた初秋に彼女は逝った。
知人の結婚式と告別式が重なり、心の中で彼女にお別れを言って、留学中の次男と連名の弔電を打った。
彼女の人柄を反映して、たくさんの友人知人が彼女を送ったという。

雨が上がり、夜桜が壮大なパノラマスケールで窓に浮かび上がる頃、話はケイタ君のお母さんの話になる。
この会ではみんな息子自慢、息子への思いを存分に話していい、という暗黙の了解がある。
他で話したら嫌味に聞こえるか、子離れしない母親と疎まれるのがせいぜいな話もここではおおっぴらにできる。
今ではいい年の息子達にはずいぶんと迷惑な話だろう。
でも誰よりもケイタ君のやんちゃな話を楽しそうに、いとおしそうにするのが彼女だったね、と。

夜半から吹き始めた北風に大きくゆすられて、桜は耐えかねたようについに花びらを舞わせ始める。
花吹雪のなかで客を送り、部屋へ戻る。

「さくら、さくら、今咲き誇る。刹那に散りゆく運命と知って・・・・・・
泣くな、友よ、惜別のとき・・・」

今夜のキャンドル、PENHALIGON'SのMalabahは、スパイシーなウッドノートを残して燃え尽きようとしている。

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千鳥が淵の窓から見た夜桜。壮大な舞台を見るよう。




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コメント 2

mimica

またまたコメント失礼します。

私の母は、5年前、桜が満開のこの季節に末期肺ガンの告知をうけ
平均余命8ヶ月といわれましたが翌年5月に永眠しました。
この日記にある満開の桜と奥様のお話を読み
亡くなる1ヶ月前に「見れないと思った桜が見れた」
と嬉しそうに話す母を思い出しました。

桜は美しくも悲しくも、人の心に歌のように思い出を残す
とても不思議な花ですよね。

見事な桜と共に思い出される故人もまた
幸せだと思います。

残り少ない今年の桜を
存分に楽しんでください。。。
by mimica (2008-04-02 21:10) 

mana

mimica様、いつもコメントありがとうございます。

余命という時間の制限と競り合うような桜の季節の到来、そして「刹那に散っていく」風情は、人の命とは・・・という永遠の問いを投げかけているように思えます。

mimica様にとって、桜はずっとお母様とともにあるものなのですね。

今日の千鳥が淵は見事な桜吹雪でした。
お母様のご冥福を心からお祈りいたします。

by mana (2008-04-03 22:55) 

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