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全国、受験生のみなさん! [フレグランス・ストーリー]

受験シーズンである。

長男も次男もどちらかと言えばアラサーとなり、受験という言葉さえ私の記憶では薄れつつある。

夫の地方勤務に引っかかり、中学受験を逃した長男に代わって、我が家で最初に受験を経験したのは次男であった。

小学5年までを山形で過ごし、6年生になる春に横浜へ戻った次男に中学受験をさせるかどうか迷ったが、「受けたい」という本人の一言で、近所の四谷大塚準拠の小さな塾に連れて行くと、
「10ヶ月しか無い。今すぐ(四谷の)教科書を買いに行ってください。」
と「今からなんてトンでもねぇ」感いっぱいの先生に、どんとお尻を蹴られた。

中学受験は親も勉強しろ、といわれ、国会の仕組みだ、変形の土地の面積だ、と、多分小学6年生の子どもには何のことやら見当もつかないであろう知識を詰め込むが、これは意外におもしろがっている自分がいたりした。

怒濤の10ヶ月を経て、次男が都内の国立付属に入学すれば、次は反抗期まっただ中の長男の高校受験。
高校受験は親は勉強しなくてよかったが、大揺れする長男の心に、こちらが精神を病みそうになった。
最初の2校に続けて不合格、結果を見にいった帰りは「この子はもう大学まで出るような人生はあきらめなければならないかもしれない」と悲観して泣きながらハンドルを握った。

プロテニスプレーヤーになる、なんぞと言って毎日ラケットを担いで出かけ、なかなか勉強に心が向かなかった彼が、医大に行きたいと言い出し、夫と共にひっくり返ったが、何とか現役で滑り込む。
今では一人でここまで育ったような顔をして患者様に「西島先生」と言われている彼を見ると、
「お前の人生、スリリングだったなあ」
と声をかけたくなる。

最後に中高一貫で6年間だらけまくった次男の大学受験が来た。

どん底のような成績をもらっているくせに、言うことだけはでかい彼は、
「東大しか受けない。他に行きたい大学が無い。」
というので、出願も1校のみ、何だかスケジュール表を作成して大わらわだった長男の大学受験とは打って変わってシンプルだった。
家庭教師と二人で「やれるもんならやってみろ」ぐらいの期待薄さだった。

その次男に奇跡のように(本人にすれば当然の結果だそうだが)現役合格が舞い込み、我が家の受験はすべて終了。
私はお役目ご免となった。

ちなみにその後、長男は医師国家試験、次男は入学試験よりハードな大学院試験と親は抜きの試験を通り抜けている(らしい)し、次男には一級建築士という試験も控えている。

そんな息子達の受験に接し、母親としては苦しんだが、一方一人の人間としては、何か一つの目標に向かって、その他のことを一切考えなくていいという彼らのその状況がうらやましいと思い始めた。
専業主婦という立場を「CHANGE」できるチャンスがあることに気付いたのだ。

その考えは50歳を過ぎた今でも私の成分となっている。

人生はリセットできる。
そして逆境に立ったときほど、勉強にのめり込むことでマイナーな考えから遠離ることが出来る。
そう、一[ ]二[ ]なんである。([ ]を埋めよ)

受験そのものは人生の通過点でしかない。
でもその経験則を、息子達がこれからの道に役立てることが出来れば、たった一枚で明暗を分ける通知に涙したことも決して無駄ではない。

この季節、全国の受験生が、健康でその日を迎えられることを心から祈る。
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