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代官山、アートメイクよ、こんにちは [フレグランス・ストーリー]

「我慢強ぉおすなあ。」
はんなり京言葉の先生は言葉の優しさとは裏腹のそのスプラッター行為(勝手な想像)を、手を休めずに進めていく。

自分の心の中では「阿鼻叫喚」という4文字熟語が踊っている。
私の顔面の全神経の状態を言い表すのに他の言葉が浮かばないくらいだ。

最近、こともなげに、
「あら、私も入れてるわよ」
何だか同年代の知人に、そういう人が多くなった気がする。

『お化粧時間が確実に15分短縮できる』
『すっぴんでも平気で外を歩ける』
この2点、後光の差すような施術のための理由である。

もうクライアントさんが来ちゃう!という朝の慌ただしい時間に、張りが無くなったまぶたを引っ張り上げてアイラインを引くのはいらだつほどに困難。

旅行の時、12、3時間のフライトの間中、ファンデーションを塗りっぱなしが辛いけど、ぼやけた顔のままエアポート内を歩き回るのは気が引ける。

そんなジレンマがすべて解消されるというのだもの。

ワタクシ、今更なんだが、顔にメスを入れるのは反則だと思ってるヒトである。
・・・で一生懸命毎朝毎晩ユクコセンセイの造顔マッサージにいそしんで重力とタタカっているんである。

自分の確固たる基準は「維持はOK、修正はNG」なんである。
眉とアイラインを「維持」するものではあるけれど、皮膚に傷をつけて色を入れるっていうのは「修正」となるんだろうか?

そもそも整形もアートメイクも、本当は病気などのためにQOLが著しく下がってしまう人のためにこそ、存在していてほしい。
虚栄心や無駄に高い理想のために使うことは反則だと思うわけだ。

・・・とエラそうな御託を並べた後に、でもその楽だという誘惑に負けて、私はアートメイクを「修正ではない」と位置づけて実行に移すことにする。

なんのかんの言っても入れ墨である。
失敗は絶対許されない。
リサーチして、京都で女優さんを施術しているという先生に行き着く。

IFAのワークショップ1日め終了後、代官山のサロンに京都からちょうどいらしている先生にして頂くことになる。

痛くないとは思っていなかったが、想像を絶する。
「皆さん、一気にはできないんどすえ(こんな言葉尻だったかどうか定かでない)」

・・一気にやってしまったじゃないですか。
半分で止めたかったケド。

施術後、一晩で瞼が腫れ上がり、2日めのワークショップに行くのがためらわれる。
誰も私の普段の顔を知っている人なんかいないとたかをくくって出かけた会場の入り口で、LSAの校長に呼び止められた時は膝から崩れ落ちそうになる。
口には出さずとも「この人、ナニしたの?」と思われたことだろう。

その後の1週間がまた地獄である。
「雪だるま(の眉)」
「金太郎(の眉)」
「マジックで眉を描かれた柴犬」
ありとあらゆる形容詞で笑われる。
毎日、鏡を見てため息吐息。
(写真は怖くて掲載不可)

楽をしたい、あわよくばちょっと見栄えが良くなる、という欲望に負けて、自分の基準を曖昧にしたツケだと思い知る。

1週間経ち、かさぶたがとれるとかなり薄く、自然になる。
そして・・・楽なんである。

日焼け止めだけ塗ってそのまま外へ飛び出せるという20代のころの自由な気持ちを、身体と心の痛みと引き換えに手に入れたワタシなんである。







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