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青山、骨董通り今昔 [フレグランス・ストーリー]

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骨董通りを歩いていて、ふとウィンドウに目が停まる。

ラリック。
間違いない。

間口の狭いその店は、西洋骨董、主に私の大好きなフランスのアンティーク小物を扱っているらしく、香水瓶をはじめ、ティーカップ類、アクセサリー類などが店内にところ狭しと並んでいる。

骨董通りは信頼しているアロマテラピーサロンがそこにあるせいで、この頃また通うようになったところ。

青山通りから高樹町交差点で六本木通りと交わるその道は、私にとって昔から馴染みの深い通りだ。
大学が広尾にあり、構内の修道院の管理下にある学寮に入っていた私は、学校生活というより日常生活がその周辺を舞台に回っていた気がする。

かつては今のようなファッショナブルな通りではなく、日本の、主に焼き物の骨董を扱う小さな店が、静かな佇まいで何件かおきに点在する端正な顔であった。

大学1年から付き合い始めた夫とは幾度となくその道を散策し、青山通りにぶつかるT字路で右折しようとした彼の車が、横断歩道を駆けて渡ろうとした女性と接触事故を起こしたこともある。
今もその交差点を彼と通ると、その時のことを話したりする。

彼がまだ学生のうちに結婚した私たちのために、大学の友人達が開いてくれたパーティが、その通りの中にある小さなレストランだったことは前に書いた通りだ。

骨董通りの途中にある根津美術館は、東武鉄道の社長だった根津嘉一郎のコレクションを展示するため、その私邸のあった場所に建てられた都会の中のオアシスである。
元気だった頃の父とは、よくそこへ仏像や書画を見に行き、自然を残した広大な庭園の中のカフェでお茶を飲み、帰りに周囲の骨董店を冷やかしながら歩いたりした。

家庭を持って横浜に移った私たちが骨董通りから遠離っている間に、そこには様々なブランドショップが競って出店するようになり、一軒家を改装したような小さな骨董店は僅かに生き残った店だけが肩をすぼめてファッションビルの隙間にひっそりと佇んでいるだけになってしまった。

しかし、最近アロマサロンへ通うようになってびっくりしたのは、青山墓地への道とのT字路に、まるでその象徴のように偉容を誇っていたPapasのショップが取り壊されたのを皮切りに、ここにも例外無く不況風が押し寄せてきたことである。
シャッターを降ろした店舗や、空き室の張り紙が風に吹かれているビル。

そんな界隈をウィンドウから静観しているラリックの香水瓶。

クリニャンクールやヴァンプの蚤の市へもよく買い付けに行くという品の良い女主人とひとしきりパリの話しに身をゆだねた後、NINA RICHとのコラボだというこの美しい香水瓶を譲り受ける。

底には見にくいが『Lalique France』の刻印。
ふたを開けると何とも香しい香りが立ち上る。
最初、左右対称に見えた人魚(足先がヒレになっている)は、瓶を回転軸として両側に身体をひねって中を覗き込んでおり、一人が手を差し込もうとしているようだ。

掌に感じる幽かな包みの重さを抱きしめながら根津美術館の門の前を通り過ぎ、駐車場へ戻る。

今は病気と老齢のせいで酷い言葉で私を罵る父だが、昔、二人でえも言われぬ穏やかな時間を過ごしたその美術館は、長い改装期間を経てこの秋、再びオープンするという。






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