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水戸、母を施設に入れる時 [フレグランス・ストーリー]

ブログの女王、◯川翔子サマも言っておられる。
「悲しいことや辛いことはブログに書かない。それを書く自分にもっと悲しくなるから」。

最後の更新は10月25日。
こんなに長く更新を空けたのは初めてである。

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10月末日。
90歳の母を、介護付き有料老人ホームに入居させる。

思えば2ヶ月前、我々の自宅の隣に用意していたマンションに、両親が「行かない」と言い出した時から騒動は勃発する。

自立できなくなったら一人娘の私のところへ、と人生設計を立てていたはずの両親が、なぜその時自分たちの家で過ごすという方向に舵を切ったのか。
主に父が主導したと思えるその判断には、情報を正しく受け止めて整理する能力が既に欠如し始めた老人特有の混乱があったように思う。

しかし二人が食物を買いに行ける地元唯一のスーパーが閉店したり、母が何度か貧血で倒れたりと困難な諸事情が重なり、親身になってくれる従姉が実家近くの有料老人ホームを見せに連れ出してくれる。

雅子様のご祖父母がいらしたというその施設は、ホテルのように綺麗で、スタッフの対応も丁寧。
二人ともとても気に入ったようで、たまたま一室空いていた二人部屋にすぐにでも入居したいと父が言うので、仕事の合間を見つけて水戸にすっ飛んで行き、施設長さんにお会いして手はずを整えると、次の日には「やっぱり止める」と父から電話があったりで、混乱を極めた1ヶ月に振り回される。

しかし、父主導のこの騒動に疲弊し、日々元気を失っていく母の様子を見るにつけ、今後の設計を二人一緒に考えることが無理なのだと気付く。

改めて母だけに問うと「自分の年金で入れるのなら、あの施設に入りたい」と明確な意思表示があったので、全部手はずを整え、父が割り込まないように短期間で母だけの入居を決める。

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入居その日。
実家から車でたった10分ほどの距離なのに、「地の果てまで来たように遠い・・・」とつぶやく母。
50数年連れ添った父と離れて暮らす不安が痛いように判る。

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お風呂もトイレもついた20畳ほどの母の部屋からは、正面に大きなケヤキが望める。
はらはらと舞い散る落ち葉が、こんなに物悲しいものだと思い知る。

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少しでも母の心が慰められるように、私の使っていたライティングデスクと縫いぐるみを運び込む。
いつも人生の側にあった聖書と賛美歌集をその上に置き、初めてにっこりとする母の表情に、宗教というのは、こういう時にこういう風に役に立つものなのだと感慨深い。

しかし、一晩一緒に泊まってみると、認知症の方も多い施設の中は、健常者には異様な感じだ。

ここへ母だけを入れたことは、本当に正しいことだったのだろうか。
本当は入居したくないのに、一人娘の私に自分の世話を焼かせないようにという一心で、母はごねる父と別れてまでここに入りたいと言ったのではなかろうか。

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翌朝庭を散歩しながら、
「きれいな紅葉ねぇ。ここは本当に素敵なところねえ。」
と、自分に言い聞かせ納得させるように言う母に、涙がこぼれる。

どうしても携帯を使いこなせなかった母に、これがいつでも私と話しの出来るツールなのだと記憶させ、使い方を繰り返し教えて、後ろ髪を引かれる思いで施設を去る。
「おかあさんから何も電話が無ければ、毎晩8時に私から電話する。そうしたらその日一日何をしたのか教えてね。」

自室のドアの隙間から、私がエレベーターに消えるまでずっと手を振っていた母。
息子達が小さい時、幼稚園で後追いをされたあの気持ちが蘇る。

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常磐高速は夕焼け。

もう泣くのはよそう。

少なくともあそこにいれば、母は父に暴言を吐かれることは無い。
コンビニのインスタント食品をようやく買って来て、「私たちのことは心配しないで。食べるものは沢山あるの。」と、私を心配させないための嘘をつくこともしなくていい。

親しい人たちにも行く先を告げず、聖書と大好きな絵の道具だけを持ってケヤキの見える部屋に引っ越した母に、『象の墓場』の話しが重なった。







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コメント 4

朋子

お気持ち、お察しします。

義母を送り出したことがありますが
実母ではないので
私の時よりも、もっとお辛いかっただろうと
思うと言葉がうまく見つかりません。

偶然ですが、私が送り出したのも
数年前の10月末でした。

manaさん、本当にお辛かったですね。

これからは、お母様も新しい人生ですね。
早く新しい生活に慣れて
お元気で過ごされますように陰ながらお祈りします。
by 朋子 (2009-11-04 20:44) 

mana

朋子さん、いつも本当にありがとう。
朋子さんのコメントを読んで、また泣いてしまいました。

朋子さんがお義母さまを送った時のことを私も覚えています。
LSAの勉強中で、朋子さんも本当によく頑張られたと思います。

毎晩話す電話の母の声が、日に日に明るくなってきました。
携帯も上手に受けられるようになってきましたよ。
新しい生活に慣れようと、母は母なりに頑張っているのだなあと思います。

私も頑張らねば!ですよね。
朋子さんのお気持ち、心から感謝します。
by mana (2009-11-04 22:01) 

KURE

数日更新がなかったので心配しておりました。

自分のことだと「早々に二人で施設に入るよね」と
簡単に話していたりしますが
いざ、親のこととなると本当にいいのかと苦しみますよね。
でも不自由な二人が暮らしているのは危険でもあったりするので
最善の選択だったのだと考えています。
実際、義父は施設に入居して確実に栄養面で充実しているのだなと
感じられるほど体がしっかりしました。
色々催しがあって誘ってくれたりするのも
二人だけの時と違う楽しみでもあるようですよ。

お母様がスタッフの方たちと馴染んで安心できるようになると
いいですね。

manaさん、今度ハンドマッサージ教えてください。
義母にやってあげようかなと思いつつ、自己流でいいのかと
躊躇中なのです。


by KURE (2009-11-05 14:31) 

mana

KURE様、おはようございます。

温かいコメントありがとうございました。

昨日、一昨日、母と二人で軽井沢の山荘に行き、よく話しを聞き、生活の様子を見て、支援施設に入れたのはやはり妥当だったと納得しました。

これから、母、父、私と、3人それぞれの人生です。

私も改めて老人施設を目の当たりに見て、ハンドマッサージの意義を再確認しているところです。
いつでもお教えしたいと思いますが、自己流でもとても喜ばれると思います。
ティファニー・フィールド博士の『タッチ』、ご一読ください。
by mana (2009-11-07 08:51) 

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