麻布十番、手放す日 [フレグランス・ストーリー]
その時、何かがぷっつりと切れた音を、聞いたような気がする。
(写真の場合で言うと、パンツのゴムだが・・・・)
自分に負荷をかけることは嫌いではない。
前にも書いたが「もうだめだ」と思った所からの5分が、能力を伸ばすのだと信じている。
「あきらめる」という一番嫌いな文字が、その時は自分を救うような気がした。
時にはつらくてどうしようもなくなる前に、何かを手放すことも、あるいは必要かもしれないと、初めて考える。
ファイティングポーズをとるには、あまりにもすり減っている自分であった。
老親の(今度はよりやっかいな父の)施設入居に関する逡巡が、ここ1カ月ずっと続いている。
先生に「ハワイのパフォーマンスには出ない」と電話する声が震える。
何かができない理由に私事や自己都合を持ち出すのは、自分が最も軽蔑してきたことだったはず。
ゴールの見えない完成形を目指してがむしゃらに練習する気力が、もう1ミリも残っていないと感じる。
数か月目標として練習してきたものを手放すのは、数分の電話。
なんと簡単な、しかし、なんと空虚なものであろう。
同じ日、別の場所で、3人の失いたくない人たちを失うことも発覚する。
5分の休憩の間にメールアドレスを走り書きし、肩を抱いて「必ずメール頂戴ね」とMaueeが言う。
牛角が大好きなJamesは、「ニュージーランドでヤキニクレストラン開くぜ!名前は”キュウカク”」といつものお笑い。
そして・・・
「私は十分働いた。リタイアして九州に帰るよ」
何もしゃべれない頃から丁寧に教えてくれたDankanも行ってしまう。
なんで!
今日はなんなの!!
帰りの電車では涙が止まらない。
2010-06-04 17:38
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