自宅、本へのとびら [マイハーベスト]
「なんでさ、もっとオレたちに本読む癖をつけてくれなかったのさ」
アラサ―息子にこう言われては、私だって黙ってはいられないのである。
「なんでさ、あんたたちの怠慢の責任を私がとらなきゃいけないのさ」と言い返す。
あまり大きな声じゃ言えないけど、大学では児童文学専攻である。
自分が子供の頃児童書にどっぷり漬かっていたので、そりゃあ自分の子供にだって理想はあったし、準備もしたと思うのである。
しかし、二人の息子たちは本に興味をあまり示さず、家庭教師には「漫画でもいいから活字を読め!」と叱られる始末であった。
私が思うに、子供の本への興味は、決定的な1冊にいかに出会うかによるのである。
その一冊との出会いが早ければ早いほど、その子の読書人生は深くなる。
なぜなら、その後の人生経験のほとんどが本というレンズを通した価値観によってインプットされるからである。
前述したと思うが、私の場合は小学校に入ってすぐ読んだ岩波少年文庫の『長くつ下のピッピ』(アストリッド・リンドグレーン著/大塚勇三訳)が決定打であった。
ひえ~、どえりゃ~おもろい世界があるもんだ!
(なぜか激しく名古屋弁になるが)その時の気持ちは今もこんなふうに言い表せるほど忘れないでいる。
その後3部作すべてを読み、続けて同じ作者の『やかまし村・・・・』シリーズも読み、気分はすっかり北欧スウェーデンの夏草の中に埋没する。
折しもこんな本を読む。
『本へのとびら―岩波少年文庫を語る』(宮崎駿著/岩波新書)
ご存じアニメーションの巨匠が、日本の児童書コレクションの筆頭株、岩波少年文庫のお気に入りの50冊を紹介、それに3.11後の困窮した日本における児童書のあり方への問いかけを加筆したものである。
私の生涯の一冊は著者のリストにランクインされなかったが、『やかまし村のこどもたち』が紹介されている。
大量消費文明の終わりの風が吹き始めたところへ、どんな偉大な学者も予測できなかった大地震と原発事故が起こった我が国で、希望の灯を絶やさないで生きることは少なくとも大人には困難だ。
それでも「生まれてきてよかったんだ、生きていてよかったんだ」と子供たちに思わせるのが児童書の役目である。
私も大学時代恩師から何度も聞いた、「児童文学とは”やり直しがきく”話のことである」という著者の言葉を、これから本をわが子に与えんとする親たちすべてに捧げたい。
2012-02-17 15:24
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