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ふじみ野、アロマテラピー講座を終えて [クリニック・シンドローム]

自身で行うのは1年数ヶ月ぶりのアロマテラピー講座が終了する。

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ジエチルトルアミドを使わない、エッセンシャルオイルの昆虫忌避作用を利用した虫除けスプレー作りは、「沈黙の春」後のささやかな主張でもある。


母が亡くなった後の処理手続きや片付けに追われ、講座の準備が進まなくて気持ちが重かったが、延期や中止にせずにこれは絶対に実施すると決めていた。
多岐にわたる出席者のバックグラウンドを鑑みて、「イギリスの医療現場のアロマテラピー」の報告よりもベーシックなアロマテラピーの紹介に時間が割かれ、曖昧な講座になってしまったことを、まずはお詫びしたい。

当初講座を「医療現場のアロマテラピー」としたのは、やはり自分がそれを運営する当事者で、セラピストの報酬や運営コストを賄うには、「必要性」という収入の大前提が日本の医療現場ではあまりに低いと痛感していたからだ。

私はこれまで、それが日本のアロマテラピーの歴史の浅さから来る、医療従事者や受け手のニーズの低さによるものと考え、運営円滑化のために、講座や両親学級での10分講義のようなもので裾野を広げようと試みて来たが、今回イギリスの医療現場のアロマテラピーの視察で、その運営が100%ボランティアと寄付で賄われている、つまりビジネスとして(多分あえて)成立させない実情を目の当たりにし、認識違いを自覚した。

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(St. Luke's cancer centre, Fountain centreのHPより)

アロマテラピーが生活に深く根ざしたイギリスでさえ、こういう形態で運営されているということは、そもそも医療現場でのアロマテラピーには対価(=利益)の発生がそぐわないということではないだろうか。

医療現場でのアロマテラピーの受け手(患者)は、医療という大きな第一義としてのトリートメントを既に受けている人たちだから、アロマテラピーは医療の手の隙間からこぼれ落ちたもの(多くは精神的なダメージ)を拭うことしかできない。

しかし、Fountain centreに寄せられた、どれだけ多くの人々が対価を目的としないセラピスト達の行為に勇気づけられ、救われたかというメールを読めば、これはむしろ対価を要求しない方が自然で、利益を追求しない行為自体がまさしくセラピーともなるのだと気付かされる。

イギリスほど、アロマテラピーもボランティアシステムも普及していない日本で、これをそのまま取り入れることは難しいが、ジョアンナが当初4人のセラピストで始めたというこのシステムは、医療現場でこの先もアロマテラピーを続けていくであろう私に一つの方向性を与えてくれた。

アロマテラピーをまじめに勉強する人ほど、医療現場というシリアスな場面に憧れて、そこに職場を求める。
しかし日本ではその多くが、その地味さと報酬の低さから、他業種やエステ系、物販系に軸足を移す。
結果、日本の医療現場でのアロマテラピーは停滞する。

今日の講義では、本当は、そんなマニアックな話がしたかったけど、それは無理。

出席された皆さんが、私の本当に拙い講義でも「楽しかった」と言ってくださったことを励みにして、また明日からこの問題に取り組んでいこうと思う。







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