有楽町、やっぱり、ただの歌詞じゃねえか、こんなもん [マイハーベスト]
休診日の木曜は、フラのレッスンと英会話の間に期日前投票を済ませ(住民票が東京1区にある)、夕方夫と久しぶりに都内で待ち合わせて食事をする。
某社からのご招待でペニンシュラホテルへ。
クリスマス前のホテルは華やかで心躍る。
地下のコンフェクショナリーでは、クリスマスのへクセンハウス作りが最盛期を迎えている。
昨日忘年会で夜中までカラオケびたりだった夫の自慢は、今日本に影響を与えている多くの有名なアーティストやアスリートが生まれた1955年に自分も生まれたことである。
何でも自慢になるもんだなあと思う。
さんま、郷ひろみ、江川卓、野田秀樹、スティーブ・ジョブズ、具志堅用高(?)・・・・と枚挙にいとまが無いが、先日、円熟味が増しつつあるさなかで勘三郎が亡くなったのは、同年生まれとして何か思うところがあったようだ。
そして何より彼のモチベーションを頂点に引っ張り上げるのは、この方と同い年生まれという事実である。
桑田佳祐。
確かに同年代のアーティストの歌は、自分の歩んできた時代をそのままリアルタイムで写し取っているものだから、曲を聴いたり歌ったりする時は、「そうだよな、あの頃はそうだったんだ」と当時の自分を愛でる時でもあるわけだから、無性に心地よいのは理解できるような気がする。
他にさしたる趣味の無い夫は、桑田ファンの産科医(産科医の桑田ファンか)というアイデンティティでこの世を渡っているようなもの。
まあ、その入れ込みようはハンパない。
それほどまでなら、専門・実用書オンリーの彼でもきっと読むんじゃねえか、こんなもん。
「やっぱり、ただの歌詞じゃねえか、こんなもん」(桑田佳祐/新潮社)
いつまでもデスクに置き去りにされているのを先行して読んでみれば、うん、確かに類まれな才能の持ち主なのであろう。
長きに渡り、これほど多くの曲を日本全土に染み透らせてきたアーティストを他に知らない。
彼に絶大な共感を覚えるのは、ロックにも英語のリリックにも確かに影響を受けながらも、アメリカに媚びず、色目を使わず、徹底して活動の場を日本に求めて独自の世界を構築したことだ。
歌詞に英語を使っていないわけじゃなく、むしろ多用しているのに、それをネイティブに近づけよう(あるいは真似よう)とするのではなく、どっぷりと日本歌謡曲風に投入する。
彼にすれば、英語なんかなんぼのもんじゃい、五七五に当てはめてやるわいって感じである。
妖艶な Rock'n Roll
骨の髄まで・・・Maniac
愛撫から Lose Control
宇宙(そら)が燃えてる Zodiac
(Number Wonda Girl~恋するワンダ)
常々、歌詞が先かメロディが先かという議論はついて回るものだけど、ミュージシャンの彼の場合はもちろんメロディが先。
独特のテレもあって、このタイトルが付いている。
できたメロディに、ジグソーパズルのように言葉を当てはめていくわけだから、歌詞だけを全体として見たときにものすごく美しいとか、すっきり意味が通るかというと、なかなかそうはいかない。(少なくとも私には)
同じ世代のユーミンの曲なんかだと、歌いながら情景が浮かんでくるのに、彼の歌詞は字面で見て初めてなんて歌ってたかがわかるのは、そういうことなんだと思う。
2009年、転機が訪れる。
食道癌から立ち上がった彼は、著名な日本文学の文章を使い歌詞先行曲作りにチャレンジすることで(「声に出して歌いたい日本文学Medley」)、新しい境地を見出していく。
そして大震災があり、TSUNAMIが東北を襲う。
その後の曲には、美しい心の情景を思わせる歌詞がいくつか見つかる。
現在(いま)がどんなにやるせなくても
明日(あす)は今日より素晴らしい
月はいざよう秋の空
”月光の聖者達(ミスタームーンライト)”
Come again please.
(「月光の聖者達(ミスタームーンライト)」)
何だかフラの歌詞を彷彿とさせる。
夫はクワタを語る時、俄然アツい哲学口調になり閉口する。
まあ、クワタを語りたいのであれば、とりあえずこれを読んでみなはれってことかな。
某社からのご招待でペニンシュラホテルへ。
クリスマス前のホテルは華やかで心躍る。
地下のコンフェクショナリーでは、クリスマスのへクセンハウス作りが最盛期を迎えている。
昨日忘年会で夜中までカラオケびたりだった夫の自慢は、今日本に影響を与えている多くの有名なアーティストやアスリートが生まれた1955年に自分も生まれたことである。
何でも自慢になるもんだなあと思う。
さんま、郷ひろみ、江川卓、野田秀樹、スティーブ・ジョブズ、具志堅用高(?)・・・・と枚挙にいとまが無いが、先日、円熟味が増しつつあるさなかで勘三郎が亡くなったのは、同年生まれとして何か思うところがあったようだ。
そして何より彼のモチベーションを頂点に引っ張り上げるのは、この方と同い年生まれという事実である。
桑田佳祐。
確かに同年代のアーティストの歌は、自分の歩んできた時代をそのままリアルタイムで写し取っているものだから、曲を聴いたり歌ったりする時は、「そうだよな、あの頃はそうだったんだ」と当時の自分を愛でる時でもあるわけだから、無性に心地よいのは理解できるような気がする。
他にさしたる趣味の無い夫は、桑田ファンの産科医(産科医の桑田ファンか)というアイデンティティでこの世を渡っているようなもの。
まあ、その入れ込みようはハンパない。
それほどまでなら、専門・実用書オンリーの彼でもきっと読むんじゃねえか、こんなもん。
「やっぱり、ただの歌詞じゃねえか、こんなもん」(桑田佳祐/新潮社)
いつまでもデスクに置き去りにされているのを先行して読んでみれば、うん、確かに類まれな才能の持ち主なのであろう。
長きに渡り、これほど多くの曲を日本全土に染み透らせてきたアーティストを他に知らない。
彼に絶大な共感を覚えるのは、ロックにも英語のリリックにも確かに影響を受けながらも、アメリカに媚びず、色目を使わず、徹底して活動の場を日本に求めて独自の世界を構築したことだ。
歌詞に英語を使っていないわけじゃなく、むしろ多用しているのに、それをネイティブに近づけよう(あるいは真似よう)とするのではなく、どっぷりと日本歌謡曲風に投入する。
彼にすれば、英語なんかなんぼのもんじゃい、五七五に当てはめてやるわいって感じである。
妖艶な Rock'n Roll
骨の髄まで・・・Maniac
愛撫から Lose Control
宇宙(そら)が燃えてる Zodiac
(Number Wonda Girl~恋するワンダ)
常々、歌詞が先かメロディが先かという議論はついて回るものだけど、ミュージシャンの彼の場合はもちろんメロディが先。
独特のテレもあって、このタイトルが付いている。
できたメロディに、ジグソーパズルのように言葉を当てはめていくわけだから、歌詞だけを全体として見たときにものすごく美しいとか、すっきり意味が通るかというと、なかなかそうはいかない。(少なくとも私には)
同じ世代のユーミンの曲なんかだと、歌いながら情景が浮かんでくるのに、彼の歌詞は字面で見て初めてなんて歌ってたかがわかるのは、そういうことなんだと思う。
2009年、転機が訪れる。
食道癌から立ち上がった彼は、著名な日本文学の文章を使い歌詞先行曲作りにチャレンジすることで(「声に出して歌いたい日本文学Medley」)、新しい境地を見出していく。
そして大震災があり、TSUNAMIが東北を襲う。
その後の曲には、美しい心の情景を思わせる歌詞がいくつか見つかる。
現在(いま)がどんなにやるせなくても
明日(あす)は今日より素晴らしい
月はいざよう秋の空
”月光の聖者達(ミスタームーンライト)”
Come again please.
(「月光の聖者達(ミスタームーンライト)」)
何だかフラの歌詞を彷彿とさせる。
夫はクワタを語る時、俄然アツい哲学口調になり閉口する。
まあ、クワタを語りたいのであれば、とりあえずこれを読んでみなはれってことかな。
2012-12-13 22:41
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コメント(2)
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同い年なんですねー!先生!
私は親ほど歳の離れた日本人アーティストで、こんなにリスペクトするミュージシャンはいません。
先生のお歌をぜひ聴きたいなー
by しょーこ (2012-12-14 00:43)
しょーこさん、そんなことクリニックで言ったら、絶対出張して歌っちゃいますから気をつけてくださいね。
今まで私はあまり興味がなかったんですが、やっぱりすごい人ですよね。
by mana (2012-12-14 21:05)