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自宅、伽藍が白かったとき [マイハーベスト]

10年に一度のウィルスの大襲撃を受けた後は、家というシェルターを出ることに臆病になる。
電車の吊り革を掴む事を考えただけでもぞっとする。

なので連休は家に籠り、ひたすら体力温存・感染予防に努める。
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こういう時は何はともあれ愛する活字に溺れたいものだが、あいにく手持ちの本はすべて読み終わってしまった正月休みの後の事なので、急遽海外単身赴任中の次男の本棚から何冊か失敬することにする。

「あなたが面白がるような下らない本はありませんよ」

彼独特の口調が想像できるが、小難しそうな建築や哲学の書籍群の中から比較的与し易そうな数冊を引っ張り出す。

その中の一冊。
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「伽藍が白かったとき」(ル・コルビュジエ著/生田勉・樋口清訳/岩波文庫)

次男の上司であるI氏のブログによれば、「ガラシロ」として建築を目指す学生が全員一度は手に取るべき、いわずと知れたフランスの大建築家の名著である。
(しかし、この名著の美しい邦題を”グラコロ”みたいに言ってしまえる学生達っていったい・・・・)

コ翁が1935年、第二次世界大戦直前にNYを訪れ、当時のアメリカとフランスを底辺の2角に据え、白いカテドラル(伽藍)を意欲的に建設した中世ヨーロッパを頂点に仰いで構築した、光と陰をはらむ近代都市計画。

訳が原文に忠実であろうとするためかやや美文調で平素な言葉を避けており、具象と抽象が入り交じる文章と相まって、一読しただけではすっと頭に入って来ないので、ましてや部外者とくれば結構根気のいる分量である。

あのNYの摩天楼群を見て開口一番「NYの摩天楼は小さすぎる」と言ってしまえるところがさすが巨匠。
建物を財力と技術力に任せて垂直に延ばしてしまったために、マンハッタンという地面をすべて有効活用できずに郊外へ郊外へと人の流れを横に延ばし、ムダな時間と税金を浪費しているNYの無節操は巨匠の怒りを買ったらしい。

諸君、摩天楼のすべての床面積をマンハッタン中に敷き詰めると考えれば、たった4階半の建物を並べるだけでいいんじゃよ、と。

だから当時巨匠が描いた「明日」のマンハッタンのスケッチは、摩天楼群が消えて、テーブル状の横に平らなビルが建ち並んでいる。
2013年の現在、残念ながらNYはそうなってはいないが、摩天楼を建設したアメリカ人の、意欲的だが傲慢な、自信たっぷりながら臆病な気質を、天に届かんとする伽藍を建設した中世ヨーロッパ人の気構えと幾度となく比較しながら見抜いていたコ翁の視線の端緒を、奇しくも70年後、世界中を震撼させたWTCの映像が思い出させることとなる。
(しかし、アメリカ人はまたその跡地にも摩天楼を築こうとしている)

本著については前出のI氏始め、数えきれないほどの専門家が解析や評論を試みているので、ド素人がとやかく稚拙な感想を言うまい。
かつての師松岡正剛(といっても彼の編集学校に入塾していたというだけだが)も膨大な読書録『千夜千冊』の一冊に選んでいるのでここに挙げる。
http://1000ya.isis.ne.jp/1030.html

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この本がちょっと楽しかったのは、学生の頃読んだであろう次男の跡を辿って読み進めたことである。

白い付箋やオレンジ色の棒線で、彼がどこに興味を持ち、どこを重要だと思ったのかが分かるのだけれども、私の貼っていく付箋とそれはあまり一致しなかった。

素人と一緒にすんな!と一喝されそう。

この本を彼の本棚に戻すかどうか、迷うなあ。




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