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自宅、きもの [マイハーベスト]

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新春に催される高島屋の「上品会」(じょうぼんかい)というスペシャルな着物展で、年に一枚着物を仕立てることにしている。

会場にあふれる有名な織元さんや染め屋さんの着物と帯をあれこれ身体にあてながら、これ!という組み合わせに行き着く過程は、よくぞ女に生まれたり、と幸せを感じる時間でもある。

問題はそれらを実際に身に纏う日が、雑然とした私の日常ではなかなか見つからないことである。

着物を普段着で着ることに憧れて着付けを習い、パリで実際に着てみたこともあったが、ほとんどが腰エプロンか白衣で仕事する毎日ではそうそう着物の出番が無い。
結局、マスターしたはずの着付けも忘れてしまった。

今は考えを改めて、着物はフォーマルな場で着ればよいと思っている。
ブラックタイの第一礼装の場でのソワレは、露出が多い分貧弱な体型に年齢が加算されて我ながらシンドイと思うこの頃である。

その点、着物はモノ次第で(上品でない我が身も)上品に仕上がり、しかも外国の方々にもウケがよく、やっぱり日本人ならこれで出るとこに出ましょう!って感じである。
そう決めて以後、どんなに粋で素晴らしくても紬はやめて、華やかでちょっと現代的な(私の感覚ではソワレの感覚に近いもの)を選ぶようにしている。

着付けだって、やっぱりここ一番って時は悪戦苦闘してぐずぐずになったのを写真に撮られるのも馬鹿らしいので、プロの方にお願いするのが得策。
もうジタバタするのはやめてしばらく他力本願でいこうと思う。

上品会の帰り道、沢山の着物を見た興奮の余韻覚めやらず、本屋さんで一冊の文庫本と一冊の雑誌を買う。
まだまだあの衣擦れの音の中で夢を見たいと思いつつ。

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「クロワッサン特別編集/着物の時間」(マガジンハウス)

着物に一言ある著名人59人が、それぞれの一枚を身に纏い、着物への思いの丈を綴る。
ビギナーにとっての目からウロコ発言満載、お手本にしたいコーディネートも随所に。

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「きもの」(幸田文/新潮文庫)

ファストファッション全盛の世と比べる方に無理があるのは承知でも、つくづくなんてたおやかで丁寧な時代だったのだろうと感動する。

執筆されたのは昭和40年。
父、露伴が亡くなってから作家活動に入った文の死後30年経って出版された自伝的要素の強い作品である。

舞台は関東大震災前の東京下町。
とりわけ裕福ではないらしい一般家庭の三女として生まれたるつ子の目を通して、着物がまだ生活の主流であった時代の風習や考え方が、簡潔な文章でさくりさくりと描かれた佳作である。

「袷は五月一日から、単衣は六月一日から。・・・・七月一日からは絽だのうすものだの」と、衣更えの日を厳密に守って家族全員の着物を整えることは、その家の主婦の家庭技術を示すものと言われており、母親を先頭に祖母もばあやも支度に奔走する時代だ。
古びた着物はほどいて保管され、寝間着や布団がわに再利用される。

着物の着方や着心地を通して、るつ子は洞察力に富んだ祖母から女性としての身じまいや生き方そのものを学ぶ。
それだけ布地や裁縫が女性の身近にあり、着物が女性の身の丈を語る時代でもあったのだろう。

現代の私たちが失くしたものは、日本伝統の衣装である着物そのものよりも、このような賢い老人の教え、物を丁寧に使い込んでいく風習、そして着物が一役買っていた季節感だと気付かされる。

るつ子がこっそり母親について店じまい前の呉服問屋を訪問し、山と積まれた反物を目の前にした興奮と、そこから自分好みの一反を選び出すくだりは、今日の自分と重なっていとおしい。




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朋子

着物よいですね。
思い返してみれば、、、私が子供の頃は授業参観に
着物でくるお母さんが数名いましたが、もう時代が違いますねw。
私もmanaさんみたいに海外で着てみたいです。
by 朋子 (2013-02-06 17:42) 

mana

朋子さん
私はLSAの卒業パーティで、朋ちゃんがレースの伊達襟のお着物を着ていたのが、すごく素敵だと思ったのを覚えています。
朋ちゃんのロックな着物姿、期待大です!
by mana (2013-02-07 20:59) 

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