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ふじみ野、母の日 [フレグランス・ストーリー]

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美しい日曜日であった。

花を贈る相手のいない生まれて初めての母の日。

白い花が好きと口癖のように言う母には真っ白な花だけを集めて、義母にはもう少し色鮮やかな花を毎年当たり前のように贈ってきたが、去年のこの日、母はどうして自分が花を贈られたのかを理解できなかった。

電話で「母の日よ」と話しても要領を得ない返事だけが虚しく返ってきて、でも最後に「まあ、あなたがやることなんだから(花を贈られるのも)きっとそれが正しいんでしょ。」といつも最後にたどり着く結論に達するのだった。

母親という存在がすごいと思うのは、どんなに記憶が摩耗しても、我が子が絶対に正しいのだという一念だけは決して失わないことだ。
自分が仕舞って忘れてしまったものを、他人が盗ったと思い込んで、激しく時には口汚くさえ罵りながら混乱の淵に沈んでいく時も、必死に私の顔を見ながら正しい出口を探ろうとしていたかのように見えた。

施設は彼女にとって必ずしも最高の居心地ではなかったと思うが、それも「あなたがここにいるのが一番いいと言うから」という一念にしがみつくように、決して自宅に戻りたいとは言わなかった。
どんなに私のそばで暮らしたかったろうに、それも一言も言わなかった。

私が施設から帰る時は、どんなに足腰が弱っても玄関のアプローチまで見送りにきて、車に乗った私に窓を開けさせ、顔を寄せて、
「ヘルパーさんたちがみんな、かっこいいお嬢さんですねって言うのよ」
と何度も言い、その時だけは得意そうだった。
そしてまたいつものすがるような目で、
「わたし、もうすぐ死ぬような気がするのよ」
と囁いた。

そして1ヶ月後、本当に逝ってしまった。
どんなにすがっても自分と一緒にいてくれない娘に愛想を尽かしたかのように、私に一言も言わずに。

もう、いいわよ、と。
あなたが訳の分からない花なんか贈らなくていいようにしてあげる、と、彼女の突然の旅立ちはそう告げているように思えた。

でも、お母さん。
私は今年も母の日に花を贈りたかった。

分かってくれなくてもいい。

私だってお母さんのこと、考えていない訳じゃないのよと、言い訳させて欲しかった。

大好きな白い花を、たくさん、たくさん買ってあげたのに。
いつもポケットに入れてたキャラメルも、いっぱい、いっぱい買ってあげたのに。
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息子夫婦から母の日に。

せめて、一瞬でもあなたがそう思うことで不安を忘れたのだったら、頑張ってかっこよく生きていくね、私。










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みみちゃん

読み進めるうちに涙があふれました。うちの母も施設にいて、まなさまの母上さまのご生前と同じ状態です。娘のすることが絶対だと思ってくれていて、施設の人が私を褒めてくれたら、謙遜しつつも自慢げな表情になり、そしてポケットにはいつもキャンディが入っています。

母の気持ちを感じながらも気がつかないふりをして、時にはぞんざいな接し方をしている自分に嫌悪感を感じます。
でも、まなさまのこの記事のおかげで、今日お昼休みは優しい気持ちで母のところに行けそうです。
by みみちゃん (2013-05-14 09:03) 

mana

みみちゃんさん。
いつもお読みくださって、本当にありがとうございます。
そしてコメントはいつも暖かくて、同じかなしみを抱き合った友のようで心に浸みます。
違う世界に心を連れ去られた親とどう付き合えばいいのか、誰か教えてほしいですよね。
でも、どうぞお母様お大切に。
by mana (2013-05-14 21:33) 

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