SSブログ

水戸、父の日交々 [フレグランス・ストーリー]

IMG_1592.jpg
老人性鬱病が二人いる。

陽気で人なつこいと言われるプードルのくせに、この暗さと気落ち感が子犬の頃からの持ち味のべべは、人間に換算すると80歳の今、ようやく年齢が性格に追いついてきた形だ。

IMG_1623.jpg
父の日、母の墓前に庭のアジサイを捧げてから、もう一人の鬱老人のもとへ。

母が亡くなって1年。
虚勢を張る相手がいなくなって父は生きる気力を一切失ってしまった。
それほど大事な相手だったらもっともっと大切にしてあげればよかったのに、と心で何度叫んだことか。

独断的な父に振り回され、それでも文句一つ言えずに60年連れ添った母は、「これで私の勝ちよ」とあっさり一人で旅立ってしまった。
母が最後に翻した反旗は、父にとってあまりにも大きかった。

訪れる前に「何か欲しいものある?」と電話で聞くが、答えはいつも「(死ぬための)ヒ素」。
おいおい、王道のブラックジョークかよ、と思う。

IMG_1617.jpg
アイランドサンダルとクリニック当直という最高のプレゼントを持ってやってきた長男も、それを聞いて「戦中派の選択だな」とばっさり。

まあ、それでもヒ素ではなく、焼きたてのパンやら、晩酌に食堂で出してもらうお酒なんかを持って訪れれば、カツサンドを頬張りながら私の話を聞いて笑ったりもする。
夫がピアノを始めたと言うと、いきなり都内で痔疾の手術をしたという話しが始まるからこれはボケたかと思うと、
「手術をして帰宅したらお前がピアノの練習をしていたのに、痛みにイライラして、やめろ!と怒鳴ってしまった。あれは申し訳なかった」
とちゃんとオチは合ってるので、まだ大丈夫だと思う。

しかし、痔の痛みにひびくピアノって、どんだけ下手だったんだろうとこちらも申し訳ない。

さて、我が家の「父」は息子に当直をしてもらい、メグにはこんなプレゼントももらい、サイコーの父の日である。
IMG_1595.jpg

この頃「家飲み」が彼の中ではブームらしく、その日のように当直医がクリニックを守っている日は、自らコンビニでつまみなどを買い、家で飲もうよと言う。
飲んでしまうと、ルーティンの宿題やら練習やらが出来なくなってしまうので私はあまり飲みたくないが、父の日とあらば仕方ない。

二人で本気で飲むと、どうしてもここまでの半生の反省会になるが、彼の場合、もういつでも死んでいいと思えるだけのやり尽した感を持っているのが心底羨ましい。

この頃、人生の満足度って、面白いことをやったとか、お金持ちになったとかじゃなく、どれだけ自分が社会に貢献したか、で決まるもののような気がする。
その点、夜昼なく自分の使いうる時間をすべて産科医療に投じてきた彼の人生に悔い無し、とは、そばで見ている私でさえそう思う。

納税者二人を育て上げはしたが、未だ自分のことにかまけている私の人生満足度はまだまだ限りなく低い。

そう言えば、水戸の父も「定年まで働いて、その後20年母と各国を旅行して楽しい人生だったとは思う」と言っていた。
社会貢献度という点ではイマイチな気がするが、まあ、彼がそれでいいと言うなら私はあえて何も言うまい。

父の日は、こうしてはからずも二人のオトコの人生を総括する日でもあった。

幼稚園の父親参観に行って感動しきりの長男含め、世の父たちに心からエールを送ろう。



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

自宅、記譜法自宅、母と俳句 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。