ルアンパバーン、Amantaka [セルフィッシュ・ジャーニー]
社会主義国である。
ヴィエンチャンからルアンパバーンへのドメスティックの空港を見た途端、ようやく気が付いた。
なんかやっぱりこの国について無知である。
普通、空港というとこれから旅立つ高揚感やビジネスへの意気込みに満ち満ちて華やか、にぎやか、晴れやかな感じがするものだけど、そのどれもが無い。
ハノイの空港の薄暗さだ。
1975年、ラオスは650年続いた王政が廃止され、社会主義国となった。
(地球の歩き方より)
ルアンパバーンの町を案内してくれたガイド君によると、最後の王族は社会主義者によって処刑され、何人かの子孫だけがアメリカやフランスに渡り、今を生き続けているそうだ。
カンボジア、ヴェトナムと並んで元仏領インドシナであった3国の中で、最も認知度が低いラオス。
ヴェトナムはかのヴェトナム戦争、カンボジアはポルポト政権の大量虐殺という負の知名度があるが、ではラオスが忌まわしい過去が無かったかというと決してそうでは無い。
南北に長いヴェトナムの西側にほぼ平行に位置するラオスにはヴェトナムの北と南を結ぶホーチミンルートがあるため、アメリカがヴェトナム戦争時に投下した爆撃の量はヴェトナムよりラオスの方が多いと言われ、今でも不発弾が多く残り、犠牲者が毎年出ると言う。
(ガイド君の英語の説明なので、聞き取れていないかもしれません。あしからず)
加えて何度かの内戦があり、ヴィエンチャンの記事で書いたように、多くの建造物や文化遺産が破壊された。
それを修復したり、不発弾を除去したりする作業は自国では追いつかず、日本を始め先進国のODAが現在も多く関わっているそうだ。
埼玉の隅で私がちっさくのたうち回っている間に、偉い仕事をしている人が日本にも沢山いるもんなんですね。
(だから日本からのVISAはタダなんです、と彼は言ったような気がする。間違いかもしれません)
ま、そんなわけで話しを戻すと、ラオスはヴェトナムと同様社会主義国家なんである。
だから空港が素っ気ないんである。(こういうまとめ方はよくないですね。もっとシリアスな問題です)
体重計(?)でバゲッジの重量検査。
ビジネスのラウンジに至っては、TVでよく見る北朝鮮のようなインテリア。
(45分のフライト、ビジネスは一人だけ。あたりまえか・・)
供されたお茶菓子は昭和のニオイ。喉を通過させるのがやっと。
やるなあ、Lao Airline。
雰囲気満載だ。
優先搭乗者の中にお坊様が入っているのが特徴的。
ほぼ1時間のdelayで出発した機の眼下にオレンジ色の大蛇のようなメコン川が見えてきて、あっという間にルアンパバーン到着。
宿は今年2度目のアマンリゾート、Amanatakaである。
ルアンパバーンの景観保護地域をややはずれたところに位置するラオス初めてのアマンリゾートは、元は病院だったという広大な敷地の中に、その雰囲気を十二分に残した静謐な佇まいを魅せている。
穏やかで控えめなラオスの風土にぴったりマッチしたインテリアはさすがと言えよう。
全27室がスイートだが、その中でもかなり広いインディゴブルー(この色にはワケがあったんですね)のプライベートプール付きのKhan Pool Suiteにグレードアップしてくれている。
午後早くに到着すると、2時間のウェルカム・スパトリートメントが用意されており、キッチュなヴィエンチャンの喧噪から一気に上質なリトリートへと運ばれる。
カウチのヘッドレストの下の風景。
何でも無いようだが、センスあるなあ。
夕刻、ホテルのバーで白ワインを一杯飲んで、歩いて5分ほどのストリートで毎夜繰り広げられるモン族のナイトマーケットを冷やかしに行く。
布と手芸に関しては卓越した技術を持つモン族の民族衣装や織物の技術にはずっと前から興味があったので、私にとっては宝探しに行くようなもんである。
果たして布の山、山、山。
私が本当に欲しいヴィンテージの衣装など高価なものは無いが、伝統的なモン族のパターンの布を使った小物やデイリーに着られそうなエスニッククローズがいっぱい。
その中で、私を黒い目でじっと見つめていたこの子達。
独特の藍染めの布とクロスステッチの布でできた動物のぬいぐるみは、一匹200〜300円ほど。
すべて手縫いで、彼らは片道1間以上もかけて、村で女性が作る手工芸品をこのバザールに毎日売りにくる。
その手間と技術を思うとこの値段では申し訳ないようだ。
いくつか同様のぬいぐるみを売る店が出ているが、ここのが一番表情が可愛く、特に座ったウサギはここしかなかったので、全部買い占める。
(・・・と言っても一つ一つ作るので10個に満たない品揃えである)
部屋のソファに並べて、朝食も一緒に食べたら愛着が湧いてしまい・・・・
翌日もマーケットへ出掛け、増えた。
これは売れると踏んで急に増産したせいか翌日のウサギ達はちょっと出来が悪かったが、20歳前後の、前日と同じ非常に美人なモン族の売り子さんが、私の顔を見て満面の笑みを浮かべたのでまた全部買ってしまった。
いい夢をみられそうである。
夜になると、この珍客がグループでやっては来るんだけど・・・・
ヴィエンチャンからルアンパバーンへのドメスティックの空港を見た途端、ようやく気が付いた。
なんかやっぱりこの国について無知である。
普通、空港というとこれから旅立つ高揚感やビジネスへの意気込みに満ち満ちて華やか、にぎやか、晴れやかな感じがするものだけど、そのどれもが無い。
ハノイの空港の薄暗さだ。
1975年、ラオスは650年続いた王政が廃止され、社会主義国となった。
(地球の歩き方より)
ルアンパバーンの町を案内してくれたガイド君によると、最後の王族は社会主義者によって処刑され、何人かの子孫だけがアメリカやフランスに渡り、今を生き続けているそうだ。
カンボジア、ヴェトナムと並んで元仏領インドシナであった3国の中で、最も認知度が低いラオス。
ヴェトナムはかのヴェトナム戦争、カンボジアはポルポト政権の大量虐殺という負の知名度があるが、ではラオスが忌まわしい過去が無かったかというと決してそうでは無い。
南北に長いヴェトナムの西側にほぼ平行に位置するラオスにはヴェトナムの北と南を結ぶホーチミンルートがあるため、アメリカがヴェトナム戦争時に投下した爆撃の量はヴェトナムよりラオスの方が多いと言われ、今でも不発弾が多く残り、犠牲者が毎年出ると言う。
(ガイド君の英語の説明なので、聞き取れていないかもしれません。あしからず)
加えて何度かの内戦があり、ヴィエンチャンの記事で書いたように、多くの建造物や文化遺産が破壊された。
それを修復したり、不発弾を除去したりする作業は自国では追いつかず、日本を始め先進国のODAが現在も多く関わっているそうだ。
埼玉の隅で私がちっさくのたうち回っている間に、偉い仕事をしている人が日本にも沢山いるもんなんですね。
(だから日本からのVISAはタダなんです、と彼は言ったような気がする。間違いかもしれません)
ま、そんなわけで話しを戻すと、ラオスはヴェトナムと同様社会主義国家なんである。
だから空港が素っ気ないんである。(こういうまとめ方はよくないですね。もっとシリアスな問題です)
体重計(?)でバゲッジの重量検査。
ビジネスのラウンジに至っては、TVでよく見る北朝鮮のようなインテリア。
(45分のフライト、ビジネスは一人だけ。あたりまえか・・)
供されたお茶菓子は昭和のニオイ。喉を通過させるのがやっと。
やるなあ、Lao Airline。
雰囲気満載だ。
優先搭乗者の中にお坊様が入っているのが特徴的。
ほぼ1時間のdelayで出発した機の眼下にオレンジ色の大蛇のようなメコン川が見えてきて、あっという間にルアンパバーン到着。
宿は今年2度目のアマンリゾート、Amanatakaである。
ルアンパバーンの景観保護地域をややはずれたところに位置するラオス初めてのアマンリゾートは、元は病院だったという広大な敷地の中に、その雰囲気を十二分に残した静謐な佇まいを魅せている。
穏やかで控えめなラオスの風土にぴったりマッチしたインテリアはさすがと言えよう。
全27室がスイートだが、その中でもかなり広いインディゴブルー(この色にはワケがあったんですね)のプライベートプール付きのKhan Pool Suiteにグレードアップしてくれている。
午後早くに到着すると、2時間のウェルカム・スパトリートメントが用意されており、キッチュなヴィエンチャンの喧噪から一気に上質なリトリートへと運ばれる。
カウチのヘッドレストの下の風景。
何でも無いようだが、センスあるなあ。
夕刻、ホテルのバーで白ワインを一杯飲んで、歩いて5分ほどのストリートで毎夜繰り広げられるモン族のナイトマーケットを冷やかしに行く。
布と手芸に関しては卓越した技術を持つモン族の民族衣装や織物の技術にはずっと前から興味があったので、私にとっては宝探しに行くようなもんである。
果たして布の山、山、山。
私が本当に欲しいヴィンテージの衣装など高価なものは無いが、伝統的なモン族のパターンの布を使った小物やデイリーに着られそうなエスニッククローズがいっぱい。
その中で、私を黒い目でじっと見つめていたこの子達。
独特の藍染めの布とクロスステッチの布でできた動物のぬいぐるみは、一匹200〜300円ほど。
すべて手縫いで、彼らは片道1間以上もかけて、村で女性が作る手工芸品をこのバザールに毎日売りにくる。
その手間と技術を思うとこの値段では申し訳ないようだ。
いくつか同様のぬいぐるみを売る店が出ているが、ここのが一番表情が可愛く、特に座ったウサギはここしかなかったので、全部買い占める。
(・・・と言っても一つ一つ作るので10個に満たない品揃えである)
部屋のソファに並べて、朝食も一緒に食べたら愛着が湧いてしまい・・・・
翌日もマーケットへ出掛け、増えた。
これは売れると踏んで急に増産したせいか翌日のウサギ達はちょっと出来が悪かったが、20歳前後の、前日と同じ非常に美人なモン族の売り子さんが、私の顔を見て満面の笑みを浮かべたのでまた全部買ってしまった。
いい夢をみられそうである。
夜になると、この珍客がグループでやっては来るんだけど・・・・
2014-09-28 16:30
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