ルアンパバーン、時間を織る町 [セルフィッシュ・ジャーニー]
ラオスには布が溢れている。
今まだ第一次産業中心の国で主な加工品が他に無いせいかも知れない。
装うための布は女性の一番の関心事で、その情熱が複雑な織物や染色技術を発達させる原動力となるから、どこの国へ行っても独自の美しい布が、何を置いてもまず、存在するように思う。
いつ頃だっただろう?
そして誰の写真集だったのだろう?
ラオス北部の山岳に住むモン族(Hmong e.g.)のプリーツスカートを見たのは。
藍染めの生地に細かいプリーツを畳み、そこに真っ赤なアップリケやチロリアンテープのような刺繍を施した、一目で非常に高度で凝った手仕事だと分かるそのスカートは、現代のファストファッションの中に生きる私の目に、強く焼き付いたものだ。
村の女性が一針一針思いを込めて縫い上げたであろうそのスカートの、一見無作為に見えながら相対的に実に美しい調和のもとに仕上げられる、そのセンスに痺れた。
ほとんど毎年のように訪れるタイの、バンコクの町中や空港のショップやチェンマイの市場で、たまにその独特の布の端切れのようなテキスタイルで作った小物やなんちゃってスカートに出会うことはあっても、本物は見たことが無く、かといって一番出会えるチャンスが多いはずのラオスまで出掛ける勇気も無く、10年以上が経っていると思う。
今回、従兄に勧められてラオス行きを即決した心のどこかに、このスカートに出会えるかも知れないという期待があったことは確かだろう。
果たしてそのスカートはそこにあった。
細長い麻布をろうけつで藍の色に染め、3段につないでプリーツを作り(これが手仕事でどうやるのか分からない)、刺繍やアップリケを施す。
麻の栽培から始める約10工程を10ヶ月〜1年かけて作り上げるものだ。
一枚一枚もちろん違うデザインで、最近はその認知度と平行して機械織りや新しく量産したものも出回っているようだが、ヴィンテージに出会うことは本当に難しい。
(ルアンパバーンの織物ブティック、Ock Pop Topで)
着る人の身長の3倍以上の長さの布を使ってなお大量のアップリケや刺繍が施されているので、実際に着用するにはかなりの重さである。
これはナイトマーケットに並んでいた1枚100バーツ(ラオスの通貨はキープだが、USドルやタイバーツが普通に流通している)ほどの、あかりちゃん用。
実用的なのはこっちのほうだろう。
なかなかこれも可愛くないですか?
社会主義革命後、ラオスの各地から少数民族がビエンチャンや大きい都市に移動し、その時に持ち込まれた部族独特の織物は、彼らが混乱期の中で生きるために手離された。
ビエンチャンのラオ族の都会的で豪奢なシルクの織物とは違った、力強い彼らの綿や麻の織物はとても印象的で、ビエンチャンの織物市場に衝撃を与え、在ラオスの外国人やタイの布バイヤーが二束三文で大量にそれらを買って行ったという。
(チャンタソン・インタヴォン著「ラオスの布を楽しむ」参照)
多分そのあたりで、私が見た写真集は作られ、本当の持ち主の部族の手から離れた宝石のような布たちは錬金術の生け贄となって、ラオスから散逸していったのだと思う。
多くの寺院から持ち去られた仏像や価値ある遺跡の多くが、イギリスやフランス、アメリカなどの大国に今あるように、やっぱり一番いいものは強い者の手中に落ちる。
小国はそれをただ見ているしか無い。
ラオスやカンボジアで肌で感じる哀しさは、きっとそんなところにあるんだろう。
布に話しを戻すと・・・
ラオスの至る所で見かける様々な布は、国を形成する多種の民族ごとに特徴があり、それはまさに部族がが織り出す複雑な力模様そのもののようだ。
ビエンチャンのラオ族の布は、シルクで薄く、機織り機で繊細な模様を浮き彫りにする。
仕事場を見学したり、ショップにも立ち寄ったが、やはり素材がシルクなのと、パターンが機械的で(複雑な手織りではあっても)何だかテーブルセンターっぽく(失礼!)、日本の日常で身につけるものとしては難しいと感じた。
しかし、市内の主にコットンの織物をコレクションしたブティック、インディゴ・ラーオ(Indigo Lao)で状態の良いモン族のあこがれのヴィンテージスカートに出会う。
ラオトゥン族(Lao Theung e.g.)のシン(ラオスの一般的なスカート。幅70センチ前後の布をただ大きな輪に縫い合わせたもので、ウェストに合わせて折り畳んで留める)と合わせて、長年の思いをスーツケースに入れる。
世界遺産となったルアンパバーンでは、押し寄せる観光客目当てに様々な布ブティックが集結し、各地の織物が見られるが、少数民族のコットンの織物が多い。
オークポップトック(Ock Pop Tok)はヴィンテージのコレクションと伝統デザインを基調にした高品質のテキスタイルが手に入る。
タイルー族(Tai Lue e.g.)の藍のシンを買ってみる。
やっぱりこの方が実用的だ。
西陣織と結城紬のように、布の棲み分けってどこにでもあるんだな。
ルアンパバーン郊外の織物の村、バーンサーンコーン(Ban Xangkhong)では、コットンの染色と手織りを見学できて、ブティックもある。
メコン川とその支流ナムカーン川が分かれる間の半島のような土地に開けたルアンパバーンは、ヴィエンチャンに首都が遷される前の、王国の都があった場所。
山あいで交通が不便だったのが幸いしてか、王国やフランスの植民地時代の面影が色濃く残り、1995年その町並みは世界遺産に登録された。
その町で新たな保護のもと、かつては食料を手に入れるために手放したラオスの少数民族の貴重な布が紡がれ続けていくことを心から願うし、彼らがその技術をもっとカジュアルに生かして経済的な充足を得るために、あのナイトマーケットなどは本当に必要なものだと思う。
今まだ第一次産業中心の国で主な加工品が他に無いせいかも知れない。
装うための布は女性の一番の関心事で、その情熱が複雑な織物や染色技術を発達させる原動力となるから、どこの国へ行っても独自の美しい布が、何を置いてもまず、存在するように思う。
いつ頃だっただろう?
そして誰の写真集だったのだろう?
ラオス北部の山岳に住むモン族(Hmong e.g.)のプリーツスカートを見たのは。
藍染めの生地に細かいプリーツを畳み、そこに真っ赤なアップリケやチロリアンテープのような刺繍を施した、一目で非常に高度で凝った手仕事だと分かるそのスカートは、現代のファストファッションの中に生きる私の目に、強く焼き付いたものだ。
村の女性が一針一針思いを込めて縫い上げたであろうそのスカートの、一見無作為に見えながら相対的に実に美しい調和のもとに仕上げられる、そのセンスに痺れた。
ほとんど毎年のように訪れるタイの、バンコクの町中や空港のショップやチェンマイの市場で、たまにその独特の布の端切れのようなテキスタイルで作った小物やなんちゃってスカートに出会うことはあっても、本物は見たことが無く、かといって一番出会えるチャンスが多いはずのラオスまで出掛ける勇気も無く、10年以上が経っていると思う。
今回、従兄に勧められてラオス行きを即決した心のどこかに、このスカートに出会えるかも知れないという期待があったことは確かだろう。
果たしてそのスカートはそこにあった。
細長い麻布をろうけつで藍の色に染め、3段につないでプリーツを作り(これが手仕事でどうやるのか分からない)、刺繍やアップリケを施す。
麻の栽培から始める約10工程を10ヶ月〜1年かけて作り上げるものだ。
一枚一枚もちろん違うデザインで、最近はその認知度と平行して機械織りや新しく量産したものも出回っているようだが、ヴィンテージに出会うことは本当に難しい。
(ルアンパバーンの織物ブティック、Ock Pop Topで)
着る人の身長の3倍以上の長さの布を使ってなお大量のアップリケや刺繍が施されているので、実際に着用するにはかなりの重さである。
これはナイトマーケットに並んでいた1枚100バーツ(ラオスの通貨はキープだが、USドルやタイバーツが普通に流通している)ほどの、あかりちゃん用。
実用的なのはこっちのほうだろう。
なかなかこれも可愛くないですか?
社会主義革命後、ラオスの各地から少数民族がビエンチャンや大きい都市に移動し、その時に持ち込まれた部族独特の織物は、彼らが混乱期の中で生きるために手離された。
ビエンチャンのラオ族の都会的で豪奢なシルクの織物とは違った、力強い彼らの綿や麻の織物はとても印象的で、ビエンチャンの織物市場に衝撃を与え、在ラオスの外国人やタイの布バイヤーが二束三文で大量にそれらを買って行ったという。
(チャンタソン・インタヴォン著「ラオスの布を楽しむ」参照)
多分そのあたりで、私が見た写真集は作られ、本当の持ち主の部族の手から離れた宝石のような布たちは錬金術の生け贄となって、ラオスから散逸していったのだと思う。
多くの寺院から持ち去られた仏像や価値ある遺跡の多くが、イギリスやフランス、アメリカなどの大国に今あるように、やっぱり一番いいものは強い者の手中に落ちる。
小国はそれをただ見ているしか無い。
ラオスやカンボジアで肌で感じる哀しさは、きっとそんなところにあるんだろう。
布に話しを戻すと・・・
ラオスの至る所で見かける様々な布は、国を形成する多種の民族ごとに特徴があり、それはまさに部族がが織り出す複雑な力模様そのもののようだ。
ビエンチャンのラオ族の布は、シルクで薄く、機織り機で繊細な模様を浮き彫りにする。
仕事場を見学したり、ショップにも立ち寄ったが、やはり素材がシルクなのと、パターンが機械的で(複雑な手織りではあっても)何だかテーブルセンターっぽく(失礼!)、日本の日常で身につけるものとしては難しいと感じた。
しかし、市内の主にコットンの織物をコレクションしたブティック、インディゴ・ラーオ(Indigo Lao)で状態の良いモン族のあこがれのヴィンテージスカートに出会う。
ラオトゥン族(Lao Theung e.g.)のシン(ラオスの一般的なスカート。幅70センチ前後の布をただ大きな輪に縫い合わせたもので、ウェストに合わせて折り畳んで留める)と合わせて、長年の思いをスーツケースに入れる。
世界遺産となったルアンパバーンでは、押し寄せる観光客目当てに様々な布ブティックが集結し、各地の織物が見られるが、少数民族のコットンの織物が多い。
オークポップトック(Ock Pop Tok)はヴィンテージのコレクションと伝統デザインを基調にした高品質のテキスタイルが手に入る。
タイルー族(Tai Lue e.g.)の藍のシンを買ってみる。
やっぱりこの方が実用的だ。
西陣織と結城紬のように、布の棲み分けってどこにでもあるんだな。
ルアンパバーン郊外の織物の村、バーンサーンコーン(Ban Xangkhong)では、コットンの染色と手織りを見学できて、ブティックもある。
メコン川とその支流ナムカーン川が分かれる間の半島のような土地に開けたルアンパバーンは、ヴィエンチャンに首都が遷される前の、王国の都があった場所。
山あいで交通が不便だったのが幸いしてか、王国やフランスの植民地時代の面影が色濃く残り、1995年その町並みは世界遺産に登録された。
その町で新たな保護のもと、かつては食料を手に入れるために手放したラオスの少数民族の貴重な布が紡がれ続けていくことを心から願うし、彼らがその技術をもっとカジュアルに生かして経済的な充足を得るために、あのナイトマーケットなどは本当に必要なものだと思う。
2014-09-29 23:12
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