シカゴ、風と建築と [セルフィッシュ・ジャーニー]
ニューヨーク、ロスアンゼルスについでアメリカ第3のこの都市に、かようにも知的な印象を与えているのは、1871年のシカゴ大火後、急ピッチで進められたダニエル・バーナム(NYの名物アイロン型ビル、フラット・アイアン・ビルの設計者)の都市計画案、そしてそこに近代建築の巨匠たちがこぞって建てた美しい高層ビル群によるものが大きいのではないだろうか。
建築家を志す次男がアメリカで最も好きな街というシカゴは、近代国家探訪にあまり興味が無い(笑)私が、ずっとずっと長い間、この国で唯一訪れてみたい場所だった。
夫と恒例のNYのイヴェントに参加する前に、やっぱり一人でシカゴに行こうと決めたのは、長年のそんな夢があったからだ。
出発2、3日前からアルコールを摂取するときゅんとしぼられるように痛む胃と腸を抱え(ウィルス性の胃腸炎にでもやられたんだろうか?)、ほとんど水しか飲まずに横になっていた11時間半のフライト後に降り立ったO'Hare空港に迎えにきたのは、ホテルのドライバー、Mark。
穏やかで丁寧な聞き取り易い彼の英語が、あー、今日から英語で話すのか、という最初のちょっと面倒くさい気持ちと胃の不快感をすっと拭い去ってくれる。
当てずっぽうに選んだホテルだったが、到着後部屋の窓からすぐ隣に、長年写真集でしか見たことの無かった、シカゴと言えばこれでしょ的な名物ビル、マリーナシティを望むに至って、私のテンションすでにMAX。
目の前はシカゴリバー。
スーツケースの荷物をろくに解きもせずに、寝不足と体調不良でガサガサの顔をざばりと洗って、まだランチ前の街へ飛び出す。
ミシガン湖から吹きつける強い風と内陸性気候の厳しい冬をようやく通り越し、街は春の息吹を知らせる若芽でけむるようだ。
いい天気。
そうそう、ホテルの入っているビル自体も、近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Roche)のシカゴ最後の高層建築IBMビルである。
素人目にはありきたりのビルに見えるが(そう、ビルって中世の建築物なんかと違って、よっぽどデザインが奇抜でないと特徴が分かんないのが難点よね?)、ミースお得意のカーテンウォール(建物の荷重を直接負担しない壁。荷重は他の梁や柱で支えるため、軽やかな印象に仕上がると言われる)とアルミニウムの端正な姿は、お隣のトウモロコシ型のマリーナシティと絶妙な対比を見せている。
近年シカゴでは巨匠たちが設計した名だたるビルの一部分をホテルに改装して、空間有効利用と建築の街という観光資源啓発の両得を狙っているようだ。
次男が絶賛するAONセンタービルなんて、素っ気ない直線だけのビルに見えるが、近づくと素材の花崗岩のせいでどこか暖かい柔らかさを感じる。
しかし、マリーナシティ。
鉄とガラスの建築が多いシカゴでは珍しい、コンクリートの造形美である。
設計はバートランド・ゴールドバーグ。竣工は1964年。
アメリカが一番強かった時代だ。
下層部は螺旋型駐車場、その上がランドリーと居住者用収納スペース、その上層40階がアパートである。
下から見上げると、この外側へ向かってバックで駐車するパーキングが、美しいけど怖すぎる。
日本で近年アクセルとブレーキを踏み間違える事故が多発しているが、やったら一発で16階分落下、即アウトだな。
夜はヴェランダがイルミネーションで飾られ、名物建築に居住する楽しさが伝わってくるようだ。
羨ましい。
鉄骨建築で復興を遂げてきた街らしく、橋桁や高架線が赤さびた肌を晒すが、それが決して汚らしくもなく、無骨でもなく、力強く街に溶け込んでいるのに感動する。
この街最古の電車ループは、まるで赤錆た鉄くずで出来たTDLモノレールのように、楽しくガタガタとダウンタウンを高架線で回る。
下は複雑な道路だ。
街の表情はNYほど都会然としていず、おおらかで、私のような異邦人にも懐を開いてくれる。
シカゴ劇場前あたりはストリートパフォーマーが数メートルおきに思い思いの楽器をかき鳴らし、陽気で騒がしく、楽しい。
通行人を捕まえてはドラムを叩かせるオニイサンに捕獲され、ハイハットが無いセット(どっからか拾ってきたのか?)でヤマハのレッスンの成果を披露する(笑)
レッスン料でもせびられるかと思ったが、無罪放免となった。
いいヤツだな。
この後、パフォーマンスを見物していたスーツ姿の黒人(メディカル・コンダクターだと言ってた)にナンパされる。
日本女性はマイナス10歳くらいは差し引いて頂けるんだろうが、そうだとしてもとんでもない勘違い野郎だ。
女性建築家ジーン・ギャングによる世界最高峰の摩天楼、アクア。
有機的で、こんな美しい高層ビルってあるんだろうかと周囲を何度も巡って天を仰ぐ。
まだ一泊もしていない初日から、こんなに取り込まれる街も珍しい。
建築家を志す次男がアメリカで最も好きな街というシカゴは、近代国家探訪にあまり興味が無い(笑)私が、ずっとずっと長い間、この国で唯一訪れてみたい場所だった。
夫と恒例のNYのイヴェントに参加する前に、やっぱり一人でシカゴに行こうと決めたのは、長年のそんな夢があったからだ。
出発2、3日前からアルコールを摂取するときゅんとしぼられるように痛む胃と腸を抱え(ウィルス性の胃腸炎にでもやられたんだろうか?)、ほとんど水しか飲まずに横になっていた11時間半のフライト後に降り立ったO'Hare空港に迎えにきたのは、ホテルのドライバー、Mark。
穏やかで丁寧な聞き取り易い彼の英語が、あー、今日から英語で話すのか、という最初のちょっと面倒くさい気持ちと胃の不快感をすっと拭い去ってくれる。
当てずっぽうに選んだホテルだったが、到着後部屋の窓からすぐ隣に、長年写真集でしか見たことの無かった、シカゴと言えばこれでしょ的な名物ビル、マリーナシティを望むに至って、私のテンションすでにMAX。
目の前はシカゴリバー。
スーツケースの荷物をろくに解きもせずに、寝不足と体調不良でガサガサの顔をざばりと洗って、まだランチ前の街へ飛び出す。
ミシガン湖から吹きつける強い風と内陸性気候の厳しい冬をようやく通り越し、街は春の息吹を知らせる若芽でけむるようだ。
いい天気。
そうそう、ホテルの入っているビル自体も、近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Roche)のシカゴ最後の高層建築IBMビルである。
素人目にはありきたりのビルに見えるが(そう、ビルって中世の建築物なんかと違って、よっぽどデザインが奇抜でないと特徴が分かんないのが難点よね?)、ミースお得意のカーテンウォール(建物の荷重を直接負担しない壁。荷重は他の梁や柱で支えるため、軽やかな印象に仕上がると言われる)とアルミニウムの端正な姿は、お隣のトウモロコシ型のマリーナシティと絶妙な対比を見せている。
近年シカゴでは巨匠たちが設計した名だたるビルの一部分をホテルに改装して、空間有効利用と建築の街という観光資源啓発の両得を狙っているようだ。
次男が絶賛するAONセンタービルなんて、素っ気ない直線だけのビルに見えるが、近づくと素材の花崗岩のせいでどこか暖かい柔らかさを感じる。
しかし、マリーナシティ。
鉄とガラスの建築が多いシカゴでは珍しい、コンクリートの造形美である。
設計はバートランド・ゴールドバーグ。竣工は1964年。
アメリカが一番強かった時代だ。
下層部は螺旋型駐車場、その上がランドリーと居住者用収納スペース、その上層40階がアパートである。
下から見上げると、この外側へ向かってバックで駐車するパーキングが、美しいけど怖すぎる。
日本で近年アクセルとブレーキを踏み間違える事故が多発しているが、やったら一発で16階分落下、即アウトだな。
夜はヴェランダがイルミネーションで飾られ、名物建築に居住する楽しさが伝わってくるようだ。
羨ましい。
鉄骨建築で復興を遂げてきた街らしく、橋桁や高架線が赤さびた肌を晒すが、それが決して汚らしくもなく、無骨でもなく、力強く街に溶け込んでいるのに感動する。
この街最古の電車ループは、まるで赤錆た鉄くずで出来たTDLモノレールのように、楽しくガタガタとダウンタウンを高架線で回る。
下は複雑な道路だ。
街の表情はNYほど都会然としていず、おおらかで、私のような異邦人にも懐を開いてくれる。
シカゴ劇場前あたりはストリートパフォーマーが数メートルおきに思い思いの楽器をかき鳴らし、陽気で騒がしく、楽しい。
通行人を捕まえてはドラムを叩かせるオニイサンに捕獲され、ハイハットが無いセット(どっからか拾ってきたのか?)でヤマハのレッスンの成果を披露する(笑)
レッスン料でもせびられるかと思ったが、無罪放免となった。
いいヤツだな。
この後、パフォーマンスを見物していたスーツ姿の黒人(メディカル・コンダクターだと言ってた)にナンパされる。
日本女性はマイナス10歳くらいは差し引いて頂けるんだろうが、そうだとしてもとんでもない勘違い野郎だ。
女性建築家ジーン・ギャングによる世界最高峰の摩天楼、アクア。
有機的で、こんな美しい高層ビルってあるんだろうかと周囲を何度も巡って天を仰ぐ。
まだ一泊もしていない初日から、こんなに取り込まれる街も珍しい。
2015-04-22 06:31
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