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ふじみ野、還暦の打音 [フレグランス・ストーリー]

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60歳になった。


誕生日の前と後の自分は何も変わらないのに、世間的にこの1日の段差はなんと大きいことだろう。
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30歳、40歳、50歳になった時はその段差を自分の感覚で何事も無かったかのようにスルーしたが、今回のギャップは世間様が見逃してくれないというのが実感だ。

誕生日の3日後に孫にせがまれてキッザニア東京に行ったら、シニア割引のチケットを渡されて仰天する。
4日前に来ていたら、500円余計に出費があったんである。
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500円の節約とシニアと呼ばれる意気消沈は、キッザニアに居る間中、自分の中で葛藤を繰り返す。

孫は自分の父や祖父と同じ職業を体験したいと言い、腹腔鏡手術に挑み、その姿を写真を撮ってラインで息子と夫に送ると、片方は感涙にむせび、もう一方はインストラクターにクレームを付けてくる。
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3世代のそれぞれを見渡すことが出来て面白いのも、シニアと呼ばれる年まで生きてきたご褒美ではあるんだろう。



自分のちっちゃな会社のスタッフ総出でお祝いをしてくれ、真っ赤なシンバルとスティックを貰う。
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いつもの誕生日なんて家族にさえ祝われないのに、こそばゆいったらない。

全員私より若いスタッフには、自分の50代という10年は今までの人生で最高のthe decadeだったと一応訓示を垂れる。



若い子しか目に入らない日本男子から見れば、50代の女なんて爬虫類と一緒かも知れないが、そんな幼稚なオトコどもを足蹴にして、女性の50代は輝くべきだ。

50代初めに下の息子が大学院に進み、長男は既に医者になっていたから、母親としての役目はここで卒業させて頂いた。
それまで完璧専業主婦であった自分に、大きな時間の余裕がプレゼントされ、私は自分の会社を作って活動をし始めた。
同時に、ひとりで海外を歩く面白さに魅せられ、そこから自分がまだ学ばなければならないことを知ったし、多くのこれまでに無い業種や他国の友人も出来た。

踏み出した一歩がまた次のステップを生む。
そんな風にして人生が思いっきり拡張していく、またその楽しさにも魅せられた。

幸いなことに身体が丈夫なことと夫の理解に支えられて、周囲が半ば呆れるような貴重な経験も沢山した。

これまでの人生の中で、こんなに自分だけのために努力し、投資した10年間は無い。
毎夜机に向かう私に向かって、夫は、
「学生時代にこれだけ勉強したら、医者にでも弁護士にでもなれたぜ」
と何度も宣ったが、その度に、医者になんかなりたくない、私は自分が面白いと思う勉強がしたいんだ、と心の中で毒づいた(笑)

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私の50代は、私に迷惑をかけまいと自ら入所した高齢者施設で人生を終えた両親への、娘としての寄り添い方を逡巡した時間でもあった。

二人とも90歳越えの長寿であったが、両親を介護し看取った期間を通して彼らの人生と自分の人生の分離と融合を幾晩も幾晩も考えて悩んだが、娘という立場を喪失した今、理屈抜きに人生の指針を失った心細さに襲われることもある。

その心細さをこれから一人で生きる自信に変容させ、また50代で選び取ったものを芳醇な果実に熟成させていくのが、これからの10年だと心に刻んでいる。



子どもが巣立ち、親を送り、縦の糸が細くあるいは消失したこれからは、夫との横糸の強い人生が新たにスタートする時期でもあろう。

赤いシンバルとスティックが、どんな打音で60代を叩き出すか。

乞うご期待である。

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