クリニック、長男ストーリー [クリニック・シンドローム]
「ヤツ、意外とヤルなあ」
夫が久しぶりに浮き浮きした声で話す。
長男が初めてウチのクリニックを手伝いに来た日の夕食の席。
遠いあの夜、彼は、二段ベッドの布団の中で、声を殺して泣いていた。
まだ家の事情を飲み込めない2歳下の弟は、とっくに眠りについた夜半。
彼の肩を撫でながら、私も途方に暮れていた。
医局勤めで、当直のアルバイトで生活を支えていた夫が倒れたのは、20年近く前。
息子達は小学校の5年生と3年生。
現金収入を絶たれ、即座に家計は逼迫した。
その日の息子達のテニスレッスンの後、いつも立ち寄るのを楽しみにしているファミリーレストランで、パパの入院で家にはお金が無いこと、こうやってファミレスに来ることも、テニスのレッスンも学習塾も辞めなければならないことを二人に話した。
11歳で、敏感に家庭が暗雲に包まれているのを感じ取っておびえている小さな心は、それも長男であるがゆえの悲しさだった。
その後、夫はようやく退院にこぎ着けたものの、医局で教授への道を断たれ、実父との葛藤があり、精神的にも肉体的にも、また経済的にもボロボロの状態で山形に職を見つけ、我が家は大きく未知の方向へ舵を切ることになる。
一番多感な時期が家庭の混乱期に当たった長男は、やがて自分を引き回した我々両親に恨みの矛先を向けるようになり、壮絶な反抗期を通り抜け、だが、ようやく開業した夫の背中を見て、医学部へ進んだことは前に書いた通りだ。
我々夫婦は、あれほど親に反抗していた長男がまさか夫と同じ道を選ぶとは思わなかったので、戸惑いつつも、大学入学と共に地方で一人暮らしを始める彼を送り出したものだ。
そして長男は国家試験に受かると自分で研修先を決めてさっさと赴任してしまい、そしてあっさり結婚し、二度と私たちの家庭に戻ることはなかった。
大学もアパートも都内で、一人暮らしをしながらも今もって何やかやと実家に出入りしている次男と違って、長男と私たち家族の思い出は、彼の反抗期以降、ふっつりと切れてしまっているように思う。
医学部へ行けとも、産科医になれとも言わなかった夫は、それでもちゃんと自分の背中を見て、後ろから歩いてくる彼の足音を、どんな思いで聞いていたのだろうと思う。
クリニックに人手が必要になっても、夫が新潟にいる長男に応援を頼むことは無く、業を煮やした私が連絡すると、「1ヶ月に一度でいいなら」と彼は快く手伝いを引き受けてくれ、この日が実現する。
この先、彼が産科医としてどういう道を歩いて行くのか、全くの未知数である。
しかし、少なくとも、あの日父親の入院で崖っぷちに立たされた家庭を思って泣いた少年は、今日、自分の手で父親を確実に助けられるようになったのだと思う。
夫が久しぶりに浮き浮きした声で話す。
長男が初めてウチのクリニックを手伝いに来た日の夕食の席。
遠いあの夜、彼は、二段ベッドの布団の中で、声を殺して泣いていた。
まだ家の事情を飲み込めない2歳下の弟は、とっくに眠りについた夜半。
彼の肩を撫でながら、私も途方に暮れていた。
医局勤めで、当直のアルバイトで生活を支えていた夫が倒れたのは、20年近く前。
息子達は小学校の5年生と3年生。
現金収入を絶たれ、即座に家計は逼迫した。
その日の息子達のテニスレッスンの後、いつも立ち寄るのを楽しみにしているファミリーレストランで、パパの入院で家にはお金が無いこと、こうやってファミレスに来ることも、テニスのレッスンも学習塾も辞めなければならないことを二人に話した。
11歳で、敏感に家庭が暗雲に包まれているのを感じ取っておびえている小さな心は、それも長男であるがゆえの悲しさだった。
その後、夫はようやく退院にこぎ着けたものの、医局で教授への道を断たれ、実父との葛藤があり、精神的にも肉体的にも、また経済的にもボロボロの状態で山形に職を見つけ、我が家は大きく未知の方向へ舵を切ることになる。
一番多感な時期が家庭の混乱期に当たった長男は、やがて自分を引き回した我々両親に恨みの矛先を向けるようになり、壮絶な反抗期を通り抜け、だが、ようやく開業した夫の背中を見て、医学部へ進んだことは前に書いた通りだ。
我々夫婦は、あれほど親に反抗していた長男がまさか夫と同じ道を選ぶとは思わなかったので、戸惑いつつも、大学入学と共に地方で一人暮らしを始める彼を送り出したものだ。
そして長男は国家試験に受かると自分で研修先を決めてさっさと赴任してしまい、そしてあっさり結婚し、二度と私たちの家庭に戻ることはなかった。
大学もアパートも都内で、一人暮らしをしながらも今もって何やかやと実家に出入りしている次男と違って、長男と私たち家族の思い出は、彼の反抗期以降、ふっつりと切れてしまっているように思う。
医学部へ行けとも、産科医になれとも言わなかった夫は、それでもちゃんと自分の背中を見て、後ろから歩いてくる彼の足音を、どんな思いで聞いていたのだろうと思う。
クリニックに人手が必要になっても、夫が新潟にいる長男に応援を頼むことは無く、業を煮やした私が連絡すると、「1ヶ月に一度でいいなら」と彼は快く手伝いを引き受けてくれ、この日が実現する。
この先、彼が産科医としてどういう道を歩いて行くのか、全くの未知数である。
しかし、少なくとも、あの日父親の入院で崖っぷちに立たされた家庭を思って泣いた少年は、今日、自分の手で父親を確実に助けられるようになったのだと思う。
2009-07-13 09:43
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コメント(4)
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manaさん、良いお話をありがとうございます。
感動しちゃいました。
なんか軽々しくコメントするのが
申し訳ないほどです。
私も親に
何か返すことができれば良いのですが。。。
by 朋子 (2009-07-14 10:54)
朋子さん、こんにちは。
そんな~。
感動していただくのも申し訳ないような、崖っぷち一家ぶりですよねー。
よく崩壊しなかったなと、(これからはわからないけれど)思い返しているところです。
by mana (2009-07-14 14:07)
manaさん、こんにちは!
読ませていただいてズシリときました。
現在に至るまでには
大変な苦難を乗り越えていらっしゃるのですね。
息子さんは反抗期がありつつも
ご両親が懸命に生きる姿をずっと見ていらしたのだなぁと…
うちも崖っぷち一家ですが
いろいろありながらも
家族の歴史を積み重ねていきたいなぁと思いました。
by ちゃんとも (2009-07-16 11:09)
ちゃんともさん、こんにちは。
その時は大変だったように思いましたが、世間一般から見たらこんなのは甘いほうなのかもしれません。
どんなに大変なことでも後になってみればよい思い出でしかありません。
それが家族なんだと思います。
暑い日が続きますが、ご一家お揃いでお健やかにお過ごしください!
by mana (2009-07-16 12:04)