軽井沢、母の遺産 [マイハーベスト]
「思ったほど涼しくはないわよ」とiPhoneの向こうの夫に告げた直後に、むき出しの二の腕に這い上がってくる冷気に震え上がり、昨晩はクローゼットから引っ張り出した羽毛布団を二重にして眠る。
相変わらず残暑がぐだぐだと居座っている首都圏を後にして訪れた今年4度目の軽井沢は、たった3週間のうちにすっかり夏の避暑地の陽気さを脱ぎ捨てて、凛とした秋の気配を漂わせている。
厚い靴下をはき、パイルのパーカーを着込み、アロマキャンドルと午後早くから舐め始めたロックのコニャックで時折ことっと意識を途切れさせながら、決して薄くはない本を一日で読み切る。
なんと贅沢な一日の使い方だろうと自己満足する。
猛暑の埼玉でいつも通り診療にあたっている夫には、心の中で何度も謝っておく。
「Aujourd'hui, maman est morteー今日、母が死んだ」
「母の遺産ー新聞小説ー」(水村美苗/中央公論新社)
この本が、母の死を題材にしたどの本とも違っているのは、カミユの「異邦人」の書き出しのこの言葉を、主人公がずっとずっと口にしたいと待ち望んでいたと平然と吐露することである。
多くの人が書評で「これは自分のことではないか」と思った、と書いていることから、私も自分があの時感じた静かな安堵感が決して異常なものではなかったと思い知るのである。
『老いて重荷になってきた時、その母親の死を願わずにいられる娘は幸福である。どんなにいい母親をもとうと、数多くの娘には、その母親の死を願う瞬間ぐらいは訪れるのではないか。・・・・・・・娘はたんに母親から自由になりたいのではない。老いの酷たらしさを近くで目にする苦痛、自分のこれからの姿を鼻先に突きつけられる精神的な苦痛からも自由になりたいのではないか。』
この本に出てくる「ママ」とは正反対で、母は女としての贅沢や我が儘を一切削ぎ落した人生を送ってきたので、私はそれを尊敬していたし、母も「あの子の言うことだけは間違いがない」と頼りにしてくれ、私たち母娘は本当に良好な関係だったと思う。
悪役はこの本とこれまた正反対でいつも父の方であった。
それでも母の晩年では、93歳という年齢に抗えずに発現してきた認知症の初期症状である被害妄想が、常に知性で自分を制してきた彼女を一変させてしまった。
最後の半年ほどは、これまでの彼女の経験則や信念が、湧き上る黒雲のように脳を蝕んでいく病変に絡めとられていく恐怖を、母自身が感じているのがよく分かった。
西日が真っ向から照りつける常磐高速を埼玉に向かって戻りながら、いっそ恐怖を感じないまで呆けてしまった方が、私も母もどんなに楽だろうと何度思ったことか。
しかし、もう洗い方すら分からないのに、下着だけは自分で洗うから(お洗濯サービスに)渡しません、と、わずかな信念の芯をこちらの世界につなぎ止めた状態のまま、母の肉体はあちらの世界へ旅立っていった。
母の苦痛には、すんでのところで終止符が打たれたのだ、と思う。
著書は、贅沢で我が儘な母親の死に安堵する50代娘の精神的・身体的周辺を、饒舌な文章で分厚く書き切り、見事である。
後半、母の死後、主人公が逗留する箱根のホテルでは、アガサ・クリスティばりのミステリー仕掛けも用意されているが、私には、主人公姉妹が「やっと逝ってくれた」と母の死を喜び合うまでの前半がなんとも衝撃的で胸を突かれた。
ともすると安っぽく下世話になりそうな夫婦間や50女の問題を、姉妹の会話という形であけすけに暴露しつつも品を失わないところに、著者の力量と知力を感じる。
姉妹とは、かくも露骨でかくも共鳴性を持つ存在なのか。
一人で母の死に向き合い、自分の感覚にずっと後ろめたさを感じていた私には、それがただ羨ましい。
相変わらず残暑がぐだぐだと居座っている首都圏を後にして訪れた今年4度目の軽井沢は、たった3週間のうちにすっかり夏の避暑地の陽気さを脱ぎ捨てて、凛とした秋の気配を漂わせている。
厚い靴下をはき、パイルのパーカーを着込み、アロマキャンドルと午後早くから舐め始めたロックのコニャックで時折ことっと意識を途切れさせながら、決して薄くはない本を一日で読み切る。
なんと贅沢な一日の使い方だろうと自己満足する。
猛暑の埼玉でいつも通り診療にあたっている夫には、心の中で何度も謝っておく。
「Aujourd'hui, maman est morteー今日、母が死んだ」
「母の遺産ー新聞小説ー」(水村美苗/中央公論新社)
この本が、母の死を題材にしたどの本とも違っているのは、カミユの「異邦人」の書き出しのこの言葉を、主人公がずっとずっと口にしたいと待ち望んでいたと平然と吐露することである。
多くの人が書評で「これは自分のことではないか」と思った、と書いていることから、私も自分があの時感じた静かな安堵感が決して異常なものではなかったと思い知るのである。
『老いて重荷になってきた時、その母親の死を願わずにいられる娘は幸福である。どんなにいい母親をもとうと、数多くの娘には、その母親の死を願う瞬間ぐらいは訪れるのではないか。・・・・・・・娘はたんに母親から自由になりたいのではない。老いの酷たらしさを近くで目にする苦痛、自分のこれからの姿を鼻先に突きつけられる精神的な苦痛からも自由になりたいのではないか。』
この本に出てくる「ママ」とは正反対で、母は女としての贅沢や我が儘を一切削ぎ落した人生を送ってきたので、私はそれを尊敬していたし、母も「あの子の言うことだけは間違いがない」と頼りにしてくれ、私たち母娘は本当に良好な関係だったと思う。
悪役はこの本とこれまた正反対でいつも父の方であった。
それでも母の晩年では、93歳という年齢に抗えずに発現してきた認知症の初期症状である被害妄想が、常に知性で自分を制してきた彼女を一変させてしまった。
最後の半年ほどは、これまでの彼女の経験則や信念が、湧き上る黒雲のように脳を蝕んでいく病変に絡めとられていく恐怖を、母自身が感じているのがよく分かった。
西日が真っ向から照りつける常磐高速を埼玉に向かって戻りながら、いっそ恐怖を感じないまで呆けてしまった方が、私も母もどんなに楽だろうと何度思ったことか。
しかし、もう洗い方すら分からないのに、下着だけは自分で洗うから(お洗濯サービスに)渡しません、と、わずかな信念の芯をこちらの世界につなぎ止めた状態のまま、母の肉体はあちらの世界へ旅立っていった。
母の苦痛には、すんでのところで終止符が打たれたのだ、と思う。
著書は、贅沢で我が儘な母親の死に安堵する50代娘の精神的・身体的周辺を、饒舌な文章で分厚く書き切り、見事である。
後半、母の死後、主人公が逗留する箱根のホテルでは、アガサ・クリスティばりのミステリー仕掛けも用意されているが、私には、主人公姉妹が「やっと逝ってくれた」と母の死を喜び合うまでの前半がなんとも衝撃的で胸を突かれた。
ともすると安っぽく下世話になりそうな夫婦間や50女の問題を、姉妹の会話という形であけすけに暴露しつつも品を失わないところに、著者の力量と知力を感じる。
姉妹とは、かくも露骨でかくも共鳴性を持つ存在なのか。
一人で母の死に向き合い、自分の感覚にずっと後ろめたさを感じていた私には、それがただ羨ましい。
2012-09-14 23:18
nice!(4)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0