自宅、やわらかなレタス [マイハーベスト]
自宅にクリスマスツリーを飾る。
11年前の寒い朝、3mの大ツリーの下で、初代クロが息を引き取って以来、飾れなかったツリーである。
当時のバカラのオーナメントは、その年をくっきりと我が家の歴史に刻むかのようだ。
今年はいろいろな事情で、出歩かない「おうちクリスマス」と腹を決め、久しぶりに自分の手でクリスマスを演出したくなった。
表向き「孫のため」に、高島屋各店舗1体限定のドイツ製木馬をいち早く届けてもらい、目指すイメージが出来上がる。
子どもの頃、一年中で一番楽しみだったその思い出の中に時間旅行するための。
子どもの頃の幸せな思い出綴りが、ひとつの文学として成立しうることを教えてくれるのは、いつも江國香織さんの文章である。
「やわらかなレタス」は、ひらがなを効果的に使った柔軟な文章で歌い綴る、父上のDNA全開のエッセイ集である。
「やわらかなレタス」(江國香織/文藝春秋)
彼女の作品の土台を支えるのは、前述した小説「抱擁、あるいはライスに塩を」も確かに、子どもの頃母親に読んでもらった童話であり、インテリで家族を慈しむ父親を筆頭とするあまやかで平和な家庭の記憶である。
特に”たべもの”(”食べ物”ではなく)に関する独特の感性は、読む者にジューシイな幸福感を与えてやまない。
彼女にかかれば、タラの切り身でさえ「でしゃばらない。控えめで、心根がよく、思慮深い魚」となる。
何より絶妙なのは、外国の童話に出てくる見ず知らずのたべもの、例えば『ムーミン谷の冬』(トーベ・ヤンソン)の「あたたかいジュース」、『ハイジ』(ヨハンナ・スピリ)の「白いパン」、などへの思いと追求、事実との出会いは、誰もが必ず持っているものなのに、彼女が書いて初めて文学として機能した気がする。
やられた、って感じである。
(私も、最愛の書『長くつ下のピッピ』に出てくる「カンゾウアメ」というものをたべたくて仕方が無かったのだが、パリで真っ黒のリコリスキャンディに出会って玉砕したりしている)
賢い両親に愛された幸せな過去は才能のひとつである、と彼女の作品を読む度に思う。
2012-11-09 22:51
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by 藍色 (2014-03-17 16:12)