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ふじみ野、産みたいのに産めない〜卵子老化の衝撃〜 [マイハーベスト]

「有吉・マツコの怒り新党」

ワタシTV観ません、と言い切った後、これだけは観る、と言ったら、そんなに重要な番組なんですかと某銀行支店長に爆笑された。

水曜の夜11時過ぎ。
翌日のフラとJohnnyのレッスンの準備をすべて済ませて、やれやれと一息つく、ちょうどその時の放映だということと、性別が曖昧であるがゆえにニュートラルな立場からストレートに繰り出されるマツコ・デラックスの物言いのファンでもあるからだ。

だいたいは疲れ切った頭でぼんやり受け流して聞いているが、ちょっと前に彼女(彼?)のコメントに「おっ」と耳をそばだてたことがあった。
検索したら出てきたので、一応載せておく。
http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-75f6.html

その数日前に、産科医の夫が話していたことと重ね合わせ、この人って本当に世の中で問題にすべきことを真っ当に嗅ぎ分けてるなあって気がした。

日本で少子化への危機が叫ばれ始めて久しい。

よく言われる原因は、経済的な問題や環境を含めた社会の構造的な面だが、我が国の政府が抜本的な対策をそこに積極的に打ち出しているかというと、決してそうではない。

少子化は、単純に考えても、超高齢化の近い将来における納税者が減ってしまうことであるから、国家の存亡に関わる問題であるはずなのに、である。

加えて、昨年6月に放映されたNHKスペシャル「産みたいのに産めない〜卵子老化の衝撃〜」は、子どもを産む女性の生理学的な根本問題が、我が国では全く議論されて来なかったという現実をさらけ出し、新たな少子化の原因を世に問うてみせた。

その取材班の記録がこれである。
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「産みたいのに産めない〜卵子老化の衝撃〜」(NHK取材班/文藝春秋)

私のような立場の者が、この問題についてあれこれ言うことに抵抗を感じる方もおられるだろうし、何の苦労も無く二人の息子を産み育てた私などに苦悩が分かってたまるものかと思われる方もあろう。

私の周囲には、ここで取り上げられている年齢に達してなお子どもを持たない人もいれば、不妊治療を受けた知人もいるし、治療をする立場の親戚もいる。

しかし、不妊治療も含めた産科医療という大きなくくりの中での仕事に従事する者として、この本を読み、ここに書くことも、もしかしたら不足していた情報の網の小さな一部分になるのかも知れないと思い、あえて書くことにしたことを始めにお断りしておく。

IMG_7899.JPG

「女児が持つ卵子の元となる細胞が最も多いのは、まだ母親の胎内にいる時で約700万個。それが赤ちゃんとして生まれでる時にはすでに3分の1以下の200万個に減る。初潮を迎える頃には約30万個となり、35歳頃には数万個にまで減ってしまう。量と共に卵子の質も確実に下がる。精子は毎日作られるが、卵子は生まれた時からずっとあるもので、決して新しく作られることはなく、日に日に老化していくものだ」

だから出産のチャンスは、日々(35歳を過ぎたら年々というスケールでは遅すぎる)失われていく。

事実、取材班がデータで挙げた、40歳過ぎてからの自然妊娠の可能性と不妊治療成功の可能性のパーセンテージは驚愕の低さである。
ここではあえて書かない。

夫はことあるごとに、それこそ飲んだ席でも、世間話の最中でも産科医としては常識のこの話題を語るが、男性はもちろん、まさにその年頃の女性も、ほとんどの方が「知りませんでした」と言われる。

いかに日本の教育が生殖分野に関しては、避妊にばかりかまけ、妊娠の可能性について論じて来なかったかが伺える。

この取材では、大きく分けて二つの問題が提示されている。

一つは、不妊治療を受けさえすれば40〜50歳まででも妊娠・出産が出来ると考えている女性が多い現実を踏まえて、卵子は老化していくという医学的な情報の周知徹底がなされてこなかった日本社会の問題。

もう一つは体外受精件数、クリニック数ともに世界一でありながら、成功率が世界最低レベルである我が国の不妊治療方針への疑問である。

何度か違うテーマのついでに書いたと思うが、私が大学を卒業した1979年には雇用機会均等法がまだ無く、4年制大学卒業の女子の採用は(大っぴらに)無かった。

4年制大学に入ることは就職しませんと公言するようなものだから、22歳で卒業して、23歳で結婚して、25歳までには子どもを産む。
呪文のようにそれを私に叩き込んだ社会は、卵子老化の知識をもってそうしたのだろうか。

1986年雇均法が施行され、女性の権利は(我々の頃に比べれば)飛躍的に向上した。
しかし、それによって結婚が遅くなって子どもが作りにくくなるという懸念は、法律を制定する側にも全く無かったようだ。

我々の頃は揶揄されるネタだった「マル高」(1993年以前は30歳、以降は35歳以上の妊婦が母子手帳に押された高齢マーク)も1999年には廃止された。
少なくとも、卵子老化の知識は無くても、この頃までは30歳以上の初産はリスクが伴うというマネージメントは社会全体にあったのに、女性の社会進出がさかんになるにつれ、そのイエローカードがひとつひとつなぜか取り払われていったようにも感じられる。

TVでは芸能人がさかんに不妊治療によって40歳を過ぎて子どもを授かったことが流布され、いつしか出産のリミットは高度医療のもとに無くなったように錯覚されだしたのだ。

また、日本の不妊治療の成功率が著しく低いのは、先進諸国が妊娠の可能性が低い年齢には治療に制限を設けているのに対し、日本にそれが無いからだ。
そもそも日本には不妊治療のあり方についての法律が無く、医療機関は日本産婦人科学会のガイドラインに基づいて治療を行っている。

また不妊治療を始める年齢も他先進諸国と比べて突出して高く、ここにも妊娠は年齢との闘いであるという常識が抜け落ちた日本社会が浮き彫りになる。

女性の社会進出と、妊娠・出産はいつも裏腹だ。
それが両立する社会が理想なのは間違いが無いが、残念ながら現実はそうではない。

女性が子どもを持つことと社会の立場を維持することとの両方を獲得するためには、社会と個人がタブー視されていた卵子老化の認識を共有し、議論の俎上に挙げ、落としどころを探っていくしか方法は無い。

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知らずに後悔することのないよう、
知識を持った上で人生の「選択」が
できる社会であってほしい。
それが私たちの考えだった。

ーNHK取材班ー



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