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ふじみ野、あのとき、文学があった [マイハーベスト]

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生活を朝型に変えて1週間が過ぎた。

夜は10時頃からお風呂に入ったり翌日の準備をしたりして、11時にはベッドに入る。
ベッドの中で約1時間本を読んで12時までには完璧寝付く。

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そして朝は5時に起床。
主に2時間をアサイメントを片付ける時間に充てる。

最初2、3日、ちょっとした時差ボケのような状態になって、昼間やたらに眠かったが、慣れてくると、生活全般に余裕ができたのが分かる。

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今までは仕事から帰って、かき込むようにご飯を食べて、ドラムを練習し、フラを練習し、くたくたになって英語をやるという、仕事以外の「課外授業」をすべて夜に詰め込んだスケジュールのせいで、期限に追われる急いた感じがストレスだったんだけど。

休日とウィークデイのタイムスケジュールの大幅な差、「ソーシャル・ジェットラグ」が疲労の原因になるというのも、先日の「Internal Time」で学んだので、日曜も可能な限り5時に起きる。

夕食時に心自由に(これ、結構大きい)ワインが飲めるのも、ベッドの中で1時間本が読めるというご褒美が一日の最後に確実に取れるのも、この生活時間のメリットだ。

その時間で読んだ最初の本。

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「あのとき、文学があったー文学者追跡完全版」(小山鉄郎/論創社)

筆者は文芸記者。
日本文学界の作家達を追い続けた評論を文芸誌「文學界」に連載、そのうちの1990年1月〜1994年5月までを収めた本著で日本記者クラブ賞受賞。

日本の文学界の構図や課題を、淡々とした第三者の目で写し取ることでクリアーに浮き上がらせる。

1990年といえば、前年にバブル経済が頂点に達し、日本全体が熱病に浮かされたように踊り狂った後に相場が急落、その後の空白の20年に真っ逆さまに落ち込んでいった始まりの年だ。
翌1991年、湾岸戦争勃発、旧ソ連崩壊。

そんな時代を背景に、日本の文学者達が何を思い、どんな文学を生み出していったのかを追跡したのが本著である。

(朝ここまで書いて時間切れとなり、下書きに放り込んでいったつもりが、手違いで公開されておりました。すでにお読みくださった皆様、本当に失礼いたしました。)

例えば政治家だったり、銀行家だったり、企業のオーナーならば直接的に関わるから分かりやすいが、文学者が時代の流れや社会情勢に関わるとすれば、それはいったいどの入射角からなんだろう。

近い例で言えば、大震災に関して直接的には自衛隊や政治家やボランティアの方々の役割は視覚的に理解できるが、例えば文学者は何を担うのだろう。

永山則夫元死刑囚の日本文藝家教会への入会問題、女性文学者たちによる「女流」という言葉への怒り、文学者達による反核運動、日本文学の翻訳問題・・・・

取材の事実のみを淡々と書き綴った行間から、文学は生き物で、間違いなく時代の波間から生み出され、当時の記録と記憶を形成していると感じる。

文学を見守ってきたこのジャーナリスティックな文章もまた、読み応えのあるひとつの文学であろう。

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