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自宅、旅。建築の歩き方 [マイハーベスト]

とりあえず時差ボケもほとんど無く、日常生活に復帰である。

外国という、ある意味での非日常に何日かでも暮らすと、また満員電車に乗り、コンビニでおにぎりを買う生活に戻れんのかいな、と思うけど、悲しいほどにあっさりと馴染むんである。

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ミナサン(トイプー3匹)はちょっと怒っているようである。
吠え方が、クドい爺さんかヒステリックな中年女である。

毎回ヨーロッパ側からの帰国の後はだいたい酷い時差ボケに1週間ほど悩まされるのだが、今回は直後からの予定が詰まっていてボケてもいられず、帰国当日コーヒーをガブ飲みしながら夜中近くまで寝るのを我慢していたら、翌日からあっさりと通常スケジュールに戻れてしまった。

もうちょっとボケながら旅の余韻てものに浸りたくもあったというのが、本音である。
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次男の部屋で探し物をしつつ、彼の本棚を眺めていたら、面白そうな本を発見した。

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「旅。建築の歩き方」(槻橋修編/彰国社)

東京大学生産技術研究所原・藤井研究室の世界集落調査に参加し、旅を通して建築を学んだ編者が、巨匠から若手まで様々な建築家に旅の話しをインタビューして回った記録である。

なぜ旅行の前にこれを見つけなかったんだろうと思ったが、読んでみたら旅のスケールが違い過ぎて、旅行の前に読んだとしても、オバサンのままごとのような旅の結果は同じだったと思う。

しかし、狙いを定めた目標あるいは行程に向かって行く情熱は、こんなに過酷で険しい旅も可能にするのかと、どのインタビューを読んでも感動する。

建築という動かない標的を捕らえるには、実際にそこへ行くしかない。
建築はその地の人間の営みに密接に結びついているものだから、これだけ情報やバーチャル技術が発達した今でも、彼らはバックパックを背負い、その文化に自らの足で飛び込んでいかねば学習できないと覚悟して、ある意味向こう見ずに飛び出して行く。

建築を志した次男も、大学・大学院の間にはリスボン工科大学への留学も含めて、日本にいない日の方が多かったように思う。
(実際、今もいないのだが)

月並みな言葉しか浮かばないが、(今は巨匠でもがむしゃらに旅した頃は)その若さがまぶしいし、優秀な現地でのフィールドワークにも圧倒されるし、自分がどうなりたいかという可能性をひたすら追っていく意志の力が、インタビューされる全員の共通項である。
そしてそれぞれが持ち帰ったものが、建築への成果だけでなく、その人の人生観や価値観を間違いなく支えていると確信できるところがすごい。

ケタが違いすぎる旅の記録ばかりではあるが、ところどころに挟まれる他愛無いエピソードが、「ああ、そうそう!」と私でも同感できるところは楽しい。

一人旅のいいところは、今日はここでご飯食べよう、いや、やめようとかどうでもいいこと(彼らの壮絶な旅の中では)でくよくよ悩めるところ、とか、空港で一人ぽつんと待つ長い時間は嫌いじゃない、とか。

旅については皆がそれぞれに定義をしており、「旅はその時その時の現実だけでなく、別な時間や次元をも孕んでいるものだ」という人もいれば、「旅はそこへ行ったことが重要なのではなく、実は帰った後の記憶の呼び出し方が重要なのだ」という人もいる。

否定、肯定に分かれるにしても、ほぼ全員が何らかの形で基準としてコルビュジエを意識していること、ゆえに期せずしてほとんどの建築家がコルビュジエが絶賛したアルジェリアのガルダイヤというところを訪れていることは面白いと思う。

中に、「建築をやるなら空間が飽和している日本にいるな。エネルギーが爆発しているアジアやアフリカへ行け」と言う建築家がいて、建築ラッシュのベトナムで仕事をしている次男へも一緒にエールをもらった気がする。
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評価の定まったものを見るのが旅行、見て評価を捻り出すのが旅、と定義したある建築家の言葉は、言い得て妙、その旅の集大成のようなインタビュー集である。






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