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自宅、ユーミンの罪 [マイハーベスト]

ユニクロのブラトップを捨てる。

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LA PERLAのブティックでサイズを細かく測り直して、ほろほろと指の隙間からこぼれ落ちそうな繊細なレースのランジェリーをあつらえる。

女子力という言葉は使いたくないが(使えないが?)、ストレッチ布で胸を潰して押さえる便利さは、女性らしい身体のラインを優しく覆おうとする気持ちまで潰してしまう。

何かが自分の中で変化していると思う。

自分の意志と足で人生を歩ける時間があとどのくらい残されているのだろう。
1年かも知れないし、数年かも知れないし、母がそうだったようにまだ何十年もあるのかも知れない。

30年以上ほとんど変わりがない156㎝、39kgの57歳。
血圧はちと低めだが血液・尿検査の異常はなし。
最近、目眩が頻繁にあり。

55歳を機に、いっさいの癌健診と保健機関の健診を止める。
子どもたちが独立すれば、私の責任の9割は達成されたも同じこと。
私は自分で人生の長さを決めていい時期になったんだと思う。

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今を基点に、この先は100%自分でマネジメントする覚悟があるが、比べて駆け抜けてきた過去はなんと感傷的で他力本願で「人ごみに流されて」きたのだろうと時折回想する。

その淡く切ない部分を、ユーミンという同世代のカリスマを通して見事に蘇らせてくれた一冊。

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「ユーミンの罪」(酒井順子著/講談社現代新書)

辛口のエッセイで定評があり荒井由実の高校の後輩でもあるという著者が、ユーミンの歌がなぜこんなにも我々世代の心の襞の奥深くまで浸透したかを、リリースした20枚のアルバムを社会情勢の流れに乗せて紹介しながら独特の視点からアナライズする。

この比較が正しいかどうか分からないが、世の中年男性(夫含む)にとってクワタが世代のシンボルなら、ユーミンは当時絶対的な我々世代の女性のミューズであった。
この本を読むと、1956年生まれのワタクシと1954年生まれのユーミンとは、もちろんただの一点も接点は無いが、まさに同じ時代をリアルタイムで一緒に駆け抜けていた戦友だと大いなるシンパシーを覚える。

ユーミンがデビューした1972年は田中角栄が初めて首相になった年。
彼女は多摩美大の1年生。19歳であった。
昨年公開されたジブリ映画「風立ちぬ」の主題歌になった「ひこうき雲」は次年度のデビューアルバムに収録されている。

19歳のユーミンの歌はニューミュージックという言葉を表舞台にたたき出した。
彼女の歌の何が「ニュー」だったかと言えば、それは演歌よりニュー、歌謡曲よりニュー、そしてフォークよりニュー。

特に情念や情勢を歌った一定のスパンの感じられる従来の歌に対して、「瞬間を切リ取る」、つまり刹那的なものに対する彼女のセンスはほんとうにほんとうにニューだったのだ。

紹介される20枚のアルバムは、まだ国民皆結婚時代(この本では酒井氏自身のこんな言葉のセンスも必見です)下で女子はステイタスの高い男をボーイフレンドにすることを第一の命題としていた(まさに私はこの時代大学生活を送った)から、雇用機会均等法制定(1985年)という女子の世界観を根底からひっくり返す歴史的変化を経て、世がバブルに突入していく「祭りの時代」、そしてバブル崩壊の泡沫の中にうっすらと将来を予測するというピリオドの中に収まっている。

その時代背景を、ある時は彼の車の助手席で、ある時は苗場のスキー場で、ある時はドルフィンの海の見える窓から眺めている女子の目線は、激動の周囲に流されず、常に一定である。

運転する男性の横に座ることによって、その男性の最も重要な女性である幸せに浸る「助手席性」。
ドロドロ不倫相手のベッドに、パールピアスの爆弾仕掛けていつの間にか自分がさらりと優位に立っている「除湿性」。
ブランドものに身を固めて自分をフッた男を見返すはずが、その日に限ってやっすいサンダル履いてきちゃった「失敗の可愛らしさ性」。

そう、自分でもやってるはずのそんな他愛無い行為を、彼女が歌にするとこんなにカッコイイ。

我々リアルタイムで彼女と走りながら、それに気付いて女子である自分が好きになっていったのだと思う。

ではタイトルの「ユーミンの罪」とは何か。

筆者は「女が内包するドロドロしたものをあっさりキラキラに変換してくれた。そしてそれが永遠に続くだろうと我々に錯覚させた」ことだと言っている。

やがてユーミンのアルバムから離れ、子育てを終え、私は数年前ピンクの着物姿で「春よ来い」を歌うユーミンを紅白で見た。
刹那的な感情を鋭く切り取り、共感を私を含めたすべての女性にまき散らしてくれたユーミンは、どこかの基点で(それは多分子どもを産むか産まないかの選択)少なくとも私とは違う道を歩いたのだ、と認識した。
キラキラは永遠には続かないことを私はずいぶん早い時点で気付いたように思う。

ともあれ、八王子に実家のある夫と付き合っていた頃「中央フリーウェイ」のビール工場を見るたびに幸せだった私。
千鳥ヶ淵のフェアーモントホテルが無くなって建った現在のマンションの窓から桜を眺めて「経る時」を想う私。
種目は違えど夫(となったボーイフレンド)のテニスの試合をお揃いのトレーナーを着て応援しつつ「ノーサイド」を受け止めようとした私。

そうです、ユーミン。
当時、私はあなたと同じでした。





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