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自宅、アマン伝説 [マイハーベスト]

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アマンの名が、新しいリゾートの代名詞のように、私の脳裏に擦り込まれたのはいつからだったろうか。

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「アマン伝説〜創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命〜」(山口由美/文藝春秋)

経済的に許されさえすればいつかは泊まってみたいラグジュアリーホテルが、NYやパリやロンドンのハイソサエティな大型豪華ホテルだと信じられていた時代に、たった20棟ほどのアジアの片隅の海辺に建てられたコテージ群を最高級のリゾートにランクして日本に紹介したのは、バブル期の最中、80年代のトレンドセッターであった作家・田中康夫や景山民夫であった、と本著にはある。

そうだったのか。

あの頃、ラグジュアリーという言葉が、パリのリッツの大理石の床をハイヒールで歩くことではなく、東南アジアの浜辺の砂を裸足で踏みしめることに似合うという価値観が、ものすごく新鮮だったのを何となく思い出す。

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多分どこかの雑誌で仕入れたそんな「伝説」、それは、いかなるゲストのリクエストに対してもノーと言わないOne to Oneの精神、人が要らないという不便な土地に建てられた一見素朴な、しかし限りなく質の高いデザイン性を持った建築、東南アジアの安い人件費をフルに利用した隅々まで行き渡る人海戦術などは、ずっとずっと私の頭の中を支配し続けた。

ようやく息子達が二人とも大学に入って経済的・時間的に余裕が少しでき、最初のアマンリゾーツであるプーケットのアマンプリに出掛けたのがたった15年ほど前のことである。

名高いブラックプールはやや古びて漆黒のタイルの角はやや丸いようにも思えたが、あのむんとするモンスーン気候に抱かれた島の崖上にあって、ガラスも蚊帳も網戸も無い海風が吹き抜けるオープンな建築ながら虫一匹見当たらない快適さは、ゲストの視線から頑なに外れて庭の剪定や消毒作業をする無数の現地人のスタッフに支えられているのだろうと、静かに感動したことを覚えている。
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(写真はすべて派生ホテル、シックスセンシィズ系列Six Senses Ninh Van Bay)

その後数年経って、カンボジア・シェムリアップのアマンサラに投宿した時は、アマンの代表的な建築家ケリー・ヒルデザインの端正なアジアン・ビューティに圧倒され、私はついに「アマン・ジャンキー」の一人となった。

本著は、ジャワをルーツに持ち欧米で高度な教育を受けたアマン創業者のエイドリアン・ゼッカを中心とした、新しいリゾートホテルビジネスの系譜とカテゴライズしてもいいと思う。
だから往年のトレンドセッター達が伝えたややミーハーなトロピカルリゾートのあるある集だと思って飛びついた私のような読者には、かなり読みにくい厚みであるはずだ。

実際、哲学系列の本並みに、読み上げるのに手間取ってしまった。

しかし、アマンリゾーツがなぜ世界で唯一3つものアマンを開業させたのがバリ島であったか、その魅惑的な建築デザインがスリランカ出身の建築家ジェフリー・バワに端緒を発する”ビヨンド・バワ”の流れを汲んでいること、そして数々の熱帯アジアの辺地にたたずむ宝石のようなホテルを作ってきたアマンリゾーツが次の決戦地と狙いを定めたのが、なんと大都会東京のど真ん中大手町であること(大手町1-6計画、通称東京プライムステージに2014年開業予定)への流れは、ミスタ・ゼッカの人生観の変遷を見るようで興味深い。

そしてそのゼッカが作った流れは同じアジアに位置する日本にも確実に混流しており、私のうっすらとした憧憬はその端々を拾い集めていただけなんだなあと思う。

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今度のGWは、バワとアマンの接点を見る旅を狙っている。



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