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マウイ、セラピスト [マイハーベスト]

そんな。

ここであの人に会うなんて。



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ヨガマットでできたビーサン。
http://www.sank.com/

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ストライプのサンドレス。

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一日中、スナックタイム。
シャンパン付き。

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お約束のアングル。

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お約束のサンセット。

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お約束の白ワイン。

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完璧な夜食。



完璧にひとり。
そう。
完璧にセッティングしたはずだったマウイでの休暇。

なのに、私が一番触れたくない傷をあの人はざっくりと両手で広げ、俺はまだここにいるぞ、なぜ俺を連れて行かない、と意識の中に押し入ってくる。

本を投げ出し、ベッドに大の字に寝転がる。

そうか。

自分だけいい思いするなよ、と。
そう言いたいのね。


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「セラピスト」(最相葉月/新潮社)

どこまでも広がる海と同じくらいの量を与えられるであろう自由な時間を、胸いっぱい抱きしめるために読むのは、手探りで精神疾患に向き合う精神科医や心理療法士を追うルポ。
時間に追われる日常の中で読むには、引きずられそうできついと思った本である。

主に精神医学界のドクターズ・ドクターと言われる中井久夫の統合失調症の研究過程を追ったもので、総合的には日本の精神疾患への治療と取り組みの歩みととることもできる。

セラピストとは、勉強してきたように、広い意味での「療法士」を指し、現在では主に精神的な疾患へアプローチする人々のことをいうと解釈する。
我々アロマセラピストも広義においては香りをツールとしてクライアントの精神を癒すという意味でセラピストの一員といわれるが、臨床心理を勉強していないので「治療する」「カウンセリングする」という言葉は使えないことになっている。

厚労省の調査によれば、国際基準でいう「気分障害」に含まれる鬱病や双極性障害の患者数は1999年から2008年の9年間で2.4倍の104万1000人と急増しており、それを受けてかカウンセリングや心理学を学ぶ若者が増えて、いわゆるカウンセリングブームというようなものが生まれているという。

精神科医とカウンセラーとの棲み分けは、大きくは病気を医師が、障害をカウンセラーが受け持つともいわれるが、そこまで区別が明確なものでもなく、現場は混乱しているようだ。

日本にカウンセリングという概念が導入されたのはいつだったのか。

そこに話しが遡る時、今マウイで眼下に見るのと同じ太平洋を望むJR大甕駅に隣接するなだらかな斜面に建つ、茨城キリスト教学園が登場する。
その学園こそが父が生涯勤務した場所である。

当時はアメリカ人宣教師達の、映画に出てくるようなフィフティーズ風戸建住宅が広大な緑の敷地に点在し、食堂は軍から払い下げられたようなカマボコハウスだったと記憶している。

母が高校の教師で昼間は不在だったので、父はよくお世話係のおばあちゃんが来ない日は幼い私をそこへ連れて行き、自分の仕事の間中、土足でOKの白い網戸との二重ドアの向こうのアメリカンな世界へ、私を預けるのだった。

父は初代学長の宣教師ローガン・J・ファックスらとともにこの学校を立ち上げ、主に経営に携わり、60歳の定年を迎えるまで当時の日本の文部省との折衝や処理管理を行った。
ミスタ・ファックスが帰国してからも、結婚式だ、父上のお葬式だ、と何かとアメリカに出向いて行ったことも記憶している。

そのローガンおじさん(と私は呼んでいた)こそが、カウンセリングの代名詞といわれたカール・ロジャースのカウンセリング理論を日本に紹介し、日本初のカウンセリング研究所を設立した人物である、ということをこの本で私は初めて知る。

そう言えば、幼心にも父がよくカウンセリングという言葉を母や知人に解説し、どうもそれが悩める学生達の相談にのることらしいぐらいまで私は理解していたように思うが、それから先へ進むことは無く、父もあえて教えようとも思わなかったらしい。

日本に箱庭療法を紹介して日本におけるカウンセラーの祖となった河合隼雄の自伝『未来への記憶』には、「私は父を憎んでいるんです」という相談者の記録が残る。
自分の心を読まれたようではっとする。

父は戦後の混沌とした世の中で、両親を亡くし、大した学歴も無いのに一人で宣教師達と大きな仕事を始めた。
それはそれで今考えれば立派なことであったが、両親から自分がどう育てられたかの自覚が持てないまま父親になり、いつまでも、多分今でも、娘の心の中に土足でずかずかと入り込んでくる。

その自分本位の足跡に、私も、そして母も、どれだけ苦しんできたことだろう。

父は自分の最も意気盛んな時に身につけたはずのカウンセリングというテクニックを自分に生かすことは無く、母の死後コントロールを失って人生を投げ出してしまった。

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茨城キリスト教学園を取材した「日本人をカウンセリングせよ」というその章のタイトルに、父が重なるマウイの夜である。




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