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自宅、潮の騒ぐを聴け [マイハーベスト]

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恒例の花屋さんの夏のご挨拶。
昨秋逝ったクロの遺影を抱くようなカサブランカ。

一通りルーティンのエクササイズ(フラ→ドラム→英文読み込み→最近+のラジオ体操)が終わり、後は寝るだけという、例えば夫が当直の夜に、ソファに二匹と埋もれてこっそり一人で嘗めるアルマニャックのような、極上の味。
そんな本を、部屋の中の澱となったカサブランカの芳香の中で大切に大切に読み終わる。

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「潮の騒ぐを聴け」(小川雅魚/風媒社)

読書はスピードが命と普段は思ってるが、一行一行、一語一語、作者の吟味した言葉を噛みしめながら読む本も、たまにはあっていいと思う。

そのためには、言葉や文章の精度がかなり研ぎすまされてないと、またその言語が自分のフィーリングにぴったり一致してこないとダメなんであるが、まさにこれはそんな珠玉の一冊だと思う。

内容は、三河人の著者(いったい著者が何者なのかどうしても知りたいが、私と同年代の英米文学者、ということしか分からない)が人生で出会って来た飲食交遊記であり、それだけを聞くと割と巷にあふれたエッセイ的なものを思い浮かべるが、その出会ったものへの感性と食材への視点が群を抜いている。

夏の夕方、港(はまけ)でウナギを釣っているのは、還暦がらみのトム・ソーヤーとハックルベリーたちばかり。私の思い出を収納した納屋は、いまは記憶の中にしかない。
記憶のなかで祝祭は果てることがないけれど、最初のひと皿(プリモビアット)はいつも、とれたてのシコの団子なのである。



抜粋として適当な段落かどうか分からないけれど、こういう一文一文に、著者の感性の波紋を受信する。
著者は生まれ育った三河地方で、当時よく採れたイワシの一種の「シコ」を懐かしんでいる。
この段落は、言ってしまえば、
夏の夕方、港の桟橋でうなぎなどを釣っているのは、60歳前後の人たちである。当時あった納屋ももう無い。ご馳走の記憶は多々あるが、やっぱり一番なのはシコの団子である。
という平坦な内容なのだが、著者の手にかかればなんと叙情に満ちた美しい思い出の風景に変容することか。。

言い表し方次第で、その文章の後ろの記憶が幾重にも広がることを何より鮮明に証明してくれてる。

著者は英米文学者とあるが、秀逸な翻訳の時に必要な引き出しは、一般人のそれより何倍も大きな深い収納力を持つものなのだろうと想像に難くない。

何事にもその道を極めた人のインジケーションは素晴らしい。

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マダガスカル香料視察ツァーの打ち上げ。
丸の内の高級タイ料理レストラン、サイアムヘリテイジ東京にて。

タフな旅ほど思い入れが深いもの。

参加者は日本における香料を極めた人たちだから、たかが個人的気興味の域を出ない私などはなかなかそのテンションについて行けない場面もあるが、悲惨なロストバゲージも超過密スケジュールも、今となってはパッタイの具になる。
全員が戦友のようなシンパシーで結ばれた気がする。

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宮古上布の薄物と紅型の帯で参席。
夏の着物は、「あり得ない」という意味で、心を上質に導いてくれる。

翌日、茅の草履をスニーカーに履き替えて、ドラムレッスン。

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リムショット、慣れてきたと思ったら、スティックが折れそうだ。

ボサノバの季節だなあ。


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