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軽井沢、海外で建築を仕事にする [マイハーベスト]

君に逢う日は 不思議なくらい
雨が多くて
水のトンネル くぐるみたいで
しあわせになる

(略)

君の名前は 優しさくらい
よくあるけれど
呼べば素敵な とても素敵な
名前と気付いた

(略)

今夜君のこと誘うから 空を見てた
はじまりはいつも雨・・・・


昨今の芸能界では珍しく文学的な歌詞を書く人だと思っていたのに、墜落してしまった。

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冬の間にこちらも墜落した巨大な白樺の照明をようやく撤去して、軽やかなスタルクのROMEO LOUIS2機が、山荘の高い天井から吊り下がる。

切り子のようなガラスのカーヴィングから透けて見える、滴るような森の色もなかなかいい。

そして、またしても軽井沢は雨・・・

寒い。

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フォーシーズンズ・コ・サムイで買ったタイの民族衣装は、巨大なステテコみたいな形のしっかりと紡がれた藍の布でできている。

片方の足にすっぽり私の身体が入るくらいだが、ウェストに付いている紐で縛って小柄な女性でも、頑丈な男性でもそれなりにキマる。
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しかし、そんな夏の装いも、もう出番が無い。


東京からやってきた業者さんが4時間を要した照明の取り付け作業の間、読みかけの本をブランケットにくるまってむさぼり読む。

ありがちなハウツー本かとナメてかかったら、そこにこみ上げるような感動があって泣きそうになる。

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「海外で建築を仕事にする~世界はチャンスで満たされている~」(編者:前田茂樹/学芸出版社)

いわゆるハウツー本はあまり読まない。

人のハウツーは私のハウツーじゃないと思ってるから、参考にもしない。

なのにこれを手に取ったのは、同じ境遇のさ中にいる息子を持つ、まあ母親としての軽い興味がまずそこにあったんだけど・・・。

いやいや。

16人の若き建築家たち(日本人15人、フランス人1人。フランスの一人は、いわゆる逆”海外で建築を仕事にした”好例になっている)が、言葉や経済の壁をものともせずに、建築を学びたいという情熱だけに導かれて国境を越えていく16通りのマイウェイは、同じ境遇の息子を持つ母親ならずとも、読む者の心を鷲づかみにするだろう。

彼らはなぜ、うちの愚息もなぜ、自分たちの活躍の場を日本ではなく海外に求めるのだろうか。

そこには、全世界共通、建築業界独特のトップダウンの徒弟制度のようなシステムの存在が大きく関わっているようだ。

コンペや実際の作品や、極端な人は写真集を見ただけで、これはすごいと思った建築家がいたら、まずは自分のポートフォリオを持って渡航し、そのオフィスに押し掛ける(!)
有名なボスは、もちろんオファーも受けず、すんなり会ってくれる訳もないから、毎日毎日、秘書さんにどんなに迷惑がられようとも、日参する。

何日かかるかもわからず、雇ってもらえるかもわからず、もちろん持ち金も限られている若者たちだ。
スーパーで缶詰のミートソースをまとめ買いして、毎日の食料はそれで繋ぐ。
(この彼は、それ以来ミートソースを食べることができなくなったそうだ)

そしてやがて憧れの建築事務所の扉が1センチ開かれる。
秘書が話をボスに上げてくれると言ってくれる。

現地で暮らせるぎりぎりの給料で、模型作りの下働きに雇われる。
言葉はほとんどわからず、何をしなさいと言われたのかも最初はわからない。
だが、作った模型や図面が、言葉の足りなさを補足してくれる。

そう。
彼らが言葉の不自由さを恐れないのは、建築という共通語がそこにあるからだ。

そのうちに、彼らは「自分がそこに居てもいいんだ」という空間を見つけ、やがて「お前が必要だ」という絆を感じ、事務所の中核となっていく。
どの事務所もそんな若者達を抱えた人種の坩堝であることが面白い。

しかしそこで終わらないのがこの業界の特殊なところ、寄らば大樹の陰という言葉は無い。
若者達はノウハウやエッセンスを蓄えると事務所を退き、異国の地に自分の足で立つ準備を始めるのである。

どのボスも所員の独立には非常に寛容で、時には業者への推薦状や出版物の帯を書いてくれたりもする。
これが建築業界のワールドワイドなサイクルである。

彼らの行った国や境遇、また現在のポジションはそれぞれに違うけれど、共通しているのは自分にとってのパーフェクトストーリーをまず持ち、そのダイレクションへ自分の力を信じて一心に進んでいくことだ。
そこには今の若者にありがちな「群れる」という発想がまったく無い。

中の一人が言っているように、彼らはサムライ・ジャパンではなく、ローニン・ジャパン。

素手で夢をつかみ取ろうとする若い建築家たちのボーダレスな実話は、ヘタに作ったサクセスストーリーより遥かに大きな振幅を持った感動を呼び起こす。



震災の1週間後だった次男の大学院卒業式は行われず、学長のメッセージだけが新聞に掲載された。

詳しくは忘れたが、この大きな苦難を自分の人生に刻んで人の役に立つ仕事をすることこそが、この年にこの大学(院)を卒業する者の務めである、というような内容に涙がこぼれた。

その年、次男は震災前に内定していた東京の事務所が立ち行かなくなり、あわや院卒プータローになりかけたところ、同じ大学院で学んだベトナムの今のボスに誘われて、海を渡っていった。

日本に居なくてよいのか、これからキャリアをどう積み上げていくのか、親としては不安なことばかりだったけれど、彼に迷いは無く、また当時選択肢も他に無かったように思う。
その後2020年東京オリンピックが決まり、今や日本の建築業界は活気に沸いているけれど、ベトナムで3年の経験を積んだ彼の目はすでにヨーロッパを捕らえている。
彼が自国に戻って来ることはないだろう。

一人旅だ。

はじまりは、雨。

この先雨が降る日もまたあるだろうが、頑張れと、心から言いたい母である。

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